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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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鞭打ち、茨の冠、嘲笑、偽証人、偽りの裁判、十字架の重さ、道行、マリア様との出会い、何度も倒れ、釘付けにせられた事、十字架の上で仰った七つの御言葉、全ては私たちの罪を赦す為でした

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2021年4月2日(初金)聖金曜日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹の皆さん、今日は聖金曜日です。

私たちの主イエズス・キリスト、人となった真の天主の御言葉は、十字架の上で御受難を受けて、そして御死去されました。

私たちに2つの事を訴えています。

(1)天主が、私たちの事をどれほど愛しておられるか、命を与えるほど、私たちの罪を赦す、という事のみを考えて、私たちに全てを御与え下さいました。

私たちにもしも時間があれば、イエズス様のなさった受けた全ての苦しみを、一緒に黙想したいほどです。鞭打ち、茨の冠、嘲笑、偽証人、偽りの裁判、十字架の重さ、道行、マリア様との出会い、何度も倒れた事、そして釘付けにせられた事、十字架の上で仰った七つの御言葉、全ては、私たちを愛して、私たちの罪を赦す為、それだけでした。それ以外の事は何も考えませんでした。考えたのは、聖父の栄光と、私たちへの愛でした。

それでも足りないかのように、今日は4月の初金曜日ですから、同時に聖金曜日、イエズス様は亡くなった後に、自分の心を、聖心を開いて、私たちに愛を訴えます。「御自分の愛を信じて欲しい」と仰っています。両手を開いて、「私の元に来なさい。私の愛を受けてほしい。私の心は開かれている。どのような罪人であっても、真っ赤に染まった罪を持っていても、雪のように真っ白にする事ができる。何も恐れる事はない。私には憐れみと、赦しと、平和しか考えていない。」

イエズス様の元に行きましょう。私たちを愛するイエズス様の元に、愛を以って参りましょう。


第2は、同時に、罪の醜さです。

「もしも生木が、まだ生きている木がこれほどの事を受けるなら、枯れ木はどれほどの事が起こるだろうか」と、エルサレムの婦人にイエズス様は仰いました。

天主聖父は、聖子さえも容赦せずに、罪が一体どれほどの結果をもたらすか、という事をイエズス様の御受難で見せて下さいました。罪の結果、私たちの犯した罪が、イエズス様の十字架を準備しました。

御受難は私たちに、罪の痛悔の心、悔悛の心を湧き起こさせてくれます。「イエズス様を愛するが故に、もはやこれ以上イエズス・キリストを悲しませたくない。イエズス様、今まで悲しませた事を痛悔しています。どうぞ憐れんで下さい。」

マリア様と共に、十字架の元に佇(たたず)みましょう。そしてイエズス様を、イエズス・キリストの憐れみをいつも信じる事ができるように、たとえどのような事があっても、イエズス様の元に行く事ができるように、そしてイエズス様が流された血が無駄にならないように、全ての人々がイエズス様の聖心の愛を信じる事ができるように、流された御血の功徳を自分のものと適用する事ができるように、お祈り致しましょう。救いが、イエズス様の受難の功徳が、全ての人に行き渡りますようにお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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