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聖フランシスコ・ザベリオ 列聖400周年:聖フランシスコ・ザベリオの精神で、福音がそのまま、今でも、伝えられなければならない

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2022年3月12日(土)四旬節の四季の斎日 土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2022年3月12日、四季の斎日の土曜日、そして今日は、聖フランシスコ・ザベリオが列聖されて400周年です。

教会の入り口に署名用紙があります。これは、避妊の薬が、お母さんにとって、また赤ちゃんを殺してしまう非常に危険なものであるので、これをぜひ禁止するようにしてもらいたい、というそれを誓願するもので、私たちもそれに賛同したいと思いますので、もしもできる方は署名して下されば嬉しく思います。既に東京でも多くの方々が署名して下さって、既に提出してあります。

今日は、いつものようにこのミサが終わりましたら、御聖体降福式を行ないましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、今日の福音では、イエズス様が御変容されて、イエズス様が天主としてお持ちになっている栄光を奇跡的に、一時的に弟子たちに見せました。御受難を前にして、イエズス様は弟子たちを準備させました。

ちょうどこの福音にピタリと当たるテーマが、聖フランシスコ・ザベリオの列聖の400周年です。カトリック教会が持っているその聖徳の輝き、イエズス・キリストに従う弟子にはどれほどの栄光が待っているか、ということを今日は、聖フランシスコの列聖400周年を通して私たちに教えているかのようです。

特に、聖フランシスコ・ザベリオは日本の大恩人でもあります。多くの大名あるいは庶民が、殉教に至るまで、聖フランシスコのもたらした福音に忠実に、イエズス・キリストに忠実に従いました。特に聖フランシスコ・ザベリオが到着してからの100年間は、日本にとって「キリスト教の時代」と言われて栄光ある時代でした。その一時代を築いた聖フランシスコ・ザベリオが日本で行なった業績を少し黙想して、聖フランシスコを私たちに与えて下さったイエズス様を讃美致しましょう。イエズス様の栄光を讃美致しましょう。

昨日は、「聖フランシスコ・ザベリオが、変わらない永遠の王であるイエズス・キリストに死ぬまで忠実であった」ということを少し垣間見ました。

その王「永遠の王」について、日本にどうやって宣教したか、という、その聖フランシスコ・ザベリオの戦略について、今日は一緒に黙想致しましょう。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていたその「強み」とは何だったのか、そして聖フランシスコ・ザベリオはどのようにして日本全土を回心させようとしたのか、イエズス・キリスト、王たるキリストへ導こうと、キリストの王国に導こうとされたのかを見てみます。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていた「強み」というのは、二つあります。

まず、「イエズス・キリストを伝える」ということで、イエズス様は真理そのものであって、この世の王家、この世の王様のように、政治に左右されない、変わらない、栄光の王であると、いうことです。イエズス・キリストの教えは、いつも変わらない真理である、ということです。これこそが、聖フランシスコ・ザベリオが持っていた第一の、最高の強みでした。誰にもこれに反対することがあり得ないからです。全ての地上の王は、この永遠の王に従わなければならないからです。

その次に持っていた第二の強みというのは、聖フランシスコ・ザベリオがこの永遠の王たるキリストに従うが故に持っていた、「聖性、聖徳」です。聖なる生涯でした。その為に聖フランシスコ・ザベリオは、より大いなる天主の栄光の為に、イエズス・キリストの聖名の栄光の為に、また霊魂の救いの為に、全てをそれに捧げていました。聖フランシスコ・ザベリオにとって、自分の高貴な生まれとか、自分の持っていた財産、あるいはその他、そのタイトルなどは、全く関係がありませんでした。「イエズス・キリストの為に」「霊魂の救いの為」それだけしか考えていませんでした。

では一体、どのような戦略をとっていたのでしょうか?

これは、聖フランシスコ・ザベリオが、祈りと、そして正確な状況判断によって、一番効果的なやり方を選んだ、ということです。聖フランシスコ・ザベリオはマラッカにいる時に、薩摩出身のアンジロウという日本人に出会いました。そしてアンジロウから日本に来てくれるようにと申請されました。そしてアンジロウに質問すると、日本の状況をよく教えてくれました。「天皇陛下がおられる。封建制度の国である。そして色々な諸国には大名がいる。また仏教のお坊さんたちがお寺で色々な勉強をしている。そして学校のようなものがある、大学のようだ」ということを知っていました。そして「日本の方は知的な好奇心が強い」等々。

そのことを知れば知るほど、そして祈れば祈るほど、「天主は日本に宣教に行くことを御望みである」と確信しました。そしてアンジロウには16ヶ月、この宣教の為に準備をさせました。特に聖マテオの福音を日本語に訳させました。そして自分も日本語をアンジロウから学びつつ、その仕事の整理をして、日本に行く準備を着々と進めていました。

こうやって1549年8月15日に、鹿児島に到着します。なぜ鹿児島というかというと、これはアンジロウの生まれ故郷だったからです。そして有名な9月29日、大天使聖ミカエルの祝日に、薩摩の王様である島津貴久に面会し、そして薩摩の国で自由に宣教することができる、「自由にやりなさい」という言葉をもらいます。

ところで、アンジロウは元々真言宗の家族の出身で、そして真言宗の教育を昔から受けていました。もしかしたら真言宗について詳しくは知らなかったかもしれませんけれども、その言い回しやその言葉遣いということを、仏教用語を知っていましたので、それをポルトガル語あるいはスペイン語から日本語に訳す時に使っていたようです。

ところで、鹿児島では聖フランシスコ・ザベリオは多くの方に洗礼を授けることができましたけれども、後に平戸に、ポルトガルの貿易の中心であった平戸に拠点を移します。そして平戸では松浦隆信に会って、そして平戸でも宣教をします。そこでも洗礼を受けた方がいて、特に有名なのが、福者セバスチャン木村という、後にイエズス会の司祭となった方です。日本の最初の日本人司祭であって、そして殉教者でありました。福者セバスチャン木村、これは平戸で聖フランシスコ・ザベリオから洗礼を受けた、日本人の青年です。

その後に、当時山口が日本でその地域では一番力の強い所でしたので、山口に行きました。なぜかというと、聖フランシスコ・ザベリオは、その「日本の宣教の為には是非、最も知的な方が、最も力のある方であれば、カトリックの教えを、イエズス・キリストの教えを理解できるだろう」と確信していたからです。ですから「ぜひ天皇陛下に会って、あるいは偉い、一番力のある方に説明して、そのカトリックの教えの正しさを、そのような方であれば理解できるであろう」と確信していたからです。お祈りを以って山口に行きます。山口のお殿様に会います。大内義隆です。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていた強みの一つは、「真理」でした。ですからもちろん、この日本のことを知れば知るほど、こんなことを言うと反対が多いだろう、ということはあらかじめ分かっていましたけれども、しかしそれを隠すことはできませんでした。ですからはっきり言いました、「カトリックが、真の宗教である」ということ、そして特に上流階級で流行っていた「同性愛の行為は罪である」ということ、あるいはその上流階級で、あるいは庶民でもあった「嬰児殺し、口減らしというのは罪であること」等ということを、はっきり言いました。しかしこの話を聞いていた王様の大内義隆は、自分のことを言われているのだと思って、その時に顔が怒りを抑えているようだった、と言われています。

そして「ぜひ天皇陛下に会いたい、京都の都に行きたい」と言うのですけれども、なかなかそれはうまくいきませんでした。いつも待っても、何も良い返事が与えられなかった聖フランシスコ・ザベリオは、一度平戸に戻って後に、数人のお供を連れて、京都に登ることにします。「どうしても天皇陛下に会って、天皇陛下に理解してもらおう」と。

そして冬の寒い中、裸足で、あるいは毛布一枚で旅立ちました。非常に厳しい旅でした。また盗賊や泥棒がいるので、荷物は持たずに一番軽くしなさいと言われて、全てを置いて、ほとんどそのまま京都に行きました。

道すがら堺に行った時に、堺では宿を泊めてくれた人がいました。工藤さんという方だそうです。そしてその後に、その子供が有名なキリシタンになります、洗礼を受けます。日比屋了珪という人です。この日比屋了珪は後に、キリスト教にカトリックにおいて非常に大きな活躍をすることになります。

そしてその工藤さんが、ちょうど都に登るという貴人にお願いして、「どうぞフランシスコ・ザベリオを天皇陛下に会わせてやってほしい。京都に登る許可を取ってもらいたい」ということをアレンジして、そして行かせました。

京都では、聖フランシスコ・ザベリオは非常に失望しました。なぜかというと、聞いていた通りではなかったからです。京の都は戦争で荒れていて、瓦礫の山でした。また殺伐としていて、そして天皇陛下も、その当時の力は権力は地に落ちていました。しかも会おうとしても会うことができませんでした。

そのまま平戸に帰った聖フランシスコ・ザベリオは、周りの人に聞くと、どうもその当時、天皇陛下よりも京都の都よりも、山口のお殿様の方がもっと力があって、もっと権力があって、もっと影響力がある、とのことでした。そこでそのことに合わせて、天皇陛下に差し上げようとしたその贈り物を全て、山口のお殿様にあげることにしました。ポルトガルの副王としての衣装、教皇大使としての衣装を着て、そのポルトガルのヨハネ3世王のお土産と、パウロ三世教皇様のお土産を持って山口に行くと、大歓迎をされて、宣教の許可のみならず、お寺をも与えられて、「ここにおいて宣教をしなさい。ここに住んで、ここで活動をしなさい」と励まされました。

それからそこのお寺に住み込んで、聖フランシスコ・ザベリオは多くの人々の訪問を、訪れるのを喜びました。特に彼らが多くの質問をしてきたそうです。「これは何ですか?」それに対して聖フランシスコ・ザベリオは知的な、しかも核心をついた答えを与え、満足して帰らせた、と記録に残っています。

しかし、かといってたくさんの方が洗礼を受けたとは限りませんでした。山口に行った宣教の成果は、あまり最初は大きなものではなかったのですけれども、ある時ガラリと変わった事件がありました。

それは、一緒に連れて来たフェルナンデス神父様が、仏教のお坊さんと一緒に尋問をしていた時に、このお坊さんがフェルナンデス神父様の前で、唾を吐きかけたのです。すると神父様は、何もなかったかのように、ハンカチでそれを拭いて、平然とそのまま話を続けたのです。

すると、それを見た人がびっくりして、「あぁ、見たことがない!普通ならここで大喧嘩になるか、人殺しになるか、戦いになるか決闘になるか、見たことがない!」ということで、それ以後、多くの方がカトリックに回心して洗礼を受けた、とのことです。

聖フランシスコ・ザベリオは、状況に合わせて、いつも本当のことだけを追求していました。ある時、山口の真言宗の方が、いつも非常にこう親しくしてきて、「真言宗のお寺にも来て下さい、ザベリオ来て下さい。」あるいはまた訪問されたりして、仲良かったのです。

ザベリオが言っていた“デウス Deus”「天主」という言葉が、アンジロウによって、「大日」として訳されていたのですが、今まで「大日」と言っていたのですけれども、ある時、よく周りの人に聞いてみると、「大日」というのは必ずしも、天地の創造主、唯一の天主、という意味は持っていない、ということが分かりました。それとはむしろその反対であるような概念である、ということが分かったのです。

そこで、昨日まで「大日を拝め、礼拝せよ」と言っていたのに、今日からは「大日を拝んではいけない」「大日を信じてはいけない」と言い始めて、「これからはデウスを信じなければならない」と教えたそうです。それは、真言宗とカトリックとの戦争の宣戦布告の開始でした。

しかし、聖フランシスコ・ザベリオは嘘をそのままつき続けることはできませんでした。どうしても直さなければなりませんでした。「大日ではなくて、デウスだ。」
すると真言宗の人は、「ザベリオの言っていることは大嘘だ!」と言って反応したそうです。しかし色々な嫌がらせや妨害にも関わらず、カトリックになる人はどんどん増えていきました。

その後に、大分の府内で大友義鎮に会って、そして後にもう一度インドに帰られます。

聖フランシスコ・ザベリオは日本に2年半居ただけだったのですけれども、日本の宣教の基礎を築きました。特に「リーダー、日本の知的なリーダー、あるいはトップの人々にまず理解を求める」ということを訴えました。そして「知的な民族なので、知的に説明するべきである」という、ですから多くのキリスト教の文学や書物を日本語に訳すことを大切にされました。また多くの宣教師を日本に送ることをも本部に依頼しました。

聖フランシスコ・ザベリオがやったことを見ると、特に「イエズス・キリストが真理である」ということを伝えよう、ということが分かります。そして「その為には、その真理を包み隠さずはっきりと言わなければならない」ということを確信していました。そしてその為であれば、どんなに犠牲があったとしても、厭いませんでした。

では今日、私たちに聖フランシスコ・ザベリオは何を教えているのでしょうか?

特に、「聖フランシスコ・ザベリオの精神で、福音がそのまま、今でも、伝えられなければならない」ということです。

「聖フランシスコ・ザベリオの時代と今では違うから、もうそんなことは言ってられない」ということは、カトリックの教えでありません。なぜかというと、キリストは、昨日も今日も、そして永久に変わることがないからです。キリストの教えというのは、朝はこうだけれども、夜になると別のものになる、というものではないからです。時を超えた教えであるからです。

聖フランシスコ・ザベリオが教えた教えを、そのまま、私たちは信じることに致しましょう。イエズス・キリスト、永遠の王、変わらない永遠の王、時によって、場所によって、変わらない王。

もしも、聖フランシスコ・ザベリオが他の人のことを聞いて、その人からの影響で、もしも誤解してしまっていたことを伝えたとしたら、聖フランシスコ・ザベリオのように、道をすぐに戻す勇気を持つように致しましょう。新しいミサ、あるいは手による聖体拝領、あるいはその他、教会が今までの道と変わった道を、少し逸れてしまったことがあったかもしれません。しかし聖フランシスコ・ザベリオの精神によれば、もしもその間違いに気付いたら、すぐに軌道を修正しなければなりません。なぜかというと、真理こそが、霊魂の救いこそが、私たちにとって大切だからです。

聖フランシスコ・ザベリオの栄光ある列聖400周年を目の前に見ながら、聖フランシスコ・ザベリオの栄光を見ながら、私たちもその栄光ある聖フランシスコ・ザベリオを送って下さったイエズス様に感謝しつつ、ミサをお捧げ致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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