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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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もしも麦が地に落ちないならば、そして死なないならば、そのまま残るけれども、しかし地に落ちて死ぬのならば、多くの実りを結ぶ

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2022年4月9日(土)御受難の週の土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、あと一週間で聖金曜日、私たちの主の十字架の御苦しみの神秘に到達します。

今日福音では、イエズス・キリストを、そしてその為に皆がイエズス・キリストに従っているラザロを、亡き者にしようと、ユダヤ人たちが計っている場面が読まれました。それと同時にイエズス様は、聖父に、天主聖父に祈ります。「聖父(ちち)よ、時が来ました。栄光を表して下さい。」

つまり、イエズス・キリストが、私たちの罪の贖いの為に苦しみを受けて、御血を全て流し、命を捧げるその時が来た、ということです。

「もしも麦が地に落ちないならば、そして死なないならば、そのまま残るけれども、しかし地に落ちて死ぬのならば、多くの実りを結ぶ」と主は言われます。「もしも自分の命を救おうと思うならば、彼はそれを失い、私の名の為にそれを失う者があれば、それを救うだろう」と。

私たちも、イエズス様の御受難の御跡に従うことに致しましょう。私たちが永遠の命に辿り着くには、主が辿った道しかありません。つまり十字架の道です。

--- もしも私たちが自分の命を、自分の快楽、自分のやりたいことを、自分がこうあってほしいことを、と、このイエズス様から受けられた十字架を受け取らないならば、私たちは生命を失ってしまうことになる。

しかし、イエズス・キリストの為に十字架を取るならば、送られた十字架を受けて、この自分に死ぬのならば、命を受ける。

私たちの命を受けるのみならず、永遠の命を受けるのみならず、多くの実りをも結ぶことができる。多くの霊魂を救うことができる。イエズス・キリストの贖いの業に参与することができる。永遠の命の為に多くの霊魂たちを導くことができる。--- 

私たちが十字架を受ける時には、苦しみを受ける時は、非常に辛い、苦しいものですが、イエズス・キリストがその私たちの先頭に立って私たちを導いて下さいます。主は私たちを決して見放すことがありません。いつも私たちの傍にいて支えて下さっています。マリア様もそうして下さっています。

ですから今日、良い決心を立てることに致しましょう。

明日、枝の主日で、勝利の棕櫚を持って、キリストを王として迎えるのですから、この王に従って最後まで突き進む、天国にまで進む力と、特別の御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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