2021年4月1日(初木)聖木曜日 最後の晩餐のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は聖木曜日です。
私たちの主イエズス・キリストが御聖体を私たちの為に制定して下さった聖なる喜びの夜に、3点を黙想する事を提案します。
1つは、「御聖体は、真に、本当に、現実に、実体的に、私たちの主イエズス・キリストの御体である」という事です。
「現実に」という事は、夢とか頭の中で考えてるものではなくて、本当に、この私たちが何を思おうと、そうである、という事です。
「真実に」という事は、これは嘘や誤りではなく、真に、という事です。
そして「実体的」にという事は、ただたとえ形が、たとえ色が、或いはたとえ味が、そうではないように思えたとしても、その実体は、真にイエズス・キリストである、という事です。
これは、トリエント公会議が不可謬権を行使して、「もしもそうでなければ、私たちはカトリックの信仰を持っていない」と宣言した真理です。
ですからこの御聖体は、本当に、現実に、生きている天主である、私たちの主イエズス・キリスト御自身です。
そしてその御聖体を私たちが受ける事ができるように、そして私たちと共に世の終わりまでいる事ができるように制定して下さいました。愛の秘跡です。
第2の点は、「ミサの犠牲(いけにえ)を制定して下さった」という事です。
ミサ聖祭は、イエズス様の、イエズス・キリストの十字架のいけにえの再現です。イエズス・キリストの十字架がもう一度、この祭壇の上で現実に行なわれる、という事です。
ただ、捧げられるいけにえも同じ、捧げる司祭も同じですけれども、捧げられるやり方だけが違っています。
十字架の上では、血を流されて捧げられましたけれども、しかしミサの時には、無流血において、秘跡的に、御聖体、御体と御血が分離する事によって、秘跡的に屠られて、いけにえが屠られる、いけにえが成立します。
しかし、イエズス様はもはや、痛んだり苦しんだりする事なく、屠られます。無流血の内に屠られました。しかし、これは私たちの罪の償いの為に、私たちが日々犯す罪が赦される為に、私たちに適用される為に、私たちに十字架のいけにえの恵みと全く同じ恵みと功徳を与える為に、日々与える為に、そのミサが行なわれます。
「ミサの価値」、「ミサの偉大さ」というものは、全てに勝っております。無限の価値があります。
第3の点は、「私たちに、イエズス・キリストの司祭職を制定して下さった」という事です。
天主の御言葉が人間となった時に、司祭が、メルキセデクの位による司祭が成立しました。その最高の司祭職、天主と人間が一つになるその司祭職、一致の恵みを、儚い人間私たちに与えて下さいました。
この司祭職の最も大切な役割というのは何でしょうか?
それは、「御聖体を作る」事です。「聖変化を起こさせる」事です。天使でさえもする事ができない、「ミサ聖祭を捧げる」、「十字架のいけにえの再現を行なう」という事です。「最高のいけにえ、唯一の天主聖父の聖心に適ういけにえを捧げる事ができる」という恵みです。
イエズス・キリストに勝る名はありません。イエズス・キリストには全てに超える名を与えられました。これが私たちのカトリックの信仰です。全ての現代の問題、現代の社会の、国際社会の、あるいは家庭の、あるいは全ての問題をもしも解決するとしたら、全ての恵みはここにあります。イエズス・キリストの制定した秘跡、御聖体、司祭職、全ての超自然の御恵みがここにあります。私たちはこれを受けるだけで良いのです。これによってかつてヨーロッパでは偉大な文明が築かれました。
私たちは、このイエズス・キリストの信仰の全ての御恵みを頂いた、遺産相続者となりました。この御恵みを感謝致しましょう。
そしてマリア様に是非お祈り致しましょう。この信仰を終わりまで守る事ができますように。私たちは、救いは他の所に探す必要はありません。イエズス・キリストにだけ、全ての御恵みがあります。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。