アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今回は、2015年6月7日の聖霊降臨後第2主日に東京でした「御聖体の荘厳祭」の説教をご紹介いたします。
特に、私たちの主イエズス・キリストがどれほど私たちを愛するがゆえに、御聖体を制定し、私たちにご自分を与え尽くそうとしたかを黙想しましょう。
私たちの主の狂わんばかりの愛の発明、御聖体の秘蹟をどうぞ愛して下さい。御聖体を礼拝して下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年6月7日 聖霊降臨後第2主日「御聖体の荘厳祭」
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2015年6月7日、聖霊降臨後第2主日、御聖体の祝日の荘厳祭を祝っております。
今日この御ミサの直後に、本来ならば教会の望みに従って、御聖体行列をしたい予定ですが、私たちにはそれなりの術がまだないので、いつものようにミサの直後に、御聖体降福式を行いたいと思っています。本日の御聖体荘厳祭の行列の代わりにしたいと思っています。
今日14時30分頃から、いつものように公教要理と、洗礼を受ける方の準備の公教要理と、16時から聖霊降臨後第2主日の晩課があります。明日も朝7時からミサがあります。
来月の7月のミサですけれども、7月5日は、私たちのいつものミサの予定の日ですが、残念ながら、この午前中のこの会場がどうも塞がってしまっているので、特別に午後にミサをする予定です。来月のミサは特別に、13時からロザリオ、13時30分からミサをします。告解はですね、既に12時から待機して2階でできる予定ですので、お間違えのないようにいらして下さい。来月は御ミサの後に、簡単な休息を挟んで、16時から晩課を行いたいと思っております。
「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私に留まり、
私は彼の内に住む。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は御聖体の祝日の荘厳祭ですので、私たちは御聖体の秘跡の神秘について黙想致しましょう。
一体何で、イエズス様が私たちの為に御聖体を制定して下さったのか。御聖体を制定して下さったイエズス様は、私たちに何を望んでいるのか。ところがその御聖体に対して、私たちはどのような態度を取ってしまっているのかを見て、それから私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
皆さん、ちょっと想像して下さい。今日ご自宅にお帰りになってみると、家に宅急便で夕方、特別のお手紙が届いていた。その手紙の送り主は宮内庁で、菊の紋章が付いていて、天皇陛下が直々に手を取って、達者な筆で、「何とか様宛」と書かれて、「大変お忙しいとは思うけれども、皇居で、皆さんと一緒に是非、私と一緒のテーブルについて、皇室と一緒に、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下と皆さんが一緒に食事をしたいと考えているけれども、何月何日の午前11時からその昼食会を開きたい。是非皆さん来てほしい。どうか用事はあるかと思うけれども、その時間を空けて来てほしい」と、そのような手紙を私たちが頂いたとしたら、何とありがたい、かたじけないお言葉であろうかと思って、その日がいつ来るか、と間違えないようにカレンダーに書いて、予定に書いて、それを指を折って数えて、その日には、決して遅れないように、ソワソワしながら、ウキウキしながら、まだかまだかと思って、「もしもお会いしたら、こういう話をしよう、こんな話をしよう、いや、この話が良いじゃないか。」などと色々考えて、私たちは出掛けるのではないでしょうか。
もしも、天皇陛下がその時に、「ああ、何とかさん、親愛なる何とかさん。実は今回は食べ物を一緒に、この特別の昼食会ではなくて、私はあなたに全てを与えたい。あなたに自分の持てるものを与えたいと思うけれども、どうだろうか。受けてくれるだろうか。」と、仰ったとしたら、「天皇陛下、何を仰っておられるのですか。とんでもない、もったいないお言葉です。」と、申し上げるのではないでしょうか。
ところで、このような話はおそらく私たちには起こりません。が、もっとすごい事が起こりました。この全宇宙を創った天主イエズス・キリストが、この太陽、星々、銀河、月、天の川、青い透き通るような大空と、透き通るような海、その海に棲む全ての魚と、森に棲む多くの動物と鳥たち、きれいな花々、高い雪山と、多くの森、金銀宝石、石油、大地全てを創った、私たちを創って下さった創造主の天主、その御一人子が、特に私たちの為に、私たちをただ、この畑で採れた野菜と、お米と、動物の肉で私たちを養いたい。さあ、この私と同じテーブルから食卓から一緒にご飯を食べよう。と、言うのみならず、天主御子が、私たちに御自分御自身を、御自分の持てる全てのものを私たちに与えよう、としておられます。
私たちはそれを毎月、ここでミサの時に、御聖体拝領として受けております。今日、御聖体に於いて、天地の創造主を、私たちは受けようとしているのです。
実は、今日イエズス様から特別のラブレターを頂いて、「さあ、私はあなたに、私自身を、私のもの全てを、食べ物として与えたい。受けて欲しい。」と。そう今日はお招きの言葉を頂いています。
私たちは、その御聖体拝領のその瞬間を、どれほどウキウキしながらワクワクしながらお待ちしなければならないでしょうか。「イエズス様がいらしたら、私たちの胸にいらしたら、何と申し上げようか。」と、考えるのではないでしょうか。
聖人たちは、この御聖体の秘跡をみて、「愛の秘跡だ。天主からの純粋の愛の秘跡だ。私たちの功徳が全くないにもかかわらず、これほどまで愛して、私たちに自分を全て下さる天主の愛の秘跡だ。愛の約束だ、愛の愛だ!」「ただ全体的に私たちを一般的に愛するのではなく、私たち個人個人を個々に愛しておられる、その秘跡だ!」と、仰いました。
イエズス様がこの御聖体を制定したその「時」を見て下さい。人類は、このイエズス様を死に渡そうとした、憎しみの時でした。イエズス様はその時に、この人類に私たちに、御自分を愛によって与えようと思われたのでした。
何故、一体イエズス様は、私たちにそうやって御自分を与えようとしたのでしょうか?
イエズス様は天主であるにもかかわらず、人間となって人となって、私たちの間に共に遂に生活され、福音を述べ、奇跡を行い、遂に御自分の命を十字架の上で与えた、それで満足なさらなかったのです。
何故かというと、それはイエズス様が、私たちといつも一致していたい、一つになりたい、と思ったからです。
愛の効果は、愛する人々を一つにまとめる事です。見て下さい、愛する人々が、いつもお話をしたり、顔を見つめ合ったり、おしゃべりをしたり、いつも時を過ごしていたり。愛する家族もそうです、一緒に旅行したり、一緒にご飯を食べたり。
イエズス様も同じでした。イエズス様は私たちを愛するがあまり、あたかも正気を失ってしまったかのように、狂ってしまったかのように、私たちに全てを与え尽くして、「私たちと一緒になりたい。」と、「共に居たい。」と、思っておられるからです。
ですから、今日読んだ福音の中にもあるのです、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は私に於いて居り、私は彼に於いて在る。」と。
サレジオの聖フランシスコは、「御聖体の制定よりも、より私たちを愛し、私たちに対してより優しい愛はないし、ありえない。」と、言っています。
何故かというと、イエズス様は、私たちに単なる秘跡の恵みを与えよう、と思ったのみならず、私たちに、お恵みの作り主である御自身を与えよう、とされているからです。私たちと一つになろう、とされているからです。
聖ディオニジウスという人はこう言っています、「だから、イエズス様御自身を受ける御聖体拝領は、御聖体の秘跡は、霊魂を聖化する為に、その他のあらゆる霊的な手段に勝って、効果がある。より大きな効果がある。」と、言っています。
聖ヴィンセンシオ・フェレールというドミニコ会の立派な聖人は、「もしも霊魂が御聖体拝領するならば、例えパンと水だけで厳しい断食を一週間するよりも、たった一回の御聖体拝領で、多くの、もっと多くの霊的な利益を得る。」と、言っています。
イエズス様は今日の福音で仰る通りです、「私を食する者は、私によって生きる。」と。
教皇様イノチェンシオ3世は、「イエズス・キリストは、御受難によって私たちを、私たちが犯した罪から解放するけれども、御聖体拝領によって、私たちがこれから犯すかもしれないような罪から解放してくれる。私たちがその罪を犯さないように助けてくれる。」
「私の肉を食べる者は、私によって生きる。」と、イエズス様が仰った通りです。
ギリシャの有名な聖人である聖クリゾストモは、「だから、御聖体拝領は、私たちに天主様の愛の火を燃やしてくれる。御聖体拝領によって、私たちが、悪魔にとっての恐怖の対象となる。」とさえ言っています。
では第2のポイントで、イエズス様が、御聖体を、私たちを愛するがあまり、私たちの聖化の為に、私たちをより良く聖なるものとして、イエズス・キリストによって生きる事ができるように、愛に満ちた御聖体を、愛の秘跡を制定して下さった事が分かりましたが、では、私たちはその愛の秘跡をどのように受けたら良いのでしょうか?
御聖体を拝領しても、聖人となった、と私たちはもしかしたら感じないかもしれません。しかし、聖人たちは御聖体拝領をする事によって、すくすくと、ぐんぐんと聖性において成長していきました。一体どこが違うのでしょうか。御聖体は同じなのに、効果が違います。
それは何故かというと、御聖体を受ける私たちの側が、良く準備が整っていたか、いないか、御聖体を受けて、それをうまく利用したか、しないか、に懸かっています。
では、御聖体拝領からの恵みを受ける為には、どうしたら良いのでしょうか。聖人たちは口をそろえて、「イエズス様が、愛によって私たちの胸に来て下さるのだから、私たちはイエズス様を、愛によってのみ受けなければならない。イエズス様への愛にますます進歩する事を望んで、受けなければならない。」と、言います。
だから私たちが、被造物に対する愛着や、罪に対する愛、愛情があると、イエズス様が入る余地がなくなってしまう。イエズス様の愛が来るのに邪魔になってしまう。だから私たちは、天主様以外の全てのものに対する愛着や愛情を取り除くように準備しなければなりません。私たちの心が、霊魂が、全くイエズス様だけのものになりますように、浄めなければなりません。
第2に、心の準備を、愛によって、被造物からの離脱と、天主様への愛によって準備すると同時に、私たちは、御聖体拝領の後に、感謝をしなければなりません。愛を愛にもって応えなければなりません。愛情をもってイエズス様と親しく語りあわなければなりません。
もしも、天皇陛下の皇居に招かれたならば、天皇陛下の前で、iPodとか携帯とかやって、そっちのけで雑念で、天皇陛下どころではない、となったら一体、天皇陛下も本当は私たちに、「あれの話もしたい、この事を与えたい、こうしたい。」と、思っていても、それもその気もなくなってしまうかもしれません。もしも、イエズス様を私たちの霊魂に受けたならば、イエズス様に愛をもって感謝致しましょう。心から感謝致しましょう。
天主様が、私たちの糧となって下さったそのご謙遜に、私たちもへりくだる事に致しましょう。天主様は、イエズス様は、私たちに愛される為に来られたので、私たちもイエズス様をお愛し申し上げましょう、「イエズス様、御身を愛し奉る。イエズス様、私はイエズス様だけを愛しています。イエズス様だけを、欲し奉る。イエズス様、御身は全て私のものになりました。私に御身は全てを与えて下さいました。だから私も御身に、私を全て与え尽くします。御身を礼拝し、感謝し、御身を信じ、希望し、愛し奉る。」と、心の底から申し上げる事に致しましょう。
私たちはそうやって愛の語らいをするのみならず、私たちに必要なお恵みを全て求めて下さい。聖アルフォンソ・デ・リグォリオは言います、「御聖体拝領の時こそチャンスだ。私たちの求めるお恵みを全て求めなさい。」と、言います。
ファチマの3人の子供たちに天使が現れました。その時も天使はこう言いました、御聖体を持って、もう1つの手でカリスを持って、子供たちの前に現れました。見て下さい、御聖体からは御血がポタリポタリと滴り、カリスの中に落ちているではないですか。すると、ほら、御聖体を宙に置いて、カリスを宙に置いたまま、天使は地に跪いてぬかずいて、御聖体を礼拝します、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ。我は御身を深く礼拝し奉る、その御子イエズス・キリストが、それによって傷付けられている、冒辱、瀆聖、無関心、全ての罪を償う為に、全世界の御聖櫃に於いて在し給うイエズス・キリストの御体、御血、御霊魂、御神性を、御身に捧げ奉る。願わくは、イエズス・キリストの聖心の無限の御功徳によって、聖母マリアの汚れ無き御心の御取り次ぎによって、罪人の回心を願い奉る。」と。
私たちも、イエズス様を礼拝し、愛の言葉の後に、どうぞ私たちの必要なお恵みを求めて下さい。特に、罪人の回心の為に、たくさんのお祈りを捧げて下さい。「イエズス様の無限の御功徳と、マリア様の汚れ無き御心の御取り次ぎによって、罪人の回心を願い奉る。」と。
イエズス様の受ける冒辱や無関心の償いをお捧げいたしましょう。このイエズス様の、この愛の秘跡は、残念ながら多くの人達によって、冷淡と無関心、果てには不当な取り扱いをもって、イエズス様の愛が返されています。
最後に私たちは、今日このミサを、今日この御聖体拝領を、またミサの後の御聖体降福式を、イエズス様を愛する為に、イエズス様の御聖体に対して犯される罪を償う為にもお捧げいたしましょう。
イエズス様がいつも私たちの心に留まって下さいますように、被造物に対する愛着をますます浄める御恵みを求めましょう。マリア様の汚れ無き御心のように、私たちの心も浄めてもらえますようにお願いを致しましょう。マリア様がイエズス様を胎内に宿したように、私たちもマリア様にならって、いつもイエズス様を胸に秘めている事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今回は、2015年6月7日の聖霊降臨後第2主日に東京でした「御聖体の荘厳祭」の説教をご紹介いたします。
特に、私たちの主イエズス・キリストがどれほど私たちを愛するがゆえに、御聖体を制定し、私たちにご自分を与え尽くそうとしたかを黙想しましょう。
私たちの主の狂わんばかりの愛の発明、御聖体の秘蹟をどうぞ愛して下さい。御聖体を礼拝して下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年6月7日 聖霊降臨後第2主日「御聖体の荘厳祭」
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2015年6月7日、聖霊降臨後第2主日、御聖体の祝日の荘厳祭を祝っております。
今日この御ミサの直後に、本来ならば教会の望みに従って、御聖体行列をしたい予定ですが、私たちにはそれなりの術がまだないので、いつものようにミサの直後に、御聖体降福式を行いたいと思っています。本日の御聖体荘厳祭の行列の代わりにしたいと思っています。
今日14時30分頃から、いつものように公教要理と、洗礼を受ける方の準備の公教要理と、16時から聖霊降臨後第2主日の晩課があります。明日も朝7時からミサがあります。
来月の7月のミサですけれども、7月5日は、私たちのいつものミサの予定の日ですが、残念ながら、この午前中のこの会場がどうも塞がってしまっているので、特別に午後にミサをする予定です。来月のミサは特別に、13時からロザリオ、13時30分からミサをします。告解はですね、既に12時から待機して2階でできる予定ですので、お間違えのないようにいらして下さい。来月は御ミサの後に、簡単な休息を挟んで、16時から晩課を行いたいと思っております。
「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私に留まり、
私は彼の内に住む。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は御聖体の祝日の荘厳祭ですので、私たちは御聖体の秘跡の神秘について黙想致しましょう。
一体何で、イエズス様が私たちの為に御聖体を制定して下さったのか。御聖体を制定して下さったイエズス様は、私たちに何を望んでいるのか。ところがその御聖体に対して、私たちはどのような態度を取ってしまっているのかを見て、それから私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
皆さん、ちょっと想像して下さい。今日ご自宅にお帰りになってみると、家に宅急便で夕方、特別のお手紙が届いていた。その手紙の送り主は宮内庁で、菊の紋章が付いていて、天皇陛下が直々に手を取って、達者な筆で、「何とか様宛」と書かれて、「大変お忙しいとは思うけれども、皇居で、皆さんと一緒に是非、私と一緒のテーブルについて、皇室と一緒に、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下と皆さんが一緒に食事をしたいと考えているけれども、何月何日の午前11時からその昼食会を開きたい。是非皆さん来てほしい。どうか用事はあるかと思うけれども、その時間を空けて来てほしい」と、そのような手紙を私たちが頂いたとしたら、何とありがたい、かたじけないお言葉であろうかと思って、その日がいつ来るか、と間違えないようにカレンダーに書いて、予定に書いて、それを指を折って数えて、その日には、決して遅れないように、ソワソワしながら、ウキウキしながら、まだかまだかと思って、「もしもお会いしたら、こういう話をしよう、こんな話をしよう、いや、この話が良いじゃないか。」などと色々考えて、私たちは出掛けるのではないでしょうか。
もしも、天皇陛下がその時に、「ああ、何とかさん、親愛なる何とかさん。実は今回は食べ物を一緒に、この特別の昼食会ではなくて、私はあなたに全てを与えたい。あなたに自分の持てるものを与えたいと思うけれども、どうだろうか。受けてくれるだろうか。」と、仰ったとしたら、「天皇陛下、何を仰っておられるのですか。とんでもない、もったいないお言葉です。」と、申し上げるのではないでしょうか。
ところで、このような話はおそらく私たちには起こりません。が、もっとすごい事が起こりました。この全宇宙を創った天主イエズス・キリストが、この太陽、星々、銀河、月、天の川、青い透き通るような大空と、透き通るような海、その海に棲む全ての魚と、森に棲む多くの動物と鳥たち、きれいな花々、高い雪山と、多くの森、金銀宝石、石油、大地全てを創った、私たちを創って下さった創造主の天主、その御一人子が、特に私たちの為に、私たちをただ、この畑で採れた野菜と、お米と、動物の肉で私たちを養いたい。さあ、この私と同じテーブルから食卓から一緒にご飯を食べよう。と、言うのみならず、天主御子が、私たちに御自分御自身を、御自分の持てる全てのものを私たちに与えよう、としておられます。
私たちはそれを毎月、ここでミサの時に、御聖体拝領として受けております。今日、御聖体に於いて、天地の創造主を、私たちは受けようとしているのです。
実は、今日イエズス様から特別のラブレターを頂いて、「さあ、私はあなたに、私自身を、私のもの全てを、食べ物として与えたい。受けて欲しい。」と。そう今日はお招きの言葉を頂いています。
私たちは、その御聖体拝領のその瞬間を、どれほどウキウキしながらワクワクしながらお待ちしなければならないでしょうか。「イエズス様がいらしたら、私たちの胸にいらしたら、何と申し上げようか。」と、考えるのではないでしょうか。
聖人たちは、この御聖体の秘跡をみて、「愛の秘跡だ。天主からの純粋の愛の秘跡だ。私たちの功徳が全くないにもかかわらず、これほどまで愛して、私たちに自分を全て下さる天主の愛の秘跡だ。愛の約束だ、愛の愛だ!」「ただ全体的に私たちを一般的に愛するのではなく、私たち個人個人を個々に愛しておられる、その秘跡だ!」と、仰いました。
イエズス様がこの御聖体を制定したその「時」を見て下さい。人類は、このイエズス様を死に渡そうとした、憎しみの時でした。イエズス様はその時に、この人類に私たちに、御自分を愛によって与えようと思われたのでした。
何故、一体イエズス様は、私たちにそうやって御自分を与えようとしたのでしょうか?
イエズス様は天主であるにもかかわらず、人間となって人となって、私たちの間に共に遂に生活され、福音を述べ、奇跡を行い、遂に御自分の命を十字架の上で与えた、それで満足なさらなかったのです。
何故かというと、それはイエズス様が、私たちといつも一致していたい、一つになりたい、と思ったからです。
愛の効果は、愛する人々を一つにまとめる事です。見て下さい、愛する人々が、いつもお話をしたり、顔を見つめ合ったり、おしゃべりをしたり、いつも時を過ごしていたり。愛する家族もそうです、一緒に旅行したり、一緒にご飯を食べたり。
イエズス様も同じでした。イエズス様は私たちを愛するがあまり、あたかも正気を失ってしまったかのように、狂ってしまったかのように、私たちに全てを与え尽くして、「私たちと一緒になりたい。」と、「共に居たい。」と、思っておられるからです。
ですから、今日読んだ福音の中にもあるのです、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は私に於いて居り、私は彼に於いて在る。」と。
サレジオの聖フランシスコは、「御聖体の制定よりも、より私たちを愛し、私たちに対してより優しい愛はないし、ありえない。」と、言っています。
何故かというと、イエズス様は、私たちに単なる秘跡の恵みを与えよう、と思ったのみならず、私たちに、お恵みの作り主である御自身を与えよう、とされているからです。私たちと一つになろう、とされているからです。
聖ディオニジウスという人はこう言っています、「だから、イエズス様御自身を受ける御聖体拝領は、御聖体の秘跡は、霊魂を聖化する為に、その他のあらゆる霊的な手段に勝って、効果がある。より大きな効果がある。」と、言っています。
聖ヴィンセンシオ・フェレールというドミニコ会の立派な聖人は、「もしも霊魂が御聖体拝領するならば、例えパンと水だけで厳しい断食を一週間するよりも、たった一回の御聖体拝領で、多くの、もっと多くの霊的な利益を得る。」と、言っています。
イエズス様は今日の福音で仰る通りです、「私を食する者は、私によって生きる。」と。
教皇様イノチェンシオ3世は、「イエズス・キリストは、御受難によって私たちを、私たちが犯した罪から解放するけれども、御聖体拝領によって、私たちがこれから犯すかもしれないような罪から解放してくれる。私たちがその罪を犯さないように助けてくれる。」
「私の肉を食べる者は、私によって生きる。」と、イエズス様が仰った通りです。
ギリシャの有名な聖人である聖クリゾストモは、「だから、御聖体拝領は、私たちに天主様の愛の火を燃やしてくれる。御聖体拝領によって、私たちが、悪魔にとっての恐怖の対象となる。」とさえ言っています。
では第2のポイントで、イエズス様が、御聖体を、私たちを愛するがあまり、私たちの聖化の為に、私たちをより良く聖なるものとして、イエズス・キリストによって生きる事ができるように、愛に満ちた御聖体を、愛の秘跡を制定して下さった事が分かりましたが、では、私たちはその愛の秘跡をどのように受けたら良いのでしょうか?
御聖体を拝領しても、聖人となった、と私たちはもしかしたら感じないかもしれません。しかし、聖人たちは御聖体拝領をする事によって、すくすくと、ぐんぐんと聖性において成長していきました。一体どこが違うのでしょうか。御聖体は同じなのに、効果が違います。
それは何故かというと、御聖体を受ける私たちの側が、良く準備が整っていたか、いないか、御聖体を受けて、それをうまく利用したか、しないか、に懸かっています。
では、御聖体拝領からの恵みを受ける為には、どうしたら良いのでしょうか。聖人たちは口をそろえて、「イエズス様が、愛によって私たちの胸に来て下さるのだから、私たちはイエズス様を、愛によってのみ受けなければならない。イエズス様への愛にますます進歩する事を望んで、受けなければならない。」と、言います。
だから私たちが、被造物に対する愛着や、罪に対する愛、愛情があると、イエズス様が入る余地がなくなってしまう。イエズス様の愛が来るのに邪魔になってしまう。だから私たちは、天主様以外の全てのものに対する愛着や愛情を取り除くように準備しなければなりません。私たちの心が、霊魂が、全くイエズス様だけのものになりますように、浄めなければなりません。
第2に、心の準備を、愛によって、被造物からの離脱と、天主様への愛によって準備すると同時に、私たちは、御聖体拝領の後に、感謝をしなければなりません。愛を愛にもって応えなければなりません。愛情をもってイエズス様と親しく語りあわなければなりません。
もしも、天皇陛下の皇居に招かれたならば、天皇陛下の前で、iPodとか携帯とかやって、そっちのけで雑念で、天皇陛下どころではない、となったら一体、天皇陛下も本当は私たちに、「あれの話もしたい、この事を与えたい、こうしたい。」と、思っていても、それもその気もなくなってしまうかもしれません。もしも、イエズス様を私たちの霊魂に受けたならば、イエズス様に愛をもって感謝致しましょう。心から感謝致しましょう。
天主様が、私たちの糧となって下さったそのご謙遜に、私たちもへりくだる事に致しましょう。天主様は、イエズス様は、私たちに愛される為に来られたので、私たちもイエズス様をお愛し申し上げましょう、「イエズス様、御身を愛し奉る。イエズス様、私はイエズス様だけを愛しています。イエズス様だけを、欲し奉る。イエズス様、御身は全て私のものになりました。私に御身は全てを与えて下さいました。だから私も御身に、私を全て与え尽くします。御身を礼拝し、感謝し、御身を信じ、希望し、愛し奉る。」と、心の底から申し上げる事に致しましょう。
私たちはそうやって愛の語らいをするのみならず、私たちに必要なお恵みを全て求めて下さい。聖アルフォンソ・デ・リグォリオは言います、「御聖体拝領の時こそチャンスだ。私たちの求めるお恵みを全て求めなさい。」と、言います。
ファチマの3人の子供たちに天使が現れました。その時も天使はこう言いました、御聖体を持って、もう1つの手でカリスを持って、子供たちの前に現れました。見て下さい、御聖体からは御血がポタリポタリと滴り、カリスの中に落ちているではないですか。すると、ほら、御聖体を宙に置いて、カリスを宙に置いたまま、天使は地に跪いてぬかずいて、御聖体を礼拝します、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ。我は御身を深く礼拝し奉る、その御子イエズス・キリストが、それによって傷付けられている、冒辱、瀆聖、無関心、全ての罪を償う為に、全世界の御聖櫃に於いて在し給うイエズス・キリストの御体、御血、御霊魂、御神性を、御身に捧げ奉る。願わくは、イエズス・キリストの聖心の無限の御功徳によって、聖母マリアの汚れ無き御心の御取り次ぎによって、罪人の回心を願い奉る。」と。
私たちも、イエズス様を礼拝し、愛の言葉の後に、どうぞ私たちの必要なお恵みを求めて下さい。特に、罪人の回心の為に、たくさんのお祈りを捧げて下さい。「イエズス様の無限の御功徳と、マリア様の汚れ無き御心の御取り次ぎによって、罪人の回心を願い奉る。」と。
イエズス様の受ける冒辱や無関心の償いをお捧げいたしましょう。このイエズス様の、この愛の秘跡は、残念ながら多くの人達によって、冷淡と無関心、果てには不当な取り扱いをもって、イエズス様の愛が返されています。
最後に私たちは、今日このミサを、今日この御聖体拝領を、またミサの後の御聖体降福式を、イエズス様を愛する為に、イエズス様の御聖体に対して犯される罪を償う為にもお捧げいたしましょう。
イエズス様がいつも私たちの心に留まって下さいますように、被造物に対する愛着をますます浄める御恵みを求めましょう。マリア様の汚れ無き御心のように、私たちの心も浄めてもらえますようにお願いを致しましょう。マリア様がイエズス様を胎内に宿したように、私たちもマリア様にならって、いつもイエズス様を胸に秘めている事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。