十 六 日 聖マリアの天主に対する信頼
ビドの裔(こ)ヨゼフよ、汝の妻マリアを納(い)るゝ事を (マテオ 一。二○)
聖ヨゼフは許嫁(いいなずけ)の妻、聖マリアが、まだ同居前に懐胎(かいたい)された事を知って非常に心を痛められた。それに対し聖マリアは、事情を充分に打ち明けられたら、その疑惑(うたがい)をお解(と)きになる事も容易(たやす)かったであろうが、例の御謙遜(ごけんそん)から一切(いっさい)を天主の御摂理(ごせつり)に委(まか)せて、何事も仰せられなかったのである。
然しこれ程、厚い聖母の御信頼を、天主が無にし給う筈(はず)はない。間もなく天使を遣(つか)わして聖ヨゼフに救い主の御(おん)やどりを明(あ)かし「汝、其の名をイエズスと名づくべし。そは自(みずか)ら己(おのれ)が民を其の罪より救うべければなり」と告(つ)げしめ給うた此処(ここ)に注意すべきは、聖マリアには大天使ガブリエルを以て、イエズスの神性やその永遠の権威(けんい)までも示されたのに、聖ヨゼフには唯(ただ)その救い主にまします事のみを告(つ)げ、天主の御独子(おんひとりご)なる事は語られなかった点である。
これは何(なに)故(ゆえ)かと云えば、聖ヨゼフはイエズスの御幼年時代より三十歳頃まで、即ち所謂(いわゆる)私生活時代の主を養い、護り、助ける為に選ばれた方であるから、その天主聖子(おんこ)なる事を知れば,恐懼(きょうく)のあまりなすべき所に迷う恐れがあったからである。
なお、この機会に一言すれば、天主が聖マリアを聖ヨゼフの許嫁(いいなずけ)と定めてから御子をやどらせ給うたのは、聖母の名誉を保(たも)ち、その御身を聖ヨゼフに護(まも)らしめ給わうとの大御心(おおみこころ)から出たものであった。
それはとにかく主の使いの御告(おんつ)げを聞いては聖ヨゼフも疑惑(うたがい)を解(と)かない訳にゆかぬ。間もなく聖(み)旨(むね)に従って聖マリアと結婚し、その後は熱心にまかせられた聖母(おんはは)聖子(おんこ)を保護する大任を全(まっと)うせられたのである。
天主がかように種々(しゅじゅ)聖母の為に摂理(はから)はれたのは、一つには聖マリアの天主御父に対する厚い御信頼をみそなはした為である。それに反してユデア人達はもと天主の選民(せんみん)として、或はエジプト国王の虐待(ぎゃくたい)より救われ、或はシナイ山に於いて十(じゅう)誡(かい)を授(さず)けられ、或はアラビアの砂漠で四十年間マンナを与えられるなど、一方(ひとかた)ならぬ特別の御恵を蒙(こうむ)りながら、信頼の心が薄く,却(かえ)って救い主の御降臨(ごこうりん)を妨(さまた)げるような仕業(しわざ)のみ多かった為、天主は彼等を捨てて救いの外に置き、彼等の考えに相違して、その御独子(おんひとりご)を権力(けんりょく)も富(とみ)も名誉もない貧しき嬰(みどり)児(こ)として此の世に送り、その御成長も御生活も全(まった)く普通の人の通りに計(はか)らい給うた。
この天主の御摂理(ごせつり)は、実に聖パウロが「ああ天主の判決の悟(さと)り難(かた)さよ、其の道の極(きわ)め難(かた)さよ」と叫んでいる如く、玄妙(げんみょう)にして只々(ただただ)感嘆(かんたん)の外(ほか)はない。されば我等は聖母の信頼とユデア人の不信仰、及びその結果に鑑(かんが)みて、天主に対する信頼を増し、一切(いっさい)をその御手(みて)に委(ゆだ)ね奉るよう努めねばならぬ。それは単に自分に得心(とくしん)の行く場合ばかりではない。
例えば現世(このよ)で悪人が栄えて善人が衰(おとろ)えるなど、我等の心に深い御摂理の悟(さと)り得ぬ場合にも、なお主の御教(みおし)えの永遠の賞罰(しょうばつ)を堅(かた)く信じ幼子(おさなご)のような心でお委(まか)せするのである。
この信頼は天国への道、救(たす)霊(かり)の道として最も容易(たやす)いものと云えよう。そして聖母は即ちその道を進み給うた大先(だいせん)達(だつ)であった。
我等も心してその御跡(みあと)を慕(した)い奉るならば、必ず聖マリアの在(いま)し給う御国(みくに)に到る事は疑いないのである。
祈 願
あゝ、我等に天国への近道を示し給いし聖マリアよ、主が我等の意(こころ)に反する境遇(きょうぐう)、病気、災難、霊(れい)の悶(もだ)え等を与え給う時、更に強き信頼と愛とを以て、己を全く天主の御手(みて)に委(ゆだ)ね奉る力(ちから)を得(え)せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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ビドの裔(こ)ヨゼフよ、汝の妻マリアを納(い)るゝ事を (マテオ 一。二○)
聖ヨゼフは許嫁(いいなずけ)の妻、聖マリアが、まだ同居前に懐胎(かいたい)された事を知って非常に心を痛められた。それに対し聖マリアは、事情を充分に打ち明けられたら、その疑惑(うたがい)をお解(と)きになる事も容易(たやす)かったであろうが、例の御謙遜(ごけんそん)から一切(いっさい)を天主の御摂理(ごせつり)に委(まか)せて、何事も仰せられなかったのである。
然しこれ程、厚い聖母の御信頼を、天主が無にし給う筈(はず)はない。間もなく天使を遣(つか)わして聖ヨゼフに救い主の御(おん)やどりを明(あ)かし「汝、其の名をイエズスと名づくべし。そは自(みずか)ら己(おのれ)が民を其の罪より救うべければなり」と告(つ)げしめ給うた此処(ここ)に注意すべきは、聖マリアには大天使ガブリエルを以て、イエズスの神性やその永遠の権威(けんい)までも示されたのに、聖ヨゼフには唯(ただ)その救い主にまします事のみを告(つ)げ、天主の御独子(おんひとりご)なる事は語られなかった点である。
これは何(なに)故(ゆえ)かと云えば、聖ヨゼフはイエズスの御幼年時代より三十歳頃まで、即ち所謂(いわゆる)私生活時代の主を養い、護り、助ける為に選ばれた方であるから、その天主聖子(おんこ)なる事を知れば,恐懼(きょうく)のあまりなすべき所に迷う恐れがあったからである。
なお、この機会に一言すれば、天主が聖マリアを聖ヨゼフの許嫁(いいなずけ)と定めてから御子をやどらせ給うたのは、聖母の名誉を保(たも)ち、その御身を聖ヨゼフに護(まも)らしめ給わうとの大御心(おおみこころ)から出たものであった。
それはとにかく主の使いの御告(おんつ)げを聞いては聖ヨゼフも疑惑(うたがい)を解(と)かない訳にゆかぬ。間もなく聖(み)旨(むね)に従って聖マリアと結婚し、その後は熱心にまかせられた聖母(おんはは)聖子(おんこ)を保護する大任を全(まっと)うせられたのである。
天主がかように種々(しゅじゅ)聖母の為に摂理(はから)はれたのは、一つには聖マリアの天主御父に対する厚い御信頼をみそなはした為である。それに反してユデア人達はもと天主の選民(せんみん)として、或はエジプト国王の虐待(ぎゃくたい)より救われ、或はシナイ山に於いて十(じゅう)誡(かい)を授(さず)けられ、或はアラビアの砂漠で四十年間マンナを与えられるなど、一方(ひとかた)ならぬ特別の御恵を蒙(こうむ)りながら、信頼の心が薄く,却(かえ)って救い主の御降臨(ごこうりん)を妨(さまた)げるような仕業(しわざ)のみ多かった為、天主は彼等を捨てて救いの外に置き、彼等の考えに相違して、その御独子(おんひとりご)を権力(けんりょく)も富(とみ)も名誉もない貧しき嬰(みどり)児(こ)として此の世に送り、その御成長も御生活も全(まった)く普通の人の通りに計(はか)らい給うた。
この天主の御摂理(ごせつり)は、実に聖パウロが「ああ天主の判決の悟(さと)り難(かた)さよ、其の道の極(きわ)め難(かた)さよ」と叫んでいる如く、玄妙(げんみょう)にして只々(ただただ)感嘆(かんたん)の外(ほか)はない。されば我等は聖母の信頼とユデア人の不信仰、及びその結果に鑑(かんが)みて、天主に対する信頼を増し、一切(いっさい)をその御手(みて)に委(ゆだ)ね奉るよう努めねばならぬ。それは単に自分に得心(とくしん)の行く場合ばかりではない。
例えば現世(このよ)で悪人が栄えて善人が衰(おとろ)えるなど、我等の心に深い御摂理の悟(さと)り得ぬ場合にも、なお主の御教(みおし)えの永遠の賞罰(しょうばつ)を堅(かた)く信じ幼子(おさなご)のような心でお委(まか)せするのである。
この信頼は天国への道、救(たす)霊(かり)の道として最も容易(たやす)いものと云えよう。そして聖母は即ちその道を進み給うた大先(だいせん)達(だつ)であった。
我等も心してその御跡(みあと)を慕(した)い奉るならば、必ず聖マリアの在(いま)し給う御国(みくに)に到る事は疑いないのである。
祈 願
あゝ、我等に天国への近道を示し給いし聖マリアよ、主が我等の意(こころ)に反する境遇(きょうぐう)、病気、災難、霊(れい)の悶(もだ)え等を与え給う時、更に強き信頼と愛とを以て、己を全く天主の御手(みて)に委(ゆだ)ね奉る力(ちから)を得(え)せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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