2022年4月8日(金)童貞聖マリアの七つの御悲しみのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、今日、悲しみの聖母の記念を行なっております。この聖母は特に、聖ピオ十世シスター会の守護の聖人で、聖ピオ十世会の私たちも一級の特別の祝日として祝っています。今日は是非シスターたちの為に、聖ピオ十世会のシスターたちの為にお祈り下さい。
特に日本から初めての召命、シスター・マリ・エスペランスは、来たる白衣の主日(4月24日)に初誓願を立てるとのことです。シスターの為にお祈り下さい。また日本から多くの召命が、修道士・修道女が出ますようにお祈り下さい。
マリア様の御悲しみ、今日それを垣間見ることに致しましょう。マリア様は十字架の足元に立ち留まっておられました。マリア様の汚れなき御心の中には一体、どんな思いがあったのでしょうか?
私たちはともすると、不正義を見て怒りにかられます。「何でこんなに苦しむのか? 他の人は安楽な生活をしているのに、バラバは赦されたのに、イエズス様は無罪なのになぜ十字架なのか?なぜ、無罪のみならず、こんなに聖なる方が、なぜ極刑を死刑を受けなければならないのか?なぜこんな傲慢が許されるのか?どこにそんな法律があったのか?裁判はどれほどいい加減だったのか?夜中の裁判は許されていなかったはずだ。お祭りの日には裁判を開くことができないはずだ。あまりにも不法だ!矛盾している!無効だ!」
もしかしたら私たちはともすると、そのような怒りや、復讐や、憤りの念にかられてしまうかもしれません。時々には、車を運転しただけでも、追い越し方が悪いとか、あるいは走り方が悪いということで、窓を開けて怒る人もいます。
そのような、イエズス様が受けたその不当な裁判、不当な宣告、その拷問、血だらけの御姿をご覧になって、十字架の下に佇んだマリア様は、どれほどの思いがあったことでしょうか。
ともすると私たちは、「あぁ、なぜ天主よ、こんなことが起こったのか?私が一体何を悪いことをしたのか?」等と不平を言うような人もいるような状況だったかもしれません。マリア様はもしかしたら、その苦しみがあまりにも残酷で、ひどく、もしかしたらもう目を向けることもできずに、ここからもう去ってしまいたい、もうこのような所から立ち去りたい、と思われたかもしれません。マリア様は一体何を思ったのでしょうか?
しかしマリア様は、私たちが考えるようではなく、イエズス様と同じことを思ったに違いありません。イエズス様は仰います。最初の言葉はこうでした。「聖父よ、彼らをお赦し下さい。」
マリア様も、イエズス様と同じことを祈っていたに違いありません。「聖父よ、彼らをお赦し下さい。イエズスよ、彼らを赦してあげて下さい。」
聖母は決して、十字架の下を逃げようとせずに、離れようとせずに、その苦しみを、イエズス様と共にお捧げしていました。
悔い改めた盗賊を赦すイエズス様の言葉、おそらくマリア様は、この盗賊たちの為に祈っていたに違いありません。「彼らもイエズスの方に、イエズスを信じて、イエズスから憐みを受けるように。」一人は、マリア様のその祈りに動かされて、主に憐れみを乞いました。
十字架に釘付けにせられて、頭も体も動かすこともできずに、声も絶え絶え、息絶え絶えの血まみれのイエズス様は、それでも最後の力を振り絞って、私たちのことを考えました。愛する兄弟姉妹の皆さんと、私のことを考えて下さいました。
「天主聖父を父と呼んで、『我らの聖父(ちち)よ』と呼べ。こうやって祈れ」と教え、御聖体を以って御自分の御体を全て与え尽くして、御血を全て流し尽くして、最後の最後まで私たちに全てを与えようとした時に、最後に、最大の愛の御方マリア様をも、私たちの母として与えようと思われました。
私たちにマリア様を与える時に、まずマリア様に仰います。「女よ、お前の子、ここにいる」と。「お前の子供を見よ。」私たちのことです。
マリア様はその時、確かに私たちを、本当のマリア様の子供として受け取って下さいました。イエズス様とははるかに違う、天主の子ではなくエヴァの子、罪人の子ではありました。しかし私たちの永遠の救霊の為に、これから母として心を砕こうと、イエズスを愛するがように、私たちを愛そうとされます。
そしてイエズス様は、十字架の上から、喘ぐ声で私たちの方に声をかけます。「汝の母、お前の母がここにいる。お前の母を見よ。」
「マリア様こそ、お前の母だ。永遠の命に産んでくれる母親だ。母として大切にしてくれ。私の形見だ。お前の母だ。お前はこの母の子だ。」マリア様は、このイエズス様の言葉を聞いて、どれほど私たちに対する愛に燃えて下さったことでしょうか。
私たちはそれを知りつつも、あたかもマリア様がいらっしゃらなかったかのように、マリア様は私たちに関係なかったかのように、母の心を傷つけて、あるいは無関心で、冷たい心で、マリア様をどれほど取り扱ってきたことでしょうか。マリア様にどれほど悲しい思いをさせてしまったことでしょうか。
それにも関わらず、マリア様は常に優しい母の心で、私たちを見守って、私たちの為に祈り、私たちの為に取り次いで、涙を流しながら、イエズス様にお願いをして下さっています。
愛する兄弟姉妹の皆様、ではこの悲しみの聖母を、私たちの母として今日もう一度、感謝と愛を以って受け入れて、そして良き子となる恵みを乞い求めましょう。そして私たちも受ける、受けている、あるいは将来受けるかもしれない、あるいは将来あるかもしれない辛いことや十字架、悲しみ、あるいは不当な悪口や嫌がらせ、あるいは病気、事故、あるいは死別など、主の御旨のままに、マリア様を通してお捧げ致しましょう。私たちのこの捧げものが、私たちの罪と世の罪の償いとなりますように、贖いの為の一滴となりますように、今日その御恵みを乞い求めましょう。
イエズス様とマリア様にいつも寄り添う御恵みを乞い求めましょう。私たちの心に、マリア様の御悲しみと、イエズス様の悲しみがいつも深く刻まれますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。