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聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ シュテーリン神父説教 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 2015年8月16日(聖霊降臨後第12主日)に大阪での歌ミサの中でシュテーリン神父様がなさった御説教をご紹介いたします。

 ところで、2015年の残りの聖伝のミサの予定は次の通りです。

9月13日(主)大阪 午後06時30分 聖霊降臨後第16主日
9月14日(月)大阪 午前09時30分 

 10月の予定は、次の通りです。大阪の初土曜日のミサは10月以降次のように時間が変更になりました:午前11時 => 10時半開始 よろしくお願いいたします。

10月02日(金)大阪 午後05時30分 初金のミサ
10月03日(土)大阪 午前10時30分 初土のミサ
10月04日(主)東京 午前10時30分 聖霊降臨後第19主日
10月05日(月)東京 午前06時15分【!】

10月25日(主)大阪 午後06時30分 王たるキリストの祝日
10月26日(月)大阪 午前09時30分 


 11月の予定は、次の通りです。(11月については変更がありません。)

11月06日(金)大阪 午後05時30分 初金のミサ
11月07日(土)大阪 午前10時30分 初土のミサ
11月08日(主)東京 午前10時30分 聖霊降臨後第24主日
11月09日(月)東京 午前07時00分 

11月15日(主)大阪 午後06時30分 聖霊降臨後第25主日
11月16日(月)大阪 午前09時30分 

 12月の予定は、次の通りです。

12月04日(金)大阪 午後05時30分 初金のミサ
12月05日(土)大阪 午前10時30分 初土のミサ
12月06日(主)東京 午前10時30分 待降節第2主日のミサ
12月07日(月)東京 午前07時00分 

12月13日(主)大阪 午後06時30分 待降節第3主日のミサ
12月14日(月)大阪 午前09時30分 

12月24日(木)大阪 午後06時30分 ミサ聖祭 御降誕祭の前日
12月25日(金)大阪 午前00時   クリスマスの真夜中のミサ、
          午前09時   クリスマスの暁のミサ
          午前10時30分 クリスマスの日中のミサ
12月26日(土)大阪 午前10時30分 最初の殉教者聖ステファノのミサ
12月27日(主)東京 午前10時30分 クリスマスの八日間内の主日のミサ

 来年1月の予定は、次の通りです。

12月31日( 木 )大阪 午後06時30分 聖シルベステルのミサ
01月01日(初金)大阪 午前10時30分 新年の初金のミサ
01月02日(初土)大阪 午前10時30分 新年の初土のミサ
01月03日(主日)東京 午前10時30分 イエズスの聖名の祝日
01月04日( 月 )東京 午前07時00分 

 来年の聖週間は、出来れば、聖ピオ十世会日本では、初めてのことですが、日本で聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、復活祭を執行したいと思っています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2015年8月16日 聖霊降臨後第12主日
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父





 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 親愛なる兄弟の皆さん、今日は、非常に有名な、素晴らしい善きサマリア人の話を福音で読みました。黙想会の間、天主様の信じられないほどの素晴らしい、憐れみの神秘を黙想しました。イエズス・キリストこそが、善きサマリア人で、私たちは、半死半生の傷を受けた旅人です。イエズス・キリストだけが、私たちを癒し、私たちに世話をしてくれる事ができます。イエズス様のその行為が、非常に目を見張るものである事は、イエズス様が単に、怪我をしたその私たち、傷を負った私たちを治すだけでなく、日に夜に、私たちの世話をして、そして私たちの生活の細かい所まで、詳細に世話を、それに関心をもって、それに注意を払って下さる事です。

 イエズス様は、私たち半死半生の人を癒す為に、告解の秘跡を定めて下さいました。そしてそれによって、私たちを一人ぼっちにして置き去りにせずに、私たちに誰か、私たちを世話する誰かを委ねて、そして私たちの病が、私たちの傷が、きれいに治るまで世話をさせようと思われました。

 告解のみならず、この例え話は、私たちに関する別の観点も、別の側面も意味しています。このイエズス様の例え話は、ある特定の質問に対する、特定の答えである、という事を忘れないで下さい。その特定の質問とは何かというと、「私が永遠の命に至る為には、何をしなければならないのでしょうか? 何をしたら良いのでしょうか?」です。イエズス様のお答えは、有名な、「天主を、心を尽くし、力を尽くし、全てを尽くして愛せ。そして、隣人を我が身の如く愛せ。」です。

 「では、私の隣人とは誰ですか?」これが第2の質問です。「私の隣人を愛する為には、何をすれば良いのでしょうか? 隣人を愛するとは、どんな意味があるのでしょうか? 」そこで、イエズス様はこの例えを話します。イエズス様は、まず最初に、私たちが普通どんな行動をとるのか、という事を見せます。もしも私たちが隣人を見ると、普通どんな事を考えるでしょうか? 私たちは彼らに対して何をするでしょうか?

 皆さん、考えた事がありますか? 私たちの出会う99%の人が、この福音の例えに出るような半死半生の人である、という事を。この部屋を出ると、この御聖堂を出ると、皆さん多くの人々に出会う事でしょう。この出会う、見る人々は、体としては、走ったり、元気であるかもしれません、美しいかもしれません。そしてもしかしたら、服装を見ると、半分裸のようであるかもしれません、現代では。しかし、外見はそうでも、その心は、霊魂は、半死半生です。その霊魂の敵によって、彼らはもう身ぐるみを剥ぎ取られ、そして傷付けられ、暴力を受けて、もう息絶え絶えなのです。

 では、一体どんなものが霊魂を傷付け、破壊し、半死半生にするのでしょうか? それは、不潔、或いは罪、或いは物質主義などです。

 では皆さん、それなら彼らの為に働いて下さい。どうやって、私たちはどんな態度を取るでしょうか? 私たちは彼らを見て、そのまま何もせずに、横を過ぎ去ってしまいます。私たちはほぼ絶対的に、この私たちの見かける人たちの救霊、或いは霊魂、その彼らの永遠の救いについて全く関心がありません、「あぁ、この道にいる男の子や女の子たちと私に、一体何の関わりがあるでしょうか? 全く関係ない。」イエズス様は、「もしもそういう態度であるならば、あなたは救霊する事ができない。」イエズス様は模範を示して、「隣人愛とは、善きサマリア人である事だ。」と。





 まず、サマリア人は、この半死半生の人を見ます。第2に、「この人は助けが必要である。」と認識します。この福音に書かれている事をよくお読みになって下さい。この半死半生の人は、「助けてー!」とは言っていません。この半死半生の怪我を負った犠牲者は、自分が傷を受けてしまっているので、あまりに弱く、助けを呼ぶ事さえもできず、自分がどうして良いかも分かりません。この世のほとんどの人々は、自分たちが霊的に半分死にかけている、という事さえも気が付いていませんし、知りません。ですから、助けを呼び求める事さえもしていません。

 そこでサマリア人は、この人の前に立ち止まります。イエズス様はそこで、憐れみに心を打たれて、憐れみに心を打たれて。

 皆さんこの外に出て、そして新聞を読んで、テレビでニュースを見て、何を思うでしょうか? 大体怒ります。「こいつら悪い奴だ。」と、思います。この世の腐敗や、この世の嘘や、この世の欺瞞、偽りに、義憤を起こします。そしてそのような人がいたら、皆さんは、「悪い奴だ。」と、悪口を言います。或いはこのような悪い人が、皆さんの事を特に侮辱して、そして皆さんに害を与えようとする人がいたとすると、例えばそのような人は、皆さんの仕事を奪ったり、皆さんの地位を奪ったりする人もいます。皆さんの悪口を言ったり、全く嘘をついてこけ落とそうとしたり、皆さんの根も葉もないような讒言をします。そのような時は非常に辛い思いもします。そのような時に、私たちの態度はサマリア人と反対ではないでしょうか?

 サマリア人は、憐れみに心を動かされています。もしも皆さんが、他の隣人たちから害を受けたり、邪魔されたりすると、憐れみの心を持つのは非常に難しくなります。私たちに害を与える人たちを許すのは、本当に難しい事です。イエズス様は私たちに、そのような時に、彼らを半死半生の者だとして、憐れみを持つ事を教えています。ちょうどそれは、お医者さんが病気の人を診ると同じ態度の憐れみです。





 司祭はよく皆さんの話を聞きます。例えば、夫婦の間でケンカが起こって、どっちが悪い、どっちがこうだ、と言う話を時々聞きます。時々、「あぁ神父様、私の夫は本当に天主様の掟を守りませんし、こんな悪い事をしますし、こんな事も言いますし、うんぬん。」と、言います。「はい、奥さん。奥さんの仰る事は本当に正しい。それは正しい、正しいのです。」そして、腹を立てて、本当にあの恨んで辛んで、悪い態度を取ります。しかし、もしもイエズス様のように、この夫を、「肉体的には健康ですが、霊魂的には病を負った、かわいそうな男だ。」と考えてみたらどうでしょう? 「半死半生でもう死にかかっていて、助けを必要としている人だ。」と。そうしたら皆さんは、憐れみに心を打たれる事でしょう。

 サマリア人を見て下さい。半死半生の人を見て、この人を揺さぶり起こして、「さあ!起きろ!さあ、早く起きて立ちあがれ!」とは言いませんでした。私たちの主の優しさ、サマリア人の優しさを見て下さい。サマリア人は、この半死半生の男に、尊敬をもって取り扱います。そしてこのサマリア人は、この怪我を受けた死にかかっている男に、オリーブオイルを付けて、そしてワインを付けて、そして丁寧に優しく看病します。このサマリア人は、彼を宿屋に連れて行って、そして寝ないで一晩中この床の横に付いて、頭を冷やし、そして様子を見て、「何か必要な事がないか。」と、看病します。

 この怪我をしている人は、自分の知らない人です。自分の友達でもありません。しかもこの男は、平和の都市であったエルサレムから、罪の都市であるエリコまで、罪の道を歩んでいた男です。

 もしも皆さんが、この善きサマリア人の愛の行動の一つ一つを詳細にみると、これこそが、愛の、隣人愛である、と分かります。

 そこで、本当に恥ずかしい事ですけれども、私たちは自問自答してみなければなりません。本当にイエズス様が私たちに命じたように、隣人を愛してきた事でしょうか?

 残念ながら、そうではありません。もしも私たちがこの御聖堂を出ると、他の人たちを見ますけれども、それはただ何人いるか、でしかありません。

 これは象徴です。イエズス様がこの善きサマリア人の、肉体にする事を、本当にイエズス様は、私たちの霊魂にして下さっています。もしもイエズス様がその模範を下さるならば、私たちも皆、善きサマリア人たちにならなければなりません。私たちも、周りの人々の、隣人たちの霊魂の世話をしなければなりません。

 これはどんな意味があるのでしょうか? まず、目を開けてみると、「隣人たちがいる」ということに気が付く事です。そして第2に、「この隣人たちが、非常に危険な状態に置かれている」という事を理解する事です。そしてこの御聖堂を出て、通りに出ると、半分裸の様な女性たちが歩いています。どうぞそのような方々に、「慎みのない人々だ。」「もう失われた人々だ。」などと仰らないで下さい。却って善きサマリア人のように、「半分死にかけている霊魂たちだ。」と、思って下さい。そこで憐れみに満ちて近寄って下さい。

 では、「その傷口にオリーブ・オイルを注いで」というのはどういう事でしょうか? 聖ベルナルドは、「サマリア人が付けたこの香油は、これは『祈り』だ。」と、言います。天主様の御恵みだけが、霊魂を癒す事ができます。天主の御恵みは、祈りによって、初めて受ける事ができます。

 どうぞ、文句を言ったり、不平を言ったり、批判するのを止めて下さい。もちろんこの世の中には邪悪があります。皆さんが怒ったり腹を立てたりする度に、皆さんは病気になってしまいますし、年を取ってしまいます。もしもより少なく怒るならば、より長く生きる事ができるでしょう。そしたら、より少なく頭痛が起こる事でしょう。そして皆さんが怒ったところで、私たちの主に良い事を与える訳でもないし、隣人に良い事を与える訳でもないし、自分自身に良い事が起こる訳でもありません。善きサマリア人が憐れみ深かったように、憐れみ深くあって下さい。この周りにいる人たちの為に、この霊魂たちの為に、射祷をたくさん唱えて下さい。

 この怪我を負った人を運んで、宿屋に運ぶ、というのはどういう事でしょうか? これは、この霊魂たちを、イエズス様の聖心の元に連れて行く、という事です。この半分死にかけている霊魂たちの間で、寝ずに看病する、というのはどういう事でしょうか? 夜眠られないような時には、イエズス様の聖心の前に行ってそして、「これらの霊魂を救って下さい。これらの霊魂を助けて下さい、聖心に引き寄せて下さい。」と、夜お祈りする事です。

 これらの霊魂は、皆さんが犠牲を捧げる時に、皆さんがその犠牲を払った時に、彼らには癒しの恵みが与えられます。

 サマリア人はお忙しい人でした。でも忙しかったにもかかわらず、自分のビジネスの為の時間がなくなったにもかかわらず、サマリア人はその病気の死にかかっている人の為に、時間を使いました。皆さんも、私たちの隣人の為にお祈りをする時間をするべきです。「神父様、時間がありません、本当に忙しいのです。」

 では、私たちの本分上の義務を良く果たす事によって、犠牲としてそれを捧げて下さい。「神父様、私はもう疲れているので、ちょっと映画も見ないといけません。」

 もしも、イエズス様が皆さんに求めている様な隣人愛を実践するならば、私たちの生活は、信じられないようなやり方で変わってしまいます。皆さんは、自分自身の利己主義から抜け出して、いつも自分自身の周りを、自分中心で回っていた世界から抜け出す事になります。そして隣人の必要としているものが何であるか、という事に注意深くなります。皆さんの心は憐れみ深くなります。という事は、愛し始めるようになります。そうしたら皆さんの心は、イエズス様の聖心と似通ったものになります。その時初めて皆さんは、天主様の愛の掟を果たす事ができるようになります。

 では、どうやったら良いのでしょうか? それには一つしか手段がありません。イエズス様の仰ったこういう御言葉の全ての裏側に、後ろに、どなたか一人の方をご覧にならなければなりません。イエズス様が、サマリア人の美しい模範を皆さんに見せる時、もちろん御自身の事を描写しています。その第1の目的は、私たちがそのようなサマリア人でならなければならない事を教える為です。そしてもしもイエズス様が、私たちがこのようなものであってもらいたい、という姿を見せる時に、その姿の後ろにはどなたかいらっしゃいます。

 皆さんどなたか良く知っていますね。イエズス様のお母様、インマクラータ無原罪のマリア様です。全ての聖寵の仲介者であるマリア様だけが、私たちの心を変える事ができます。マリア様だけが、私たちをして、天主を愛し、隣人を愛する事ができるように、教えてくれる事ができます。何故かというと、イエズス様が、「お前の全ての力を尽くして、全ての能力を尽くして、全ての霊魂を尽くして、天主を愛せ。」と、言った時に、イエズス様の頭の中には、これを本当に、忠実に実現した一人の方を頭に浮かべていたからです。何故かというと、マリア様だけが、無原罪のマリア様だけが、天主を本当に真実に、全ての力を込めて愛したからです。

 同時に、マリア様が私たちの母として任命された時に、私たちの憐れみの母となりました。憐れみの御母であるマリア様は、その全ての子供たちが傷付いている時、怪我をしている時に、その時に、憐れみに心を打たれるのです。マリア様は、このかわいそうな半死半生の死にかけている霊魂たちが、完全に良くなるまで止まる事はありません。マリア様は、日中もまた夜も、絶えず、いつも助けようと、看病しようと、心を砕いています。マリア様は、「絶えざる御助けの聖母」です。

 マリア様が、皆さんと私のお母様になりましたから、そして良き母は、愛する子供たちに必要なものを、自分の持てるもの全てを与えますから、マリア様だけが、私たちのような冷たい氷の様な心にも、少し暖かいマリア様の天主への愛と、隣人への愛の心を下さる事ができます。でもその為には条件があります。それは、マリア様が私たちの母である、という事を許さなければなりません。マリア様に、母としてそれを願わなければなりません。私たちが子供として、母に願わなければなりません、「お母さん、それを下さい。」と。

 マリア様は、その偉大な聖人の一人に、その特別な御恵み、特別な任務を与えました。マリア様はこの聖人に、全ての心を尽くして、マリア様を通して愛する、天主を愛する事を教えるように命じました。これは、聖ルイ・マリア・グリニョン・ド・モンフォールです。また、マリア様は別の聖人を選びました。そしてこの聖人に、私たちが善きサマリア人であるように、隣人にとってサマリア人であるように教える事ができるようにしました。これが、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父です。

 そして善きサマリア人とは? そして皆さんが善きサマリア人になる為にはどうやったら良いでしょうか? その為には、「無原罪の聖母の騎士」となる、という事です。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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