2022年4月24日(主日)白衣の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2022年4月24日、白衣の主日です。
今日フランスでは、日本からの聖ピオ十世会修練者である、シスター・マリ・エスペランスが初誓願を立てる予定です。どうぞシスターのためにお祈り下さい。日本からの最初の聖ピオ十世シスター会の修道召命のためにお祈り下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、私たちの主イエズス・キリストは真によみがえりました。御自分の肉体を以って、その御復活を使徒たちに証明しました。
復活のその日、ドアを閉じられた部屋に、最後の晩餐の高間に主は現れて、ユダヤ人たちを恐れる弟子たちの中に現れて仰いました。「お前たちに平和あれ。お前たちに平和!」
今日の福音では、この言葉が何度も繰り返されました。そして御自分の手と脇を見せて、御自分が本当に復活された、ということを弟子たちに証します。その中の内の一人の使徒トマは、信じようとしませんでした。
「絶対信じない。もしも信じるのならば、私の手をその釘の跡に指を入れて、脇腹に手を入れない限り信じない。」これが言いたいことはつまり、そんなことはあり得ないということでした。「信じない。他の言ってる人を見ろ」でした。
しかし、私たちの主は、このトマのためにも、もう一度現れて、今日、そして「さぁ、お前の手をこの脇腹に入れよ。信じない者ではなく、信じる者になるように」と招きました。これを見たトマは、主の脇に、あるいは釘に本当に入れる勇気があったのかどうか分かりませんが、主を認めて、「御身こそ確かに、私の主であり、私の天主であります」と宣言しました。
今日、私たちの主は同じことを私たちにもなさろうとします。本当に主は復活され、私たちはそれを、その復活に関するあまりにも多くの確実な証言があります。2000年間のカトリック教会がそれを証言しています。御復活の後の世界の歴史が主の復活を証言しています。これほど確実な事実はありません。
今日、私たちは、御復活の後の歴史のみならず、更に旧約聖書にも目を向けて、イエズス・キリストの復活の神秘について更に理解を深めようと思っています。
主は十字架の上で亡くなりました。本当に死去されましたが、復活されたので、教父たちは、イエズス・キリストは「眠り」についた、「死の眠り」についたと言います。眠ったかのように、また起き上がったからです。
これは、最初のアダム、第一のアダムの眠りを思い出させます。アダムが眠っている間、脇からエワが創られたことを思い起こしてください。第二のアダムであるキリストが十字架の上で寝ている間、その脇から水と血が流れて、聖なる教会が出ました。いけにえの中から聖なる教会が生まれました。水は「洗礼」、血は「御聖体」です。
旧約聖書の中にはまた、次のような眠りもあります。それはノアです。方舟を造ったノアです。大洪水があって地上が浄められた後に、聖書によると、ノアは「最初に畑を耕した者である」と書かれています。そして最初に植えたものはブドウの木で、ブドウの畑を作りました。そして最初にブドウの実を潰して、それを飲んで、ブドウに酔ってしまいました。そしてブドウに酔った勢いで、裸になって寝てしまいます。すると三人の子供たちは、この父親の裸を見て笑います。その内の一人が笑って、二人はそれを辱めないように、お父さんの体を辱めないように、後ろに向きながらマントをかぶせます。
教父たちによると、これはイエズス・キリストの前兆だ、と言います。つまり、イエズス・キリストは、御自分のブドウ畑であるユダヤの民を、イスラエルの民を育てました。しかし、その彼らから却って迫害を受けて、そのイエズス・キリストは潰されて、ブドウが潰されたかのように血を流して、そしていけにえとなりました。それを飲んだノアが酔って裸になった。つまり、御受難に没頭して、その中に入り込んでしまって、十字架の上では衣さえも剥がされて、死の眠りについた、という前兆であると教父たちは言っています。
更に、「イエズス・キリストの十字架は、ユダヤ人にとっては躓き、ギリシア人にとっては愚かなもの、しかし選ばれた者にとっては、天主の力である」と言ったように、一部の、1/3の人類からは拒否され、笑われ、嘲られる原因となりました。
ヤコブの眠りはイエズス・キリストの死の眠りの前兆です。有名なヤコブの階段、ヤコブの梯子の話です。これで、御自分の死の前兆を見せようとしました。ヤコブはある日、ある所で眠りにつきました。石を枕にして眠ると、すると夢を見て、天にまで昇る階段があったのです。そしてその階段を天使たちが行ったり来たりしていて、お祈りを運んでいた、とあります。そこで、それを見て驚いたヤコブは、「これこそ天主の家である。“ベテル”と名付けた」とあります。
これは何を意味するかというと、これは「イエズス・キリストが、その隅の親石として死の眠りについた時、天に昇る階段、すなわち十字架が立てられて、その十字架を通ってのみ、天に祈りが昇られることができ、そして天から祝福が降りることができる唯一の階段が作られた、橋が作られた、ということだ」と教父は言っています。
更にこのような前兆はまだたくさんありますが、最後に一つだけ言うのを許して下さい。それはイエズス・キリストの復活、御受難と復活は、モーゼが率いた出エジプト、エジプト脱出によって前兆されていたということです。
つまり、奴隷状態にあったユダヤ人たちは、モーゼを先頭として紅海、赤い海を渡って、逃れた時に、ユダヤ人たちは壁のようになった海の中を、乾いたままの足で渡ることができました。渡り終わると、壁のようになっていた海はもとに戻り、彼らの後を追っていたエジプトの大群が海の中に溺れてしまって、全滅してしまいます。ユダヤ人たちは大勝利を祝いました。
紅海を渡った直後、イスラエルの人たちはモーゼを通して天主の十戒を受けます。その後、天主ヤーウェの指示に従って、契約の櫃を作ります。契約の櫃は、天主がそこにおられる、主の栄光がそこにおられる、天主の力によって覆われるという特別な櫃です。
ちょうど私たちの目の前にあるこの祭壇のような形をしていて、その前後には天使が、ケルビムが礼拝している姿が付いていました。そして棒で担ぐことができて、そしてその契約の櫃の中には三つのものがありました。「天主の十戒の石板二つ」と、そして「マンナ」、もう一つは「アーロンの杖」です。これは紅海を渡った後に、イスラエルの人たちが最も大切にしていたものでした。契約の櫃。そしていつも契約の櫃を先頭に行列を作って、約束の地まで動いていました。
ちょうど聖伝のミサを捧げる私たちは御聖体を、御聖櫃を前にして、イエズス様を先頭にして、「約束の地」である天国に向かって行列をしているかのようです。中にある三つのものは全て、イエズス・キリストを前兆していました。契約の櫃の中にある三つの一つは、まず天主の十戒です。これは天主の掟、天主の御言葉ですが、つまり「人となった御言葉イエズス・キリスト」の前兆でした。天から降ったマンナも、「イエズス・キリストの御聖体」の前兆でした。アーロンの杖はもちろん「大司祭であるイエズス・キリスト」の前兆でした。これによって奇跡が起こります。
では、私たちにとって契約の櫃とは何でしょうか?
それはマリア様です。聖母が、イエズス・キリストをその中に入れた新しい契約の櫃です。ですから教父たちは声を揃えて、新約の私たちは第二の新しいエジプト脱出をしている、出エジプトをしている。新約の民は、第二の本当の出エジプトの民である。悪魔の奴隷状態から逃れて、そして復活の命へと移動している、新しいイスラエルであると、言います。旧約時代にエジプト軍に大勝利を収めた通り、私たちも大勝利を収めます。
使徒聖ヨハネは今日の書簡の中でこう言っています。「この世に勝つ勝利は、私たちの信仰である。信仰こそが私たちに唯一勝利を与えて下さる。」
では、イエズス様の御復活の神秘の中に入ることに致しましょう。真に主はよみがえりました。そして私たちを永遠の喜びと大勝利へと導こうとされています。この勝利に与ることができますように、主に付き従いましょう。契約の櫃である、新しい契約の櫃であるマリア様に、私たちの忠実を乞い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。