「助産婦の手記」
19章
聖マリア被昇天の同じ祝日に、私の助産によって、もう一人の大へん心配をかけた赤ちゃんが生れた。村はずれの暗い森の中にある山林住宅の中に、よほど以前から、陰気な心配事が起きた。林務官の奥さんが、病気であった。最初、彼女は腎臓炎であったが、それを大して気にもしなかった。周知のように、婦人には、二つの種類がある。一つの方は、あまりにも体をいたわり過ぎ、何の理由もないのに頭をうなだれ、そして医者を呼んで来させるのである。も一つの方は、あまりにも自分の健康に注意せず、何事でも真剣に取りあげようとはしない性質の人で、従って、自分がまだ這い回ることができる間は、病気とは思わぬのである。その林務官の奥さんは、後の種類に属していた。彼女はまた、自分の体を大事にする時間的余裕もなかった。家には、子供が五人いた。長女は十三歲くらいで、普通なら母親の手助けがよくできるはずである。しかし、その子は全く落付きがなく、そそっかしい子だった。『若い頃のお父さんそっくりだ、』 と老人たちは言った。もし娘の子が全く落ちつきがなく、どこへでも出しゃばりたがり、 しかもただ単に「私にもやらせて頂戴」ということばかり言って、全く何の役にも立たないなら、そういうことは、それが娘であるだけに、男の子よりも遙かに始末の悪いものである。そんな娘は、ややもすれば、しくじりを仕出かしやすく、そして人の予期しないうちに不幸が起るものである。
家の中では、娘は何の役にも立たなかった。竈(かまど)の前に坐ると、ミルクをこぼしたり、水を入れないで馬鈴薯を煮たりした。コーヒーを家畜小屋へ運んだり、山羊の飼料の入っている鍋をお八つの食卓へ持って来たりした……その娘は一体、何を考えているのか判らなかった! 家から出て行きなさい! と言われると、娘は、村をうろつき廻って、あちこちで何か仕出かす。この娘は、母親にとって最大の心配の種だった。冬に、編物の授業が遅く終るとか、または、そのほか何かのために村からの帰りがおそくなった場合には、母親は腎臓炎にも拘らず、雨でも雪でも、娘を迎えに行ったことも稀れではなかった。しかし、謝肉祭の頃から、母親は咳をし、発熱しはじめた。肺病も併発した。今としては、医者にかからないわけには行かなかった。森から行くと、村にとっ付きの最初の家に、医者のマルクスが住んでいた。そこで、林務官は、村の真中まで行かずに、その最寄りの医者を連れて来た。彼は、彼女に妊娠三ヶ月、腎臓炎および肺臓カタルという診断を下した。そして入院を命じた。妊娠は、何よりもまず中絶しなければならぬ、さもないと母体は、お産まで、もたないだろうということであった。つらい日々が、林務官の家でつづいた。ある夜、子供たちがベッドにはいってから、父と母は向い合って坐っていた。『今でも私たちは、もう子供が五人あるんですよ。六番目のも、やはりパンと小さなベッドがいります。それはまた大きくなるでしょう。ですから、私たちは、今それを葬ってもらわねばならないですね……』『それは、赤ちゃんのためにはならないね、お母さん。私はもうそれが可愛ゆく、いとしくなって来ているようだ。でも、もしお前が死ぬとすると? お前が死ぬよりは、赤ちゃんが死ぬ方が、良くはないかね? ほかの子供たちは、どうなることか、そのことを考えて御覧。また赤ちゃんは、お前がいなければ、そう、お母さんなしには、どうすることやら?』『では、私が死ぬだろう ということが、確かに判っているんですの? もし妊娠中絶をしさえすれば、私は死なないってことが、判っているんですの? あなた、昨年、あの居酒屋「鹿」で、どういうことが起ったか思い出して下さい。そのときは、当のマルクス先生も、中絶せねばならぬと言ったんですよ。そしてお上さんは、その手術で死んだのですよ。』『しかし、またうまく行ったこともたびたびあるんだからね。なぜ、お前の場合に限ってうまく行かないということが、あろうか? 私は、マルクスさんが、もう、二三回、妊娠中絶をさせた村の女の人を幾人か知っている。我々男たちが寄り合うと、色んなことを話すんだよ。ぶなの木や兎のことばかりじゃない。ある女は、神経がどうだとか、他のある女は心臓がどうだとか。そうだ、人は好きなことを考えることができるものだ。僕は医者ではないし、責任を負わない。しかし、徹夜でダンスをしたり、心臓や神経でもって、スキーをやったり、手橇(そり)に乗ったりすることのできるぐらいの女なら、辛抱して子供を生むことができると思うがね、もしその気があるなら……』『あなたは、いつか私たちが一緒に見に行ったあの博覧会のことを覚えていませんか? 胎児は、もう二三ヶ月で、どんなに可愛らしくなっていたか覚えていますか? あすこでは、胎児はあんなに無慈悲に、蛇やひきがえるのように、アルコール漬けにして保存してあったのですが、それでも、それはほんとに小さな人間の子であったということは、どんなにか私たちを悲しませたことだったでしょうか。二年前にエラ叔母さんが、ここに来て流産したとき、それはどんなにあなたを悲しませたか、覚えていますか? あの小っちゃいのが、嘆願するかのように、自分の小さな手を動かしていて……それなのに、それはまだあまりにも小さすぎるので、誰も助けることができなかったのですよ。』『覚えてる。お母さん、よく覚えてる。だが、もしお前が死ぬと何が起きるだろうか? もし、子供が生れても、お前が死ねば子供は、どうなるだろうか? そのときには、子供も、きっと死んでしまうだろう。』『御覧なさい、ヤコブ、私たちが、そんなことを話していると、私のお腹の子供が、私たちの言葉を聞いて、恐ろしさに、その小さな心臓が停ってしまうような気がするんですよ。また、赤ちゃんがその小さな手を動かして、どうか私を生かして置いて下さい、と願っているようにも思われるのですよ。赤ちゃんは、こう言っています。あなた方は、もともと私を呼んで生存させたんです。人間の生命というものは、この世では神聖なものではないんですか? 天主の戒めには、汝殺すなかれ、とあるではありませんか? そしてあなた方は、私のお父さんとお母さんになろうと思ってるのです――私を生命へ目覚ましたのです――そして、私がいま生きていいかどうかについて、イエスかノーか、ただ一言いうことができるだけなのです、と。』『お母さん、私は決して強いてお前にそれをやらせようとしているのじゃないよ。だが、もしお前が死んだら、子供はどうなるかね? そのときには、子供は,よりよい具合になるかね?』『それは全く、確かにいい具合になりますよ、ヤコブ。そのときには、あなたは、赤ちゃんの父と母とにならねばなりません。地上の一番みじめな生命でも、無いよりはましです。それは天主の子ですし、天主と天国とのために育てなければなりません。それは洗礼を授けられねばなりません。ああ、私たちは一体、自分自身というものをどんなに重要なものと思っているんでしょう! どれほど多くの子供が、父も母もないのに、生きていることでしょう。もし天主が、私をこの世から取り去り給うたなら、天主が孤児の母となられるでしょう。そして私は永遠の彼方から、私が今このように、あなたのそばにいるよりも、多分もっとあなたのために尽くすことができるでしょう。ああ、全く私たちは、何事も私たちなしにはやって行けないと、いつも信じているんです。しかし、天主はそのお創りになった天地を統べることがおできになるし、またそうするためには、私たちの一人ぐらい何の必要ともなされないのです……』
日曜日の御ミサの後で、林務官は妻と一緒に、ウイレ先生のところへ行った。詳しい診察の後、医者は、体をよくよくいたわるよう命じた、すなわち、体力を強めるために、若干の薬剤を、殊に、ミルク、卵、果物をとるようにという処方を与えた。『あなたは、御自身必要とするものを、自分で調達できますか? あなたは、物事をあまり軽く見てはいけませんよ、特にあなたの状態では。あなたは、手助けする人を頼むことができますか? もしできなければ、私はあなたに看護婦を一人、無料で世話してさし上げましょう……私たちは、私たちキリスト信者は、お互いに助け合うために存在しているんです。』『それには及びません、親戚のものが誰か暫らく来てくれるでしょう、先生――。でも先生は、あのことについては、今まで何もおっしゃいませんでしたが――妊娠中絶をせねばならぬというのは、確かにほんとなのでしょうか?』『多くの医者たちは、あなたに、このことを第一の救助策としてやらせようとするかも知れません。この赤ちゃんは――いや、すべてどの赤ちゃんでも――母親にとっては、非常に精力を消耗させるものであることは確かです。しかし、また同時に、どの赤ちゃんでも、母親にとっては、力の源泉です。そこには、何か相互関係があるのですが、これについては我々は、まだ仲々よく判っていないので、はっきりした断定を下すのは僭越の沙汰なんです。ただ私は、こういう見地に立っています。生命を――すべての生命を――保護するということは、医者の神聖な義務である、と。殺さないということは、まさに医者の天職です。外見上、ある人の利益になると思われる場合でも、そうなのです。そして、もし手術の結果が、どこか体の一局部に限られるのではなくて、心臓、神経、感情など、一切を含む有機体の全部にわたる場合には――私は、そのような手術は妊娠そのものよりも、もっと憂慮すべきものと考えるのです。そうした考えからして、私は、もし母体に対するさし迫った死の危険が、このことを要求しない限り、中絶の手術をする決心は、ようしないのです。幸いに、こうしたことが起るのは、ごく稀れです。私は、病気の母親の方を手当てして、子供のことは出来る限り心配しないことにしているんです。』『ですと、先生も、私の家內は子供のために、死ぬだろうと思われるのですか?』『人間的な判断からすれば、妊娠が終ってしまうまでは、心配は増してゆくでしょう。それからまた、お産のときには、色んな混乱がおこりやすいものです。うまく行くかどうかは、本当をいえば、我々には判断できないんです。まさにこういう方面で、人は最も不思議な驚きを経験できるのです。そこで、お母さん、地上のあらゆる生命は、より高いもの御手の中にあるということをお考えになって、あまり心配しすぎないようになさい。必要なことだけに気を配って、静かに成行きにお任せなさい……』
親戚の或る女が、この家へ手伝いに来た。林務官の奥さんは、その女が、まるで五人の子供の母親であるかのように、よく世話をしてもらった。かようにして冬が過ぎ去った。医者は每週来診したが、その都度、「病気のお母さんが必要とするような何ものか」を持って来てくれた。彼女の健康は、大して悪くはならなかった。春がやって来て、暖かい太陽が森を照らすようになると、彼女の健康状態は快方に向っているかのように思われた。そして御昇天の祝日に、男の子が生れた。二三週間早すぎたように私には思われた。しかし、この小さな男の子は、大へん丈夫で、牡鶏と競争してはげしく鳴き立てた。実に、いい具合いに行った。よい看護のお蔭で、母親の健康は、半年前よりは一層よくなった。しかし、まだ赤ちゃんに授乳することは許されなかった。産後四日目に、親戚の女は、赤ちゃんのために、哺乳器をアルコールの湯わかしの上で温めさせるために、十三歳のベルタを台所にやった。しかし、ベルタは、その仕事にまたもや注意を向けなかった。予期しないうちに、その十三の小さな姉は、焰に近寄りすぎたため火が燃えついた。恐ろしい叫び声を発して、その娘は部屋の中へ走りこんだ。親戚の女は、驚いて身動きができなかった。しかし、母親は、ベッドから飛び下り、掛蒲団をもって焰を消し止めた。その娘は、大した火傷は負わなかった。ところが、母親は突然、悪寒の発作で、ブルブル慄えたので、歯はギシギシ音を立て、ベッドは一緒に揺れ出した。殆んど止め難い出血が起った。医者が連れて来られぬうちに――私は、ちょうどそのとき、お産のためウンテルワイレルに行っていた――事は既に遅すぎた。驚き、出血、突然に起った心臓衰弱……三日後には、すでに死の蝋燭がともされた。気丈夫な母親の心臓が、停ったのであった。死骸の前に、父親は赤ちゃんを抱いて跪いた。『お母さんの遺(わす)れ形見たちよ。』と、彼は子供たちに言った。『小さな弟に生命を与えるために、そして小さな姉を焼け死にから救うために、お前たちのお母さんは、死んだのだよ。ただただお前たちに対する愛から。さあ、お前たち、一生涯中、このようなお母さんにふさわしいように、やって行っておくれ。』
ベルタは、憂鬱な日々を送った。誰も彼女を非難しなかったのではあるが、母親の死んだのは、自分の責任だと、彼女は自ら感じていた。私は、その娘が、さらにまた愚かなことをするのを防ぐために、その娘に長い間、話して聞かさねばならなかった。とにかく、母の遺れ形見の小さな弟が、橋渡しをした。その子供を世話することが、その娘に生き甲斐と、生きる勇気とを取り戻させた。キリストの十字架像の一角に、母親の肖像が掛っていた。忠実に義務を履行して、彼女は死んだのである。忠実に義務を履行して、今やベルタもまた、母の遺れ形見を保護することを学んだのである。その娘の不注意と軽卒の性質は、あの恐ろしい出来事によって消え去った。十三斎の娘にとっては、五人の小さな兄弟姉妹のいる世帯をやって行くことは、容易なことではなかった。しかし、彼女はそれに成功した。それは、あたかも、永遠の彼方にいる母親が、何本かの糸を手に操(あやつ)り、忠告と行為とをもって、その成功に協力したかのように思われたのである。その小さな母の遺れ形見のハンスは、今日では年老いた父の若い助手であり、かつ最も忠実な相手となっている。祝福された子供。
19章
聖マリア被昇天の同じ祝日に、私の助産によって、もう一人の大へん心配をかけた赤ちゃんが生れた。村はずれの暗い森の中にある山林住宅の中に、よほど以前から、陰気な心配事が起きた。林務官の奥さんが、病気であった。最初、彼女は腎臓炎であったが、それを大して気にもしなかった。周知のように、婦人には、二つの種類がある。一つの方は、あまりにも体をいたわり過ぎ、何の理由もないのに頭をうなだれ、そして医者を呼んで来させるのである。も一つの方は、あまりにも自分の健康に注意せず、何事でも真剣に取りあげようとはしない性質の人で、従って、自分がまだ這い回ることができる間は、病気とは思わぬのである。その林務官の奥さんは、後の種類に属していた。彼女はまた、自分の体を大事にする時間的余裕もなかった。家には、子供が五人いた。長女は十三歲くらいで、普通なら母親の手助けがよくできるはずである。しかし、その子は全く落付きがなく、そそっかしい子だった。『若い頃のお父さんそっくりだ、』 と老人たちは言った。もし娘の子が全く落ちつきがなく、どこへでも出しゃばりたがり、 しかもただ単に「私にもやらせて頂戴」ということばかり言って、全く何の役にも立たないなら、そういうことは、それが娘であるだけに、男の子よりも遙かに始末の悪いものである。そんな娘は、ややもすれば、しくじりを仕出かしやすく、そして人の予期しないうちに不幸が起るものである。
家の中では、娘は何の役にも立たなかった。竈(かまど)の前に坐ると、ミルクをこぼしたり、水を入れないで馬鈴薯を煮たりした。コーヒーを家畜小屋へ運んだり、山羊の飼料の入っている鍋をお八つの食卓へ持って来たりした……その娘は一体、何を考えているのか判らなかった! 家から出て行きなさい! と言われると、娘は、村をうろつき廻って、あちこちで何か仕出かす。この娘は、母親にとって最大の心配の種だった。冬に、編物の授業が遅く終るとか、または、そのほか何かのために村からの帰りがおそくなった場合には、母親は腎臓炎にも拘らず、雨でも雪でも、娘を迎えに行ったことも稀れではなかった。しかし、謝肉祭の頃から、母親は咳をし、発熱しはじめた。肺病も併発した。今としては、医者にかからないわけには行かなかった。森から行くと、村にとっ付きの最初の家に、医者のマルクスが住んでいた。そこで、林務官は、村の真中まで行かずに、その最寄りの医者を連れて来た。彼は、彼女に妊娠三ヶ月、腎臓炎および肺臓カタルという診断を下した。そして入院を命じた。妊娠は、何よりもまず中絶しなければならぬ、さもないと母体は、お産まで、もたないだろうということであった。つらい日々が、林務官の家でつづいた。ある夜、子供たちがベッドにはいってから、父と母は向い合って坐っていた。『今でも私たちは、もう子供が五人あるんですよ。六番目のも、やはりパンと小さなベッドがいります。それはまた大きくなるでしょう。ですから、私たちは、今それを葬ってもらわねばならないですね……』『それは、赤ちゃんのためにはならないね、お母さん。私はもうそれが可愛ゆく、いとしくなって来ているようだ。でも、もしお前が死ぬとすると? お前が死ぬよりは、赤ちゃんが死ぬ方が、良くはないかね? ほかの子供たちは、どうなることか、そのことを考えて御覧。また赤ちゃんは、お前がいなければ、そう、お母さんなしには、どうすることやら?』『では、私が死ぬだろう ということが、確かに判っているんですの? もし妊娠中絶をしさえすれば、私は死なないってことが、判っているんですの? あなた、昨年、あの居酒屋「鹿」で、どういうことが起ったか思い出して下さい。そのときは、当のマルクス先生も、中絶せねばならぬと言ったんですよ。そしてお上さんは、その手術で死んだのですよ。』『しかし、またうまく行ったこともたびたびあるんだからね。なぜ、お前の場合に限ってうまく行かないということが、あろうか? 私は、マルクスさんが、もう、二三回、妊娠中絶をさせた村の女の人を幾人か知っている。我々男たちが寄り合うと、色んなことを話すんだよ。ぶなの木や兎のことばかりじゃない。ある女は、神経がどうだとか、他のある女は心臓がどうだとか。そうだ、人は好きなことを考えることができるものだ。僕は医者ではないし、責任を負わない。しかし、徹夜でダンスをしたり、心臓や神経でもって、スキーをやったり、手橇(そり)に乗ったりすることのできるぐらいの女なら、辛抱して子供を生むことができると思うがね、もしその気があるなら……』『あなたは、いつか私たちが一緒に見に行ったあの博覧会のことを覚えていませんか? 胎児は、もう二三ヶ月で、どんなに可愛らしくなっていたか覚えていますか? あすこでは、胎児はあんなに無慈悲に、蛇やひきがえるのように、アルコール漬けにして保存してあったのですが、それでも、それはほんとに小さな人間の子であったということは、どんなにか私たちを悲しませたことだったでしょうか。二年前にエラ叔母さんが、ここに来て流産したとき、それはどんなにあなたを悲しませたか、覚えていますか? あの小っちゃいのが、嘆願するかのように、自分の小さな手を動かしていて……それなのに、それはまだあまりにも小さすぎるので、誰も助けることができなかったのですよ。』『覚えてる。お母さん、よく覚えてる。だが、もしお前が死ぬと何が起きるだろうか? もし、子供が生れても、お前が死ねば子供は、どうなるだろうか? そのときには、子供も、きっと死んでしまうだろう。』『御覧なさい、ヤコブ、私たちが、そんなことを話していると、私のお腹の子供が、私たちの言葉を聞いて、恐ろしさに、その小さな心臓が停ってしまうような気がするんですよ。また、赤ちゃんがその小さな手を動かして、どうか私を生かして置いて下さい、と願っているようにも思われるのですよ。赤ちゃんは、こう言っています。あなた方は、もともと私を呼んで生存させたんです。人間の生命というものは、この世では神聖なものではないんですか? 天主の戒めには、汝殺すなかれ、とあるではありませんか? そしてあなた方は、私のお父さんとお母さんになろうと思ってるのです――私を生命へ目覚ましたのです――そして、私がいま生きていいかどうかについて、イエスかノーか、ただ一言いうことができるだけなのです、と。』『お母さん、私は決して強いてお前にそれをやらせようとしているのじゃないよ。だが、もしお前が死んだら、子供はどうなるかね? そのときには、子供は,よりよい具合になるかね?』『それは全く、確かにいい具合になりますよ、ヤコブ。そのときには、あなたは、赤ちゃんの父と母とにならねばなりません。地上の一番みじめな生命でも、無いよりはましです。それは天主の子ですし、天主と天国とのために育てなければなりません。それは洗礼を授けられねばなりません。ああ、私たちは一体、自分自身というものをどんなに重要なものと思っているんでしょう! どれほど多くの子供が、父も母もないのに、生きていることでしょう。もし天主が、私をこの世から取り去り給うたなら、天主が孤児の母となられるでしょう。そして私は永遠の彼方から、私が今このように、あなたのそばにいるよりも、多分もっとあなたのために尽くすことができるでしょう。ああ、全く私たちは、何事も私たちなしにはやって行けないと、いつも信じているんです。しかし、天主はそのお創りになった天地を統べることがおできになるし、またそうするためには、私たちの一人ぐらい何の必要ともなされないのです……』
日曜日の御ミサの後で、林務官は妻と一緒に、ウイレ先生のところへ行った。詳しい診察の後、医者は、体をよくよくいたわるよう命じた、すなわち、体力を強めるために、若干の薬剤を、殊に、ミルク、卵、果物をとるようにという処方を与えた。『あなたは、御自身必要とするものを、自分で調達できますか? あなたは、物事をあまり軽く見てはいけませんよ、特にあなたの状態では。あなたは、手助けする人を頼むことができますか? もしできなければ、私はあなたに看護婦を一人、無料で世話してさし上げましょう……私たちは、私たちキリスト信者は、お互いに助け合うために存在しているんです。』『それには及びません、親戚のものが誰か暫らく来てくれるでしょう、先生――。でも先生は、あのことについては、今まで何もおっしゃいませんでしたが――妊娠中絶をせねばならぬというのは、確かにほんとなのでしょうか?』『多くの医者たちは、あなたに、このことを第一の救助策としてやらせようとするかも知れません。この赤ちゃんは――いや、すべてどの赤ちゃんでも――母親にとっては、非常に精力を消耗させるものであることは確かです。しかし、また同時に、どの赤ちゃんでも、母親にとっては、力の源泉です。そこには、何か相互関係があるのですが、これについては我々は、まだ仲々よく判っていないので、はっきりした断定を下すのは僭越の沙汰なんです。ただ私は、こういう見地に立っています。生命を――すべての生命を――保護するということは、医者の神聖な義務である、と。殺さないということは、まさに医者の天職です。外見上、ある人の利益になると思われる場合でも、そうなのです。そして、もし手術の結果が、どこか体の一局部に限られるのではなくて、心臓、神経、感情など、一切を含む有機体の全部にわたる場合には――私は、そのような手術は妊娠そのものよりも、もっと憂慮すべきものと考えるのです。そうした考えからして、私は、もし母体に対するさし迫った死の危険が、このことを要求しない限り、中絶の手術をする決心は、ようしないのです。幸いに、こうしたことが起るのは、ごく稀れです。私は、病気の母親の方を手当てして、子供のことは出来る限り心配しないことにしているんです。』『ですと、先生も、私の家內は子供のために、死ぬだろうと思われるのですか?』『人間的な判断からすれば、妊娠が終ってしまうまでは、心配は増してゆくでしょう。それからまた、お産のときには、色んな混乱がおこりやすいものです。うまく行くかどうかは、本当をいえば、我々には判断できないんです。まさにこういう方面で、人は最も不思議な驚きを経験できるのです。そこで、お母さん、地上のあらゆる生命は、より高いもの御手の中にあるということをお考えになって、あまり心配しすぎないようになさい。必要なことだけに気を配って、静かに成行きにお任せなさい……』
親戚の或る女が、この家へ手伝いに来た。林務官の奥さんは、その女が、まるで五人の子供の母親であるかのように、よく世話をしてもらった。かようにして冬が過ぎ去った。医者は每週来診したが、その都度、「病気のお母さんが必要とするような何ものか」を持って来てくれた。彼女の健康は、大して悪くはならなかった。春がやって来て、暖かい太陽が森を照らすようになると、彼女の健康状態は快方に向っているかのように思われた。そして御昇天の祝日に、男の子が生れた。二三週間早すぎたように私には思われた。しかし、この小さな男の子は、大へん丈夫で、牡鶏と競争してはげしく鳴き立てた。実に、いい具合いに行った。よい看護のお蔭で、母親の健康は、半年前よりは一層よくなった。しかし、まだ赤ちゃんに授乳することは許されなかった。産後四日目に、親戚の女は、赤ちゃんのために、哺乳器をアルコールの湯わかしの上で温めさせるために、十三歳のベルタを台所にやった。しかし、ベルタは、その仕事にまたもや注意を向けなかった。予期しないうちに、その十三の小さな姉は、焰に近寄りすぎたため火が燃えついた。恐ろしい叫び声を発して、その娘は部屋の中へ走りこんだ。親戚の女は、驚いて身動きができなかった。しかし、母親は、ベッドから飛び下り、掛蒲団をもって焰を消し止めた。その娘は、大した火傷は負わなかった。ところが、母親は突然、悪寒の発作で、ブルブル慄えたので、歯はギシギシ音を立て、ベッドは一緒に揺れ出した。殆んど止め難い出血が起った。医者が連れて来られぬうちに――私は、ちょうどそのとき、お産のためウンテルワイレルに行っていた――事は既に遅すぎた。驚き、出血、突然に起った心臓衰弱……三日後には、すでに死の蝋燭がともされた。気丈夫な母親の心臓が、停ったのであった。死骸の前に、父親は赤ちゃんを抱いて跪いた。『お母さんの遺(わす)れ形見たちよ。』と、彼は子供たちに言った。『小さな弟に生命を与えるために、そして小さな姉を焼け死にから救うために、お前たちのお母さんは、死んだのだよ。ただただお前たちに対する愛から。さあ、お前たち、一生涯中、このようなお母さんにふさわしいように、やって行っておくれ。』
ベルタは、憂鬱な日々を送った。誰も彼女を非難しなかったのではあるが、母親の死んだのは、自分の責任だと、彼女は自ら感じていた。私は、その娘が、さらにまた愚かなことをするのを防ぐために、その娘に長い間、話して聞かさねばならなかった。とにかく、母の遺れ形見の小さな弟が、橋渡しをした。その子供を世話することが、その娘に生き甲斐と、生きる勇気とを取り戻させた。キリストの十字架像の一角に、母親の肖像が掛っていた。忠実に義務を履行して、彼女は死んだのである。忠実に義務を履行して、今やベルタもまた、母の遺れ形見を保護することを学んだのである。その娘の不注意と軽卒の性質は、あの恐ろしい出来事によって消え去った。十三斎の娘にとっては、五人の小さな兄弟姉妹のいる世帯をやって行くことは、容易なことではなかった。しかし、彼女はそれに成功した。それは、あたかも、永遠の彼方にいる母親が、何本かの糸を手に操(あやつ)り、忠告と行為とをもって、その成功に協力したかのように思われたのである。その小さな母の遺れ形見のハンスは、今日では年老いた父の若い助手であり、かつ最も忠実な相手となっている。祝福された子供。