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天主への奉仕のために完全な貞潔を守るカトリック司祭独身の法は、カトリック司祭職に霊的な尊厳と豊穣を与える。これを理解するために聖ヨゼフの奉献された貞潔について考える。

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聖ヨゼフと奉献された貞潔についての説教

ドモルネ神父様(2022年5月1日)

はじめに

今日は聖ヨゼフの祝日です。また今日は、「良き牧者」の主日でもあります。福音の中で、イエズスは、ご自分を良き牧者に例えておられます。主は、良き牧者が羊を見守るように、霊魂たちを見守られます。これは、良き司祭がすべきことでもあります。このため、聖ピオ十世会では、通常この主日を、司祭職と司祭の召命というテーマに奉献するのです。そこで、今日は、聖ヨゼフと司祭の召命についてお話しします。もっと正確に言えば、司祭の奉献された貞潔についてお話しします。

1.貞潔の概念

まず、貞潔とは何かを思い出しましょう。

原罪以来、私たちは、情欲、すなわち、感覚的な快楽に対する無秩序な欲望に苦しんでいます。貞潔とは、自分の中の肉欲の無秩序な衝動を抑え、天主の法に従って、それを制御するという、霊魂の良い特質のことです。アリストテレスは、肉欲は気まぐれな子どものようなもので、私たちはそれに屈してはならず、むしろそれを抑えて正さなければならない、と言っています。これこそ、貞潔が行うことです。

貞潔の実践は、人が人生において置かれた状態によって変わります。完全な貞潔と、婚姻の貞潔があります。未婚者であれば、貞潔の実践は完全でなければなりません。すなわち、肉欲を完全に抑えなければなりません。未婚者は、肉の快楽を完全に断たなければなりません。なぜなら、この快楽は、天主の定められた秩序によれば、婚姻の目的を成就するための手段に過ぎないからです。婚姻の権利を行使する既婚者であれば、貞潔の実践は、「婚姻の貞潔」でなければなりません。これは、肉欲を満たすことは、婚姻の法および正しい理性の範囲内にとどめなければならないという意味です。

最後に、「奉献された貞潔」と呼ばれるものがあります。これは、天主への奉仕に完全に身を捧げるために、完全な貞潔を守ることを意味します。カトリック教会は、このような奉献された貞潔を、法によって、カトリック司祭職と結び付けています。カトリック司祭になる男性は、結婚する権利も、子どもを持つ権利も同時に放棄します。キリストの敵は、この法について、しばしばカトリック教会と争ってきましたし、現在でも、近代主義者が同じように争っています。それはなぜでしょうか? なぜなら、この法は、カトリック司祭職に大いなる霊的な尊厳と豊穣を与えるからです。この現実を理解するために、ここで、聖ヨゼフの奉献された貞潔について考えてみましょう。

2.聖ヨゼフと奉献された貞潔

天主の御子イエズス・キリストは、マリアの子となって、この地上に来ることを選ばれました。マリアは、その存在の最初の瞬間から、まったく天主のみのものなのです。主は、マリアを原罪から守られ、聖寵充ち満てる方とされました。マリアの側では、童貞の誓願によって、自らを完全に天主に捧げられました。そして天主は、マリアに対して、童貞性を失うことなくイエズスを受胎して生むという特権をお与えになることによって、この奉献を承認されたのです。

天主は、マリアを、一人の男性の愛と保護に委ねることを決められました。しかし、天主がマリアを委ねることがおできになるのは、マリアに対する天主の支配権を、完全に尊重する男性だけでした。つまり、完全な貞潔を守ることに進んで同意する男性です。聖ヨゼフが、その男性でした。ですから、童貞聖マリアと婚姻のきずなで結ばれるために、聖ヨゼフは、完全な貞潔の誓いによって、自らを天主に奉献しなければなりませんでした。これが、必要条件だったのです。

同じ条件が、司祭にも当てはまります。実際、司祭は、布教と役務を通して、イエズス・キリストを霊魂たちに与える使命を担っています。しかし、イエズスがマリアを通して地上に来られたように、イエズスは、マリアを通してご自分の恩寵を霊魂たちに与えられるのです。ですから、司祭はその役務のゆえに、童貞聖マリアと密接に結ばれている必要があるのです。奉献された貞潔は、この目的のための強力な助けとなります。聖ヨゼフが、マリアと結ばれるために貞潔の誓いを立てなければならなかったように、カトリック司祭もそうするのです。

3.聖ヨゼフと霊的な豊穣

聖ヨゼフの奉献された貞潔に関する、もう一つの点について考えてみましょう。聖ヨゼフは、童貞聖マリアの浄配となることを受け入れることによって、肉体的な豊穣、つまり子どもを持つことと父性とを、進んで放棄しました。この犠牲は、大いなる霊的な豊穣と父性のための必要条件だったのです。実際、聖ヨゼフは、マリアの夫となることによって、マリアの子、すなわちイエズス・キリストに対する父としての権威を授けられたのです。この父としての権威は、イエズスご自身にとどまらず、イエズスの神秘体、すなわち教会にも及びます。聖ヨゼフは、普遍教会の守護聖人となり、そのため、教会のすべての構成員の霊的な父となりました。聖ヨゼフは、教会の全構成員の必要とするあらゆるものを見守り、彼らを保護し、彼らを導き、彼らを聖性へと至らせるように教えるのです。聖ヨゼフは、父親が自分の子どものことを心配するのと同じように、彼らのことを気遣うのです。そして、すべての良きカトリック信者は、子どもが父親に頼るのと同じ信頼をもって、聖ヨゼフに頼ることを学ぶのです。聖ヨゼフは、天主への愛のゆえに、自ら進んで肉体的な子孫を持つことを放棄することによって、莫大な数の人々の霊的な父となったのです。

これは司祭にとっても同じです。天主は、司祭に対して、霊魂たちの霊的な父となるための必要条件として、自分の子どもを持ちたいという自然で正当な望みを、進んで犠牲にするように求められるのです。アブラハムの物語に、この現実のかたどりがあります。天主は、アブラハムに、独り子のイサクを犠牲にするよう求められました。アブラハムは、それを進んでしようとしたため、天主は、アブラハムを、選ばれた民の父とされました。次のイエズスの言葉は、他の誰よりも、司祭に当てはまります。「私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、妻、子、土地を捨てる者は、その百倍のものを受け、永遠の命を受け継ぐであろう」(マテオ19章29節)。

結論

親愛なる信者の皆さん、司祭の役務が実りを得るかどうかは、完全な貞潔の誓いに自らが忠実であるかどうかにかかっているということを、すべての司祭に理解させてくださるよう、今日、聖ヨゼフに祈りましょう。

また、司祭の完全な貞潔の法の廃止を積極的に求めている、教会内のすべての近代主義者を、強く抑えてくださるよう、聖ヨゼフに祈りましょう。彼らは、カトリック司祭職の偉大さと、霊的な豊穣性を脅かしているのです。

最後に、天主が司祭職に招いておられる青年たちが、奉献された貞潔によって自らを寛大に犠牲とするのを助けてくださるよう、聖ヨゼフに祈りましょう。聖ヨゼフの取り次ぎによって、彼らがこの世の偽りの宣伝を拒否し、また、司祭の品位を落とす、肉欲の罪という苦い幻想に誘惑されませんように。


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