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誰かが彼らに教えますよ、ウォールバーグさん(ジェイソン・モーガン准教授の記事)

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Someone Will Teach Them, Mr. Wahlberg

ジェイソン・モーガン(レムナント東京特派員)

誰かが彼らに教えますよ、ウォールバーグさん

ハリウッドのベテラン俳優で、実践的なカトリック信者であるマーク・ウォールバーグの新作映画「ステュー神父」(Father Stu)が、大きな話題を集めている。この映画は、酒に溺れて苦しい生活を送っている男が、心を入れ替えて、天主との関係を正しいものにし、地域社会で、またそれ以外の場所でも良い仕事をするようになるというものだ。

さて、信仰心に満ちたカトリック神父を題材にした映画を作ることは、理屈の上では、行うべき素晴らしいことである。映画としての出来不出来はともかく、主演のマーク・ウォールバーグ自身が資金を出したという事実は、ウォールバーグがカトリックのメッセージをできるだけ多くの観客に伝えたかったということを表している。大作映画は、全世界で数億人、数十億人の観客に見られる可能性がある。ウォールバーグは、カトリックの神父を肯定的に描くこと(少なくとも、ウォールバーグが考えていたはずのこと)で、少なくとも、映画を作ろうとすることと同じくらい、改宗を勧めようとしていたに違いない。したがって、「ステュー神父」は、イエズスとその教会に対してしばしば敵対しているこの世に福音を広めるための方法、一つの積極的な働き掛け(outreach)行為と読み取ることができる。

そのため、ウォールバーグが米NBCテレビの「トゥデイ」(Today)ショーで、カトリックをテーマにした新作映画のプロモーションのためのインタビューを受けた際、自分の子どもたちについて聞かれ、次のように答えているのが奇異な印象を受けた。

「私の信仰でさえ、子どもたちに強制はしていません。しかし、子どもたちは、父親がお祈りをしないでは一日を始められないと知っていますし、聖書を読まないなら、またミサに行かないなら、一日を始められないことを知っています」とウォールバーグは言った。

「信仰を子どもたちに押し付けるのではなく、彼らが『信仰でお父さんがうまくいくなら、私たちも信仰をもつとうまくいくかもしれない』と思って、言ってみれば自然に信仰に引き寄せられることを期待しているんです」。

世俗的な環境に生きている信者であっても、しばしば出くわす決まった言い回しがある。「宗教は個人の選択であり、親であっても自分の信条を子どもに教えることは許されない」というものだ。幼いうちから特定の宗教を教えるのは間違っている、という考え方である。誰もが「多様な宗教体験」に触れ、そのうえで自分の形而上学をどう構築するのが一番いいのか、自分で決められるようにすべきだ、というものだ。

しかし、それとは逆に、数百万ドルもの私財を投じて映画を製作し、おそらくは世界中の観客に向けてカトリックの信仰を肯定的に描いた人物が、自分の子どもたちに自分の宗教的感性を押し付けたくないと主張するのは、非論理的である。

カトリック教会がイエズス・キリストによって人類の救いのために創立された手段であると心から信じている人物が、自分自身のためには教会の賜物と恩寵を求めるくせに、自分の子どもたちにはそれらを与えないというのは道徳的に間違っている。

さらに言えば、親が自分の子どもたちに宗教を教えなければ、他の誰もが宗教を教えることはないと考えるのは、あまりにも世間知らず(ナイーヴ)である。

実際には、子どもたちが何らかの宗教的指導を受けずに済むことはあり得ない。この世俗的な言い回しは、不注意な希望的観測である。もしマーク・ウォールバーグが家族にカトリックの信仰を教えないなら、誰かが自分の信条を教え込むだろう。そして、その場合、子どもの善を求めるような信条体系ではない可能性が非常に高い。代わりに、カトリックの信仰を教えられないままの子どもたちは、多くの捕食者たちの餌食となる。この捕食者たちの多くは現在、公立学校とともに、公立学校の中で、公立学校によって、他人の子どもたちに自分の信条を押し付けようとしているところなのである。

ここ数年、特にここ数カ月、米国の親たちは、公立学校が幼稚園から高校まで子どもたちに押し付けている堕落や嘘について学んできた。 (大学ではもっともっとひどくなる。この事実は、少し前にほとんどの賢明な人々にどうにか伝わったが、親たちは子どもを大学に行かせ続けている。これも不可解な不合理(non sequitur)である)。批判的人種理論 Critical Race Theory (基本的にマルクス主義革命と"分割払い"の[少しずつ構築していく]人種戦争)からトランスジェンダー主義やその他のLGBTQの籠(かご)にある腐った果実まで、子どもたちは間違いなく「宗教体験の多様性」を教えられている。皆さんの子どもが公立学校の教室に足を踏み入れるたびに、国家予算による反人間的な進歩主義の伝道者の魔の手が伸びているのだ。

例えば、「Mx.ビーマン」を見てみよう。Mx.ビーマンはかつて平凡な女性Ms.ビーマンだった。でも今では、彼女は(ここに新しい代名詞を挿入)だ。そしてMx.ビーマンは、彼女(???)の歪んだイデオロギーを小さな子どもたちに押し付けているところだ。公立学校には、たくさんの「Mx.ビーマン」がいる。その一人一人が、そして教員組合(イスラム過激派テロリスト集団のハマスのようなものだが、その英語能力はハマスよりも劣る)という組織全体が、皆さんの子どもたちを狙っているのである。

最近、「グルーミング」(Grooming)が辞書に載った。主に、ディズニーの幹部やスタッフがいかに子どもたちを性の対象としたか、またディズニーが米国や世界に売り込んでいる堕落した文化に搾取されるよう仕向けたかを説明するためである。しかし、企業がカミングアウトし、自分たちが子どもをセックスフレンドになるよう洗脳していることを本質的に認める以前は、皆さんの地元の公立学校はトランスジェンダー主義、人種暴力、文化的マルクス主義、性転換手術、ゲイプライド、反キリスト教的ヘイト、そして全面的な「大混乱」(pandemoniumミルトンの「失楽園」の地獄の首都、万魔殿)を、何も知らない生徒たちに押し付けていたのである。

今年の母の日の時点で、複数のありふれた民主党員でさえ、カトリック信者に対する憎悪犯罪を呼びかけている――ミサの中でだ。教会の破壊行為やテロ攻撃はますます増えている。このテロを煽っている人々は、皆さんの子どもが公立学校で何を「学習する」かを支配しているのと同じ、民主党・メディア・「教育」複合体の一員なのである。

(公平を期すため、最高裁判事ブレット・カバノーが妻子と住んでいる自宅前の抗議を先導している異常者は、公立学校の教師ではない。それよりももっとひどいのだ。彼女は、エピスコパル校のティーチングアシスタントである)。

そして、米国の公立学校には生まれながらの偏見があることを、どうか忘れないでほしい。反カトリック主義は、米国の公立学校のDNAなのである。

「ステュー神父」は、豊富な人生経験を積んだ男、世の中がどのように動いているのかを理解しているように見える世慣れた元ボクサーの話だ。それにもかかわらず、ハリウッドでキャリアを積んでいて、そのため堕落した人間が何をしでかすか知っているはずのこの映画製作者は、子どもの育成に関しては世間知らずのよう(ナイーヴ)だ。大衆(masses)のための映画を作るが、小さな子どもたちのためのミサ(Mass)はない。それは単に間違っているだけではない。悲劇的なまでに間違った方向に導かれている。

マーク・ウォールバーグは、自分の子どもたちにカトリックの信仰を教えるつもりはないと言っている。しかし、その空白のところに、誰かが何かを教え込むだろう。そしてそれは、カトリック教会のカテキズムではなく、堕落と罪のカテキズムから来るものであることは、ほぼ確実だと保証できる。

【ジェイソン・モーガンは、日本の柏市にある麗澤大学の准教授】

Photo Credit


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