2021年9月10日(金)日本二百五福殉教者のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は、日本では聖伝の典礼暦によると、日本二百五殉教福者の祝日を祝っています。これは福者ピオ九世が1867年5月7日に列福をした殉教者たちで、1617年から37年の20年の間殉教した方々、聖なる尊い殉教者たちの祝日です。
二百五の福者たちの生涯は非常に教訓に満ちていますが、今日は一人だけ、1622年9月10日の今日亡くなった殉教した、カルロ・スピノラ殉教者の話を黙想致しましょう。
このカルロ・スピノラはイタリアのジェノバの高貴な家に生まれました。親戚には枢機卿とか立派な高貴な、あるいは高い地位の方が多くいたり、もちろんそのままイタリアにいても何の苦労もなく生きる事ができた方でした。
イエズス会に入り、そして優秀な成績を収めて、特に数学と天文学に抜き出ていて、司祭に叙階された時、1597年日本に行く事を希望しました。
その日本に行くのは非常に複雑で、何度も何度も失敗しました。船が遭難したり、あるいはブラジルの方に行き着きそうになったり、ある時にはイギリスの海賊に捕らえられて、イギリスまで行ってしまって、ようやくリスボンにまた戻って来たり、そして遂に、試練の果てに、1602年、ようやく日本に辿り着きました。
そして日本語の勉強をして、日本にいる霊魂たちに、イエズス・キリストの超自然の命を、福音を、永遠の命について、イエズス・キリストの愛について宣教しようと、昼夜働かれました。イエズス会の司祭として働かれました。しかし、迫害が厳しくなると、姿を隠して行動しなければならず、夜動かれたとの事です。非常に厳しい、辛い生活をなさったに違いありません。
18年間の献身・愛徳・努力と、そして全ての奉仕のお礼として、牢獄に捕まりました。そして食べ物もろくに与えられずに、厳しい粗末なものを与えられて、牢獄で18ヶ月過ごす事になります。その時に書かれた手紙が私たちのところにまだ残っています。自分の指導司祭あるいは長上にレポートしたものです。
「神父様、私は今牢獄にいます。そして断食と苦業の生活をしていますが、断食をすればするほど、苦しみがあればあるほど、私の喜びは溢れんばかりです。私の心はあまりにも小さくて、喜びが入りきらず、はち切れんばかりです」と、その迫害を受けた時の喜びについて語って、それを残しています。
ほとんど無かった食べ物ですけれども、監獄を管理している警備員に食べ物をあげて、大目に見てもらい、目をつぶってもらい、彼の手紙の中の記録によれば、「こうする事によって、私は密かにミサの道具を手に入れる事ができて、天使のパンを捧げる事ができている。これが非常に大きな慰めだ」と書き残しています。
結局、最後には牢屋から出されて長崎に連れられて、そしてトロリとする長い火によって焼き焦がされて、殉教します。一時間半の後、9月10日の今日、1622年、長崎で殉教しました。
最後に、聖カルロ・スピノラは、断食と苦業で痩せ細った肉体の力を振り絞って言った事が、「全ての民よ、天主を讃美せよ!」(詩編117:1)という詩編を唱えて亡くなった、という事です。
同じく殉教した者の中には、日本で最初に叙階されたセバスチャン木村神父様もおられます。
このような立派な信仰の模範、愛徳の模範を目の前にして、私たちも是非それに倣う事ができますように、お祈り致しましょう。
日本の聖なる尊き殉教者、我らの為に祈り給え。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は、日本では聖伝の典礼暦によると、日本二百五殉教福者の祝日を祝っています。これは福者ピオ九世が1867年5月7日に列福をした殉教者たちで、1617年から37年の20年の間殉教した方々、聖なる尊い殉教者たちの祝日です。
二百五の福者たちの生涯は非常に教訓に満ちていますが、今日は一人だけ、1622年9月10日の今日亡くなった殉教した、カルロ・スピノラ殉教者の話を黙想致しましょう。
このカルロ・スピノラはイタリアのジェノバの高貴な家に生まれました。親戚には枢機卿とか立派な高貴な、あるいは高い地位の方が多くいたり、もちろんそのままイタリアにいても何の苦労もなく生きる事ができた方でした。
イエズス会に入り、そして優秀な成績を収めて、特に数学と天文学に抜き出ていて、司祭に叙階された時、1597年日本に行く事を希望しました。
その日本に行くのは非常に複雑で、何度も何度も失敗しました。船が遭難したり、あるいはブラジルの方に行き着きそうになったり、ある時にはイギリスの海賊に捕らえられて、イギリスまで行ってしまって、ようやくリスボンにまた戻って来たり、そして遂に、試練の果てに、1602年、ようやく日本に辿り着きました。
そして日本語の勉強をして、日本にいる霊魂たちに、イエズス・キリストの超自然の命を、福音を、永遠の命について、イエズス・キリストの愛について宣教しようと、昼夜働かれました。イエズス会の司祭として働かれました。しかし、迫害が厳しくなると、姿を隠して行動しなければならず、夜動かれたとの事です。非常に厳しい、辛い生活をなさったに違いありません。
18年間の献身・愛徳・努力と、そして全ての奉仕のお礼として、牢獄に捕まりました。そして食べ物もろくに与えられずに、厳しい粗末なものを与えられて、牢獄で18ヶ月過ごす事になります。その時に書かれた手紙が私たちのところにまだ残っています。自分の指導司祭あるいは長上にレポートしたものです。
「神父様、私は今牢獄にいます。そして断食と苦業の生活をしていますが、断食をすればするほど、苦しみがあればあるほど、私の喜びは溢れんばかりです。私の心はあまりにも小さくて、喜びが入りきらず、はち切れんばかりです」と、その迫害を受けた時の喜びについて語って、それを残しています。
ほとんど無かった食べ物ですけれども、監獄を管理している警備員に食べ物をあげて、大目に見てもらい、目をつぶってもらい、彼の手紙の中の記録によれば、「こうする事によって、私は密かにミサの道具を手に入れる事ができて、天使のパンを捧げる事ができている。これが非常に大きな慰めだ」と書き残しています。
結局、最後には牢屋から出されて長崎に連れられて、そしてトロリとする長い火によって焼き焦がされて、殉教します。一時間半の後、9月10日の今日、1622年、長崎で殉教しました。
最後に、聖カルロ・スピノラは、断食と苦業で痩せ細った肉体の力を振り絞って言った事が、「全ての民よ、天主を讃美せよ!」(詩編117:1)という詩編を唱えて亡くなった、という事です。
同じく殉教した者の中には、日本で最初に叙階されたセバスチャン木村神父様もおられます。
このような立派な信仰の模範、愛徳の模範を目の前にして、私たちも是非それに倣う事ができますように、お祈り致しましょう。
日本の聖なる尊き殉教者、我らの為に祈り給え。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。