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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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5月8日は1429年5月8日に起こった聖ジャンヌ・ダルクによるオルレアンの大勝利の記念日です。聖ジャンヌ・ダルク、われらのために祈り給え。

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2022年5月8日 大阪での説教 聖ジャンヌ・ダルクについて

レネー神父様

親愛なる兄弟の皆さん、

今日は、1429年5月8日に起こった、聖ジャンヌ・ダルクによるオルレアンの大勝利の記念日です。そこで、この偉大で特別な聖女についてもっと知っていただくことが、皆さんの霊的な利益になると私は考えました。

彼女の生涯は実に例外的な出来事で彩られているため、彼女を模範にして、女性が軍の将軍になるべきだとか、男性の服を着るべきだとか、天からの声を受けることを期待するべきだなどと結論付けてはなりません。彼女の聖性は、このような特別な事情にあるのではなく、むしろ非常に深くて重要な聖徳にあるのです。

彼女の生涯については、非常に信頼できる偏りのない資料、つまり彼女の仇敵によって行われた裁判の資料そのものがたくさんあります。そのため逆に、この資料は、彼女に有利な偏りをもっていると非難されることはあり得ません。しかし、その資料は、彼女の聖性についての最も驚くべき証言を私たちに提供しています。

(1)ルーアンから彼女の生まれた村ドンレミに一人の調査員が派遣され、彼女の若いころのことについて尋ねました。調査員は戻ってくると、自分自身の娘にもジャンヌと同じように純潔、信心、聖徳、善良という評判があればよかったのに、と言いました。

(2)彼女が王太子(=前の王の息子、王位継承者で、戴冠前)に会うためにシノンに到着したとき、教会の神学者たちによってテストされ、彼女がカテキズムを非常によく知っていて、信心を実践していることが分かりました。彼女は、間違えやすい質問をされましたが、非常にうまく答えました。有名な答えにこういうものがあります。「天主がフランスを救いたいのなら、兵士は必要ない!」。彼女はこう答えました。

「兵士は戦い、天主は勝利を与え給う」

さて、これはほとんど教育を受けていない人間にとって、神学的に驚くほど健全なものです。二次的な原因(である兵士)は、その義務を果たさなければならず、至高にして第一の原因である天主が、最後の勝利をお与えになるのです。

このことは、オルレアンの特別な勝利にも、私たちの日々の聖化にも、悪魔との戦いや誘惑との戦いにも当てはまります。「兵士は戦い、天主は勝利を与え給う」。私たちは戦い、最後の勝利のために天主の御助けに頼らなければなりません。天主の御助けは、私たちが全力で戦うことをやめさせるのではなく、まさに戦って勝つ力を私たちに与えるのです。

プロテスタントはこのことを理解していません。彼らは、人間の功徳の価値を否定しています。彼らは、私たちの救いは天主の御業であり、私たちが行うことは重要ではないという点を主張します。それは間違いです。「兵士は戦い、天主は勝利を与え給う」。私たちは、肉、この世、悪魔と戦う必要があり、天主は忠実に戦った者に勝利を与えてくださるのです。

(3)彼女の旗には、王として座しておられるイエズスと、「イエズス・マリア」という言葉がありました。これは私たちの信仰の中心、私たちの生活の中心であり、私たちは、王たるキリストの御旗に従わなければなりません。フランス王は、聖ジャンヌによって、「キリストの副官」と呼ばれました。これは、フランス(そして全世界)の真の王のことです。

(4)戦いの前に、彼女はイングランド軍の将軍に、オルレアンの包囲を離れてイングランドに戻るよう命令する2通の手紙を口述し、彼らがそうすれば危害を加えないと約束します(これは正義による義務でした!)。彼らは彼女を笑い、あざけり、皆さんが想像できるように非常に悪しき名前で彼女を呼びさえします。これら手紙の中で、彼女は敵に危害を加えることを望まず、(正義を尊重しつつ)和平を申し出ていることが分かります。彼らがそれを拒否したときだけ、彼女は攻撃するのです。

(5)5月8日の土曜日にオルレアンで勝利した後、彼女はフランス軍が9日の主日に攻撃することを禁じ、もしイングランド軍が攻撃してきてもフランス軍が勝利することを約束します。彼女は、城壁の下に野外用の祭壇を建てさせ、兵士たちのためにミサを行わせ、全員が主日を聖とするようにしました。このように、彼女は主日の義務を尊重したのです。

(6)イングランド軍がオルレアンの包囲から撤退すると、その後、彼女は小さな勝利を重ねながら彼らを追いかけ、ロワール川沿いのいくつかの都市を解放し、6月18日のパテイでの最後の大きな戦いに至りますが、これは――天主の御摂理の助けにより――まさにイングランドの将軍たちを捕虜にし、彼女にとって大きな勝利となるのです。

(7)その後、彼女は王太子をランスというところに導き、そこで王太子は戴冠します。ランスの司教座は、496年のクリスマスにクローヴィスに洗礼を授けた聖レミの司教座でした。このクローヴィスの洗礼は「フランスの洗礼」と呼ばれています。フランスは最初のカトリック国家となりました(それ以前にも、洗礼を受けた部族の長たちのような小さな「王たち」はいましが、クローヴィスとは異なり、彼らの王国は長くは続きませんでした)。聖レミ自身が使ったと言われている油をもってランスで洗礼を受けなければ、正統なフランス王にはなれないのです。ですから、イングランドの候補者は正統なフランス王ではなかったのです。このことは、「天主から出ない権力(=権威)はない」(ローマ13章1節)ことを示しています。

どの王でも、王自身がこのことを認めれば、専制君主になることを防ぐことができるでしょう。王は、より高い権威、すなわち天主ご自身に、管理人の責任について説明しなければならないのです。王自身は天主に対して義務を負っているのです。「それゆえ、チェザルのものはチェザルに、天主のものは天主に返せ」(マルコ12章17節)。しかし、王自身は天主に誉れと栄光を捧げ、天主の法に奉仕し、従わなければなりません。もし王の法が天主の法に合わないなら、「私たちは人間よりも天主に従わねばなりません」(使徒行録5章29節)。ですから、「ペトロとヨハネは、(最高法院に)『天主をおいてあなたたちに従うことが天主の御前に正しいかどうかは,あなたたちが判断しなさい。私たちとしては、見たこと聞いたことを黙っているわけにはいきません』と答えた」(使徒行録4章19-20節)。ですから、世俗の法は天主の法に反するなら拘束力を失います。つまり、世俗の法は、良心を拘束できないのです。これは、妊娠中絶や安楽死を支持する法律など、多くの現代の法律にも当てはまります。

(8)王の戴冠を得た後、彼女はフランスに対する使命を達成しました。フランスをイングランド王の支配から解放するために彼女が始めた推進力は、彼女の死後数年のうちに彼らを完全に追放することにつながったのです。しかし、彼女は今、自分の人生の証しによって、死ぬまで忍耐することによって、その使命を封印しなければならなかったのです。

彼女はコンピエーニュで逮捕されました。イングランド軍に捕まりやすいように彼女一人を残して扉を閉めてしまった、その街の有力な市民の裏切りの後のことです。その後、彼女はルーアンの牢屋に入れられましたが、そこはイングランド人の手になる世俗の牢屋である一方で、彼女はルーアンの司教によって裁かれました。なぜなら、イングランド人が、彼女を魔女として死刑にすることを望んだからです。

(9)彼女は男性の服を着ていたことで告発されました。彼女はこう答えました。「私の事案は、教会の事案ですから、教会の牢屋に入れてください」。教会には男女別の牢屋があり、女性用の牢屋は女性によって管理されていたため、囚人にとってはずっと安全だったのです。しかし、イングランド人は拒否しました。ですから、彼女が何よりも望んでいたのは、貞潔を守ることであり、そのことが、彼女の例外的な事情を考慮して、彼女が男性の服を着ていた理由であることは明らかでした。

(10)彼女のとても有名な答えの一つに、こんなものがあります。彼女はこう聞かれました。「あなたは成聖の恩寵の状態にありますか」。さて、これは非常に難しい質問です。なぜなら、聖トマス・アクィナスは、成聖の恩寵は超自然的な現実であり、天主の特別な啓示がない限り(聖パウロやファチマの子どもたちなど)、誰も肯定的な答えの確証を持つことができない、と述べているからです。さて、彼女はこう答えています。

もし私がそうでないなら、天主が私をそうしてくださいますように。
もし私がそうなら、天主が私をそのまま保ってくださいますように。
もし私が、自分がそう(成聖の恩寵の状態)でないと知ったら、私は世界で最も悲しい人間になってしまうでしょう。
もし私がそうでなかったら、私は声を持てないだろうと思います。

最初の2行(もし私がそうでないなら、天主が私をそうしてくださいますように。もし私がそうなら、天主が私をそのまま保ってくださいますように。)は、彼女が成聖の恩寵の状態にあると望んでいることを表しています。この2行は質問の罠を避けています。

しかし、次に3行目(もし私が、自分がそう(成聖の恩寵の状態)でないと知ったら、私は世界で最も悲しい人間になってしまうでしょう)は、天主との友情(成聖の恩寵の状態)が彼女の最大の望みであり、何としてもそれを失いたくないということを示しています。

そして最後の1行は、彼女が自分の成聖の恩寵の状態を確信することができるようにするために、天主が彼女にお与えになったしるしを示しています(もし私がそうでなかったら、私は声を持てないだろうと思います)。(彼女が聞いている)その声で示されている聖人たちとの友情は、天主との友情のしるしなのです。

彼女の答えは、黙想の良い題材になるかもしれません。

もし私がそうでないなら、天主が私をそうしてくださいますように。
もし私がそうなら、天主が私をそのまま保ってくださいますように。
もし私が、自分がそう(成聖の恩寵の状態)でないことを知ったら、私は世界で最も悲しい人間になってしまうでしょう。

もう一つの有名な答えはこうです。彼女は教会に不従順だとして非難されました(彼女の裁きを監督した邪悪な司教コーションに抵抗したためです)。彼女は、声の導きに従って私たちの主イエズス・キリストに従順であることが、裁判官を満足させるはずだと主張しました。彼らは、これ以上何を求めることができたのでしょうか? そして彼女はこう言いました。

「私にとって教会とキリストは一つです」

裁判官たちの中には、このような答えや似たような答えを聞いたとき、私たちの主イエズス・キリストの次の言葉が耳に残っていた者もいました。「人々があなたたちを会堂や上司や権威者の前に引いて行くとき、あなたたちはどういうふうに弁明しようか、何を言おうかと心配することはない。そのときに言うべきことを教えてくださるのは聖霊である」(ルカ12章11-12節)。ですから、この裁判官たちは、聖人の死刑宣告に巻き込まれないように、夜までに町を出て行ったのです。

そして、1431年5月30日、彼女は火あぶりの刑に処されました。この最も残忍で不当な処刑の後、処刑に立ち会ったイングランド人の中にも、こう言った者たちがいました。「われわれはこの戦争に負けた。聖人を火あぶりにしたのだから」と。彼女は1456年に名誉を回復し、最終的に1920年に教皇ベネディクト十五世によって列聖されました。

聖ジャンヌ・ダルクに祈りましょう。私たちが、その信心、その勇気、その忍耐、その知恵に倣うことができますように。聖ジャンヌ・ダルク、われらのために祈り給え。童貞と殉教者の元后である聖母、われらのために祈り給え。

アーメン。

Photo Credit


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