Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

シュテーリン神父様と共にするロザリオの玄義の黙想 SSPX Japan Akita Pilgrimage

$
0
0
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 秋田の巡礼では、ロザリオの時に、シュテーリン神父様が次のような黙想を提案してくれました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。時間の関係で、或いはその他の事情で、15玄義全てをご紹介できないのが残念です。

 ロザリオの祈りの時の黙想に役立てば幸いです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

喜びの玄義
喜びの玄義 第1玄義黙想 (秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん。』

この一連を捧げて、私たちは、マリア様の汚れ無き御心の中に入るお恵みを求めましょう。マリア様は、「我は主の婢女(つかいめ)なり。仰せの如く我になれかし。」「御身の御旨が果たされますように。私の意志ではなく、主の御旨が果たされますように。」

 この心は、謙遜の心です。主に全てを従わせよう、という謙遜の心です。この心に入るように、お恵みを求めましょう。

謙遜というのは、全て天主様の御旨のままに、天主様のお望みのままにする、という事です。ですから、謙遜な霊魂は、全て主に委ね、主の御旨のままに、主こそが全て正しく、全てが真理であって、私には、私の事は、何でもかまわない。

 これこそが、本当の謙遜で、マリア様の心です。


喜びの玄義 第2玄義黙想 (秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『喜びの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、聖母がエリザベトを訪問し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、人を愛する徳をこい願わん。』

この一連を捧げて、聖母がエリザベトを訪問し給いたるを黙想しましょう。この祈りは、隣人愛です。

イエズス様は、マリア様を送って、マリア様を通して、洗者聖ヨハネを聖化しました。

それと同じ様に、マリア様は私たちを送って、人々が霊魂たちが、イエズス様の方に戻ってくるように、罪人たちが聖化するように、私たちがマリア様の良き道具となる事を、求めておられます。


苦しみの玄義

苦しみの玄義 第1玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、罪を痛悔する恵みをこい願わん。』

この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想します。

マリア様は、この世の罪の為に、涙を流されています。マリア様は、ご自分の子供たちの霊魂を救おうと望んでいます。マリア様は、御子イエズス・キリストが、この霊魂たちを救う為に、全てを彼らの為に与え尽くした事を知っています。その命、御血、そして全てを与えた事を。

しかし、人々は、この天主様のはかり知れない愛について、全く無関心です。彼らは、光よりも闇を好みます。彼らは、天国よりもこの世を愛しています。

だからこそマリア様は涙を流しています。私たちは、このような母の愛を見て、感動せざるをえません。

また、第1に、このマリア様の涙の原因は、私たち自身である事を理解しなければなりません。何故かというと、よく非常にしばしば、マリア様の御子を、私たちは侮辱したからです。そして、何千回も、もうマリア様が私たちの母である事を拒んだからです。

イエズス様が、ゲッセマニの園で血の汗を流した時に、マリア様は心で血を流されました。

私たちの犯した全ての罪を心から痛悔する恵みを求めましょう。そしてマリア様が、天主の御怒りから私たちを救って下さるように、お祈りしましょう。私たちの過去多くの間、マリア様の開かれたこの手を拒否し、マリア様から遠ざかって来た事がもう決してないように祈りましょう。

苦しみの玄義 第2玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『苦しみの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主が鞭打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、罪を償う恵みをこい願わん。』

この一連を捧げて、主が鞭打たれ給いたるを黙想しましょう。

イエズス様が鞭打たれたその現場には、マリア様はいらっしゃいませんでしたが、イエズス様の身体に身に付けた傷、多くの傷を見て、鞭打ちの傷を見て、マリア様は、イエズス様が受けた拷問を深く理解しました。

マリア様は、イエズス様が受けたこの苦しみの一部でも、自分の身体に受けたいと願っていました。

しかし、マリア様はその事ができませんでした。マリア様は、イエズス様が鞭打たれたその現場にも居る事ができませんでした。

これこそが、マリア様が受けた最も大きな苦しみの1つでした。何故かというと、愛する者を何とかして助けたい、と思いながらも、それができない、という苦しみです。

そこで、マリア様は涙を流します。これは同情の、そして同じ苦しみを同じくする、しるしの涙です。

マリア様の目から流される1つの涙一粒は、それは全ての聖人たちの祈りを合わせたよりも、もっと多くの慰めを、イエズス様に与えました。

イエズス様の鞭打ちを、私たちは助ける事ができない、私たちは少なくとも、同じ苦しみを私たちの胸に受け、そして私たちもマリア様と共に、私たちの心で、涙を流す恵みをこい求めましょう。

苦しみの玄義 第4玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『苦しみの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みをこい願わん。』

 この一連を捧げて、主が十字架を担い給いたるを黙想しましょう。

 私たちを、マリア様はこの地に呼び寄せて、そして私たちの母であり、私たちの女王になりたい、と思っております。

私たちは、「天国」という永遠の至福の場所には、一人では行く事ができません。必ずマリア様と共にでなければ、行く事ができません。

私たちの人生というのは、すなわち十字架の道行きである、という事をマリア様は思い起こさせてくれます。

何故かというと、イエズス・キリストもこの道を通り、そしてこの十字架の道だけが、天に続く道であるからです。

十字架を理解して、それを受け入れる事は、最も大変な難しい事です。しかし、マリア様がいれば、私たちの人生の苦しみの意味や、十字架の意味について、深い理解を与えてくれます。

マリア様は私たちに、それを理解させてくれるばかりでなく、その十字架を私たちが担い、担いで行く事ができるように、助けてくれます。

だからこそ、マリア様はこの地で涙を流して、私たちの前に立って現れました。今日このマリア様の御像から、マリア様はこうやって私たちに声をかけてくれます、「我が子よ、あなたは本当にたくさん苦しんでいますね。私もあなたの為にたくさん苦しみましたよ。今、あなたの手とあなたの心を私に下さい。あなたの全ての試練と苦しみを私に下さい。あなたの困難な問題と、病気を病を全て私に下さい。あなたの全ての恐れと苦悩を下さい。そうしてくれれば、私はあなたに約束します、あなたの全ての苦しみと、苦痛は、きれいな花のようになるでしょう。何故ならば、イエズス様はこう詩編の中を通して言うからです、『涙のうちに種まく者は、喜びのうちに刈り取るだろう。』と。」

マリア様の涙が、私たちにものすごい大きな光と幸福を生み出した事を覚えて下さい。

マリア様と共であれば、私たちの苦しみ、地上での十字架は、天国での永遠の最も高い高貴な幸せに変わります。

苦しみの玄義 第5玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、主が十字架に釘付けにせられ、死し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、救霊の恵みをこい願わん。』

この一連を捧げて、主が十字架の上にて死し給いたるを黙想しましょう。

マリア様は、私たちをしていつも、私たちの永遠の命と聖化の源の場所である、十字架のカルワリオの地に私たちを招いて下さいます。何故かというと、このカルワリオの地にてマリア様は、私たちを子として受けて下さったからです。

そしてこの地に於いて、私たちは罪の赦しを受け、私たちの罪の汚れは浄められました。

そしてこの地に於いて、私たちは十字架の力によって、罪から解放され、そして悪の勢力から解き放たれました。

ここに於いて、イエズス様は私たちに、天主の命を与えて下さいました。

ここに於いて、永遠の命と、永遠の愛を下さいました。

ここに於いて、罪がどれほど醜いものかを理解する事ができます。罪とは、イエズス様をして、どれほどの値を払わせたほどか、という事を私たちに理解させてくれます。

ここに於いて、イエズス様が私たちを罪から救おう、と、地獄の火から救おう、と思ったそのはかり知れない愛について理解する事ができます。

ここに於いて、また私たちも苦しまなければならない理由が分かります。

ここに於いて、私たちは、マリア様からの呼びかけを聞いています。マリア様は私たちに、「霊魂の救いの為に助けてください。」と、私たちに呼びかけています。「イエズス・キリストから遠くいる人々を、イエズス・キリストの十字架の下に連れて来るのを助けて下さい。」

そこで私たちは、マリア様の御前に跪き、こう申し上げます、「マリア様、ご覧ください。私は御身の道具となりたいのです。御身のしもべとして、御身の奴隷として、霊魂の救いの為に使って下さい。」

栄えの玄義

栄えの玄義 第1玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、信仰の徳をこい願わん。』

 マリア様は、各地に現れて涙を流され、そして私たちの良心に訴えかけます。それは、ただ1つの目的の為です。私たちを、主の元に、天国に導く為です。

 しかし、天主を信ぜずには、誰も天国に行く事はできません。もしも、イエズス・キリストが私たちに教えて下さった全ての事を信ぜずには、心から信ぜずには、誰も天国に行く事はできません。

 そこで、マリア様は、私たちが容易に信じる事ができるように、涙を流します。

 例えばここでは、奇跡的なやり方で涙を流して、私たちが信じる事ができるように助けてくれます。もちろん木は涙を流しません。もしも、この木造のマリア像の目から涙が出たのならば、これは奇跡の涙です。

 これは、マリア様が生ける御方である、という事を私たちに確信させる為です。そして、マリア様には、燃える愛の心を持っている、という事を確信させる為です。

 マリア様は、その子供たちに対して、憐れみの心で充ち満ていらっしゃいます。

「主よ、我、御身を信じ奉る。されど、我が弱き信仰を強め給え。」


栄えの玄義 第2玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、天国の福楽を深く望む心をこい願わん。』

 この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、天国の福楽を望む心、希望の徳をこい願わん。

マリア様は、地球の上に御立ちになり、そして両手を広げておられます。マリア様は、この地上にいる私たちを全て、「天国に導きたい、連れて行きたい。」と、いう大きな望みに満ちておられます。

 ファチマではマリア様は、「私の汚れ無き御心こそが、あなたの避難所であり、天に導く道である。」と、仰いました。

 これこそが、マリア様が私たちに下さりたいものです。つまり、「天国への熱烈な望み」です。
 
 マリア様は今、天国にいらして、私たち一人一人をご覧になっておられます。「子よ、いらっしゃい。私はあなたに永遠の幸せを与えましょう。」


栄えの玄義 第3玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、聖霊の賜物をこい願わん。』

 この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し奉る。

 このマリア様の御像を私たちが拝見する時に、マリア様の深い御心の事を思わざるを得ません。マリア様の御心は、聖霊に満たされています。聖霊はマリア様を、聖寵に充ち満てる御方とされました。

 マリア様はここで、私たちに両の腕を開いて、私たちに、他の所でもそうですが、私たちに、この聖寵の充ち溢れを私たちに分けて下さろう、としています。

 そして聖母を通して、聖霊は私たちに、聖霊の賜物を下さいます。

そしてマリア様は私たちの心に、本当の愛を分けて下さいます。

それは、私たちの持っているちっぽけな、裏切りだらけの、安っぽい愛ではなくて、マリア様が下さるのは、天主様の御自身の、燃えるような愛の、その愛自身です。

ですから突然、マリア様を通して、私たちの心に変化が起こるのが分かります。

突然私たちの心に、愛の心が湧き立ち、そしてかつてなかったほどに、「マリア様をお愛ししたい。」と、望むようになります。

これこそが聖霊の賜物で、聖霊が私たちに与えられたしるしです。マリア様は、私たちに天主様御自身を下さいます。


栄えの玄義 第4玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、善き終わりを遂ぐる恵みをこい願わん。』

 この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し奉る。

 マリア様が被昇天された時に、ちょうどそのご様子は、今私たちが目の前に見ている、この御像のようだったかもしれません。マリア様は、イエズス様の十字架によって贖われた方ですから、いつも十字架と一致していました。

 この哀れなこの地上から、マリア様は肉体と霊魂を共に、天に上げられました。マリア様はこの地上から離れて、天国の永遠の王国に入って行くのです。
 
そしてマリア様は、私たち全てを、マリア様に随って天国に行くように、と招いておられます。「私が自分の十字架を取って担ったように、あなたたちも自分の十字架を担いなさい。この『死』を通して、私は御子イエズス・キリストと一致したように、あなたたちも『死』を通して、イエズス・キリストと一致しなさい。」

 「死」というのは、終わりの時ではなく、永遠の始めの時です。

 「死」とは、この惨めな、涙の谷のこの旅路を終える時です。

 そして、私に於ける、永遠の命の始まりを意味します。

栄えの玄義 第5玄義黙想(秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、永福の冠をこい願わん。』

 この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いたるを黙想し奉る。

 もう一度、この素晴らしい御像を拝見いたしましょう。このマリア様の単純さに満ちた御像を見る事にします。

 天国に入ったマリア様は、もう一度天から、その大きな御稜威と光に包まれて、私たちの元にやって来られます。そして、もう一度私たちに両手を大きく開かれます。そして、マリア様は私たちの目をよくご覧になります。そしてマリア様は、私たちの心に何があるかを、よくご覧になっています。私の苦しみ、私の困っている事、私の悩みをマリア様はよくご存知です。マリア様は私たちの耳元で、私たちの心にそっと語りかけて下さいます、「私はあなたを決して見捨てませんよ。もしもあなたが私を捨てないなら。私はいつもあなたのお母さんですよ。あなたが私の子でありたい、と思えば思うほど、私はあなたにもっと、私の持てるものを与えましょう。今、多くの霊魂たちを、私の汚れ無き御心に引き寄せる為に手伝って下さい。」

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles