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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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トリエント公会議の公教要理 主祷文 何故各々が「我らの父よ」と言うのか

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご無沙汰してしまいました。先週はアジア管区長のシュテーリン神父様と韓国を訪問し、今週はマニラでアジア管区の司祭たちの研修会がありました。16名の司祭がこれに参加し、聖母マリア様の神秘について黙想し、ファティマ100周年の準備について話し合いました。

 司祭研修会では、いろいろなことを黙想しましたが、その中で特に印象に残ったのは、ファティマの聖母マリア様のいわゆる「第1の秘密」です。これは、地獄についてです。

 ファティマの「秘密」とは、多くの人々が地獄に落ちるその理由です。聖母は非常に悲しそうな面もちでこう言います。「罪人たちのために、祈り、多く祈りなさい。犠牲を捧げなさい。何故なら、多くの霊魂たちが地獄に行くからです。それは、これらの霊魂のために犠牲となり、祈りをする人が誰もいないからです。」 (ファティマ 1917年8月19日)

 おおくの霊魂たちは、彼らのために祈り、彼らのために犠牲する人々がいないから地獄に落ちる、と。

 ファティマの幼きヤシンタにとっての大問題は、多くの霊魂を救うことでした。地獄の火から救い出すこと。ヤシンタは、祈りと償いと悔悛に自分の命の全てを捧げたのです。ヤシンタは、信じられないほどの寛大さをもって、霊魂を永遠の滅びから救い出そうと、自分のことを全く忘れて、祈りに励み出しました。幼き牧童は、地獄に霊魂が落ちないようにするために、たえず新たに愛の祈りを捧げ、償いを捧げました。

 祈る、天主に赦しを求める、罪人の名において、罪人たちに代わって、彼らの罪の償いに、イエズスとマリアの聖なる聖心をお慰めするために、犠牲を天主に捧げる、これがファチマの霊性です。

 四旬節です。天主への信頼を込めて、祈りましょう。

 そこでトリエント公会議による公教要理の主祷文についての説明の続きをご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


§ II. 何故各々が「我らの父よ」と言うのか

24.私たちが天主に各々祈るときでも、私たちは天主を [我が父」ではなく] 「我らの父」と呼ぶのですが、これをとおして私たちは、天主の養子たる特典および権利のゆえに、全ての信徒は兄弟であり、また兄弟として愛し合うべきことを了解します。主は、「あなたたちは皆兄弟であり、またあなたたちの父はただ一人、天におられる御父だけである23」と仰せられました。又、使徒たちも書簡中で、信徒皆を兄弟の名で呼んでいます。

25.天主の養子たる身分から帰結するもう一つの結果は、信徒が兄弟的愛のきずなで互いに結ばれるだけでなく、天主の独り子が人となられたために、信徒は又、この同じキリストの兄弟と呼ばれ、事実兄弟であるということです。なぜなら、ヘブライ人への手紙において、使徒パウロは天主の御子について、「[イエズスは]彼らを兄弟と呼んで恥じられず、『私は御名を兄弟たちに告げよう』と仰せられた24」、と述べていますが、この引用文の後半は、主イエズス・キリストのはるか以前に、このことを予見したダビドが、詩編において述べている言葉です25。又、主ご自身も、聖なる婦人たちに、「行って私の兄弟たちに、ガリラヤに行くよう告げなさい。そこで私に会えるであろう26」と述べておられます。

26.皆に周知のとおり、主がこの言葉を述べられたのは、そのご復活後、すなわち不死性をかち得られた後のことでしたが、これは当の兄弟としての絆が、ご復活とご昇天によって解消してしまったと、誰も考ることのないためにです。ご復活が、キリストの私たちとの一致と兄弟的愛[の絆]とを消失させてしまうということが、いかに事実からほど遠いかは、その御陵みいつと御栄えの玉座の高みから、全ての時代の全ての人々を裁かれるとき、信徒の中で最も小さい者をも、「兄弟」の名でお呼びになるということから容易に推し量ることができます。

27.実際、「[キリストと]共に世嗣よつぎである27」と言われる私たちが、どうしてキリストの兄弟たり得ないでしょうか。キリストこそ、天主の「長子かつ万物の世嗣とされた者28」ですが、一方私たちはキリストに次いで生み出された者であり、天の賜の度合い、および聖霊の使役者かつ協働者として働くことをとおして示した愛徳の度合いに応じて、キリストと共通の遺産に与るのです。
主キリストは、私たちを美徳と善業の実践に駆り立て、私たちの心を愛熱の火で燃やされます。その恩寵に支えられて、私たちは救いをかち得るための闘技場に降り、そこで巧みに、かつ辛抱強く戦い抜いた後、この世の人生の道程の末に、天の父から、当の道行きを果たした者すべてに備えられた報いの冠を受けるのです。なぜなら、使徒パウロの述べているように、「天主は不正な者ではないため、あなたたちの業と愛とをお忘れになることはない29」からです。

28.私たちがいかに心から、この「我らの」という言葉を唱えるべきかを、金口聖ヨハネ30は、次のように述べて示しています。「天主は、自分のためだけでなく、他人のためにも祈るキリスト者の祈りをよろこんでお聞きになります。なぜなら、自らのために祈るのは自然のことであるとすれば、他人のために祈るのは、恩寵の業に他ならないからです。必要にかられて祈るのが常であるとしても、他人のためには、兄弟的愛徳に促されて祈るものです31」。同聖人はつづけて、「隣人愛に鼓吹された祈りは、必要にかられてなされる祈りよりも、天主に嘉みせられます」、と記しています。

29.祈りの中の祈りとも言うべき主祷文に関する、このきわめて重要な主題を取り扱うにあたって、司牧者は、年齢、性別、身分、境遇を問わず、全ての信徒に、かかる普遍的兄弟愛のきずなを常に念頭に置き、互いに兄弟として親切にふるまい、高慢にも自らを他の者よりも優れた者と見なすことの決してないよう、教え諭さねばなりません。実際、天主の教会において職務に基づく異なった階級があるとはいえ、これら諸々の階級および職務の差異は、兄弟的結束のきずなをいささかも減じることはありません。

30.ここに王の権威を有した人がいるとします。さて、この人が信徒であるならば、キリスト教信仰に基づく交わりに含まれる全ての人の兄弟ではないでしょうか。事実そのとおりです。なぜでしょうか。それは、金持ち、王侯君主がその力によって存在するところの天主は、貧者および王侯の支配下にある者たちが依って立つところの天主と異ならないからです。人皆全てに唯一の天主、唯一の父、唯一の主がおられるのです。

31.それゆえ、霊的な出生に基づく皆に同一の高貴さ、同一の尊厳、同一の生まれ、同一の誉れ高き「家元」が属します。なぜなら、皆が同じ一つの霊、同じ一つの信仰の秘蹟によって天主の子として生まれ、同じ一つの世嗣に共に与る者だからです。
実際、金持ち、権力者の主たるキリストは、貧乏人、小市民のキリストと異なったキリストであるわけではありません。また、前者が後者と異なる秘蹟に与り、天の御国における別の世嗣に召されているわけでもありません。私たちは皆兄弟であり、また、使徒パウロがエフェゾの信徒に書き送っているように、「キリストの体の肢体であり、その肉と骨とで成り立っている32」のですが、これは同使徒が、ガラツィア人への手紙において述べている真理に他なりません。すなわち、「あなたたちは皆、キリスト・イエズスへの信仰によって、天主の子である。キリストにおいて洗礼を受けたあなたたちは皆、キリストを着たからである。もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由民もなく、男も女もない。あなたたちは皆、キリスト・イエズスにおいて一つだからである。33」

32.これこそ霊魂の司牧者が入念に取り扱うべき主題であり、またこの点について、あえて時間を惜しまず説明すべきです。なぜかと言えば、貧しき者、身分の低い者を励まし、勇気づけ、なおかつ富める者、権力を有した者の傲慢を押しとどめ、抑制するのに最適な事柄だからです。実に、この悪弊を正すために、使徒パウロは兄弟的愛徳の必要を力説し、その実践を信徒に勧めてやみませんでした。

33.それゆえ、キリスト者よ、あなたがこの祈りを天主に唱えようとするとき、あなたは子が父に対してするように、主に近づくのであることを思い起こしなさい。したがって、始めに、この「天に在す」という言葉を唱えるとき、天主の比類なき仁慈が、あなたをいかなる地位に高めたかを留意しなさい。実に天主は、僕が主人の前に、いやいや恐れおののきつつ進み出るようにではなく、かえって、息子が父のみ前に喜んで、信頼しきった心で歩み出るといった態度で祈りにのぞむことをお命じになったのです。

34.以上のことを念頭に置き、留意した上で、どれほどの熱意と敬虔の念とをもって祈るべきであるかを考慮しなさい。なぜなら、あなたは天主の子たるにふさわしくふるまわなくてはならないからです。
すなわち、あなたの祈りと行いとが、この上なく恵み豊かな天主があなたにお与えになった神的出生に似つかわしくないなどということが、断じてないようにしなければなりません。「愛される子らとして天主に倣う者であれ34」と述べて使徒パウロは、当の義務をよく果たすよう激励していますが、この勧めに従うならば、私たちも同使徒がテサロニケの信徒に宛てた「あなたたちは皆光の子、昼の子である35」という賛辞に値する者となります。

《罪なく宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。また、御身に寄り頼まぬ全ての人々のため、ことに、フリーメーソンのため、また、御身に依頼された人々のために、祈り給え。》

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