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ジャンヴィエ・グベヌ神父(元オプス・デイ所属司祭)のフランシスコ教皇への手紙:聖伝の教えに不忠実な者たちは賞賛を、聖伝に忠実な司祭たちは制裁を受けている

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ジャンヴィエ・グベヌ神父(元オプス・デイ所属司祭)のフランシスコ教皇への手紙

「天主と天主の民への尊敬と従順」を著しく欠いた枢機卿の方々を前にして、教皇様は、罪深くつまずきを与える沈黙を守られるのでしょうか?カトリック教会の聖伝の教えに対して不忠実なこれらの枢機卿の方々に、どのような制裁があるのでしょうか? かれらは制裁をうけるどころか教皇様から責任ある地位と公の賞賛を受けています。その一方で、キリスト教の聖伝に忠実な司祭が制裁を受けているのです。

教皇様、フランシスコ教皇様とバチカンのこの不当な正義は何なのでしょうか? 天主がこのような不正を受け入れることができると、教皇様は確信しておられるのでしょうか? なぜ今日、この永遠の天主の法に対する教皇様の明白な不従順に従わず、絶対の天主の法に従うことを好む人々に対して、カトリック教会に独裁の風が吹いているのでしょうか? このように、キリスト信者を、天主の御怒りを招き、天主の永遠の法を軽んじるように至らしめる教皇様は、ご自分が本当にキリスト信者の尊敬に値するとお思いなのでしょうか?

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ジャンヴィエ・グベヌ神父(Abbé Janvier Gbénou)は、イエズスマリア・ミシグベト神父 Father Jesusmary Missigbètòというペンネームで2021年10月21日、「アモーリス・レティチア」にある同性愛に関する誤りの教えについて教皇フランシスコに訂正を求めました
2021年12月8日には第二の手紙も書きました
2022年3月25日には第三の手紙も書きました
2022年6月には第四の手紙も書きました

しかし、2021年3月、オプスデイはジャンヴィエ・グベヌ神父に聖職停止の処分を与え、2022年2月には神父を同会から追放しました。それ以来、コートジボワールの家族の家に住み、公的なミサも私的なミサも説教も告解を聞くことも禁止されました。

グベヌ神父は、この処分を受けた後の2022年3月、あわれみの教皇フランシスコに上訴しました。しかし、教皇フランシスコはカトリックの教えに従わない人々に見せるようなあわれみをもってお答えになりませんでした。マルク・ウエレ枢機卿(Cardinal Marc Ouellet)は教皇フランシスコの認可を得て、ジャンヴィエ・グベヌ神父に、一切の聖職を停止処分を再確認しました(2022年5月30日)。

そこでグベヌ神父は、教皇フランシスコに手紙を書きました。

教皇を愛するがゆえに、教会を愛するがゆえに書いた手紙です。

2022年7月1日 アビジャンにて

フランシスコ教皇聖下宛

いとも親愛なる教皇聖下

私はちょうど、教皇様とマルク・ウエレット枢機卿の署名のある司教省の教令を受け取ったところです。その中で、教皇様は、この教令によれば、私が「教皇への尊敬と従順」(教会法273条)に欠けていたため、オプス・デイの総長によって私に課せられた制裁の正当性を確認されました。要するに、私は、説教をすること、告解を聞くこと、そして公的にも私的にもミサを捧げることを禁止されているのです。

私は教皇様の決定に留意いたしますが、その決定は不当であるため、承服はできかねます。さらに、2016年以降、教皇様ご自身が「天主と天主の民への尊敬と従順」を著しく欠いておられるため、私は良心に基づき、フランシスコ教皇様に対する公の批判を断念することはできません。実際、教皇や司教である前に、教皇様は司祭であり、教会法によれば、「聖職者は、叙階によって新たに天主に聖別され、天主の神秘の分配者として天主の民に奉仕する者であるから、自己の生活において聖性に励む特別な義務を有する」(276条)のです。さらに、司教および教皇として、教皇様は次の条文に関心を抱いておられるでしょう。「信仰の背棄者、異端者及び離教者は、伴事的(latae sententiae)破門制裁を受ける」(1364条)。「公開の上演若しくは演説において、又は公刊された出版物で、又はその他の方法でによるマス・メディアを用いて冒涜を吐く者、若しくは、著しく良俗を害する者、信仰又は教会に関して誹謗する者、又は憎悪若しくは軽蔑を挑発する者は、正当な刑罰をもって処罰されなければならない」(1369条)。

教皇様、教皇様は司祭、司教、教皇としての聖性の義務を怠っておられること、そして、異端を広めておられること、善き道徳を著しく傷つけておられることを申し上げましょう。そして、教皇様の場合、単なる司祭や司教以上に、これは非常に深刻なことです。私たちの主にして師であり、すべての人のまことの審判者であるイエズス・キリストの次の言葉を、そしてフランシスコ教皇様の次の言葉も思い起こしてください。「恵みを多く受けた人は多く要求され、多くを任せられた人は多く要求される」(ルカ12章48節)、「もし私を信じるこの小さな者を一人でもつまずかせたら、その人はろばの挽き臼を首にかけて、海の深みに沈められる方がよい…つまずかせる人にのろいあれ!」(マテオ18章6-7節)。しかし、教皇様は、キリスト教の聖伝を否定なさったことで、全世界を何度もつまずかせられました。証拠をお見せしましょう…。

キリスト信者、司祭、司教が、率先して同性愛者共存法を求めることは、道徳的に正しいのでしょうか? 天主とカトリック教会は常に「いいえ」と言ってきました。教皇聖ヨハネ・パウロ二世と名誉教皇ベネディクト十六世は、すべてのキリスト信者は「真理を証しする義務」があり、「そのような法律に個人として絶対に反対すること」を示さなければ、「重大な不道徳」行為を犯していることを私たちに思い起こさせてくださいました(2003年6月3日の教理省文書)。残念ながら、教皇様は「はい」とお答えになりました。実際、2020年10月21日と2021年9月15日に、教皇様は公に同性愛者の市民共存法の採択を呼びかけられました(私の第1回公開書簡を参照願います)。「すべきことは市民共存法であり、彼らには法的に保護される権利があります。私はこれを擁護しました」。教皇様、教皇様の誤謬がどこにあるのか指摘させてください。「共存法」と「保護法」を混同しておられるのではないでしょうか。共存法はLGBTQのイデオロギーに関するものである一方、保護法は人間の差別に関するものです。子ども、妊婦、障害者、移住者、囚人などに対する保護法があります。これらの人々はすべて人道的な配慮と待遇を受ける権利がありますが、特別な同性愛者の共存法を必要とするわけではありません。 中絶を放棄しない公の中絶推進派の政治家にご聖体の秘跡を与えることは、道徳的に正しいのでしょうか? 天主とカトリック教会は常に「いいえ」と答えてきました(教会法915-916条参照)。残念ながら、教皇様は「はい」とお答えになりました。実際、2021年9月15日、教皇様は、ラダリア枢機卿、ピーター・タークソン枢機卿、ウィルトン・グレゴリー枢機卿、パリア大司教、マイケル・ジャッケルス大司教といった方々の信じがたい支持を受けて、公に同意されました(私の第4回公開書簡を参照願います)。2022年6月29日、確実に意識的かつ計画的に、教皇様は、中絶支持で公に知られているナンシー・ペロシが、バチカンで、教皇様が捧げられたミサの間にご聖体を受けることをお許しになり、しかもそのことがペロシの居住地の司教によって公に禁止されていることを十分承知しておられました。このように、教皇様はカトリック教会をして、教会法に定められた教会の法を軽んじるように至らしめ、天主とカトリックの人々を軽んじておられるのです。 医学専門家の同意がありながら、母親の健康のための医学的緊急性のない子宮摘出(子宮の摘出)を行うことは、道徳的に正しいのでしょうか? 天主とカトリック教会は常に「いいえ」と言ってきました。教皇聖ヨハネ・パウロ二世と名誉教皇ベネディクト十六世は、医学専門家グループが女性の将来の妊娠が健康や生命に脅威を与えないことを確認した場合、将来の妊娠を決して受け入れないという口実で子宮を切除することはできない(1993年7月31日の教理省文書を参照願います)と明らかにしています。残念ながら、教皇様と教理省は「はい」とお答えになりました。実際、2018年12月10日、ルイス・フランシスコ・ラダリア・フェレール枢機卿(イエズス会、長官)、ジャコモ・モランディ大司教(次官)とともに、教皇様は、カトリック教会の最初の出生抑制措置であり、教理省の最初の誤謬である直接不妊手術への扉を開かれました(私の第3回公開書簡を参照願います)。 キリスト信者に「節制の状態で生きるという約束は提案可能で」、「選択肢の一つ」であると言うことは、道徳的に正しいのでしょうか? 天主とカトリック教会は常に「いいえ」と答えてきました。最低限の正統的キリスト教の教育を受けたすべてのカトリック信者は(そして自然道徳律を生きようと努力する非キリスト信者であっても)、貞潔は決して選択肢の一つではなく、すべての人間にとって重大な道徳的義務であることを知っています(カトリック教会のカテキズム2331-2400条を参照願います)。残念ながら、教皇様は「はい」とお答えになりました。実際、2016年9月5日、教皇様とブエノスアイレス司教区の司教たちは、「節制の状態で生きるという約束は提案可能です。『アモーリス・レティチア』(Amoris laetitia)は、この選択肢の難しさを無視していません…言及された選択肢は、実際には実現不可能かもしれません」と述べています。さらに2017年6月5日、教皇様はこの三つの文【上記の鍵カッコ内】を「真正な教導権」(Magisterium authenticum)(使徒座公報(Acta Apostolicae Sedis)108; 1071-1074ページ; www.vatican.va/archive/aas/documents/2016/acta-ottobre2016.pdf)として発表するようお命じになりました。カトリックの2000年の歴史の中で、これはバチカン公文書館にこうして記録された最初の教理・道徳上の誤謬であり(私の第2回公開書簡を参照願います)、パロリン、カスパー、シェーンボルン、コッコパルメリオ、ヴァリーニ、スーピッチ、グレヒ、パリア、フォルテ、シクルナ、フェノイ、マッケロイ、スパダロ、ボルデーヌといった枢機卿、司教、司祭の方々の驚くべき支持を受けています。

今朝受けた私の制裁は、教皇様も、フェルナンド・オカリス司教も、マルク・ウエレット枢機卿も、まだ道徳的判断力をお持ちであることが明らかにしました。では、なぜ、オロリッシュ枢機卿(イエズス会)(同性愛は罪であるという教会の教えは、間違っている」と公に述べました)、マルクス枢機卿(「同性愛は罪ではない」と公に述べました)、マッテオ・マリア・ズッピ枢機卿(2022年6月11日のミサでガブリエレ・ダバリ神父に同性愛カップルを祝福させました)、ブレーズ・スーピッチ枢機卿(父の日にあたる2022年6月19日のミサでジョー・ロッカサルバ神父に同性愛カップルに説教をする許可をしました)といった、「天主と天主の民への尊敬と従順」を著しく欠いた枢機卿の方々を前にして、教皇様は、罪深くつまずきを与える沈黙を守られるのでしょうか?

カトリック教会の聖伝の教えに対して不忠実なこれらの枢機卿の方々に、どのような制裁があるのでしょうか? ありません。その反対に、フランシスコ教皇様から責任ある地位と公の賞賛を受ける一方で、キリスト教の聖伝に忠実な司祭が制裁を受けているのです。教皇様、フランシスコ教皇様とバチカンのこの不当な正義は何なのでしょうか? 天主がこのような不正を受け入れることができると、教皇様は確信しておられるのでしょうか? なぜ今日、この永遠の天主の法に対する教皇様の明白な不従順に従わず、絶対の天主の法に従うことを好む人々に対して、カトリック教会に独裁の風が吹いているのでしょうか? このように、キリスト信者を、天主の御怒りを招き、天主の永遠の法を軽んじるように至らしめる教皇様は、ご自分が本当にキリスト信者の尊敬に値するとお思いなのでしょうか?

最後に、今朝の教令で私が受けた断罪は、イエズス・キリストの次の言葉を考慮に入れていないために不当なものです(尊敬を込めて申し上げますが、教皇様やオカリス司教やウエレット枢機卿は、この言葉を冷静に黙想なさるのがよいでしょう)。「なぜ、兄弟の目にあるわらくずを見て、自分の目にある梁に気をとめないのか。自分の目に梁があるのに、なぜ兄弟に向かって、きみの目のわらくずを取らせてくれと言うのか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り去れ。そうすればはっきり見えて、兄弟の目のわらくずも取ることができよう」(マテオ7章3-5節)。フランシスコ教皇の誤謬(梁)に比べて、私の誤謬(わらくず)は、どんなものでしょうか? カトリックの知識人が、イエズスと教会への愛のために、この真理を擁護する勇気をお持ちになるように望んでいます。

今回、制裁を受けたアフリカ人司祭の最大の罪は何でしょうか? フランシスコ教皇とその教理省に、大胆にも公の場で反対したことです。しかし、イエズス(30歳)が当時の宗教指導者たち(60歳、70歳、80歳)に対して同じことをしたのは、イエズスが真理の人だったからではないでしょうか? 残念ながら、彼らはイエズスを十字架につけるために渡しました。しかし、天主がご自分の勝利を得られたのは、この犠牲からでした。真理の光は、誤謬と嘘の闇を照らしたのです。いとも親愛なる教皇様、私は十字架につけられたイエズスの開かれた脇腹と、十字架のふもとにおられる童貞聖マリアの涙を避難所とします...

イエズスとマリアとヨセフにおける教皇様の子

ジャンヴィエ・グベヌ神父(筆名:ジーザスメアリ・ミシグベト神父)


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