イル・ブシャールのご出現
(1947年12月8日~14日)
THE APPARITIONS AT ÎLE-BOUCHARD
(08 to 14 December 1947)
ドモルネ神父様 秋田巡礼での講話
はじめに
この4日間で、3回の講話をしようと思います。1947年12月、フランスの小さな村、イル・ブシャールで起きた童貞聖マリアのご出現についてお話しします。これは、あまり知られていませんが、教会当局が認可しているご出現です。ですから、私たちはそれについて話すことができるのです。
私たちのカトリックの信仰は、聖書の中に見られる天主の啓示と、「聖伝」と呼ばれる教会の不変の教えに基づいています。私たちの信仰は、ご出現に基づくものではありません。しかし、聖母が何度も地上にご出現になったのならば、それは、私たちがキリスト教の信仰をさらによく理解し、その信仰を生きるのを助けるためです。イル・ブシャールで、聖母は、特に祈りについて私たちに教えるために、また実際に私たちに祈りをさせるためにご出現になったのです。
この1回目の講話では、ご出現の物語をお話しします。中心となった幻視者は2016年に亡くなりました。彼女の証言は何度か録画されており、YouTubeで見ることができます。ですから、これからお話しすることは、すべて彼女の証言から直接抜粋したものです。
2回目の講話では、聖母が幼い幻視者たちにどのように祈りを教えられたのかに基づいて、祈りの教育についてお話しします。
3回目の講話では、「めでたし」と観想的な祈りについてお話しします。この二つの祈りは、このご出現の間、特に強調されたものです。
情勢
1947年11月~12月のフランスの情勢:
1947年11月から12月にかけて、フランスは共産主義革命の起こる瀬戸際にありました。戦後期の悲惨な運営による経済的な破綻があり、公権力が無力で、暴動的なストライキが続き、共産主義イデオロギーが国中に活発に広がっているといった情勢でした。
イル・ブシャールは、シノンの近くのトゥーレーヌに位置する田舎の小さな村にあります。当時の住民は千人ほどでした。小教区の教会は、聖エディジオ(聖ジル)に捧げられています。1947年の教区司祭の名前はセジェル神父でした。
また、童貞聖マリアへの大きな信心を持っていた聖女ジャンヌ・ドラヌーが18世紀に設立した、聖アンナ姉妹会が運営する小さなカトリックの学校もありました。
1947年12月8日 月曜日
1947年12月8日の月曜日の午後1時、ジャクリーヌ・オーブリー(12歳)と妹のジャンヌ(7歳半)、そして小さな従妹のニコル(10歳)は、小教区の教会に行きました。その日は、無原罪の御宿りの祝日でしたから、学校のシスターたちが聖母に祈るように勧めていたのです。
ジャクリーヌはこのグループの最年長で、リーダーでした。彼女の両親は、まったく教会に行きませんでした。しかし、一人の敬虔な隣人が、お祈りをするように、よく彼女を教会に連れて行っていました。その隣人は、「めでたし」を唱え、聖母を愛するように教えてくれました。
ですから、12月8日の月曜日、少女たちは聖母に祈るために教会に行ったのです。ジャクリーヌはこう述べました。
「聖水盤の聖水を指につけ、十字架のしるしをして、ひざまずいた後、身廊の左側へ行きました。幼きイエズスの聖テレジアのご像の前を通り過ぎるとき、その前で立ち止まり、立ったまま、『めでたし』を1回唱えました」。
イル・ブシャールの教区司祭セジェル神父は、幼きイエズスのテレジアの信奉者で使徒でしたから、聖テレジアに祈るよう、よく教区の人たちに勧めていました。ですから、少女たちもそうしたのです。
そして、少女たちは聖母の祭壇に行きました。それは、教会の左側の祭壇であり、勝利の聖母に奉献されていました。少女たちはひざまずき、ロザリオ1連を唱えました。すると、ジャクリーヌに、突然見えたのです。「ものすごく美しい貴婦人…そして、その美しい貴婦人の隣には天使がひざまずいています。その光景は、あまりに美しく、あまりに美しくて、私の心臓は強く鼓動し始めました」。そしてジャクリーヌは、別の方を見ていたニコルをつついて、「見て!」と言いました。ニコルもジャンヌも頭を上げました。するとニコルは、「ああ、美しい貴婦人!」と言い、またジャネット(ジャンヌ)は、「ああ!美しい天使! ああ!美しい天使!」と言いました。
3人の少女たちは、しばらく身を寄せ合っていました。そして、ジャクリーヌが他の2人にこう言いました。「行きましょう、教会に美しい貴婦人がいると、他の人たちに知らせないと!」。彼女たちはすぐに教会を出ましたが、美しい貴婦人がまだそこにいるかどうか確かめるために、後ろを向いたままでした。その美しい貴婦人は、彼女らが歩いて出て行くときに、彼女らにほほ笑みかけていました。
教会の外の路上で、通学途中の2人の少女に出会いました。セルジーヌ・クロワゾン(13歳)と、その妹のローラ(8歳半)でした。そして、5人の少女たちは、美しい貴婦人を見るために教会に入りました。聖母の祭壇に近づくと、ローラは「美しい貴婦人と天使が見えるわ」と叫びました。しかし、セルジーヌには何も見えませんでした。そこで、ジャクリーヌは、セルジーヌに自分たちが何を見ているのかを説明しました。
「美しい貴婦人が、茶色で長方形の石の上に立っていました。その石の上には、5本の美しいピンクのバラがあって、金色の文字でこの祈りが書かれていました。『原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え』。その貴婦人はかなり背が高くて、両手を合わせていました。彼女は、下に向かって広がっている、美しく白いドレスを着ていました。彼女は裸足でした。腰には青い帯を巻いていて、両側を縛っていました。帯の垂れ下がっている部分が、右から少し風が吹いているように、ひらひらと揺れていました。襟の縁、袖の縁は金で刺繍されていました。右腕には、白い珠を金の鎖に取り付けたロザリオがあり、鎖の先には美しい金の磔刑像のついた十字架が吊り下げられていました。頭には、美しくて白い、ドレスよりもさらに白いベールがありました。ベールの周囲には、トゥール地方に特有の刺繍がありました。この美しい貴婦人には、ベールの前に、膝まで届く見事な金髪がありました。すべてが美しいですが、とりわけ美しいのが顔でした。並外れた美しさでした。小さな楕円形のバラ色の顔で、バラ色の唇でした。しかし、最も美しいのは、その貴婦人の目でした。素晴らしい。青色ですが、この世では見られない青色でした。その目は、親切さ、優しさと、純粋さに満ちていました。その美しい貴婦人はとても若く、16歳か17歳に見えました。でも、一週間の間、私たちは彼女を「マダム」と呼びました。彼女は偉大な貴婦人のように威厳があったからです。彼女は光に包まれていました。
金色の光線が、彼女の周りに洞窟のような形になっていました。彼女のそばには、一位の天使がいました。天使はひざまずいていました。天使の左手は胸に当てられていました。右手には1本のユリを持ち、三つの白い花が大きく開き、花の先には三つのつぼみがありました。私たちはその天使を横から見ていましたが、白い服を着ていました。その両肩には、小さな羽でできた一対の翼のようなものがぶら下がっていて、震えていました。実際、右から吹いてくるそよ風のようなものがあって、聖母の帯の垂れ下がっている部分と天使の翼を震わせていたのです。翼の縁は金色でした。天使は金髪でした。青い目をしていて、美しい貴婦人の顔よりも細長い顔です。天使は美しい貴婦人を観想し称賛している状態でした。天使は特別な光に包まれていました」。
ジャクリーヌが説明をしている間、美しい貴婦人は子どもたちにほほ笑みかけ、そのように説明されることを喜んでいるように見えました。そして、説明が終わると、美しい貴婦人と天使は、「美しい金色のちりの中にいるかのように」姿を消しました。
セルジーヌは、何が起こっているのか理解できなかったため、恐ろしくなって、みんなに教会を出て学校に行くように言いました。
途中で、ジャクリーヌは、この美しい貴婦人は童貞聖マリアに違いない、と気づきました。学校に着いたジャクリーヌは、校長のシスター・サン・レオンにこう言いました。「私は童貞聖マリアを見ました!」。シスターは答えました。「やめなさい、あなた、おかしいですよ!」。たまたま教区司祭がその場に居合わせました。司祭はジャクリーヌの話を聞いて、彼女に言いました。「その分厚い眼鏡では、はっきり見えないはずですよ!」。ジャクリーヌは実際、目に深刻な問題を抱えていました。近視で、目に深刻な病気があったのです。しかし、司祭は子どもたちに別々に質問し、最後に厳しい声でこう言いました。「わが子らよ、さあ遊びなさい。勉強しなさい。それでおしまいです。このことについては、もう聞きたくありません」。司祭は立ち去りました。するとジャクリーヌは校長のシスターに近づき、こう言いました。「親愛なるシスター、もしシスターが聖母の美しさを知ってさえいたら…」。シスターは答えました。「もしその人がそんなに美しくて、私があなただったら、教会に残っていたでしょう」。
ジャクリーヌはこの答えを、教会に戻ることを許可されたのだと理解しました。そこで、彼女は友達を呼んで言いました。「あの人がまだそこにいるかどうか見に行きましょう!」。
子どもたちが教会に入るとすぐ、美しい貴婦人が、天使と一緒に同じ場所にいるのを見ました。まるで子どもたちを待っていたかのようでした。ジャクリーヌは、後にこう説明しました。「貴婦人は前と同じように美しく、両手を合わせていました。人差し指で、優しいほほ笑みを浮かべながら、私たちに近づくように招きました。私たちは近寄りました。あまりに美しいので、私たちは貴婦人の足元にひざまずきました。すると、貴婦人の顔は悲しそうになり、最初にこう言いました。「小さな子どもたちに、フランスのために祈るように伝えてください。フランスには、それがとても必要ですから」。そして、その後、貴婦人は再びほほ笑みました。
ジャクリーヌに促されて、一番小さな2人の子どもたちが尋ねました。「マダム、あなたは天のお母さんですか?」。聖母は答えました。「はい、私はあなたの天の母です」。「天」という言葉を発しながら、聖母は天に向かって目を上げられました。ジャクリーヌは勇気を出して、聖母に尋ねました。「あなたと一緒にいる天使はどなたですか?」。聖母はその天使の方を向かれました。すると横向きの天使は、子どもたちのほうに顔を向け、優しいほほ笑みを浮かべてこう言いました。「私は天使ガブリエルです」。その目は青色でしたが、童貞聖マリアの目とまったく同じ青色ではなく、同じ表情でもありませんでした。この言葉は、すべての出現の間にこの天使が話した唯一の言葉でした。
そして、聖母は子どもたちに言われました。「接吻をしますから手を出してください」。聖母がある程度の高さにおられたため、小さな少女たちは立ち上がって手を差し出しました。ジャクリーヌは一番小さな子どもたちの手を、聖母の方へ持ち上げましたが、驚くべきことに、まるで重さがないかのように、何の力も入れずにそうしたのです。聖母は身をかがめ、彼女らの右手をゆっくりと取り、その甲、そして人差し指、中指、薬指の先に接吻され、彼女らに向かってこう言って解散させられました。「今夜は5時に、明日は1時に戻って来てください」。そして、聖母と天使は、「美しい金色のちりの中にいるかのように」姿を消しました。
その後、子どもたちは、自分たちの指に光る楕円形の部分が、聖母マリアが接吻なさったまさにその場所であることに気づきました。ジャクリーヌは、これをシスターたちに見せて、ご出現が真実であることを証明したいと思いましたが、教会を出るとその光る部分は消えてしまいました。そのとき、教会の外にいた一人の老婦人だけが、それを見ることができました。
学校に戻ると、少女たちは教会で起こったことを報告しました。校長のシスター・サン・レオンは、少女たちが2回のご出現の間に見聞きしたことを、個別に質問しました。報告した少女たちは全員、同じことを言いました。
その日は無原罪の御宿りの祝日だったため、教区司祭は午後5時に、教会で、ロザリオに先立って聖体降福式を行いました。4人の少女のうち、ジャクリーヌだけが教会にいました。他の少女は家に帰らなければならなかったのです。ロザリオの間、童貞聖マリアと天使は、再び同じ場所にご出現になりました。ジャクリーヌ以外には、そのお姿は見えませんでした。教区司祭が聖体降福式を始めました。司祭は慣例として、主祭壇から聖母の脇祭壇にご聖櫃を運びました。そのとき、聖母と天使は、イエズスのために道を譲るかのように姿を消しました。聖体降福式が終わると、教区司祭はご聖櫃を主祭壇に戻しました。すると、聖母と天使がご出現になりました。
他の人々が教会を出た後、ジャクリーヌは、シスター・サン・レオンに言いました。「シスター、貴婦人はあそこにいて、私たちを見ています。私たちはどうしたらいいのでしょうか?」。シスターは困ってこう言いました。「でも、その人はどこにいるのですか?」。ジャクリーヌは、自分が何を見ているかを説明しました。シスターは強い性格の女性でしたが、怖くなって、ずいぶん震え始めました。シスターはジャクリーヌと一緒に「めでたし」を唱えようと決心しました。しかし、シスターはあまりに恐ろしくて、まともに「めでたし」を唱えることもできませんでした…。ジャクリーヌは、後にこう語っています。「聖母は優しくほほ笑みながら、怯えているかわいそうなシスターを見ておられました」。そして、聖母は、天使とともに姿を消されたのです。ジャクリーヌは言いました。「聖母は行ってしまわれました…」。するとシスター・サン・レオンは、「ふぅー」と安堵の声を上げ、ジャクリーヌに、もうこのことを話さないように命じました。
シスターは、教区司祭に事の次第を報告しに行きました。司祭は怒って、翌日、子どもたちが教会に近づくのを禁じました。司祭は、告知された次のご出現の時刻である午後1時より前に、教会を閉鎖することさえ決めました。しかし、その後、教区司祭は、聖体降福式の間、聖母が御子に道を譲るように姿を消したと聞いて、本当に何かが起こっているのではないかと思い始めたのを認識しました。教区司祭は内心思いました。「子どもがそんなことを思いつくはずがない… 」と。
1947年12月9日 火曜日
翌日、12月9日の火曜日の午後1時前、このようなご出現の話に終止符を打ちたい教区司祭は、急いで教会の扉まで歩いていって、鍵をかけようと決めました。しかし、突然、途中で立ち止まり、教会を開けたままにして、司祭館に戻りました。司祭自身、自分に何が起こったのか、なぜこのように急に決心が変わったのか、説明できませんでした。
午後1時、少女たちは、教会の聖母の祭壇の前に行きました。外には、彼女たちの友達である3人の少女が待っていました。聖母と天使は、前日と同じように再び美しいお姿でご出現になりました。しかし、いくつか違う点がありました。マリアの髪はベールの下に隠れており、足元には、「私は無原罪の宿りです」の文字が書かれていました。胸には金色の文字がありましたが、両手で隠れていました。そのため、子どもたちは、片方の「M―A」、もう片方の「C―A―T」という文字しか見ることができませんでした。最後に、前日にはマリアの右側にいた天使が、今は左側にいました。
聖母は子どもたちに、もっと近くに来るようにと手招きされました。子どもたちはひざまずきました。ジャクリーヌは、外にいる3人の友達も中に入っていいかどうかを尋ねました。聖母は、こう答えられました。「いいですよ、でも彼らには私は見えませんよ」。ジャクリーヌの友達は、村の女性トリンソン夫人と一緒に教会に入りました。夫人は、何が起こっているのかに興味を持っていました。彼らは4人の幻視者の後ろに残り、幻視者の言動を見守りました。
次に、聖母はロザリオの十字架を手に取り、右手の内側に置かれました。左手は心臓の上に置いておられました。聖母は少女たちに寄り添い、優しくこう言われました。「私のロザリオの十字架に接吻してください」。ジャクリーヌとニコルは爪先立ちで十字架に接吻しました。ローラとジャネットは背が低すぎたので、ジャクリーヌが力を入れることなく彼女たちを一人ずつ持ち上げて、彼女たちも十字架に接吻することができるようにしました。その後、聖母は再びロザリオを腕にぶら下げられました。
それから、聖母が子どもたちに教えられた最初の祈りは、美しい十字架のしるしをすることでした。聖母は、それをとてもゆっくりと、荘厳にされました。子どもたちは、こんなに美しい十字架のしるしを見たことがありませんでした。子どもたちも一緒に、聖母の真似をしました。
すると、聖母マリアは悲しげに言われました。「3日後にあなたたちが人に告げてもいい秘密を教えてあげましょう。フランスのために祈ってください。今は、大変危険です」。
そして、再びほほ笑みながら、聖母は続けられました。「神父様に告げてください。2時に来て、群衆と子どもたちと一緒に祈るようにと」。そしてジャクリーヌは、トリンソン夫人と3人の友達に後ろ向きになって、こう告げました。「聖母は群衆を求めておられます。どこで群衆を見つけられますか?」。トリンソン夫人は、起きているすべてのことに非常に感動して、こう答えました。「心配しないで、この小さな子どもたちと私が始めています…」。聖母は、トリンソン夫人にほほ笑みかけられました。
聖母は言われました。「神父様に、私がいるところに洞窟を作り、その隣に、私の像と天使の像を置くように告げてください。それが完成したら、私が祝別します。2時と5時に戻って来てください」。そして、聖母は天使と一緒に、光のちりの中に姿を消されました。
子どもたちは学校へ行き、聖母のメッセージを報告しました。教区司祭は怒って叫びました。「2時だって? 授業の時間ですよ。では、この女の子たちを教室に行かせて、先生に従わせて、私たちの邪魔をさせないようにしなさい!」と。ジャクリーヌは泣きだしました。トリンソン夫人は子どもたちを慰め、子どもたちに、聖母の要望通りに午後5時に教会に戻るように言いました。
午後5時、学校は終わり、子どもたちは教会に戻りました。そこにはすでに30人ほどの人々と20人ほどの子どもたちがいました。実際、トリンソン夫人は、「来て、来て、聖母がご出現になりますよ!」と近所の人々に知らせに行っていたのでした。
マリアと天使が再びご出現になりました。聖母は、子どもたちを手招きして近づかせました。少女たちは聖母の足元にやってきました。マリアは言われました。「私が大好きな讃美歌、『めでたし』を歌ってください」。それが終わると、聖母はジャクリーヌに言われました。「みんなに前に出て、ロザリオを1連祈るように言ってくれますか?」。実際、人々は敬意から、少し離れたところにとどまっていました。全員が1連を祈りました。人々が祈っている間、聖母はロザリオを繰っておられました。それが終わると、ジャクリーヌは尋ねました。「明日も来てくださいますか? また来てくださいますか?」。聖母は答えられました。「明日、午後1時にまた来てください。すべてが終わったら、あなたに知らせます」。子どもたちに「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え」と祈らせた後、聖母は天使と一緒に姿を消されました。
そして、全員家に帰りました。
1947年12月10日 水曜日
ジャクリーヌの父親は、宗教をまったく実践していませんでしたが、その朝、パブで友人たちから、自分の娘たちが聖母を見たと主張していることを知りました。それまでは、妻も娘たちも、怒りっぽい性格の父親に、そのことをあえて話そうとは思いませんでした。怒った父親は家に帰り、ジャクリーヌを激しく叩きました。父親が少し落ち着くと、ジャクリーヌはご出現のことを報告しました。特に聖母の親切さについてです。彼女の話を聞いていた父親は感動し、娘を信じ、ついには妻にも教会に行って何が起こっているのか見るように言いました。
その水曜日、教会には何百人かの人々が来ていました。聖母と天使は、前回と同じようにご出現になりました。聖母は子どもたちに言いました。「『めでたし』を歌ってください」。少女たちは「はい、マダム」と答えました。それから聖母は、左手を心臓の上に置き、右手を子どもたちに差し出して言われました。「私の手に接吻してください」。2人の小さな子どもたちのために、ジャクリーヌは前日と同じように、力を入れることなく2人を持ち上げました。群衆は、聖母も天使も見ることはできませんでしたが、子どもたちが空中のまったく同じ場所に接吻しているのを見ました。それからマリアは言われました。「ロザリオ1連を祈ってください」―「はい、マダム」。1連の祈りが終わると、ジャクリーヌはママの要望でこう尋ねました。「マダム、みんなが信じられるように奇跡を起こしてくださいますか?」。聖母は答えられました。「私は奇跡を起こすためではなく、フランスのために祈るようにお願いするためにここに来たのです。しかし、明日になれば、あなたははっきり目が見えるでしょうし、もう眼鏡をかけることもないでしょう。ロザリオ1連を祈ってください」―「はい、マダム」。子どもたちはそう答えました。
去っていく前に聖母は言われました。「私はこれから、誰にも言ってはならない秘密を一つ教えます。言わないと約束しますか?」。少女たちは、「はい、はい、マダム、約束します」と答えました。そこで、マリアは全員に同じ秘密を託されました。そして、聖母は彼女たちに、こう祈るように言われました。「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え」。そして、天使と一緒に姿を消す前に、聖母は彼女たちに言われました。「明日の午後1時に戻って来てください」。
少女たちは立ち上がりました。人々は彼女たちに、奇跡を起こしてほしいという要望に対して聖母が何と答えられたかを尋ねました。するとジャクリーヌは、聖母が言われたことを人々に伝えました。ここで、ジャクリーヌが、どのように目を患っていたかを、少し詳しく説明する必要があります。彼女は強い近視とわずかな斜視に加え、悪化した化膿性結膜炎に悩まされていました。かわいそうに。両目から膿が出続けていたのです。毎朝、強い頭痛で目が覚め、まぶたには乾いた膿がこびりついていました。母親は、毎朝15分ほどかけて、お湯で洗ってまぶたを開けていたのです。
12月11日 木曜日
木曜日の朝、ジャクリーヌは頭痛もなく、まぶたが膿でくっつくこともなく、完全に見える状態で目覚めました。彼女はベッドの上で喜びの声を上げました。「パパ、ママ、目が見えるわ!」。ジャクリーヌは完全に治ったのです。両親は感激で泣きだし、ご出現を信じました。彼らは教区司祭に知らせ、司祭もジャクリーヌの奇跡的な治癒を目の当たりにして、こう叫びました。「では、聖母が私たちを訪ねてこられるというのは本当のことだ!」。そして、午後1時に全員が教会に行くことにしました。
聖母は、予定の時刻にご出現になりました。聖母はもう一度言われました。「『めでたし』を歌ってください」。歌の後、ジャクリーヌは、司祭が紙に書いて用意した質問を読み上げました。「マダム、どうしてこの教会を訪問なさるのですか?」。聖母は答えられました。「敬虔な人々がいるからです。また、ジャンヌ・ドラヌーがここに来たからです」。確かに200年前、聖母の信奉者であったこの聖女が、この村に福音を伝えるためにやって来ました。そして、それ以来、ここには常に敬虔な人々の一団が住んでいたのです。聖母を愛し、聖母に祈るようにジャクリーヌに教えたのは、まさにその敬虔な人々の一人だったのです。
そして聖母は優しく尋ねられました。「シスターは何人いますか?」。「3人です!」と子どもたちは答えました。聖母は尋ねられました。「創立者の名前は何といいますか?」。少女たちは一緒に答えました。「ジャンヌ・ドラヌーです!」。
次に、ジャクリーヌは、用意されていた二つ目の質問を読み上げました。「マダム、肉体的にも精神的にも苦しんでいる人たちを癒やしたいとお思いですか?」。聖母は、しばらくしてこう答えました。「私は家庭に幸福を与えましょう」。それから、聖母は子どもたちにロザリオ1連と、「ああ原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え」の呼祷を祈らせました。そして、子どもたちに「明日の午後1時にまた戻って来てください」と告げた後、天使とともに姿を消されました。
その日の夕方、ジャクリーヌ一家のところに憲兵隊がやってきて、教会に戻ることを禁じようとしました。しかし、子どもたちも両親も怯えることはありませんでした。その結果、翌日、何が起こっているのかを目撃するために、憲兵隊が自ら教会にやって来たのです。
12月12日 金曜日
12月12日の金曜日の午後1時、教会は満員でした。教区司祭の招待で、周辺の小教区の司祭たちも来ていました。幻視者たちは、お互いに離されており、聖母がご出現になるたびにその方向を見ることはできるものの、お互いを見ることはできない状態でした。しかし、聖母がご出現になったとき、4人の少女たちは同時に反応し、聖母に近づいて行きました。
聖母は、これまで以上に輝いて見えました。聖母の頭の周りには、黒と紫を除くすべての色の光輪がありました。胸に書かれた金色の文字がすべて見えていました。以前は、少女たちは片方の「M―A」、もう片方の「C―A―T」しか読めませんでした。しかし、この金曜日には、少女たちは「MAGNIFICAT」のすべての文字を読むことができました。
聖母は子どもたちに、こう言われました。「『めでたし』を歌ってください」。最後に、マリアは、こう言われました。「もう一度、『めでたし』を歌ってくださいますか?」。聖母が2回続けて歌うように求められたのは初めてのことでした。そして、聖母はこう言われました。「ロザリオ1連を祈ってください」。その後、水曜日と同じように、マリアは左手を心臓に当て、右手を子どもたちに差し出されました。「私の手に接吻してください」。少女たちは接吻をしました。教会にいた人々は、少女たちが空中で、しかし全く同じ場所で接吻しているのを見ることができました。そして聖母は言われました。「あなたたちは罪人のために祈りますか?」―「はい、マダム、祈ります」と少女たちは答えました。聖母は、さらにこう言われました。「そうですね、何よりも罪人のためにたくさん祈ってください」。
聴衆の中に、体の麻痺した少女がいました。ジャクリーヌは聖母に、彼女を治したいと思っておられるかどうかを尋ねました。マリアは答えられました。「ここで治さない場合は、他の場所で治すでしょう」。そして再び、子どもたちにロザリオ1連を祈らせました。この後、司祭たちの求めに応じて、ジャクリーヌは尋ねました。「マダム、もう一度奇跡を起こしていただけますか?」。マリアは答えられました。「私は奇跡を起こすためではなく、フランスのために祈るようにお願いするために来たのです。明日の午後1時にまた戻って来てください」。そして、聖母は天使と一緒に姿を消されました。
司祭たちは、子どもたちを別々に連れて行き、彼女たちの証言を突き合わせるために質問を行いました。
フランスが、共産主義革命と、勃発寸前だった内戦から奇跡的に救われたのは、この金曜日でした。翌週、内務省の一人の役人がイル・ブシャールの教区司祭を訪ねてきました。役人は、ご出現の話を聞かせてほしいと頼みました。役人は、その金曜日に、突然、予想に反してゼネストが終わり、みんなが仕事に戻り、革命の開始が止まり、すべてが平和になった、と言いました。
1947年12月13日 土曜日
12月13日の土曜日、聖母は、光輪はありませんでしたが、胸に「MAGNIFICAT」の言葉をつけたままご出現になりました。ジャクリーヌは、カーネーションの花束を持ち、それを聖母に差し出しました。「マダム、お花です」。聖母はその花を見て喜ばれました。ジャクリーヌが、「でも、マダム、これを受け取ってください…」と言うと、聖母は「いいえ。それを祝別してあげましょう」と答えられました。そして、司祭たちの求めに応じて、ジャクリーヌは尋ねました。「マダム、奇跡を起こしていただけませんか?」。聖母は、ほほ笑みながら「後で」と答えられました。
その日、主に童貞聖マリアは、子どもたちやその場にいた人々に祈りをさせられました。長い間、祈ることをやめていた多くの人々が、「めでたし」の祈りを再発見したのです。ジャクリーヌは、人々が聖母に祈れば祈るほど、ますます聖母は幸せそうに見えました、と後に語りました。
聖母は、ジャクリーヌに個人的なことを話されました。その後、聖母はこう言われました。「明日の午後1時にまた戻って来てください。これが、私が来る最後になります」。そして、これまでのように、天使と一緒に姿を消されました。
12月14日 日曜日
聖母の最後の訪問に備えて、シスターの一人が一つ質問を用意し、それを小さな紙に書きました。それは「罪人たちが起こしたイエズスに対する罪に対して、イエズスの聖心をお慰めするために一番しなければならないことは何でしょうか?」でした。教区の司祭たちも一つ質問を用意しました。村長は、聖母のためにフラワーアレンジメントを用意しました。約二千人の群衆が集まりました。
午後1時、これまでより幸せそうな聖母がご出現になりました。同時に、4人の少女たちが、「聖母が来られました」と叫び、聖母の足元にひざまずきました。そして、聖母が少女たちに、「『めでたし』を歌ってください」と言われると、子どもたちは、「はい、マダム」と答えました。
そして、ジャクリーヌは、教区司祭が用意した質問をしました。「マダム、トゥールの大司教、ブロワの司教、学校、そしてトゥーレーヌの司祭たちを祝福していただけますか?」。聖母は少し待ってから、肯定的にうなずかれきました。「ああ、ありがとうございます、マダム」と少女たちは叫びました。少女たちは立ち上がり、花束をできる限り聖母の方に差し出しました。聖母は花束を見て、子どもたちにほほ笑まれましたが、花束は受け取られませんでした。ジャクリーヌが言いました。「これはあなたのものです。お受け取りください…」。聖母は答えられした。「いいえ、私は受け取りません。私がそれを祝別し、それに接吻をして、あなたにあげましょう」。
ジャクリーヌは、シスターが用意した質問をしました。すると、聖母はこう答えられました。「祈ることと、犠牲をすることが必要です」。そして、聖母はこう言われました。「十字架の上にいるように腕を伸ばして、ロザリオ1連を祈ってください」。「はい、マダム」と答えて、4人の少女たちが同時に腕を十字架の上にいるように伸ばしました。群衆全員もそれを真似て、子どもたちと一緒にロザリオ1連を祈りました。
そして聖母は言われました。「人々にマグニフィカトを歌うように言ってください」。教区司祭はそのことを告げられ、ラテン語で荘厳なマグニフィカトを唱えました。ご出現の間、聖母はずっと子どもたちを見つめておられました。しかし、マグニフィカトの歌唱のとき、幸福に輝いて、聖母は天を仰ぎ、聖歌の間ずっとそうしておられました。
マグニフィカトが終わると、聖母は再び子どもたちを見つめられました。そして、ロザリオ1連を祈るように求められました。1連の祈りの後、司祭の求めに応じて、ジャクリーヌが尋ねました。「マダム、お帰りになる前に、奇跡を起こしていただけますか?」。聖母はほほ笑みながら答えられました。「帰る前に、明るい太陽の光を送りましょう」。
ご出現は35分間続きました。聖母は、子どもたちにロザリオ5連を祈らせられました。聖母は、ずっと話しておられたわけではありません。しかし、子どもたちと聖母の間には、沈黙の時間、霊魂から霊魂への内的な会話の時間がありました。
聖母は再び言われました。「『めでたし』を歌ってください」。子どもたちは心をこめて歌いました。歌の途中、投光機のような光が来て、聖母と天使と子どもたちを照らしました。すると、その日はどんよりとした曇りの日で日差しがなかったにもかかわらず、ステンドグラスを通して細い日差しが教会に入り、どんどん強くなっていき、教会全体を天井まで照らし出したのです。このことは、その場にいたすべての人々が目撃しました。
聖母は、「神父様は洞窟を造ってくださいますか?」とお求めになりました。「はい、はい、マダム、私たちはそれを造ります」。
最後に、聖母は子どもたちに「ああ原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え」の呼祷を唱えさせられました。そして、聖母は子どもたちを祝福し、すべての人々を見つめ、司祭団を優しく見つめ、最後に子どもたちをほほ笑みながら見つめ、天使とともに姿を消されたのです。
おわりに
このご出現の後、フランスは共産主義革命から救われただけでなく、各地のカトリック教徒の間で新たな熱狂があり、多くの回心が起こりました。そのとき以来、イル・ブシャールの聖母への巡礼が数多く企画されるようになりました。そして、多くの巡礼者が、家庭の中で受けた恩寵を証ししています。「私は家庭に幸福を与えます」という聖母の告知されたことが実現したのです。