2021年6月20日(主日)聖霊降臨後第4主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、6月はイエズスの聖心の聖なる月です。
イエズスの聖心は私たちに、「イエズス・キリストがどれほど愛しておられるか、御自分の人生の全てが愛であった」という事を示しています。
1675年、聖女マルガリタ・マリア・アラコックを通して、イエズス様はこう仰いました。「私は、この聖心の肉の心臓によって崇敬される事を望む。もしも聖心の御影(ごえい)が飾られるところであれば、私はありとあらゆる種類の祝別を以って祝福する。」
イエズス様の聖心が飾られた家、そしてその教会、村は、本当に歴史上多くの祝福と奇跡が行なわれました、たくさんの御恵みを頂いてきました。
ところで、イエズス様の聖心、この祝福が全て、愛とその祝福が全て詰まっているものは一体どこでしょうか?
イエズス様の御影は、聖心のこの御影(ごえい)はそのシンボルですけれども、実際私たちの目の前に、イエズス様の祝福のみならず、イエズス様御自身が、私たちを愛を以っていつも傍にいらして、そして全ての種類の御恵みをいつでも溢れるばかりに注ぎたいといらっしゃる、本当にいらっしゃる、イエズス様が在す、それが「御聖体」です。
ですから神学者たちは、カトリック教会は、口を揃えて声を揃えて、「イエズス様の聖心への信心と愛は、御聖体への信心と愛と全く一つである」と言います。
御聖体において、王である、愛の王である真の天主イエズス・キリストは、本当の宗教の天主、私たちに計り知れない愛と祝福をいつでも、みなぎるほど与えようと待っておられます。
ここまで愛された民が他にいるでしょうか。天主が、この世の創造主が、全能の御稜威が、私たちの傍に、いつも小さくなって隠れて、私たちを愛の眼差しで祝福しておられる、というこの名誉、この喜び。そして必要な御恵みはいつでも、私たちの為に与えられる。
兄妹の皆さん、「私たちは計り知れなく愛されている」という事をどうぞ知っていて下さい。
どのような事があっても、天主は、私たちと共に世の終わりまでいらっしゃるという、この計り知れない御恵みを知っていて下さい。
ところで、この御恵みと愛を受けた私たちは、この御聖体に対してどのような態度を今まで取ってきているでしょうか?御聖体のイエズス様は、どのような感謝を受けてきたのでしょうか?御聖体はどのような取扱いを受けてきたのでしょうか?
最も愛された人たちから、御聖体はむしろ、非常になおざりに、冷淡に、無関心な取り扱いを今現在でも受けているのではないでしょうか。イエズス様の家である聖なるカトリック教会の御聖堂から、世界中の多くから、イエズス様がその王座を奪われたかのように、隅に追いやられたり、聖像・御像が取り払われたり、御影(ごえい)が無くなったりしているのではないでしょうか。
イエズス様を拝領しようとする、聖体拝領しようとする人、あるいは「イエズス様を礼拝したい」という、「愛したい」という人々はむしろ、迫害を受けたり、それが出来なくなったり、あるいはそのような人々がますます本当に数えるほどしかいなくなってしまっています。
イエズス様はますます、例え極悪人であったとしても、例えどんなに悪い人がいたとしても、これほどまでも悪い取扱いは受けないだろう、というほどの取り扱いを受けているのではないでしょうか。
イエズス様が私たちを愛したがゆえに、その為に、ここまで御謙遜であったが為に、受けるその屈辱や冒瀆など、イエズス様が受けるその無関心と冷淡は、私たちは本当に口で言う事ができないほどです。
偽りの宗教を信じている人が、その偽りの神々に対してするような儀式の為にかけるお金や、その労力を見ると、私たちの本当の愛の天主に対してかける熱意はどれほどであるべきなのでしょうか。
愛する兄弟の皆さん、ですからこの6月の聖心の聖なる月には、イエズス様が今までお受けになった冷淡や、冷たい或いは冒瀆などを、できる限り償う事ができますように、お祈り致しましょう。
イエズス様の御聖体、またイエズス様の聖心の御影(ごえい)に対して、できる限りの愛と尊敬を以って示す事ができますように、お祈り致しましょう。ぜひ今日の御聖体拝領を、罪の償いの為に拝領なさって下さい。
マリア様にお祈り致しましょう。私たちが是非、マリア様の御心のように、そのマリア様の愛を以って、イエズス様の聖心を愛し返す事ができますように。私たちは非常に足りないのですけれども、マリア様が助けて下さいますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、6月はイエズスの聖心の聖なる月です。
イエズスの聖心は私たちに、「イエズス・キリストがどれほど愛しておられるか、御自分の人生の全てが愛であった」という事を示しています。
1675年、聖女マルガリタ・マリア・アラコックを通して、イエズス様はこう仰いました。「私は、この聖心の肉の心臓によって崇敬される事を望む。もしも聖心の御影(ごえい)が飾られるところであれば、私はありとあらゆる種類の祝別を以って祝福する。」
イエズス様の聖心が飾られた家、そしてその教会、村は、本当に歴史上多くの祝福と奇跡が行なわれました、たくさんの御恵みを頂いてきました。
ところで、イエズス様の聖心、この祝福が全て、愛とその祝福が全て詰まっているものは一体どこでしょうか?
イエズス様の御影は、聖心のこの御影(ごえい)はそのシンボルですけれども、実際私たちの目の前に、イエズス様の祝福のみならず、イエズス様御自身が、私たちを愛を以っていつも傍にいらして、そして全ての種類の御恵みをいつでも溢れるばかりに注ぎたいといらっしゃる、本当にいらっしゃる、イエズス様が在す、それが「御聖体」です。
ですから神学者たちは、カトリック教会は、口を揃えて声を揃えて、「イエズス様の聖心への信心と愛は、御聖体への信心と愛と全く一つである」と言います。
御聖体において、王である、愛の王である真の天主イエズス・キリストは、本当の宗教の天主、私たちに計り知れない愛と祝福をいつでも、みなぎるほど与えようと待っておられます。
ここまで愛された民が他にいるでしょうか。天主が、この世の創造主が、全能の御稜威が、私たちの傍に、いつも小さくなって隠れて、私たちを愛の眼差しで祝福しておられる、というこの名誉、この喜び。そして必要な御恵みはいつでも、私たちの為に与えられる。
兄妹の皆さん、「私たちは計り知れなく愛されている」という事をどうぞ知っていて下さい。
どのような事があっても、天主は、私たちと共に世の終わりまでいらっしゃるという、この計り知れない御恵みを知っていて下さい。
ところで、この御恵みと愛を受けた私たちは、この御聖体に対してどのような態度を今まで取ってきているでしょうか?御聖体のイエズス様は、どのような感謝を受けてきたのでしょうか?御聖体はどのような取扱いを受けてきたのでしょうか?
最も愛された人たちから、御聖体はむしろ、非常になおざりに、冷淡に、無関心な取り扱いを今現在でも受けているのではないでしょうか。イエズス様の家である聖なるカトリック教会の御聖堂から、世界中の多くから、イエズス様がその王座を奪われたかのように、隅に追いやられたり、聖像・御像が取り払われたり、御影(ごえい)が無くなったりしているのではないでしょうか。
イエズス様を拝領しようとする、聖体拝領しようとする人、あるいは「イエズス様を礼拝したい」という、「愛したい」という人々はむしろ、迫害を受けたり、それが出来なくなったり、あるいはそのような人々がますます本当に数えるほどしかいなくなってしまっています。
イエズス様はますます、例え極悪人であったとしても、例えどんなに悪い人がいたとしても、これほどまでも悪い取扱いは受けないだろう、というほどの取り扱いを受けているのではないでしょうか。
イエズス様が私たちを愛したがゆえに、その為に、ここまで御謙遜であったが為に、受けるその屈辱や冒瀆など、イエズス様が受けるその無関心と冷淡は、私たちは本当に口で言う事ができないほどです。
偽りの宗教を信じている人が、その偽りの神々に対してするような儀式の為にかけるお金や、その労力を見ると、私たちの本当の愛の天主に対してかける熱意はどれほどであるべきなのでしょうか。
愛する兄弟の皆さん、ですからこの6月の聖心の聖なる月には、イエズス様が今までお受けになった冷淡や、冷たい或いは冒瀆などを、できる限り償う事ができますように、お祈り致しましょう。
イエズス様の御聖体、またイエズス様の聖心の御影(ごえい)に対して、できる限りの愛と尊敬を以って示す事ができますように、お祈り致しましょう。ぜひ今日の御聖体拝領を、罪の償いの為に拝領なさって下さい。
マリア様にお祈り致しましょう。私たちが是非、マリア様の御心のように、そのマリア様の愛を以って、イエズス様の聖心を愛し返す事ができますように。私たちは非常に足りないのですけれども、マリア様が助けて下さいますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。