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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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赤ちゃんの事をぜひ思いやる社会に、たくさんの赤ちゃんたちを温かく受け入れる社会になりますように

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2020年7月19日(主日)聖霊降臨後第7主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、来たる木曜日7月23日は、午後4時から、神田駅あるいは三越前駅の間ぐらいにある常盤公園という所から、1時間ほどロザリオを唱えながら、マーチフォーライフをマリア様と共に行ないたいと思います。日比谷公園までいつものように歩きます。

日本で多くの赤ちゃんたちが、残酷にお母さんのお腹の中で切り刻まれて、本当にぐたぐたになって、苦しみながら亡くなっています。たって一年で16万人という、16人ではありません、16万人の赤ちゃんが、亡くなっています。

ですからどうぞ、そのようなもう惨い事はないように、赤ちゃんの事をぜひ思いやる社会に、赤ちゃんたちをたくさん温かく受け入れる社会になりますように、マリア様と一緒にマーチをなさって下さい。是非いらして下さい。

そして、もしも東京に来れない方でも大丈夫です。大阪でもあります。大阪ではその翌日、7月24日金曜日、スポーツの日です。午後3時から大阪市役所前に集合して、そして御堂筋を1時間ほどマーチフォーライフで歩きます。お祈りをしながら、マリア様と一緒に歩きます。どうぞいらして下さい。

今日は、話は変わりますけれども、特に、「良い木は良い実りを結ぶ」「茨はブドウの実を結ばない」というイエズス様のお話を、福音の話を私たちは読んで、私の思った事を少し述べるのを許して下さい。

それは、「聖伝のミサ」と、そして「跪いての口での聖体拝領」についてです。

私たちはカトリック教会では、少なくとも1500年の間、必ず法律で、ルールとして、跪いて口で聖体拝領するのが義務となっています。それが掟となっています。

ただパウロ六世がちょっと前に、50年くらい前に、1969年1970年ぐらいに、特別に、例外的に、何かの事情がある場合には、特別許可で、それを例外的に許すという、手による聖体拝領を許すという事ができました.。

しかし一般的な法律では、私たちは必ず、口で聖体拝領をする義務」があります。これが掟です。これが私たちの守るべき普通の事なのです。

これは、ミサの実りなのです。ミサの美しい実りです。2000年間のミサの実りです、聖伝のミサの実りです。

なぜかというと、ミサというのは、食事会ではないからです。ミサというのは、トリエント公会議が決定的に定めた公式によると、「ミサ」というのは、「カルワリオの十字架の再現」なのです。

「ミサに与る」という事は、「十字架のいけにえと同じいけにえに与る」という事なのです。

ですから私たちにあるのは、礼拝と、感謝と、讃美、そして罪の償いです。ですから私たちが御聖体の内に真にましますイエズス様の前で、イエズス様の御体の前である態度は、愛に満ちた礼拝、愛に満ちた従順と崇敬、そして感謝、讃美。

ですからその私たちの謙遜を示す為に、跪いて、愛を込めて、口で恭しく礼拝する、というのは、当然の論理的な結論なのです。

もし「ミサが何か」という事を理解できればできるほど、そうするしか、もうやり方がないのです。2000年間、教会の教えはそのように表明されてきました。態度で証明されてきました。

では一体なぜ、コロナウィルスのこの時代にも関わらず、なぜ手による聖体拝領はそこまでも強制されなければならないのでしょうか?

これは、「新しいミサ」という木の実りなのです。新しいミサの設計図が、ブループリントが、もはや聖伝のカトリックのミサと遥かにかけ離れているからです。これは私の言う言葉ではなくて、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿が、パウロ六世に報告したその報告書の中に、手紙の中に書いてあるのです。

「新しいミサは、その詳細といい、全体といい、カトリックのミサ、今までのミサとは全くかけ離れているので、これをすぐに中止して下さい」と、パウロ六世に頼みました。

なぜでしょうか?新しいミサが出来た時に、そのミサの総則の第七番に、ミサの定義があります。その定義によると、「主の晩餐すなわちミサは、聖なる集会である。司祭をその座長とする聖なる集会である。」

これだけなのです。つまり新しいミサにおいては、主の記念を行なう「主の晩餐」なのです。つまり「カルワリオの十字架のいけにえ」という事は、全く程遠い概念において、ミサが作られているからです。

ですから論理的な結果として、新しいミサでは、主の晩餐の記念を、叙述を行なっているので、それを再現しているので、そこにはもはや「十字架のいけにえに与る」という概念はないので、食事をしなければなりません。ですから論理的な結果によって、手によって、あるいは立ったままでいなければなりません。

こうする事によって、どれほど多くの方がカトリックの信仰から離れてしまった事でしょうか。カトリックの信仰を誤解してしまった事でしょうか。ますますこの誤解、あるいは離教が広がる危険があります。

ですから愛する兄弟の皆さん、跪いて、そして口によって御聖体拝領なさって下さい。そしてその為にもどうぞ、昔ながらの聖伝のミサに与って下さい。

皆さんがその私たちの主に対する愛に満ちて、信仰に満ち溢れて、そして永遠の命にまで導かれますように、マリア様にお祈り致します。

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。

 

マーチフォーライフをマリア様と共に歩いてください_日本で1年間で16万人の胎児が母胎の中で残酷に殺されています!_手による聖体拝領を止めて、跪いて恭しく口で拝領してください!

2020年7月19日 聖ピオ十世会小野田神父からのメッセージ  ▼マーチフォーライフ▼ https://blog.goo.ne.jp/fat...

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