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聖ピオ十世教皇「人民の真の友人は、革命家ではなく、革新派でもなく、伝統主義者・聖伝主義者である」

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2021年9月5日(主日)聖霊降臨後第15主日 証聖者聖ピオ十世教皇の荘厳ミサ聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)
聖と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、先週の9月3日は聖ピオ十世教皇の祝日でした。聖ピオ十世会の守護の聖人ですので、今日はその荘厳祭を行なっております。今日は聖ピオ十世教皇について黙想致しましょう。
お説教の前に一つだけお知らせがあります。アメリカの日付で9月3日に、ドミニコ・ブルモー神父様がお亡くなりになりました。64歳でした。どうぞこの神父様の為お祈り下さい。
聖ピオ十世教皇様の生涯は、教皇として、聖なる教皇として、カトリック教会の教えを守る為に多くの働きをしました。
その仕事の素晴らしさは多岐に渡っていますが、今日はその一つの部門である「シヨン運動」について、どのような態度を取られたか、という事を一緒に黙想致しましょう。何故かというと、このシヨン運動と同じ考え方が今、世界中で流行っているからです。ですからそれについて、もしも聖ピオ十世教皇様が今生きておられたら何と仰るか、という事を皆さんに是非知ってもらいたいからです。
イエズス様は今日の福音でも仰いました。初代教皇様にこう尋ねます。「ヨハネの子シモン、お前は私を愛するか?」ペトロは答えます。「主よ、そうです。御身は、私が御身を愛しているという事を御存知です。」イエズス様は答えて、「私の小羊を牧せよ」と仰せられます。同じ事を三度されます。
イエズス様がペトロに尋ねたのは、「私を愛しているか?イエズス・キリストを愛しているか?」でした。人類を愛しているか?とか、あるいは自然環境を愛しているか?絶滅危機の種を愛しているか?大地の地球を愛しているか?などではありませんでした。「イエズス・キリスト、人となった天主の御言葉イエズス・キリストを愛しているか?」聖ペトロとその後継者に期待されているのは、たった一つです。「主を愛するか?」
聖ペトロの愛を確認すると主は、こう命じられます、「私の羊を牧せよ。」つまり、「イエズス・キリストに属している霊魂たちに、イエズス・キリストという豊かな食べ物、栄養を、イエズス・キリストの教えを、信仰を与えよ。そして永遠の命の牧場まで導け」という事でした。
その聖ペトロの後継者である聖ピオ十世教皇様も、まさにこの事を実行しました。主を愛して、そして主の小羊たちを、そして羊たち牧しました。どのように牧したかというと、つまりイエズス・キリストの純粋な教えと、信仰と、その規律、道徳、そのイエズス・キリストの御体全てを変える事なく、混じりけのない純粋なものを、イエズス・キリストの羊たちに、つまりカトリック世界に与えた、という事です。
では、シヨン運動というのは何かというと、これはフランス人のマルク・サンニエというカトリックが、最初は善意から社会運動を起こしました。「シヨンsillon」というのは「畝(うね)」という意味です。
しかしフランス革命の影響を受けて、「人間の尊厳」というものを間違って理解して始めてしまいました。その為に、「全て人間の尊厳に基づいて、人間は全ての権威から解放されなければならない。政治的な権威から解放されなければならない。自由でなければならない。その自由は更に、経済的にも労働者は解放されて、自由でなければならない。そして仕事を経済を支配しなければならない。そのようにして、これこそが民主的な世界を作らなければならない」と主張した人でした。
更にこの彼の主張は発展しました。「だから全ての階級を全く打ち崩すべきだ、従順というものは悪である」とさえ言いました。
また「経済的な支配」というものも否定しました。「人々は皆、王であり、ビジネスを所有するものでなければならない。こうしてこそ初めて正義の世界がやって来る。平等の世界こそが正義の世界だ。」
更に彼は話を進めて、「このような世界に到達する為に、宗教の違いは問わずに、どのような人たちもこの世界を、そのような世界を実現する為に一致団結しなければならない。私は教会の為に働くのではなく、人類の為に働くのだ」とさえ言いました。
そこで聖ピオ十世教皇様はストップ!ノー!と言いました。「イエズス様から預けられた使徒職のその責務によって、私は本当の純粋な教えを伝える義務がある。毒を指摘する義務がある。彼らは、カトリックの教えを全く知らない。言葉遣いはカトリックのようだけれども、しかしそれは曖昧で、カトリックの教えから離れている。」
過去の歴代の教皇様の、特にレオ十三世の教えを引用しながら、「人間の本当の尊厳というのは、自由にあるのではなくて、天主の子供となる事にある。天主によって罪を赦される事にある。また全ての権威というのは、天主から由来するのであって、人民から由来するのではない。」
「私たちの目上に立つ者、権威のある人たちは、天主から権威を授かっているのであって、彼らに対する従順というのは、天主に対する従順である。また本当の自由というのは、罪や悪からの自由である。」
「天主はその御望みによって、私たちが互いに助け合う事を望まれた。だから自然と社会は、能力のある人や能力のない人、色々な区別や階級のようなものがある。これは自然な事であって、天主が望まれた事である。だから私たちは互いに愛し合わなければならない、助け合わなければならない。それを望まれた。だから、これを真っ平らにする事は、却って混乱と無秩序を起こす元だ。」
「本当の愛というのは、本当の兄弟愛というのは、天主の愛に基づかなければならない。イエズス・キリストに対する愛がまさにそれだ。そうする事によって隣人になされた事は、イエズスになされた事となる。もしも本当に人類の一致と平和を求めているならば、真理と真の愛に基づかなければそれはできない。現世的な利益や利害によっては、人間の邪悪な心に打ち勝つ事はできない。シヨン運動のやっている事は、邪悪や暴力を合法的に行なおうとする悪しき人々の利益になるのであって、弱い人たちは犠牲者となる。」
「キリスト教国家を作り上げる為に、教会は何百万という殉教者を出し、苦難を経てきた。教会の教父の光、教会博士たちの光が必要だった、知恵が必要だった。愛徳の英雄たちの献身が必要だった。天から生まれた強固な教会の位階秩序が必要だった。また天主の聖寵の大河が必要だった。またイエズス・キリストの命と精神によって立てられて、固められて、染み渡った聖人たちの努力が必要だった。もしもそのようなものがないのであるならば、真の宗教がないのであるならば、いかなる道徳文明も存在し得ない。道徳的な文明がなければ、いかなる真の文明も存在しない。だからシヨン運動のやっているものは、人類にとっての悲惨な結末を送る。」
そして最後に教皇様は、自分の教皇職のモットーを引用します。「キリストにおいて、全てを立て直す事、これの他には何もない。人民の真の友人は、革命家ではなく、革新派でもなく、伝統主義者・聖伝主義者である。イエズス・キリストの教えをそのまま、その聖伝の教えをそのまま保つ者である」と言って、このシヨンへの運動を断罪します。「これは間違っている」と教えました。
まさに21世紀にまで輝く、真理の教えの光でした。聖ピオ十世教皇様は、過去2000年間の教えをそのまま変える事なく伝えて、私たちに教えています。シヨン運動の主張を聞くと、第二バチカン公会議の影を見ます。その先駆者である、という事を感じます。
願わくは教皇様の、この聖ピオ十世教皇様の声が世界中に響きますように、聖ピオ十世教皇様は決して、「聖伝主義者は頑なであって、おかしい」などとは言いません。聖伝主義者こそ人類の本当の善を尽くす為の友である、と言います。
そしてマリア様に是非、私たちには相応しくはないのですけれども、この聖ピオ十世教皇の教えを鳴り響かせる教皇様が私たちに与えられますように。
純粋なカトリックの教え、純粋な食べ物、教理、信仰を私たちに響かせて、そして「人民の本当の友は、伝統主義者だ」と仰って下さる、聖ピオ十世の言葉を繰り返して下さる教皇様が私たちに与えられますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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