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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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世界に、この人間の世界に最初に成立したのは、宗教と婚姻です。この二つともとても神聖なものです。

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2021年7月17日(土)ピオさんとテレジアさんの婚姻のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

ピオさん、テレジアさん、ご両家のご家族の皆様、そしてご親族とご友人、知人、同僚の皆様、今日は、この二人が天主の祭壇の御前で、多くの祝福を受けられたことを心からお慶び申し上げます。

ここにいらっしゃる兄弟姉妹の皆様と、婚姻の神秘について黙想したいと思います。

【1:婚姻は、天主と人間との愛による一致の前兆】
天主は愛である、と使徒聖ヨハネは断言しています。天主は愛するがゆえに、私たち人間を無から創造されました。
私たちの周りにいる、動物たちや様々な植物、全宇宙の秩序は、唯一の知的で全能の御方が必ず存在している、ということを示しています。私たちはこの究極の根拠、私たちの存在の究極の根拠を、「天主」と呼んでいます。

私たちが今、ここに、こうやって生きて存在している理由は、たった一つです。それは、私たちが、私たちを創造して下さった真の天主をこの地上で知り、そして愛して、仕え、そうすることによって、永遠に天主と共に幸せであること、天主の命と一致をすることです。これこそが宗教の役割です。

カトリック教会の有名な聖アウグスチヌスという聖人はこう言っています。「御身は私たちを御身(天主)に向けて創り給い、私たちの心は御身のうちに憩うまで不安である。」fecisti nos ad te et inquietum est cor nostrum donec requiescat in te.
「人間の霊魂は、あなた(天主)に向かわない限り、どちらに向いても、他のどこにおいても、悲しみに釘付けされているだけである」と。

私たちの霊魂はいつも天主と、私たちを創造された御方と一致することを求めています。

この愛の天主は、婚姻をも、結婚をも作りました。婚姻は、アダムからエワが作られたその最初に制定されました。エワがアダムの脇腹から造られるやいなや、二人は聖なる絆によって一つになりました。聖書にはこうあります、「だからこそ、男は父母を離れて、女とともになり、二人は一体となる」(創世記2章24節)。これが婚姻です。

世界に、この人間の世界に最初に成立したのは、宗教と婚姻です。この二つともとても神聖なものです。

【2:婚姻の目的】
では、婚姻の目的とは何でしょうか?

婚姻の主要な第一の目的は、子孫の繁栄とその教育です。婚姻というのは、両者の「同意の交換」に成り立っています。つまり、夫と妻が互いに与え合って、互いに受け合う契約(相互の同意)によって成立します。この契約によって、夫と妻とは「婚姻行為」のための相手の体に対する権利をお互いに与えるのです。

聖パウロはこう言っています。「妻は自分の体を随意にすることはできぬ、妻は夫のものである。同様に夫も自分の体を随意にすることはできぬ、夫は妻のものである。互いに拒んではならぬ。ただ合意の上で、祈りに従事するためにしばらくやめても、再び共になるがよい。それはあなたたちを誘うサタンを肉欲に乗じさせないためである」(コリント前書7章4-5節)。

婚姻というのは本質的に、子どもの出産のためですから、婚姻の行為のこの自然の結果を妨害することは許されません。生命の伝達を故意に拒否することは許されません。ですから聖パウロはこうも言っています。「みな婚姻を尊び、寝床をけがすな。淫行者と姦通者は天主に裁かれる」(ヘブライ13章4節)。

そこで、教会はこう教えています。「婚姻から生ずる第一の善は、子どもである」と。そして、子どもには教育が必要です。良いカトリックの教育が必要です。両親は、子供たちに霊的な生命、超自然の命を伝えなければなりません。そのために、幼児洗礼、信仰教育を、言葉と行ないと模範とで伝えて下さい。

【3:不可解消性】
婚姻の目的を達成するために、家族という共同生活を始めなければなりません。ですから、婚姻は本質的に生涯にわたって続きます。夫婦のどちらかが死によってこの世から取り去られるまで続きます。それ以外には解消はできません。取り消すこともできません。先ほど読んだ福音にも、イエズス・キリストはこう断言しています。「人は天主が合わせられたものを離してはならぬ」(マテオ19章6節)。

何故でしょうか?何故かというと、子どもの教育という善のために、この二人の共同生活が終わりまで続くことが必要だからです。何故かというと、子どもたちは両親を長い年月にわたって必要とするからです。子供がたとえ大きくなったとしても、忠実という良い模範を必要としているからです。全生涯にわたって一緒に暮らす両親の良い模範が、子供に必要とされているからです。

ですから、婚姻から生じる第二の善があります。これは、相互の援助です。互いに助け合うということです。「主なる天主は仰せられた、『人間が一人きりでいるのはよくない。私は、彼に似合った助け手を与えよう』」(創世記2章18節)。この二人が忠実である、ということによって、年ごとに、ますますこの夫婦の友情関係が深まります。愛情が深まります。

【4:婚姻は、秘跡として高められた】
それだけではありません。私たちの主イエズス・キリストは、自然の契約である婚姻を、「秘跡」として、高貴なものとして高められました。ですから、カトリック信者にとって婚姻の秘跡とは、洗礼を受けていない方々の婚姻とは異なっています。何故ならこれは、秘跡となっているからです。

「秘跡」(sacramentum)というのは、自然なものではなくて、超自然で神聖なもの(sacrum)ですから、天主からの特別の力と、光と、恩寵とが保証されています。

私たちはこの秘跡としての聖なる婚姻を、聖なるものとして取り扱わなければなりません。家庭において、犠牲と祈り、聖性と純潔の雰囲気を保ってください。

ですから、婚姻から生じる第三の善は、秘跡(神秘)です。どういうことかというと、カトリックの婚姻における一人の男性と一人の女性の結合は、キリストとキリストの花嫁である教会との結合、つまりキリストとカトリック教会とが一体である、ということを示している神秘です。

キリストとカトリック教会は、神秘的な婚姻を通して、一つのキリストの神秘体となっています。これが、私たちの婚姻のモデルです。何故かというと、このキリストと教会の結合は、天国において永遠に続き、幸せなものとなっているからです。決して解消されません。

同時に、これは御恵みを与える源でもあります。何故かというと、キリストと教会の結合は、最も聖なるもので、最も純潔で、すべての聖なる愛の源だからです。この結合の実りは、夫婦を聖なるものとするだけではなくて、数多くの子供たちを与え、祝福します。ですから聖なる家庭から、多くの、数えきれないほどの聖人・聖女が生み出されて、そして天国に生み出されました。

聖パウロはこう言っています。
「キリストが命を捨てられたのは、水を注ぐこと(これは洗礼のことです)と、それに伴う言葉によって教会を清め聖とするためであり、またしみもしわもすべてそのようなもののない、輝かしく清くけがれのない教会をご自分に差し出させるためであった。そのように夫も妻を愛さねばならない」(エフェゾ5章25-28節)。

キリストが教会を愛したように、夫も妻を愛して下さい。

旧約時代、世の最初に、アダムの開かれた脇からエワが造られました。それと同じように、教会は十字架のキリストの開かれた脇腹から生まれました。そしてキリストは十字架の上で、教会と結合しました。十字架上のキリストの聖心から流れ出た水と血は、洗礼と御聖体を表しています。十字架の下に佇む聖母は、教会全体を表しています。十字架こそが、本当の愛の神秘の中心です。ですから、多くの諸聖人を最も豊かに生み出す神秘的な婚姻の場所です。

ですからこそ、すべてのカトリック信者にとって、ミサ聖祭が婚姻の恩寵を受けるに最も適切なやり方です。

【5:最後に】
婚姻の秘跡の効果が、死に至るまで全生涯にわたって豊かに溢れるほど与えられるように、次のことを二人に提案したいと思っています。二つあります。

【十字架】一つは、十字架です。今日結婚された七月は、キリストの尊き御血に捧げられた月です。十字架の上で私たちの主イエズス・キリストは、御血を流されます。聖心を開いて、最後の御血を流されました。是非、この家庭の中心に十字架像、イエズスの聖心の御影(ごえい)を飾ってください。辛い時や、苦しい時、喜びの時、あるいは悲しみの時、どうぞ私たちのためにここまで愛された主キリストをご覧になってください。そして、主から愛されている、ということをよく知ってください。苦しい時の大きな慰めとなるでしょう。

【祈り】第二は、祈りです。家庭で毎日祈りを捧げてください。一緒に祈る家庭は、一緒に団結する家庭です。短い祈りだったとしても、毎日祈ってください。天主に忠実であり、互いに忠実でありますように、祈りを捧げてください。特にロザリオの祈りを愛して、家庭で祈ってください。マリア様にたくさんお祈りください。マリア様がたくさんこの家族を、家庭を祝福してくださると確信しております。
最後に、聖パウロの言葉を以て、この話を終わりたいと思います。
「兄弟たちよ、妻は、主にしたがうように、自分の夫にしたがえ。キリストがその体でありそれを救い給うた教会のかしらであるように、夫は妻のかしらである。教会がキリストに服従するように、妻はすべてにおいて夫にしたがえ。夫たちよ、キリストが教会を愛し、そのために命をあたえ給うたように、あなたたちも妻を愛せよ。…あなたたちは、おのおの自分の妻を自分のように愛せよ、妻もまたその夫を敬え。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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