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自発教書「トラディチオニス・クストデス」は何故出されたのか?その神学的な背景

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2021年7月25日(主日)聖霊降臨後第9主日聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、最近のモートゥー・プロプリオについて:トラディチオニス・クストデスについてお話したいと思っています。これについては、聖ピオ十世会総長パリャラーニ神父様が、皆さんにとても美しい手紙を書きましたので、是非それをお読み下さるようにお願いします。
この自発教書は、教会の歴史にとって非常に重大な出来事でした。
典礼の戦いにおける「停戦が終わった」ということです。また「戦いが始まった」ということです。
教皇フランシスコは、この最近のご自分の自発教書によって、ベネディクト十六世教皇様の「スンモールム・ポンテフィクム」のすべてのカギ括弧付きの「譲歩」を取り除くことを決定されました。
⑴では一体、なぜこのようなことが起こるのか?その背景をまず申し上げさせてください。
⑵そしてその次に、一体その理由は何なのか?を説明申し上げます。
⑴背景聖ピオ十世会が今でも執行している、聖伝のラテン語のミサ、そして皆さんが私たちの会場で与っているこのミサは、全世界において、カトリックの普通にどこでも捧げられているミサでした。典礼の中では最も古い、最も歴史のある典礼です。
ミサの中の最も中心的な『カノン』と言われる部分を見ると、使徒聖ペトロに由来する、と言われる最も重要なものです。全世界で殉教者を生み出し、聖人を生み出したミサです。日本に来た聖フランシスコ・ザビエルが、この地で捧げていたミサです。また、日本のキリシタンたち、あるいは殉教者たちが皆、例外なく与っていたのがこのミサです。また150年前に日本に再宣教に来られたフランス人の宣教師たち、また多くの外国人の神父様たちが捧げていたのもこのミサです。
すべての時代における、全世界における、普通に捧げられていたミサです。カトリックのミサです。
聖ピオ五世教皇様は、1570年に「Quo Primum」という勅令を発表して、「すべての司祭はこのミサを、聖伝のミサを行なわなければならない義務がある」と公布しました。何故かというと、この聖伝のミサこそが、カトリック教会のすべての信仰を完全に表明しているからです。ですから聖ピオ五世教皇様は、『永遠に有効な法』として勅令を出して、「全ての司祭は、このミサを捧げる義務と、自由と、特権がある。このミサを捧げる限り、どのような良心の呵責もあり得ない」と、言っています。
ところが、1969年、突然、第ニバチカン公会議の結果として、プロテスタントの牧師たちと協力して作り出された、無から創造された「新しいミサ」というものが出来上がりました。
多くの司祭や修道士たち、また修道会も、このミサを拒否しようとしました、望んでいませんでした。
検邪聖省の長官であった、教皇様の代理であったオッタビアーニ枢機卿、またバッチ枢機卿は、連名で教皇パウロ六世に手紙を書いて「新しいミサが、ミサのいけにえに関するカトリック教会の教えから、教義から逸脱している、はるか遠くに離れている」ということを指摘して、教皇様に「このミサをやめるように」と懇願しました。しかし、この警告の声は無視されました。
教会法上、昔ながらの聖伝のミサが廃止されたり、禁止されたことは一度もありませんでしたが、しかし、力ずくで、新しいミサが全世界に押し付けられてしまいました。
2007年7月7日、前教皇ベネディクト十六世は、「実は、この聖伝のミサが一度も廃止されていなかった」ということを確認しました。「どのような司祭でも、この聖伝のミサを捧げる自由があって、どのような信者でもすべての信者が自由に参加することができる」としました。「このミサを立てるのに、司教様の許可はいちいちいらない」と言いました。これによって、世界中で特に若い人たちが、このカトリック教会の宝を発見することに繋がりました。
同時にベネディクト十六世教皇様は、「第二バチカン公会議は、聖伝の『継続』として、『続き』として理解されなければならない」と言っていました。私たちはこれに対して「いや、それはあり得ない。それは幻想だ、それは不可能なことだ」と言い続けてきました。
そして遂に今年の7月16日、教皇フランシスコ聖下はモートゥー・プロプリオを出しました。『トラディチオニス・クストデス』これによって教皇は、聖伝のミサの可能性を、最小限にしました。そして非常に厳格に、「ラテン教会には新しいミサだけであって、もしも聖伝のミサがあるとしたら、それは遂には彼らが新しいミサを捧げるために過ぎない」と言われました。非常に厳しい自発教書でした。
しかし、聖伝から離れるということは、カトリック教会を放棄することです、捨ててしまうことです。しかし、フランシスコ教皇様は、教会の聖伝を放棄して、それをやめて、第二バチカン公会議だけを皆が飲み込むように望まれていました。
⑵では第2の点、一体なぜ、そんなことを教皇様が言われるのでしょうか?何で急にこの時期に?教会には他にもたくさん問題があるのではないでしょうか?
コロナ禍の中で、実は教会は世界中で、少なくとも15ヶ月以上閉鎖されていました、ミサにも与れない、秘跡にも与れない、司牧的なケアもない、という方が全世界でたくさんいらっしゃいます。その中でも、コロナ禍の中でも、教会を開いてミサがある、秘跡がある、というのは聖伝の共同体だけです。
なぜ教皇様はそのような共同体のことを問題にされるのでしょうか?なぜ、まだカトリックの信仰をまだ信じている少数の人々のことを気になさっているのでしょうか?問題視されるのでしょうか?
例えば、昔カトリックの国だったカナダでは、今カトリックの教会が多く放火されています。火で焼かれています。フランスでもそうです。世界中で色々な所で、虹の典礼とか、同性愛の典礼とか、普通に行われています。パチャママもあります。それは問題がないようです。
何千・何万・何十万人・何百万という方々が、カトリック教会を去っています、信仰を捨てておられます。ベネディクト十六世教皇様は、「今、大陸全体から信仰が消滅しつつある」ということを、「それこそが今一番の問題だ」と仰っていました。
また現在では、アメリカ合衆国や南アフリカなどの大都市では、暴動とか、無政府状態が出現しつつあります。こういうのは本当の問題などではないのでしょうか?
でもなぜ教皇様は、今ラテン語のミサを閉鎖させようとされているのでしょうか?なぜ教皇様はそんなにラテン語の聖伝のミサのことが嫌いなのでしょうか?
これは、一つの理由しかありません。神学的な理由です、信仰の理由です。
聖伝のミサというのは、反エキュメニズムだからです。聖伝のミサは、宣教的であるからです。十字架によって私たちを統治する王として、主イエズス・キリストの王権を宣言しているからです。
それに対して、新しいミサというのは、エキュメニカルであって、私たちの主の王権を宣言するものではないからです。どんな宗教でも良いのだ、という考えに基づいているからです。現世では「キリストは王ではない」あるいは「なる必要はない」と思っているからです。
私たちの捧げている聖伝のミサと、そして新しいミサ、これは「単なる二つの典礼の戦いではありません。これは、カトリック教会およびキリスト教的生活についての二つの異なる対立した概念、つまり、お互いに絶対に譲れない概念、そして相容れない概念の間の戦いなのです。聖アウグスティノの言葉を借りれば、この二つのミサは、二つの国を打ち立てた、と言えるでしょう。つまり、『全時代のミサ(聖伝のミサ)』はキリスト教の国を打ち立てたのであり、『新しいミサ』は人間中心主義的で世俗の国を打ち立てようとしているのです。」 (パリャラーニ神父)
「このミサ、つまり私たちのミサは、本当に、私たちにとって、福音にある高価な真珠のように、持ち物を全部捨てる覚悟があるもの、持ち物を全部売る覚悟があるものでなければなりません。このミサのために自らの血を流す覚悟のない者は、このミサを捧げるに値しません! このミサを守るためにすべてを捨てる覚悟のない者は、このミサにあずかるに値しません!」。(パリャラーニ神父)
「聖ピオ十世会には、現在、狼狽し、混乱しているすべての霊魂を助ける義務があります。第一に、私たちには、トリエント・ミサは決して地上から消えることはない、という確証を彼らに提供する義務があります。これは、絶対に必要な希望のしるしです。さらに、司祭であれ、信徒であれ、私たち一人一人は、彼らに温かい助けの手を差し伸べなければなりません。…このようにしてのみ、私たちは本当に霊魂たちを愛し、教会への愛を示すことになるのです。」(パリャラーニ神父)
最近、聖伝を知った人たちは「今、選ばなければなりません。... ミサの聖なる犠牲(いけにえ)は、教義的・道徳的な教えの全ての最高の表現であるからです。それゆえ、それは、カトリックの信仰をその全体において選択するか、否かを。それを通して、十字架と犠牲と普遍的な王権を持つ私たちの主イエズス・キリストとを選択するか、どうかです。それは、主のいと尊き御血を選択し、十字架につけられた御方に倣い、完全で厳格で首尾一貫した忠実さによって、最後まで主に従うか否かを選ばなければならない、ということです。」
愛する兄弟姉妹の皆様、聖伝のこの尊い宝を、天主の御助けと、御力によって、守り続けることができますように、マリア様にお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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