2021年4月25日(主日)御復活後第3主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、今日私たちの主は、「しばらくの間、お前たちは私を見ないだろう。そして私たちの悲しみは、喜びに変わるだろう」と仰いました。
聖パウロは言っています「実は私たちは、外国人であって、よそ者であって、巡礼者であり、旅人として tamquam ádvenas et peregrínos」考えよ。私たちは、この今いる世界にずっといるわけではない。ほんの束の間に通り過ぎるだけだ、と教えています。
まさにこれこそが、私たちのこの世に対する態度です。この世にいるのは、しばらくの間であって、悲しみに満ちています。涙の谷に住んでいます。しかし、これはほんの少しの間で、永遠の無限の喜びが待っている、という事です。
この事から私たちは、2つの事が分かります。
1つは、この世の生活は通過点であることです。愛着をしてはいけない、ということです。
第2には、この世は悲しみに満ちているということです。十字架の道行きです。しかしこの十字架を通ってこそ、天国に行く事ができる、という事です。
この世の事だけを考えようとする、考える事を私たちに勧める人がたくさん周りにいるかもしれません。
たとえば、
「この自然を破壊してはならない。自然は怒っている。もう自然は私たちを許してくれない。だから私たちは科学技術を使って、この地球をコントロールしなければならない、人類から自由を奪って管理下に置くべきだ、人口を削減すべきだ…」とか・・・。
あるいは、
「この地上で楽園を作ろう、建設しよう。国境をなくそう。今あるような貧困を消滅させて、これから全人類は何も働かなくて良くなるし、この地上で皆が幸せになって、それでベーシックインカムを皆がもらうようになって、それで国も全て無くなって、面白おかしく生活するようになる」とか。
あるいはその他、
「この世の中は、ますます良くなる、進歩する、苦しみがなくなる」という事を言う人がいるかもしれません。
たくさん聞くかもしれません。しかしどうぞ、眉に唾を付けて下さい。
イエズス様は、真の天主は、唯一の道を教えてくれました、「私たちのこの地上の目的は、ここに楽園を作る事ではなくて、天国を作る事でもなくて、永遠の命を得る事であって、この地上は、ほんの少しの試練の場である」という事です。
マリア様にいつもお祈り致しましょう。私たちがいつもその事を忘れる事がないように、そして多くの方がその事に気付きますように、お祈り致しましょう。
秋田に来週から参ります。どうぞ良い巡礼ができますように、お祈り致しましょう。秋田の聖母はお待ちです。またクリプトンの方々も、私たちを大歓迎すると待っています。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。