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人間の命に関するカトリック教会の教えを、もう一度確認しましょう。人間の生命は「受精の瞬間に始まる」

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2021年7月22日(木)痛悔女マグダラの聖マリアのミサ
(マーチ・フォー・ライフ東京)
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日はマーチ・フォー・ライフのためにミサに与って下さり、心から感謝します。

教会の名誉のために、またお母さんの胎内に生きている赤ちゃんたちに代わって、心から感謝の気持ちを申し上げます。

今日は、人間の命に関するカトリック教会の教えを、もう一度確認をしたいと思っています。

【人間の命の始まり】
聖にして母なるカトリック教会は、人間の生命が「受精の瞬間に始まる」と教えています。受精した卵子が母親の胎内に着床する前からすでに、自律的・独立的に生きて、行動しています。医学的には、受精後18日目に既に、心臓が心臓として動き始め、20日目にはすべての神経系が完成している、ということが分かっています。

つい最近の海外のニュースによると、「ドイツの議会は、生後6日目のニワトリの胚を『痛みを感じる』という理由で、ニワトリを7日後以降は殺すことを禁止する法律を可決した」とのことです。この法案は特に、オスのヒヨコの胚を殺すことを禁止しています。何故ならオスのヒヨコは卵を産んだり、十分な肉を生産したりすることができないので、すぐ殺されているのだそうです。もしも生後6日目のヒヨコに痛みを感じることができるならば、人間の胎児がどれほどの痛みを感じることができるでしょうか!?

カトリック教会のカテキズムは、伝統的な教えを繰り返して、次のように述べています。

[2268] 第5戒は、直接的かつ意図的な殺人を重大な罪として禁じています。殺人者と殺人に自発的に協力する人々は、天に復讐を叫ぶ罪を犯しています。

乳児殺し、兄弟殺し、親族殺し、配偶者の殺害は、自然の絆を断ち切るという理由から、特に重大な罪です。優生学や公衆衛生への配慮は、たとえ公権力によって命じられたとしても、いかなる殺人も正当化することはできません。

[2270]人間の生命は、受胎の瞬間から絶対的に尊重され保護されなければなりません。人間は、その存在の最初の瞬間から、人としての権利を有するものとして認められなければなりません。その権利の中には、すべての罪のない存在の生命に対する侵すことのできない権利(生命権)があります。

[2271] 初代教会以来、教会はあらゆる人工妊娠中絶を道徳的な悪であると断罪してきました。この教えは変わっておらず、今後も変わることはあり得ません。直接的な中絶、つまり、目的や手段として意図的に行う中絶は、道徳に著しく反しています。

[2272] 中絶に正式に公式に協力することは重大な犯罪です。教会は、人間の生命に対するこの犯罪に、破門という典範的な刑罰を課しています。「中絶をやり遂げた人は、"罪を犯すこと自体による"破門(自動破門)を受けることになります。教会は、中絶という罪の重さ、死に追いやられた無実の子供に対して、そして両親や社会全体に対してなされた、取り返しのつかない害を明確に指摘しています。

[2274]胚は受胎の瞬間から人間として扱われなければなりません。従って、他の人間と同じように、可能な限りその完全性を守り、世話をし、癒されなければならない。

「使い捨ての生物学的材料として利用されることを目的としたヒトの胚を生産することは不道徳である」。(CDF, Donum vitae I,5.)

【中絶の影響】
堕胎によって、人間の赤ちゃんは最も安全な場所で拷問され、殺害されます。これは残念ながら日本だけではなく、世界のほとんどの国で起こっていることです。

この恐ろしい現実を口にするのは極めてはばかられますが、しかし、どのようなことなのかを申し上げるのを許してください。

生まれる前に胎内から子供を取り出すということは、次のような意味を持っています。

洗礼を拒否することで、子供たちに天国への道を閉ざすことです。

これは、子供たちにとって拷問であって、体の一部を盗むことであって、切断することであり、操作することです。

それは罪のない赤ちゃんの殺害であって、そしてまた体の残りの部分を廃棄することであって、子供に対する冒涜です。

これは、あらゆる場合において子供の権利を侵害すること、さらには、体の一部を使い捨ての生物学的材料として販売、利用することに繋がります。

【罪のない市民に対する戦争】
最後に、中絶は罪のない赤ちゃんに対する邪悪な戦争です。中絶は、私たちが愛すべき胎児に対する攻撃だからです。不当な侵略戦争よりもはるかに邪悪です。特に第二次世界大戦後に戦争を放棄した日本では、最も安全で守られた場所で、私たちの子供、市民、家族、同国民を、敵としてあたかも虐殺しているということを意味しています。

しかも、私たちが直面している戦争は、今まで日本が過去体験した戦争よりも、もっと残酷です。母親の胎内にいる赤ちゃんたちは、自分を守る方法がないからです。人間として認められずに、生きることを拒否されているからです。赤ちゃんたちにとって、助けを求める場所はどこにもないからです。一体誰が、強大な軍隊をもって赤ちゃんたちを守って下さるのでしょうか? 

最後には天主が、旧約でなさったように、この邪悪を厳しく罰し給うことでしょう。その時、私たちは、何百万人の罪ない子供たちの流された血を償わなければならないことでしょう。

【結び】
最後に、私たちはファチマの聖母に、私たちの国と世界のために、真の平和を求めてお祈り致しましょう。そして私たちと私たちの未来の世代への憐れみを、特に乞い願いましょう。

こんな声が聞こえてきます。「あぁ、もう手遅れではないでしょうか?もう元にはもどらないし、既に死んだも同然ではないでしょうか?もう腐りかけています。」

いえ、しかし今日の福音を見て下さい。死んで4日経って悪臭を放っていたラザロを、イエズス様は生き返させました。イエズス様の憐みと全能には限りがありません。

聖女マグダレナ・マリアの御取次ぎを願って、この日本を生き生きとした生ける体として復活させて下さるように、この戦争を終わらせて下さるように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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