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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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永遠の命に行く為には秘跡が必要です。道しるべが必要です。地図が必要です。必要な助け、道しるべ、地図、全てそれはカトリック教会に委ねられました。

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2021年4月25日(主日)御復活後第3主日のミサ(名古屋)
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、聖伝のミサにようこそ。

今日からここ名古屋でも、月の最終の主日には、毎月、この聖伝のミサを捧げる事ができるようになって、非常に嬉しく思います。この御恵みを天主様に感謝致します。

皆さんがミサにいらっしゃればいらっしゃるほど、ますます、月に一回のみならず、月に2回、3回、毎週主日にも、ミサを捧げたいと思っています。ですから、どうぞ何もご心配なさらずに、ミサに与るようになさって下さい。そして、できるだけ皆さんの霊的な必要、霊的に助けがあればできるだけ、私たちがそのできる限りの奉仕をしたいと思っています。

なぜかというと、イエズス様は、特別に愛する兄弟姉妹の皆様を、愛しておられるからです。そしてその霊魂を祝福して、家族の皆様を祝福して、多くの恵みを与えたいと望んでおられるからです。そうでなければ、こうやって今、ミサが今ここにあるわけがありません。そのイエズス様の御望みを叶える為にも、できるだけ私たちの力を尽くしたいと思っています。

なぜかというと、私たちにとって必ず必要なものは、絶対必要なものは、緊急に必要なものは、イエズス様の御恵みであって、ミサ聖祭であって、イエズス様の十字架のいけにえであって、天主の祝福、秘跡が、私たちにどうしても必要であるからです。

これはどこの病院が、どこのスーパーマーケットが、あるいは最もどこの人間の生活にとって必要なものであると言われても、それよりももっと大切なものが、「ミサ聖祭」であって、「秘跡」であって、「御聖体」であって、そして「罪の赦し」であって、「特別の天からの御恵み」なのです。

ですから、このもしもこれが頂けなければ、私たちにとっては生きるか死ぬか、「永遠の命の問題」があります。その為に、どのような事があってもミサを、そして秘跡を与える為にこのようにできる事は、本当に御恵みだと考えています。

なぜかというと、今日まさに、その理由がミサの中に説明されています。聖ペトロが言っています。今日のミサのテキストをお持ちの方はご覧になって下さい。聖ペトロ、最初の初代教皇様は、私たちにこう最初の回勅で、その書簡で言っています。

「お前たちは、ここの今いる世界で、あたかも外国人であるかのように、旅人であるかのように考えよ。なぜかというと、私たちはここに、ずっと永久に留まっている事はできないから。ある日、この地上に『さらば』と言って、永遠の世界に旅立たなければならない。私たちが今ここにいるのは、ほんの束の間の間であって、私たちは今この地上に、ただ通り過ぎているだけである。本当の私たちの目的地は、天国である。」

私たちが、「いや、そんな事はない。」「いや、私は絶対この地上に長く居る」と、いくら張り切っても、踏ん張っても、そうする事はできません。皆さんが、たとえ科学が進歩して、ワクチンを打っても、薬を飲んでも、整形手術をしても、どんな薬を飲んでも、私たちはこの地上に、100年過ぎているかいないかです。

たとえ科学の技術が進歩したとして、皆さんが千年生きたとしても、その後は私たちは、「さらば」と言われなければなりません。

私たちはどこに向かっているのでしょうか?

「永遠」に向かっています。それはどうしても変える事ができない、私たちの目的地です。私たちはここに外国人として、旅人としてのみいるだけです。

この事を、聖ペトロが今日私たちに訴えています、「だからこの地上の事に愛着してはならない。この地上の事はすぐに過ぎ去ってしまう。だからこの時を利用して、天国に行く準備をしなさい。王に従いなさい。清く生きなさい。聖なる生活をしなさい」と勧めています。

今日イエズス様も、やっぱり同じ事を仰います、「束の間の間、ほんのちょっとだけの後に、お前たちは私を見ないだろう。しかしその少しの後には、私に会うだろう。」

この「ほんの少しの間」というのは、この地上での事です。聖アウグスティヌスは私たちにそう教えています。

この地上がいくら何千年何万年続いたとしても、この世が終わってしまった後には、永遠から見るとあっという間の事です。ほんのちょっとの間、イエズス様を見ないですけれども、全てが終わって天国に行けば、私たちはイエズス様を見る事ができます。

そして私たちは今、この地上では悲しい、辛い思いをするかもしれません。涙の谷に生きているからです。罪があるからです。嫌な事も、辛い事もたくさんあるからです。

でも、もしもそれを、イエズス様の為に捧げたら、イエズス様の為に忍耐すれば、イエズス様を愛するが為にそれを御捧げすれば、それは私たちにとって喜びに変わる、そしてこの喜びは誰も私たちから奪う事ができない、と教えています。

ですから今日、愛する兄妹の皆さん、イエズス様からのメッセージを、御言葉を、心にぜひ留めて下さい。「私たちはこの地上に、天国の為に、少しの間生きている」という事です。「いつも永遠の為に、永遠の事を考えていなければならない」という事です。

永遠の命に行く為にはどうしたら良いのかというと、秘跡が必要です。道しるべが必要です。地図が必要です。それは全て、イエズス様が教えてくれています。そしてできる限り、その必要な助け、道しるべ、地図、全てそれはカトリック教会に、イエズス様が委ねました。司祭に委ねました。

そして今日、ミサに与っている皆さんに、必要である限り全て提供するのは、私たちの喜びであり、私たちの義務であり、私たちの特別の幸福です。今日そのミサを捧げる事ができて、これから毎月、このミサが捧げられるという事を思うと、本当に嬉しく思います。

どうぞこのミサによく与って、そして毎日のお祈りを通して、天国に一直線に向かわれますように、聖なる生活を送られますように、マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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