2022年2月12日(土)証聖者童貞聖マリアの僕の会の七創立者
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は七人の創立者のミサを行なっています。聖母のしもべたちの修道会の創立者たちの生涯を黙想致しましょう。そして遷善の決心を立てる事に致しましょう。
13世紀のイタリア、特にフィレンツェでは、互いに家族同士がいがみ合ったり、嫉妬したり、妬んだりしていました。残念な事にカトリックの信仰を生きていませんでした。その中で、境遇も、そして生まれも違っていた七人が、その高貴な貴族の生まれにも関わらず、その莫大な財産にも関わらず、「聖母に祈りをして、より完全な生涯を人生を送る」という事で、心を一つにしていました。
そしてこの七人は、家族はもちろん違ったのですけれども、「全てを捨てて、兄弟のように生きよう」と生活を始めました。これが、今日祝う七人の創立者の始まりです。1233年の事でした。マリア様からの特別な御恵みで、この兄弟の生活が始まりました。
考えてもみて下さい。トヨタの御曹司が、あるいはどこかの財閥のエリートの長男が、あるいは日本の指折りの政治家の家系の青年たちが、将来と、持っている東京の御殿などを全て捨てて、兄弟のように貧しく生活しようとした、そのような感じです。
ある日この七人は、生活をする為に一軒一軒物乞いをしなければなりませんでしたが、その時に子供たちが、物乞いをした、おもらいをするこの貴族、この聖なる人々を見て、「あぁ、マリア様のしもべだ!」「マリア様のしもべだ!」と叫んだ、そこから、この修道会の名前が今でも、そのように残りました。
この修道士たちは一体、何か特別な事をしたのでしょうか?
特別な事というのは、イエズス様の御受難を黙想して、それに倣おうとした事でした。特に、マリア様の七つの御悲しみを黙想する事を非常に大切にしていました。十字架の苦しみ、マリア様の御悲しみを黙想する事によって、イエズス様とマリア様をお慰めして、そして罪人の回心の為に罪の償いをする、という生活でした。
もちろん多くの弟子たちも来るのですけれども、彼らはセナリオ山という所に隠遁修道生活をして、最後には晩年にはそこで葬られました。
葬られた後に、後世の人がその七人の骨を探したところ、その骨さえも一つのようになっていて、どれがどの聖人のものなのか見分けがつかないほどだったそうです。この七人は一人であるかのように、一つの家族として、愛徳の生活を行なっていました。イエズス様の兄弟、マリア様の子供として生活していました。
この七人は、私たちの人生で一番大切なものは何か?という宝石を発見して、その為に全てを売って、それを手に入れようとした人々でした。世界中にそのような人々がたくさんいましたけれども、その内の一つの例です。
今日、私たちは一体何をこの遷善の決心で立てるべきでしょうか?
私たちにとっても、この世で一番大切なのは一体何か?という事を、この聖人たちが教えてくれている、という事です。たとえ私たちの全てを、この地上の全てを失ったとしても、それにも勝る宝がある、そして「私たちにとって一番素晴らしい時間の使い方は、イエズス様の御受難に与る事だ、マリア様の御悲しみに心を添える事だ」という事です。
それを考えると「ミサに与る」という事がどれほど素晴らしい事かよく分かります。何故ならミサ聖祭こそイエズス・キリストの十字架の再現だからです。このミサにおいて私たちは、イエズス様の御受難と、マリア様の御悲しみに、最もよく与る事ができるからです。
では、今日はこの七人の創立者の取り次ぎを願って、ますます私たちも心を地上のものから離して、イエズス様とマリア様に向かう事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。