「助産婦の手記」
48章
猛烈な住宅難の折柄、私は自分の小さな家の一部分を護ろうと決心した。私は、ほかの人々が、自分の家族のために巣を見つけることができないでいるのに、必要以上に広い場所を持っているということに気がひけた。私たちは、地階のふた部屋を片づけ、そして物置部屋を、水と流し口のついた料理のできる臨時台所に改造した。私は、いやしくも一家族が、正しく暮して行くためには、小さくてもいいから、誰ものぞき込まない自分自身の台所と居間とを持つことが必要であると見ている。
その住居(すまい)は、早くも一組の夫婦者に割り当てられた。もし、それが正しい人たちであり、そして、もし子供たちが生れるなら、私は彼らに対してさらに、屋根裏のふた部屋を漸次譲ってやりたいと思っていた。私と妹だけの老人二人は、もうその程度で甘んじることができる。
間もなく、その夫婦者のブミラーさんが引越して来た。正午頃に彼らは盛装して階段を上って来て、自己紹介をした。彼らは、何でも物事を適当に心得ているということをおおっぴらに示そうとした。しかし、私には彼らが階段を上って来るのに、女の方は新しい粗(あら)びろうどの外套をまとい、そして男の方は、シルクハットを被っていたのが滑稽に思われた。何分、子供たちを喜ばすのは、小さなことで足りるものではある……
『よく住み慣れなさると宜しいが。』と私は、その若い奥さんに言った。『とにかく、私たちのところは、非常に静かで平穏なんです……』『私たちは、少しもお邪魔をしないでしょう。主人は鉄道に勤め、そして私も職業をつづけます。お昼には、私たちは職場の酒保で食事をします――または、多分ほかのどこかでも。そして晚には、非常にたびたび留守にします。ここでは実際、何も致しません。悲しい巣です。 というのは、私たちも、まあZ町の劇場、映画と音楽会、またはカフヘーに行くことができるように、鉄道の定期券を買うつもりだからです。』『それでは、あなたは今後も、事務所に行こうと思っていらっしゃるのですか? 私は、女というものは、そんな精神のない仕事から抜け出すことを――自分の巣を作ることを喜ぶものだと考えていたのですが……』『私は、何よりも私の個人的自由を、私の独立を護りたいんです。いつも夫に養われていなければならないということは、実に恐ろしいことです……』『それでは、あなたは一体なぜ結婚なさったんですか? そういうことなら、私だったら、独身のままでいるでしょう。結婚と同時に、あなたは、あなたの独立の九〇パーセントは失ってしまったのですよ……』『私たちは、そのことをちょうど今、お互いに試験しているんです……』『その試験は、結婚については、そう簡単なことではないように私には思われますね。結婚は、実に生命共同体ですよ……』『それは非常に古くさい観念ではありませんか? 生命共同体? そういう考えの人では、誰が朝になって、その共同体が、なお自分の気に入っているかどうかを言おうとするでしょうか? その共同体が、彼にとって朝でもなお、その性的欲望の満足のために適しているかどうかを言おうとするでしょうか? 人は、その見解を変えて行くものですよ……』『で、もし子供が出来たら……』『そんなことは、もちろん、ないようにするんですよ。私たちはそんなことに、かかわっていることは出来ません。私たちが若い限りは、私たちの生活から何ものかを得ようとしているのです。そして子供といったような負担は、真っ平です。恐らく十年間は……』
翌日、私は村長に、借家人を取りかえて下さるように依頼した。もともと私は、子供のある家族を希望すると、はっきり言っておいたのであった。『ああリスベートさん、あんたは旧式な女ですな!』と、村長は言った。『家の中に子供の喧ましい騒ぎがないということは、喜ばしいことじゃありませんか。ほかの人たちは、そんなことは真っ平だと、極力ことわるんですよ。』『それは、ほかの人たちの勝手です。で、今でもまだ子供を育てたいと思っている夫婦たちが、もう殆んど住居を見つけることができないため、仕方なしに浮浪生活をはじめているのです。私は、その責任を一緒に負いたくないんです。それよりか、家の中に子供の叫び声がある方が結構なんですーほかの人たちが、住宅難のために、不道徳なことをせねばならぬようになるその責任を、こちらで感じて、そのために良心の苦しみを受けているよりは。』
村長は、住宅課の課長さんを呼んだが、その課長とはシュテルン氏の自称するところであった。『ははあ、それはお助けできるでしょう。』と彼は言って、サタンのように歯をむき出して笑った。『ヘルマンの奥さんが、私の家に駈け込んで、自分のところの借家人を追い出したいと言うのです。なぜなら、間もなく四人目の子供が生れるからというわけです。だから、あなたは、その人たちと交換できますよ……』ヘルマンさんの家には、きちんとした人たちが住んでいる。子供が生れる家の様子については、助産婦というものはよく知っている。そこで私は、その交換を承諾した。しかし、私のところの借家人は、それに反対して、事は急速には運ばないようだった……
地階の夫婦間の調和は、長くは続かなかった。というのは、そんな生活を長い間つづけてやって行くには、彼の給料は少なすぎるし、彼女の給料も十分多くはなかったのに、彼らは、お昼ごとにレストランで食べ、每晚、殆んど町に出かけたからだ。――やがて、ある時は一方が、ある時は他方が、ある時は両方とも、家にいなければならぬ時が来た。彼らは、別々の会計をやっていた。もし財布が空になると、面白くなくなった。そこで彼らは、支払日がまたやって来るまで、互いに改革案を提出した。ところが、その後は、また元の通りになった。さて、それから本当に間もなく、地階から異様な騒音が、上にいる私たちの方へはげしく聞えて来た。あたかも拳(こぶし)でテーブルをたたきドアをバタンと閉め、器物を投げつけるかのような騒ぎであった。間もなく、雷のような男の大きな声がひびいた。『もし君が、僕の言うようにしないなら、僕は別れるよ! 餓死に瀕するなんて、もう沢山だ……』間もなく、高いソプラノが、はげしく叫び立てた。『私は圧制を受けたくないわ! 私は、あなたの気まぐれを辛抱するのには、もう飽きあきしたわ! 結婚すれば、誰がお金の心配をするんですか、夫か妻か?……』『誰が家事をやって、食事の世話をするんだよ、ええ?』『では、断然別れましょう……』このようにして、地階では、お互いに対する顧慮だとか、譲歩だとか、実情への順応だとか、相手の性格に対して善意をもって自己を適合させることとか、相手の弱点を親切に一緒に担ってやるとかいうことは、全然なかった。夫も妻も、どんな犠牲を払っても、自分勝手な要求をし、自己主張をするより外には、何も知らなかった。お互いに相手の中に性的満足を見るのみで、その外には何ものもなかった。
そして幾らも経たないうちに、いかなる彼らも、その官能的共同体には飽いて厭になって来た。一体結婚というものは、ただ情欲の満足以外に、何らかのより高い意義と目的とが、その背後に存在していなければ、本質上、この夫婦のようにならざるを得ない。自然を欺くあらゆる可能な手段が、それに結びつけられているところには、いつかは必ずそういう事態が来なければならぬのである。
自然というものは、罰せられることなしには、濫用を許さぬものである。もし濫用すれば、人々は互いに嫌い合うようになることは、いとも簡単な成り行きである。たとえ、彼らはそのことを白状はしないにしても、人々は、もはや互いに愛し合わないようになる。神経質になり、過度の刺激を受け、そして精神錯乱が起る。この神経質と嫌悪とが、ひとたび人間をとらえると、それはあらゆる生活問題に現われて来る、性の問題にだけではない。一体、禍(わざわ)いの根源はどこにあるかということを、人は全く明らかにしないことが稀れでない――その精神錯乱、その離ればなれの生活が、どこから始まったものであるかということを……『私たちは、別々の生活をして来たのです。そして離婚するんです……』私の借家人の女の方は、その二人が私の家から引越して行かないうちに、こう言った。『離婚は、双方の合意によって出来るというように、法律を変えねばいけないわ。で、私たちは、訴訟をはじめねばならないんです。』起訴の理由は、すでにある。酒保のサービス・ガールが、挑発的に短い袖なしの黒い着物を着て、彼と静かな片隅に坐っていたとき、姦通への道が非常に急速に地ならしされた。そのような着物の自由というものは、悪魔の手先きとなって工兵の任務を素晴らしく果たし、そして悪魔をして、ちょっと襲撃しただけで、貞潔の城塞を征服し、汚させるのである。倫理、道徳を真面目に考えない人々は離婚をたやすく行うのである。――
今日、不幸な婚姻が沢山ある。それゆえ、離婚がもっとたやすく出来るようにされねばならぬという叫び声がますます高くなる。しかし、実際において、そのようにして救われるものであろうか? 確かに、すべての人が、私のところにいたあの借家人たちのように、物事を軽卒にする素質をもっているわけではない。そして誰もが、離婚の理由となるものを、そんなに非良心的に作りはしないであろう。また、多くの人は、そんな憐れむべき解消方法をとることを躊躇するものだから、破壊した婚姻共同体をも維持するのであろう。しかしながら、全体的に一瞥すると、もし婚姻から、その生命共同体としての性格を原則として奪い去るならば、婚姻の絆(きずな)は、さらに一層弛(ゆる)まないであろうか? そうすると、もし気に入らなければ、またもや別れるまでだというような考えをもって、人々は、もっと『それをお互いに試験』して見ようとはしないであろうか? そうすると、勝手気ままとか利己主義というものは、もっと大きくなりはしないだろうか? 或いはまた、妻は、またもや夫を失うかも知れぬという心配のみからして、夫に対して全く不名誉な奴隷状態に陥らないであろうか? 私たち婦人は、夫婦間の一層強い結合は、常に私たちの側に責任があり、また今後もそうであろうということを忘れてはならない。私たちは、結婚改革問題についてもまた、要点を誤っているように、私には思われる。私たちは、病んでいる樹木の根を治療する代りに、その尖端を切断する。私たちは、むしろ結婚に対して、より大きな尊敬と、より深い評価とを与えるように努むべきではなかろうか? 人間の心の中に、より高い責任感を呼び覚まし、彼らをして自然に則した生活のみが、結婚において永続的な幸福をもたらし得るものだということ、および、結婚前の正しい純潔は、結婚後において、濁りのない相互尊敬が存続するために必要であり、そしてこの相互尊敬からしてのみ、真の深い愛情と、親切な思いやりとが生じ得るものであるということを、確信させるべきではなかろうか?
私たちは、こう言ってはいけない――人間は、もはや理想のために努力しようとしないのだから、我々は理想の程度を引き下げねばならないと……私たちは、あえて人々にこう言わねばならない、『もしあなた方が、結婚の高い神聖な理想をば、しっかりと全力をもってつかみ、かつ実現しようと思わないなら、結婚から手をお引きなさい』と。
私は多くの破滅した結婚を見て来た。結婚を破滅させる最初の、かつ最も深い原因は、主として、子宝を防止すること、および婚約をする際において、すでに正しい相互尊敬が欠けていることとであった。相手の配偶者の責任によって不幸になった婚姻の数は、少なかった。こういう場合の離婚は、今日でも可能である――もし、しばしば起きるように、咎のない方の配偶者が、他方の落度にも拘らず結婚を持続しようと思わないならばである。
そこで、私は信じるのであるが、もし私たちが、物事の根本をつかみ、そしてまず婚姻取結びのための他の前提条件、すなわち婚姻に対する現在のとは違った態度を作るのでなければ、結婚生活の改革については何も達成することはできないのである。人々は、永続的生命共同体というものの深い全意義をつかみ、そして自分の生活を、それに従って形づくるように努めなければならない。
48章
猛烈な住宅難の折柄、私は自分の小さな家の一部分を護ろうと決心した。私は、ほかの人々が、自分の家族のために巣を見つけることができないでいるのに、必要以上に広い場所を持っているということに気がひけた。私たちは、地階のふた部屋を片づけ、そして物置部屋を、水と流し口のついた料理のできる臨時台所に改造した。私は、いやしくも一家族が、正しく暮して行くためには、小さくてもいいから、誰ものぞき込まない自分自身の台所と居間とを持つことが必要であると見ている。
その住居(すまい)は、早くも一組の夫婦者に割り当てられた。もし、それが正しい人たちであり、そして、もし子供たちが生れるなら、私は彼らに対してさらに、屋根裏のふた部屋を漸次譲ってやりたいと思っていた。私と妹だけの老人二人は、もうその程度で甘んじることができる。
間もなく、その夫婦者のブミラーさんが引越して来た。正午頃に彼らは盛装して階段を上って来て、自己紹介をした。彼らは、何でも物事を適当に心得ているということをおおっぴらに示そうとした。しかし、私には彼らが階段を上って来るのに、女の方は新しい粗(あら)びろうどの外套をまとい、そして男の方は、シルクハットを被っていたのが滑稽に思われた。何分、子供たちを喜ばすのは、小さなことで足りるものではある……
『よく住み慣れなさると宜しいが。』と私は、その若い奥さんに言った。『とにかく、私たちのところは、非常に静かで平穏なんです……』『私たちは、少しもお邪魔をしないでしょう。主人は鉄道に勤め、そして私も職業をつづけます。お昼には、私たちは職場の酒保で食事をします――または、多分ほかのどこかでも。そして晚には、非常にたびたび留守にします。ここでは実際、何も致しません。悲しい巣です。 というのは、私たちも、まあZ町の劇場、映画と音楽会、またはカフヘーに行くことができるように、鉄道の定期券を買うつもりだからです。』『それでは、あなたは今後も、事務所に行こうと思っていらっしゃるのですか? 私は、女というものは、そんな精神のない仕事から抜け出すことを――自分の巣を作ることを喜ぶものだと考えていたのですが……』『私は、何よりも私の個人的自由を、私の独立を護りたいんです。いつも夫に養われていなければならないということは、実に恐ろしいことです……』『それでは、あなたは一体なぜ結婚なさったんですか? そういうことなら、私だったら、独身のままでいるでしょう。結婚と同時に、あなたは、あなたの独立の九〇パーセントは失ってしまったのですよ……』『私たちは、そのことをちょうど今、お互いに試験しているんです……』『その試験は、結婚については、そう簡単なことではないように私には思われますね。結婚は、実に生命共同体ですよ……』『それは非常に古くさい観念ではありませんか? 生命共同体? そういう考えの人では、誰が朝になって、その共同体が、なお自分の気に入っているかどうかを言おうとするでしょうか? その共同体が、彼にとって朝でもなお、その性的欲望の満足のために適しているかどうかを言おうとするでしょうか? 人は、その見解を変えて行くものですよ……』『で、もし子供が出来たら……』『そんなことは、もちろん、ないようにするんですよ。私たちはそんなことに、かかわっていることは出来ません。私たちが若い限りは、私たちの生活から何ものかを得ようとしているのです。そして子供といったような負担は、真っ平です。恐らく十年間は……』
翌日、私は村長に、借家人を取りかえて下さるように依頼した。もともと私は、子供のある家族を希望すると、はっきり言っておいたのであった。『ああリスベートさん、あんたは旧式な女ですな!』と、村長は言った。『家の中に子供の喧ましい騒ぎがないということは、喜ばしいことじゃありませんか。ほかの人たちは、そんなことは真っ平だと、極力ことわるんですよ。』『それは、ほかの人たちの勝手です。で、今でもまだ子供を育てたいと思っている夫婦たちが、もう殆んど住居を見つけることができないため、仕方なしに浮浪生活をはじめているのです。私は、その責任を一緒に負いたくないんです。それよりか、家の中に子供の叫び声がある方が結構なんですーほかの人たちが、住宅難のために、不道徳なことをせねばならぬようになるその責任を、こちらで感じて、そのために良心の苦しみを受けているよりは。』
村長は、住宅課の課長さんを呼んだが、その課長とはシュテルン氏の自称するところであった。『ははあ、それはお助けできるでしょう。』と彼は言って、サタンのように歯をむき出して笑った。『ヘルマンの奥さんが、私の家に駈け込んで、自分のところの借家人を追い出したいと言うのです。なぜなら、間もなく四人目の子供が生れるからというわけです。だから、あなたは、その人たちと交換できますよ……』ヘルマンさんの家には、きちんとした人たちが住んでいる。子供が生れる家の様子については、助産婦というものはよく知っている。そこで私は、その交換を承諾した。しかし、私のところの借家人は、それに反対して、事は急速には運ばないようだった……
地階の夫婦間の調和は、長くは続かなかった。というのは、そんな生活を長い間つづけてやって行くには、彼の給料は少なすぎるし、彼女の給料も十分多くはなかったのに、彼らは、お昼ごとにレストランで食べ、每晚、殆んど町に出かけたからだ。――やがて、ある時は一方が、ある時は他方が、ある時は両方とも、家にいなければならぬ時が来た。彼らは、別々の会計をやっていた。もし財布が空になると、面白くなくなった。そこで彼らは、支払日がまたやって来るまで、互いに改革案を提出した。ところが、その後は、また元の通りになった。さて、それから本当に間もなく、地階から異様な騒音が、上にいる私たちの方へはげしく聞えて来た。あたかも拳(こぶし)でテーブルをたたきドアをバタンと閉め、器物を投げつけるかのような騒ぎであった。間もなく、雷のような男の大きな声がひびいた。『もし君が、僕の言うようにしないなら、僕は別れるよ! 餓死に瀕するなんて、もう沢山だ……』間もなく、高いソプラノが、はげしく叫び立てた。『私は圧制を受けたくないわ! 私は、あなたの気まぐれを辛抱するのには、もう飽きあきしたわ! 結婚すれば、誰がお金の心配をするんですか、夫か妻か?……』『誰が家事をやって、食事の世話をするんだよ、ええ?』『では、断然別れましょう……』このようにして、地階では、お互いに対する顧慮だとか、譲歩だとか、実情への順応だとか、相手の性格に対して善意をもって自己を適合させることとか、相手の弱点を親切に一緒に担ってやるとかいうことは、全然なかった。夫も妻も、どんな犠牲を払っても、自分勝手な要求をし、自己主張をするより外には、何も知らなかった。お互いに相手の中に性的満足を見るのみで、その外には何ものもなかった。
そして幾らも経たないうちに、いかなる彼らも、その官能的共同体には飽いて厭になって来た。一体結婚というものは、ただ情欲の満足以外に、何らかのより高い意義と目的とが、その背後に存在していなければ、本質上、この夫婦のようにならざるを得ない。自然を欺くあらゆる可能な手段が、それに結びつけられているところには、いつかは必ずそういう事態が来なければならぬのである。
自然というものは、罰せられることなしには、濫用を許さぬものである。もし濫用すれば、人々は互いに嫌い合うようになることは、いとも簡単な成り行きである。たとえ、彼らはそのことを白状はしないにしても、人々は、もはや互いに愛し合わないようになる。神経質になり、過度の刺激を受け、そして精神錯乱が起る。この神経質と嫌悪とが、ひとたび人間をとらえると、それはあらゆる生活問題に現われて来る、性の問題にだけではない。一体、禍(わざわ)いの根源はどこにあるかということを、人は全く明らかにしないことが稀れでない――その精神錯乱、その離ればなれの生活が、どこから始まったものであるかということを……『私たちは、別々の生活をして来たのです。そして離婚するんです……』私の借家人の女の方は、その二人が私の家から引越して行かないうちに、こう言った。『離婚は、双方の合意によって出来るというように、法律を変えねばいけないわ。で、私たちは、訴訟をはじめねばならないんです。』起訴の理由は、すでにある。酒保のサービス・ガールが、挑発的に短い袖なしの黒い着物を着て、彼と静かな片隅に坐っていたとき、姦通への道が非常に急速に地ならしされた。そのような着物の自由というものは、悪魔の手先きとなって工兵の任務を素晴らしく果たし、そして悪魔をして、ちょっと襲撃しただけで、貞潔の城塞を征服し、汚させるのである。倫理、道徳を真面目に考えない人々は離婚をたやすく行うのである。――
今日、不幸な婚姻が沢山ある。それゆえ、離婚がもっとたやすく出来るようにされねばならぬという叫び声がますます高くなる。しかし、実際において、そのようにして救われるものであろうか? 確かに、すべての人が、私のところにいたあの借家人たちのように、物事を軽卒にする素質をもっているわけではない。そして誰もが、離婚の理由となるものを、そんなに非良心的に作りはしないであろう。また、多くの人は、そんな憐れむべき解消方法をとることを躊躇するものだから、破壊した婚姻共同体をも維持するのであろう。しかしながら、全体的に一瞥すると、もし婚姻から、その生命共同体としての性格を原則として奪い去るならば、婚姻の絆(きずな)は、さらに一層弛(ゆる)まないであろうか? そうすると、もし気に入らなければ、またもや別れるまでだというような考えをもって、人々は、もっと『それをお互いに試験』して見ようとはしないであろうか? そうすると、勝手気ままとか利己主義というものは、もっと大きくなりはしないだろうか? 或いはまた、妻は、またもや夫を失うかも知れぬという心配のみからして、夫に対して全く不名誉な奴隷状態に陥らないであろうか? 私たち婦人は、夫婦間の一層強い結合は、常に私たちの側に責任があり、また今後もそうであろうということを忘れてはならない。私たちは、結婚改革問題についてもまた、要点を誤っているように、私には思われる。私たちは、病んでいる樹木の根を治療する代りに、その尖端を切断する。私たちは、むしろ結婚に対して、より大きな尊敬と、より深い評価とを与えるように努むべきではなかろうか? 人間の心の中に、より高い責任感を呼び覚まし、彼らをして自然に則した生活のみが、結婚において永続的な幸福をもたらし得るものだということ、および、結婚前の正しい純潔は、結婚後において、濁りのない相互尊敬が存続するために必要であり、そしてこの相互尊敬からしてのみ、真の深い愛情と、親切な思いやりとが生じ得るものであるということを、確信させるべきではなかろうか?
私たちは、こう言ってはいけない――人間は、もはや理想のために努力しようとしないのだから、我々は理想の程度を引き下げねばならないと……私たちは、あえて人々にこう言わねばならない、『もしあなた方が、結婚の高い神聖な理想をば、しっかりと全力をもってつかみ、かつ実現しようと思わないなら、結婚から手をお引きなさい』と。
私は多くの破滅した結婚を見て来た。結婚を破滅させる最初の、かつ最も深い原因は、主として、子宝を防止すること、および婚約をする際において、すでに正しい相互尊敬が欠けていることとであった。相手の配偶者の責任によって不幸になった婚姻の数は、少なかった。こういう場合の離婚は、今日でも可能である――もし、しばしば起きるように、咎のない方の配偶者が、他方の落度にも拘らず結婚を持続しようと思わないならばである。
そこで、私は信じるのであるが、もし私たちが、物事の根本をつかみ、そしてまず婚姻取結びのための他の前提条件、すなわち婚姻に対する現在のとは違った態度を作るのでなければ、結婚生活の改革については何も達成することはできないのである。人々は、永続的生命共同体というものの深い全意義をつかみ、そして自分の生活を、それに従って形づくるように努めなければならない。