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人々が、イエズス・キリストのご生涯、ご受難と、栄光について黙想しながら天使祝詞を唱えるなら、もっとすばらしいことであり、聖母のさらなる喜びとなる

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ロザリオの諸玄義の黙想についての説教

2021年10月17日 ドモルネ神父

はじめに

先週の主日には、ロザリオが、昔は、「イエズスと童貞聖マリアの詩篇」と呼ばれていたことを、皆さんに思い起こしていただきました。ロザリオは、本質的に、百五十篇の詩篇にならって、百五十回の「めでたし」を唱えることから成り立っています。しかし、ロザリオは、これらの「めでたし」を唱えるだけではありません。それと同時に、私たちの主イエズスのご生涯、ご受難と、栄光を黙想することが欠かせません。聖ドミニコの後継者の一人であり、ロザリオの偉大な推進者であった、福者アラン・ド・ラ・ロシュに、聖母が語られたことを、ご紹介します。「人々が百五十回の天使祝詞を唱えるとき、その祈りは、彼らにとっての大きな助けとなり、また、私に対する最も喜ばしい賛辞でもあります。しかし、人々が、イエズス・キリストのご生涯、ご受難と、栄光について黙想しながらこれらの天使祝詞を唱えるなら、それはもっとすばらしいことであり、また、私のさらなる喜びとなるでしょう。この黙想こそが、これらの祈りの魂なのですから」。そこで今日は、ロザリオの諸玄義の黙想について、少しお話ししようと思います。

1.私たちの主イエズスのご生涯、ご受難と、栄光を黙想すること

第一に、イエズス・キリストのご生涯、ご受難と、栄光を黙想するとは、どういう意味でしょうか。それが意味するのは、イエズスがなさったことやおっしゃったことについて考え、思いを巡らし、そして、イエズスの教えを理解すること、次に、この教えに従って生きたいという願いを自分自身の中で燃え立たせること、そして最後に、日々の生活の中で、聖徳を実践し、罪を避けるための具体的な決心を立てることです。

私たちはなぜ、イエズスのご生涯、ご受難と、栄光を黙想する必要があるのでしょうか? 第一に、私たちが聖人になるためには、それが必要だからです。すべての聖性の手本は、私たちの主イエズス・キリストです。ですから、聖人になるということは、イエズスの教えと模範に従って生きることによって、自分自身の中にイエズスの似姿を再現させるということです。しかし、画家が、自分の描いている肖像画の対象の人物をたびたび見る必要があるように、私たちも、イエズスの似姿を私たちの中に再現させるためには、イエズスがなさったことやおっしゃったことを、たびたび考える必要があります。

第二に、私たちは、イエズスとマリアのご生涯、ご受難と、栄光について黙想し、お二人をたたえ、お二人が私たちのためにしてくださったすべてのことに、感謝する必要があります。お二人は、私たちを地獄から救い、私たちのために天国を開き、私たちに成聖の恩寵を与え、私たちが天国に達するために必要なすべての助けを与えてくださいます。そして、お二人がこれらの恩恵を私たちのために獲得してくださったのは、極めて耐え難いお苦しみを通してでした。これほど素晴らしい恩恵へのお礼として、私たちは最低限、毎日、私たちの主イエズスと聖母をたたえ、感謝しなくてはなりません。

2.ロザリオの十五玄義

聖ドミニコは、ロザリオの百五十回の「めでたし」を、十五連に分けました。聖ドミニコは、私たちの主イエズスと聖母のご生涯、ご受難と、栄光の十五の出来事の黙想を、そこに加えました。私たちは、これらの出来事を「玄義」、ロザリオの十五玄義と呼んでいます。なぜこれが「玄義」という名前なのでしょうか? 聖ルイ=マリー・ド・モンフォールの言葉を聞きましょう。「玄義とは、理解するのが難しい、聖なるもののことです。私たちの主イエズス・キリストのみわざは、すべて聖であって、天主としてのものですが、それは、主が、天主であると同時に、人間でもあるからです。聖母のみわざは極めて聖なるものですが、それは、聖母が、天主の被造物の中で最も完璧な存在であるからです。イエズスとマリアのみわざを理解するのが難しいのは、そこには、私たちの自然な理解力を超えた意味や、完全さや、力があるからです。聖霊は、これらの玄義を敬う、謙虚で素朴な霊魂たちに、その意味と豊かさを明らかにしてくださいます」。私たちは、ロザリオの「めでたし」の祈りを、執拗に、熱心に繰り返すことによって、これらの玄義をよりよく理解し、そこに含まれる恩寵を得られるように、聖霊からの光を与えてくださるよう、童貞聖マリアにお願いしているのです。

聖ドミニコが、ロザリオを、五つの喜びの玄義、五つの苦しみの玄義、五つの栄えの玄義に分けたのは、なぜでしょうか? それは、私たちがカトリック信仰の本質を黙想できるようにするためです。この三部において、私たちはイエズスとマリアのご生涯の三つの主要な部分、すなわち、地上でのご生涯、ご受難、永遠の栄光について、黙想します。私たちは、カトリック信仰の三つの基本的な玄義、すなわち、ご托身の玄義、贖いの玄義、三位一体の玄義について、黙想します。私たちは、私たちの存在の三つの本質的な理由、すなわち、天主の子となるべき私たちの召命、苦しみを通した私たちの贖い、三位一体の命にあずかる私たちの永遠の幸福について、黙想します。また、このロザリオの十五玄義を通して、私たちが聖人になるために実践する必要のあるすべての聖徳を教えられます。

2002年に、教皇ヨハネ・パウロ二世は、光の玄義と呼ばれる五つの新しい玄義を制定しました。それについては、どう考えればよいでしょうか? この質問には、次の主日にお答えしましょう。

結論

私たちがロザリオを祈るときには、十五玄義を黙想することが欠かせません。そうでなければ、私たちのロザリオは、霊魂のない肉体のようになってしまいます。では、締めくくりに、教会が「聖なるロザリオの聖母」のミサの集祷文において語っていることを、思い起こしていただきたいと思います。それは、聖なるロザリオを唱える際に諸玄義が果たす本質的な役割を、見事に表現しています。

「ああ天主よ、御身の御独り子は、そのご生涯とご死去とご復活とによりて、われらのために、永遠の救霊の功徳を備え給えり。願わくは、童貞聖マリアの、いと尊きロザリオにより、この玄義を黙想し奉るわれらをしてこれにあやからしめ、かつ、この諸玄義の恵みの効果をこうむらしめ給え。その同じわれらの主イエズス・キリスト、天主として、聖霊との一致において、御身と共に世々に生き、かつ治め給う御子によりて。アーメン」。


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