【参考情報】バチカン、フランスの聖伝の司教に司祭・助祭の叙階停止を指示
Vatican tells traditional French bishop to suspend ordinations of priests, deacons
トゥーロン・フレジュス教区の4人の司祭と6人の助祭の叙階を、突然残忍にも――また無期限に――停止した理由は、ローマから出されていない。
ジャンヌ・スミッツ(パリ特派員)
2022年6月4日 米東部標準時夏時間午後5時27分
(LifeSiteNews) フランスの司教たちに関する二つの個別の出来事(一つは聖伝に寛容で、もう一つは明らかに聖伝に反対するもの)で、古い典礼のミサや聖伝の聖職者の服装に愛着のある聖職者への迫害精神が高まっていることが、大きく強調されています。
最も深刻な決定は、フランス南部のトゥーロン・フレジュス教区に関わるもので、その教区のドミニク・レイ司教は木曜日にローマから、6月26日に行われるはずだった司祭と助祭の叙階式を、ローマのさまざまな省と協議するまでは中断しなければならない、という通知を受けました。
同じ日、フランス南西部トゥールーズ教区のギー・ド・ケリメル大司教は、教区の神学生に手紙を送り、スータンを着ている者が目撃されていると不満を述べ、これをやめるよう命じ、この規則は神学校内部と、外部でのすべての活動に義務付けられていることを明らかにしました。その理由は、司祭職への準備をしている若者が、「過度に聖職者的な」イメージを与えているというものでした。
22年間教区を率い、フランスで最も盛んな神学校の一つを誇るドミニク・レイ司教(ほとんどの教区の神学校が閉鎖され、司祭養成のための「諸司教区共立」養成所が12ほどしか残っていません)に関して、突然の残忍な――そして無期限の――司祭になるはずだった4人の司祭と6人の助祭の叙階式の停止についての理由は、ローマから出されていません。
関係者にとって、このニュースは衝撃的でした。彼らは叙階の日を目指して生活してきたというのに、数カ月後、1年後、あるいはこれからも聖なる品級を受けることになるかどうか今では分からないのです。レイ司教の教区総代理の一人は、フランス司教団の非公式新聞「ラ・クロワ」(La Croix)に、「彼らはこのことを、痛みをもって経験し、待っている立場にあります」と語っています。誰の目にも明らかなのは、神学生自身が司祭職としての適性を問われているというよりも、神学生を犠牲にして、司教個人が標的にされていることです。
この新聞は、聖伝志向の多くの観察者がすでに残酷な停職処分の真の原因として指摘していたことに重点を置き、「内部情報源」を引用して、レイ司教が聖伝主義の傾向を持つ将来の司祭たちを歓迎したという事実は、場合によっては教区内でさえ「疑念」を呼び起こすものだったと述べました。ラ・クロワ紙によれば、レイは「判断力の欠如を示した」と非難されています。
司教は、カリスマ派の(charismatic)「新しい共同体」と聖伝の(traditional)ラテン語ミサに愛着を持つ司祭の両方を歓迎し、「聖伝カリスマ派」(tradismatic)というあだ名を頂戴しました。司教自身は、保守的なカリスマ派共同体「エマニュエル」の出身です。
しかし、レイ司教に対する「制裁」と言及されているものの原因は、嫉妬であり得るのでしょうか? 実のところ、嫉妬には2種類あります。
一つは、トゥーロン教区の司祭の数が平均より多いこと、つまり約70万人の霊魂(カトリック人口)に対して300人もいること、そして司祭の平均年齢も他の地域より低いことが引き金になったのかもしれません。昨年、10人の司祭と8人の助祭がモンシニョール・レイによって叙階されましたが、彼らの多くは他の教区出身者で、さらには外国の者もいます。ラ・カスティーユ神学校は、フランスで2番目に大きな司祭養成機関です(1番目はサン・マルタン共同体で、聖伝の典礼の司祭養成機関に入るつもりのない聖伝志向の若者が、同共同体の教理的堅固さから、この数年集まってきています)。
LifeSiteの情報源の一つが示唆するもう一つの嫉妬の動機は、数年前にトゥーロン神学校の元校長がその職を解かれ、それに関して、彼が、神学校が「聖伝化」されているという不平を述べた公開書簡をローマに書き送ったことです。彼は特に、2005年にトゥーロンに設立された聖伝の共同体、すなわち聖伝の形式でミサを捧げるMissionaires de la Miséricorde(あわれみの宣教者会)のメンバーに「学監」(prefect of studies)のポストが割り当てられたことを強調しました。彼らは属人小教区を与えられており、その特別な「カリスマ」は、トゥーロンで増え続けるイスラム教徒の移民に福音を宣教することです。
LifeSiteが相談した情報源によると、レイ司教に対するローマの攻撃の根本的な理由が何であれ、それはレイ司教がローマに召喚されて引き起こされ、ローマで彼は、聖職者省での大人数の委員会によって尋問されました。一部の人々による攻撃的な尋問もありました。
尋問の後、トゥーロン教区は、近郊マルセイユのジャンマルク・アヴリーヌ司教による「友好的」とされる使徒的訪問を受けました。ちなみにアヴリーヌ司教は8月に予定されている来る枢機卿会議で教皇フランシスコによって枢機卿に任命される予定です。アヴリーヌはフランスの新聞では教皇フランシスコの友人であり支持者であるとされ、今は都市や村の大部分に主にイスラム教徒が住む自身の「多文化」教区で宗教間対話を説いています。
同時に、司教省長官のマルク・ウエレット枢機卿とも話し合いが持たれました。同枢機卿は、レイ司教の聖伝志向の考え方を明らかに受け入れておらず、レイ司教が退任するのを見るのを切望しているといわれています。実際には、レイ司教を退任の気持ちにさせることが真の目的である可能性もあります。教皇フランシスコの自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis custodes)によってすでに緊迫した状況にある中で、レイ司教の退任は、ウエレット枢機卿を筆頭とする反・聖伝ラテン語ミサ派にとって大きな勝利となるでしょう。非常に信頼できる情報源は、ステラ、パロリン、ベルサルディ各枢機卿とともに、この自発教令の発表に大きく賛成した人物としてウエレット枢機卿の名を挙げています。
トゥーロン・フレジュスへの使徒的訪問は公式報告には至っていませんが、レイ司教の司祭叙階を無期限に禁止するという決定は、"この教区が聖伝のミサに開かれている"ことに、ローマが注目していることと明らかに関連があり、何カ月も前から準備されてきたものです。しかし、その決定自体を規定する規範は、教会法の規範を尊重したものではなかったように思われます。
レイ司教は木曜日に、前述のローマとのやり取りの数々を思い起こさせる声明を発表しました。彼はこう付け加えました。
私たちは、この要請を悲しみと確信をもって受け入れ、この要請が、とりわけ叙階を受けようとしていた人々にとっての試練であることを自覚しています。
私たちは彼らのために祈り、彼らの旅に同伴し続けていきます。全員の利益のために状況が明らかになるまで、皆さん一人一人が、私たちの教区のために祈ってくださるようにお勧めします。
聖霊降臨の霊が、私たちの心を平和に保ち、喜んで奉仕し愛することができるようにしてくださいますように。
信徒のグループが、この決定がもたらす「悲惨な結果」を考慮するように願う教皇フランシスコへの嘆願を立ち上げました。彼らはこの決定が「大きな混乱を生む」と言っています。
「私たちの手紙は、私たちがこの叙階停止について理解できないことと同時に、レイ司教に愛着を持っていることを表明します。司教が22年間この教区に植え付けることを可能にした活力を考えてのことです」と、文章の作者の一人はラ・クロワ紙に語りました。
一方、トゥールーズでは、この古くて大きな司教区の大司教自身が、サン・シプリアン神学校にいる15以上の教区から集まった全員で43人の学生と8人の叙階された「学生司祭」のうち、より聖伝志向のある学生を狙っているように見えます。
トゥールーズの大司教であるギー・ド・ケリメル大司教は6月2日付で彼らに手紙を送り、その手紙はすぐにソーシャルメディアで公開されました。その手紙には前日の夜、大司教が共に過ごした時間に対して若者たちに「感謝した」と書かれていました。その手紙の目的は、トゥールーズの中心地で行われた学生のための堅振式で、スータンとスルプリを着用したのを目撃された若者が何人かいたことに対する不満を公式に表明することでした。
神学生が行き過ぎた聖職者の服装をするのは望ましくありません、と私は皆さんにお話ししました。将来のこれら聖職者たちが(中略)見せるイメージは、信者席から遠く離れた聖職者席に座っていれば、まだ奉仕活動になくとも、非常に聖職者的なイメージを与え、まだ信者である神学生の皆さんの状況に適応していないことに私は気づきました。皆さんは私のコメント、とりわけ私が皆さんにお願いしていることを理解していなかったようです。
私の望みを明確にしておきたいとい思います。神学校ではスータンを着用することは許可されていません。それが現在の規則です。ですから、私はトゥールーズ教区の神学校の外でもこの規則を適用するようお願いしていますし、これは助祭にも適用されます。役務的司祭職のために勉強している若者の優先事項は、その役になりきるのを目指すのではなく、謙遜と真理のうちに、キリストとの関係を増大させ、強化すべきことだと私には思えます。その後で、特徴的なアイデンティティーを見せることにこだわる前に、司牧的愛徳が自分の中で成長できるようにし、自分をすべての人に近づきやすくし、人々を、特に貧しい人々や最も遠くにいる人々を愛する努力をしなければならないと思います。将来司祭になれるかどうかは、何よりもその人の聖性、奉仕の精神、司牧的関係の質のおかげで識別できるようになるはずです。
入学後は、特徴的なしるし(「ローマン・カラー」または単に十字架)をつけることができます。助祭職の場合、聖職者は「司教協議会によって定められた規則と地域の合法的な慣習に従って、ふさわしい教会の服装」(教会法284条)を身に着けるように求められています。
フランスでは1960年代の世代が高齢化し、多くの若い召命が、新しいミサや第二バチカン公会議後の多くの激変の先導者となった司祭たちと対立しています。教区の各神学校内でも、これらの若者の多くは、カトリック司祭職の聖伝の形式や服装に、先輩たちよりももっと愛着を感じています。このことは、フランスのカトリックの位階階級の一部にとって明らかに問題であり、聖伝志向の学生たちに関する多くの話題がそれを証明しています。
ド・ケリメル司教の手紙は、聖伝の典礼や服装に愛着を持つ神学生の「硬直性」に関して教皇フランシスコが数多く宣言していること、司祭を「会衆」から切り離して会衆の上に置くやり方として恥ずべきものとする「聖職者主義」を常々非難していることと非常によく一致するものです。これは、教会が、位階構造を持つキリストの神秘体というよりも、むしろ「天主の民」であるいう考え方とも一致します。しかし、キリストの神秘体とは、主がその頭(かしら)であり、聖職者(特に、秘跡を通してキリストの恩寵を分配するために「キリストに代わって」行動する者)、修道者、信徒はその肢体であるという考え方です。
神学生にとってスータンを着ることは、自分がこの世から切り離され、結婚などのこの世の魅力を放棄するしるしであると同時に、自分が天主によって選ばれ、たとえ実際には司祭職になれなくとも、天主の呼びかけに応えているというしるしでもあるのです。また、独特の服装は、独身であることを含め、彼らの身分の特別な必要要件を守っていることを、他人が見て分かるためでもあります。
「聖職者主義」に対するド・ケリメル大司教の攻撃は、彼が「トラディティオーニス・クストーデス」の最も熱心な擁護者の一人であるという事実を思い起こさせるものでもあります。前任地のグルノーブル教区で、彼は昨年11月に教令を発表し、聖伝のラテン語ミサを捧げるすべての司祭は新しいミサも捧げなければならず、聖伝のミサが「許容」されているグルノーブルの一つの教会では、月に一度の主日には新しいミサに代えるように命じています。彼はまた、他の秘跡を聖伝の典礼で執行することも拒否しました。
ジャンヌ・スミッツ(Jeanne Smits)は、1987年、法学修士号を取得後、フランスでジャーナリストとして活躍。フランスの日刊紙「Présent」の元編集長で、インターネットを利用したフランス語圏のニュースサイト「reinformation.tv」の編集長を務めていた。多くのカトリック雑誌(Monde & vie, L'Homme nouveau, Reconquête...)に定期的に寄稿するほか、個人のプロライフブログを運営している。また、オルタナティブ・メディアに関するラジオやテレビ番組にしばしば招かれている。キリスト教とフランスの防衛協会「AGRIF」の副会長。ヘンリー・サイアー著「The Dictator Pope」とシュナイダー司教著「Christus Vincit」のフランス語への翻訳者であり、最近では「Bref examen critique de la communion dans la main」に「手による聖体拝領」について寄稿している。結婚して3人の子どもがおり、パリ近郊に住んでいる。