2022年5月21日(土)聖母の土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 レネ神父様御説教(修道院)
同時通訳:聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
マリア様は、色々な面で「第一番」です。ある意味では、「唯一」であります。
マリア様は例えば、「忍耐」とか、あるいは「柔和」などについて最高です。もちろん、私たちの主イエズス・キリストの次に最高です。しかしマリア様「だけ」が持っているというものがあります。
第一は、「無原罪の御孕り」です。これはマリア様だけがお持ちの特権でした。
もう一つは、「童貞でありながら母親となって、子供を産んだ」ということです。
もう一つは、「共贖者」つまり、「イエズス・キリストと共に贖いの業を行なった」という特権です。
マリア様は、そのご自分が勝ち取った功徳を皆に配ります。ところが、そのもちろん御恵みを配る、あるいは仲介する、あるいは取り次ぐ、ということは、私たちにもできます。隣人の為にお祈りをする、あるいはお父さんお母さんが子供の為にお祈りをすることができるからです。しかし、その取り次ぎは非常に限られています。マリア様は限られていません。
聖母は取り次ぎをする為に、その「功徳を一緒に勝ち取った方」だからです。
マリア様は、「被昇天」という特別の特権もお持ちです。
『マニフィカト』の祈りには、「力ある御方が、私に偉大な業をなさった」とあります。マリア様は、すべて偉大なことが主から受けた、ということを認めつつも、そしてマリア様はその最高の徳を、唯一の特別なやり方でお持ちになっています。
近代主義者、あるいはプロテスタントの人々は、特にマリア様を普通の、私たちと同じようなものであると考えようとします。しかしそうではありません。マリア様は特別な方で、色んな意味で特別でユニークな方です。
マリア様が特別で、唯一な方である、ということは、聖書にも書かれています。無原罪の御孕り、あるいは童貞でありながら子供を産む母となったということは、聖書にもあります。
ですから私たちはマリア様に関して、このカトリック信仰を非常に誇りに思って下さい。恥ずかしがることは一切ありません。なぜかというと、この真の信仰こそが、聖書に合致している内容だからです。
マリア様が天に上げられて、特別の特権をお持ちで、そのまま天に上げられたということは、マリア様ご自身だけのことではありませんでした。実は、私たちの為でありました。なぜかというと、私たちの為に、私たちの世話をして、私たちの為に心を砕く母が、天にいらっしゃる、ということであるからです。私たちの為に面倒を見る最高の母親がいらして、しかも私たちのことを決して見捨てたり、ほっぽらかしたりしない、ということです。
最高の母が私たちにいて、そして私たちの為にいつも見守って下さるということは、何という勇気づけられることであって、慰めでしょうか。マリア様が全ての特権を持って天国にいらっしゃるのは、まさに私たちの為でした。
私たちが何かに反抗したりとかという態度ではなくて、良いマリア様の子供として、マリア様に従順な良い子供として、マリア様に寄りすがることに致しましょう。母親というのは、子供がすべきでないことをするのを見ると非常に悲しみますが、もしも子供が良い、正しいことをすれば、もしその正しいことが例え不完全であって、まだ未熟であったとしても、良いことをするのを見るのは、非常に喜ばしいことです。
教会は、「マリア様に対して、謙遜で、そして従順な信心を持っているということは、救いのしるしである」と教えています。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。