2022年3月6日(主日)四旬節第一主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日聖パウロは書簡でこう言っています。「見よ、今こそ、受け入れられる時だ。見よ、今こそ、救いの日だ。」
今日集祷分では、この40日間で、私たちの霊魂を浄めて下さい、といのりました。
私たちは先週の水曜日に灰を受けて、四旬節に入りました。この教会の精神の中に、四旬節の中に深く入ることに致しましょう。
教会は私たちに、枝の主日で使われた枝を燃やした灰で、私たちの額に付けて、「私たちが一体何であるか」ということを教えてくれました。
「私たちは実は、イエズス・キリストを王として認めて、その為に奉仕して、その王たるキリストを飾る枝である。生き生きとした、青々しい枝である。しかし、もしもそれをしないならば、キリストから離れるならば、地獄の火に焼かれるただの灰にすぎない、塵にすぎない。」
「私たちがあれほどまで愛した、その為にキリストを捨ててしまった、その為に永遠の命を失わせてしまった全ての被造物は、この地上の栄華と、権力と、名声と、名誉と、快楽と、全ては、塵に過ぎなかった。こんなものの為に、私たちはイエズス・キリストを、そして永遠の命を、生き生きとした命を捨てたのか。」
その本当の姿を私たちは知りました。そこでそのことを思い出しながら、教会は、「さぁ、私たちの本当の姿を知りなさい。そして天主に立ち戻りなさい。主の本当の命を、喜びを受けなさい。今こそ救いの日である。四旬節に寛大に入れ」と私たちを招いています。
特に聖伝のミサは私たちに、カトリック教会の伝統的な教えを、祈りを以って、そして体の態度を以って示しています。
主日はもちろんご飯も食べますし、主の復活を祝う日です。しかし四旬節の平日には、教会では毎日ミサが、その日その日のミサがあります。特に通常はなかったことですが、四旬節の平日には集祷文と聖体拝領誦後の祈りの時には私たちを跪かせます。私たちは跪いて、主に御憐みを乞い願います。しかも更にお祈りが加わって、「主の前に頭を垂れて、主に祈ろう。憐れみを乞い願おう」と、私たちにまさにへりくだらさせて祈らせます。私たちは主に対して罪を犯した。私たちはこれを痛悔している。憐れみを乞い求める、という意味です。
まさにこれこそ、カトリック教会の精神です、四旬節の精神です。突っ立っていないで、跪いて、頭を垂れて、主に謙遜に、憐れみを乞い願おう、と。そうすれば主は私たちに、憐れみを溢れるばかりに与えて下さる、と。
そして教会は、私たちがまた命に戻る為にどのようにしなければならないか、ということも教えてくれます。それは三つあります。
一つは「祈り」で、もう一つは「犠牲」で、もう一つは「施し」です。
「祈り」は、イエズス様が40日間の荒野での断食の祈りで、模範を見せて下さいました。「私たちにも同じことをせよ」と招いています。なぜかというと、私たちは精神で、頭で、考えで、イエズス・キリストの御旨よりも、「俺のやりたいこと」「私がやりたいこと」を求めて罪を犯したので、もうそうではなくて、イエズス様に心を上げる、地上のものから離して天主に上げるように、祈りに招いているのです。
第二は、「苦行」です。イエズス様は40日間の断食で、それを示して下さいました。なぜかというと、私たちはこの肉体の快楽を求めて、この肉体の情欲を、禁じられた欲望を求めて、頻繁に罪を犯してしまったからです。どれほど多くの人が、どれほど多く私たちは罪を犯したでしょうか、この肉体を以って。ですから、「肉体を節制しなさい」と、特に断食に招いています。例えば来たる水・金・土は四季の斎日で、伝統的には断食をする日です。40日間、昔は毎日大小斎を守っていました。聖ピオ十世会ではその会員は、四季の斎日と四旬節の全ての金曜日は、少なくとも大小斎をするように、と会則でなっています。
第三は「施し」です。なぜかというと、私たちは頭や、考えや、あるいは肉体のみならず、私たちの持っている所有物で、この地上のものをあまりにも愛着して、罪を犯したからです。「お金が欲しい」あるいは「他のあれが欲しい、これが欲しい、もっと欲しい」と。その為に、嘘や、盗みや、その他の罪を、あるいは殺人、あるいは私たちが口で言うのも恐ろしい罪を犯してきました。それなので、それに打ち勝つ為に、その罪の償いの為にも、この世の罪の償いの為にも、教会は施しをすることによって、主にこの私たちの犯した罪を償え、この地上の愛着から天主への愛へ帰るように、と招いています。聖書には、「施しによって、多くの罪が赦される」ということが書かれています。
主は最後に、三つの誘惑を受けた最後に、この地上を全て見せられて、「さぁ、これをお前にやるぞ。」「サタン、引き下がれ!出て行け!」と言いながら、私たちにその模範を示しています。私たちは天主に仕えなければなりません。
では、愛する兄弟の皆さん、私たちは四旬節の精神の中に深く入って、この四旬節を寛大に送ることに致しましょう。悔悛、心から罪を悔い改めて、祈りを以って心を上げて、天のイエズス様の方に上げて、そして肉体を節制して、全てをイエズス様への愛に御捧げ致しましょう。すると何が待っているかというと、主の溢れるばかりの祝福と、私たちの本当の命への道と、そして特にイエズス・キリストの復活です。
マリア様に最後にお願い致しましょう。良き聖なる四旬節を送ることができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。