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「ロレトの連祷」と呼ばれている童貞聖マリアの連祷の連祷の起源について、「崇むべき器」という称号について

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童貞聖マリアの連祷についての説教

ドモルネ神父様 2022年5月8日

はじめに 

5月は、童貞聖マリアに捧げられる月です。それはなぜでしょうか? 5月は、他のどの月よりも、聖母の祝日が多いからです。5月には、「ロレトの連祷」と呼ばれている童貞聖マリアの連祷を毎日祈ることが、聖ピオ十世会の習慣です。

この連祷の起源についてお話ししようと思います。そして、「崇(あが)むべき器」という称号についても、お話しします。

1.ロレトの連祷の起源

連祷とは、私たちの主イエズス、童貞聖マリア、聖ヨゼフ、あるいは諸聖人に対する、一連の祈願です。これらの祈願は、彼らの栄光と力を宣言する称号の列挙からなっています。これらの称号は、聖書、神学、典礼、そして人々の信心からとられたものです。ですから、これらの称号の意味を黙想することは、自分自身を霊的に養う良い方法なのです。

私たちは、童貞聖マリアの連祷を、「ロレトの連祷」と呼んでいます。この連祷を誰が作ったのかは、分かりません。しかし、イタリアのロレトという場所で、人々がこの連祷を祈り始め、そこから世界中に広まっていったということは、歴史から分かっています。

ロレトは、童貞聖マリアの家が現在ある場所として有名です。この家は、以前はナザレトにあって、受胎告知と天主の御子のご托身が起こったところです。この家が、なぜ今イタリアにあるのでしょうか? 聖霊降臨の後、ナザレトにあったこの家は、カトリックの聖地となりました。(皇帝コンスタンティヌスの)皇太后聖ヘレナがその上に教会を建て、そこは何世紀にもわたって巡礼の目的地となりました。しかし、イスラム教徒がパレスチナを占領し、キリスト教徒を迫害しました。キリスト教徒の保護のために十字軍が組織されましたが、時とともに、最後にはイスラムのトルコ軍が優勢になります。十字軍が、アッコにあった聖ヨハネ騎士団の最後の砦を追われる数日前の1291年5月9日から10日の間の夜、天使たちが、童貞聖マリアの家を、パレスチナからダルマチアと呼ばれる地方に運びました。その家は3年半の間、そこに留まりました。そして1294年12月10日、天使たちはこの家を再びイタリアのアンコーナ地方の、ラウレタという名前の敬虔な婦人の所有する土地に移しました。その後、人々はこの家を、「ラウレタの家」と呼ぶようになりました。さらに10カ月後、この家は天使たちによって、再び現在の場所に移されました。教会が建てられ、その周りに「ロレト」という名前の新しい町が生まれました。

この3回の移送の話は、非現実的でおとぎ話のように聞こえるかもしれません。しかし、当時のローマ教皇クレメンス七世は、これについて綿密な調査を行いました。もちろん、カトリック信者の間で偽りの話が広まることを、教皇は避けたかったのです。すべては真実でした。そして聖母さえ、ロレトで数多くの奇跡を起こすことによって、その真実性を裏付けられたのです。

私たちの霊的な糧として、ここで、この連祷の中の一つの祈願について、考えてみましょう。私たちは聖母を「崇むべき器」と呼びますが、その理由を見てみましょう。

2.崇むべき器

崇めるとは、誰かが優れていることを公に認めることです。器とは、私たちが満たし、それから注ぎ出す容器のことです。器の価値は、その中身の価値に由来します。崇むべき器とは、貴重なものを入れるために作られた器を意味します。崇むべからざる器とは、汚れたものを入れるために作られた器を意味します。

聖母を「崇むべき器」と呼ぶのは、聖母がこの世で最も崇められるべき存在、すなわち、人となられた天主である、私たちの主イエズスを受胎し、その胎内に宿されたからです。御子の尊厳が、聖母自身の偉大さの土台です。天主の御母としてふさわしいお方となるために、聖母はすべての聖人や天使をしのぐほどのあらゆる超自然的な賜物で飾られたのです。教会は「集会書」にある次の言葉を、マリアに関するのものとしています。「私には、道と真理と知識と聖なる希望のすべての恩寵がある」(集会書24章18節)。ですから、「崇むべき器」という称号を通して、私たちは、天主の御母としての聖母の素晴らしさを宣言しているのです。聖母は、キリストの神性で満たされた「器」なのです。

しかしまた、この「崇むべき器」という称号によって、私たちは、すべての恩寵の仲介者としてのマリアの尊厳をも、宣言しているのです。実際、イエズスが聖母マリアを通して地上に来られたように、イエズスはマリアを通して、ご自分を霊魂たちにお与えになります。聖母は、私たちの主イエズスがその恩寵で満たし、そこから霊魂にその恩寵を注ぎ込まれる器のようなものです。この現実は、聖母の聖エリサベトへの訪問に示されているのが分かります。私たちの主イエズスを宿されたマリアは、聖エリザベトを訪ね、その家族に恩寵をもたらされました。聖エリザベトは聖霊に満たされ、ご托身の神秘の特別な啓示を受け、洗者ヨハネはその母の胎内で原罪から清められ、聖ザカリアは預言の賜物を与えられました。聖母は、キリストとその恩寵を、すべての人に与え続けておられます。だからこそ、教会は、「集会書」の次の言葉を、聖母のものとするのです。「私を慕う者はみな、私のもとに来て、私の実を食べよ」(集会書24章19節)。

聖母は、天主の御母であり、恩寵に満ち、またあらゆる恩寵の仲介者ですから、もっとも高く崇められるにふさわしいお方です。聖母を辱めようとする者たちに災いあれ。天主はそのような人たちを、最も厳しく罰せられるでしょう。

フランス革命時の1793年のある日、カトリックの宗教に対する憎悪に満ちた一団が、ある教会に入り、悪魔的な熱意をもって、教会内の像やその他神聖なものを、すべて破壊しようとしました。祭壇の上には、被昇天の聖母の美しい像があり、その足元では、天使がラッパを吹いていました。この犯罪者たちは、梯子を持ってきて、そのうちの一人が斧を持って梯子に登り、この像を壊して引きずり下ろそうとしました。梯子の一番上で、男は片手で天使のラッパを支えとして持ち、もう片方の手で斧を振り回しました。すると突然、天使のラッパが壊れ、男はバランスを崩し、下の祭壇の上に落ち、背骨を折りました。この男は、3日後、恐ろしい苦しみと絶望のうちに、死にました。その像は、今もその教会のその場所にあります。天主の御母を辱めようとする者は、皆同じです。彼らは聖母の偉大さを何一つ奪うことなく、自分自身こそが砕かれるのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、私たちは、毎日の真摯で愛に満ちた信心によって、崇むべき器である聖母をいつも崇敬しましょう。特にこの5月の間、ロレトの連祷を祈ることによって。

Photo Credit

 

The Illustrated Litany of Loreto

The following article is taken from the University of Dayton

The Marian Room

 

 


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