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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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祝別されたオリーブ油と、その使い方について

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祝別されたオリーブ油についての説教

ドモルネ神父
はじめに
先週の主日には、準秘跡についてお話ししました。準秘跡とは、この世での霊的な恩恵を得るために、教会が、その祈りを結びつける、行為や物のことです。今日は、特に準秘跡の一つである、祝別されたオリーブ油と、その使い方について、皆さんに注目していただこうと思います。
オリーブ油の祝別
この準秘跡を通して、教会は、病人の癒やしと、悪魔に打ち勝つための力という、二つのことを願い求めます。まず、司祭が、次のように唱えて、油に悪魔払いをします。「敵の力、悪魔の軍団、そしてサタンのすべての攻撃と策略が、この油という被造物から払いのけられ、遠くへ追い払われますように。この油が、それを使うすべての人に、心身の健康をもたらしますように」。そして、司祭は、次のように唱えて、この油を祝別します。「私たちが天主の御名によって祝別するこの油を使う者が、汚れた霊によるあらゆる攻撃から守られ、また、あらゆる苦しみ、あらゆる病苦、そして、敵のあらゆる策略から解放されますように。御子の尊き御血によって贖われた人間が、二度といにしえの蛇の刺に苦しむことのないよう、この油が、あらゆる困難を避ける道具となりますように」。
教会は、この準秘跡のために、オリーブ油を使います。なぜでしょうか? オリーブ油は、教会が求める恩寵を、象徴しているからです。実際、この油は、体の傷を癒やすのに使われます。ですから、この油は、教会が求める、身体的な癒やしや、霊的な癒やしの恩寵を、象徴しているのです。この油は、体の筋肉を柔らかくし、また強くします。ですから、この油は、教会が求める、悪魔との霊的な戦いにおける力の恩寵を、象徴しているのです。
この準秘跡の使い方
この準秘跡は、どのように使えばよいでしょうか? 自分の必要に応じた祈りを唱えながら、額や、体の病んだ部分に、この油を塗ります。たとえば、教会の祈りを使って、こう唱えます。「イエズスの御名によって、あらゆる憂いや病気から、また、悪魔のあらゆる罠や攻撃から、解放されますように。アーメン」。
教会の祈りは効果的で、私たちに、癒やしと力の恩寵を取り成します。しかし、これらの恩寵を受けるには、私たちの側で、それを受けるための心構えが整っていなければなりません。私たちが持つべき、正しい心構えとは、どのようなものでしょうか? 聖霊が、集会の書第38章で言っておられることを、聞いてください。「子よ、病気になっても焦るな、むしろ、主に祈れ、そうすれば癒やしてくださる。罪を避けよ、手を清く保ち、心をあらゆる罪から清めよ。甘い香りと、精製小麦粉を、記念の供え物として捧げ、豊かな供え物をせよ。それから医者にまかせよ、彼も、主につくられたのだから。彼を遠ざけるな、あなたには彼がいる」(集会書38章9節)。
聖霊のこれらの言葉が何を意味しているのか、もう少し詳しく見てみましょう。
癒やしのために祈ること
「子よ、病気になっても焦るな、むしろ、主に祈れ、そうすれば癒やしてくださる」。まず、私たちは天主に祈らなければなりません。なぜでしょうか? なぜなら、天主は、生と死の主でいらっしゃるからです。私たちが、謙虚で、誠実で、熱心な心をもって、天主にお願いすれば、そして、もしそれが、私たちの永遠の救いに役立つならば、天主は、その恩寵を私たちに与えてくださるでしょう。ですから、聖書では、天主は、エゼキヤ王を癒やされ、さらに15年の寿命を与えられたのです(イザヤ38章5節参照)。時には、私たちが、私たちの病気を通して、より高い徳を実践し、それによって、天国でのより大きな栄光を得るようにさせるために、天主が、私たちに癒やしの恩寵を与えられないことがあります。しかし、その場合、天主は、私たちが勇気をもってその病気に耐えるための恩寵を、私たちに与えてくださるのです。
私たちの罪の痛悔
次に、聖霊は、「罪を避けよ、手を清く保ち、心をあらゆる罪から清めよ」と言われます。病気の最初の原因は、私たち自身や他の人々の罪です。原罪の前は、アダムとエワは病気になることはなく、苦しみもありませんでした。福音の中で、イエズスは体の麻痺した人を癒やされ、そして彼に、こう言われました。「どうだ、あなたは治った。さらに悪いことが起こらぬように、もう二度と罪を犯すな」(ヨハネ5章14節)。聖パウロは、大罪の状態でご聖体を受ける人について、次のように言っています。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食することである。そのため、あなたたちの中には、弱い者、病気の者が多く、また、死んだ者も少なくない」(コリント前書11章29-30節)。聖バジリオは、こう言いました。「病気は罪の罰であり、それについては、自分の生活を改める以外に、できることはない」。ですから私たちは、病気になったとき、医者のところへ行く前に、自分の霊魂を清めなければなりません。つまり、自分の良心を調べ、あらゆる罪を心から反省し、二度と罪を犯さないように固く決心し、他人に対して犯した不正を正し、最後に、悔悛の秘跡を受けるのです。
罪の償い
その後、聖霊は、「甘い香りと、精製小麦粉を、記念の供え物として捧げ、豊かな供え物をせよ」と言われます。この言葉の意味するのは、私たちの罪によってお怒りになった天主に対して、償いを捧げなければならないということです。それはどんな償いでしょうか? 私たちは、祈りと犠牲と善い行いによって、そしてとりわけ、ミサのいけにえを捧げることによって、自分の罪を償うのです。このいけにえこそが、あらゆる罪を完全に償い、あらゆる恩寵を得ることのできる唯一のいけにえなのです。
医者または司祭のところへ行くこと
最後に、聖霊は、「それから医者にまかせよ、彼も、主につくられたのだから。彼を遠ざけるな、あなたには彼がいる」と言われます。天主は、奇跡によって、病人を即座に癒やすことが、おできになります。しかし、通常、そうはなさいません。天主は、人が兄弟愛をもって、互いに助け合うことを望まれます。ですから、天主は、ある人々には身体を癒やす医者になるように、ある男性たちには霊魂を癒やす司祭になるように、望まれるのです。
結論
そこで、まとめると、教会は、祝別された油を通して、私たちが自分の罪を後悔して、自分の罪の償いをするだけ、私たちに、力と癒やしの恩寵を取り成してくださるのです。1858年のルルドのご出現の物語の中に、この現実がよく示されています。ルルドには、清らかな水の泉があり、聖母が、この水によって、多くの奇跡的な癒やしを与えてこられたことは、皆さんご存じでしょう。しかし、最初に起きたことを思い出してください。当初、この泉は、少しばかりの濁った水でしかありませんでした。2月24日の水曜日、聖母は、痛悔と償いを呼びかけられました。「償い! 償い! 償い! 罪人のために、天主に祈りなさい!」。そして翌日以降、聖母は、聖ベルナデッタに、償いのわざを求められました。それは、この気持ちの悪い泥水を飲み、雑草を食べ、地面に接吻し、ひざまずいたまま移動することでした。泥水は、やがて少しずつ、清らかな水の出る豊富な水源となりました。そして、翌週の月曜日に、最初の病人が、この水によって、奇跡的に癒やされたのです。それと同じように、病人は、癒やしの恩寵を得る前に、痛悔と償いによって、自分の霊魂を清めなければならないのです。
病人の快復なる聖母が、私たちに、霊魂と体の健康を与えてくださいますように。



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