カルメル山の聖母についての説教
ドモルネ神父さま(2022年7月17日)
はじめに
7月16日、私たちは、カルメル山の聖母の祝日をお祝いしました。カルメル山の聖母のスカプラリオを身に着けることは、童貞聖マリアへの信心のしるしとして、最も広く行われているものの一つです。そこで今日は、「カルメル山の聖母」という称号と、そのスカプラリオの由来について、お話ししたいと思います。
1.カルメル山の聖母
カルメル山は、パレスチナにある山で、地中海の沿岸にあります。この山の頂上の洞窟には、預言者エリアが住んでいました。ここで、エリアは童貞聖マリアについての啓示を受け、これが、「カルメル山の聖母」の称号の由来となりました。説明しましょう。当時、天主は、アカブ王とイスラエルの民の偶像崇拝や多くの罪を、深刻な干ばつによって罰しておられました。3年間雨が降らず、その結果ひどい飢饉が起こりました。ついにエリアは、天主の命により、アカブ王と偶像バアルの司祭たち全員、そしてイスラエルの民を、カルメル山に呼び集めました。エリアはバアルの司祭たちに挑戦し(列王記上18章23-24節)、民の前で、バアルとその礼拝が偽りであることを証明しました。その結果、エリアは、バアルの司祭たち全員を殺るよう命じ、彼らはすべて殺されました。それから、エリアは、カルメル山の頂上に登って7回祈りました。7回目に、エリアは「人の足跡のような」(列王記上18章44節)小さな雲を見ました。この小さな雲は大きくなり、空を埋め尽くすようになりました。そして、大雨が降り、大地を荒廃させていた 干ばつを終わらせたのです。
この不思議な小さな雲は、童貞聖マリアのかたどりでした。人の足跡のような形をしているのは、人間であるマリアを表しています。エリアの7回の祈りの後に現れた雲の様子は、マリアの内における、聖霊とその七つの賜物の存在を意味します。雲が小さかったことは、童貞聖マリアの謙遜を表しています。この雲は、全地を潤すほどの水を湛(たた)えていました。これは、童貞聖マリアが、聖霊の働きによって、すべての恩寵の源である救い主を受胎され、ご胎内に宿されたことを象徴しています。雲は、その水を大地に注ぎ、それにより干ばつを終わらせました。同じように、童貞聖マリアは救い主をお生みになり、その救い主が人々に祝福を注がれ、人々の霊的な乾きを終わらせられたのです。待降節の間、「Rorate caeli desuper, et nubes pluant Justum!(ローラーテ・チェリー・デースペル、エト・ヌーベース・プルアント・ユストゥム)」(天よ、高くから水をしたたらせ、雲は義人を降らせよ)(イザヤ45章8節)と歌うとき、私たちは、このエリアの見たもののことを差しているのです。
エリアの死後、弟子たちはカルメル山で生活をし続けました。彼らはそこで、イエズス・キリストが来られるときまで、祈りと償いと聖書研究の生活を送っていました。聖霊降臨の後、彼らはイエズス・キリストを、預言者たちが告知した救い主であると信じました。そして、預言者エリアが見た不思議な小さな雲を記念して、カルメル山のエリアの洞窟を、救い主の御母である童貞聖マリアに奉献された聖所としたのです。これが、「カルメル山の聖母」の称号の由来です。その後、このエリアの弟子たちの集団はカルメル修道会となり、そのメンバーは「カルメル会士」と呼ばれました。
2.カルメル山の聖母のスカプラリオ
さて、カルメル山の聖母のスカプラリオについて、お話ししましょう。スカプラリオという言葉は、ラテン語で「肩」を意味する「スカプラ」に由来します。スカプラリオは、体の前と背中の両方で、肩から足まで垂れた、袖のない外衣です。修道士は、修道服の上に、完全な形のスカプラリオを着用します。修道士でない人のために、小型版のスカプラリオが作られました。これは2枚の小さな布を紐でつないだものです。
カルメル山のスカプラリオの由来は何でしょうか? 13世紀中頃、カルメル会は激しい迫害に遭っていました。当時の総長は、聖シモン・ストックでした。彼は、童貞聖マリアへの深い信心をもっていました。彼は、多くの試練を受けていたカルメル修道会を、急いで、童貞聖マリアにお捧げしました。1251年、聖母は彼にご出現になり、彼にスカプラリオを授けて、こう言われました。「このスカプラリオを取りなさい…これは、あなたとすべてのカルメル会士の特権となり、この修道服を身に着けて死ぬ者は、誰も、永遠の火に苦しむことはないでしょう。これは救いのしるし、危険からの保護、平和の約束となるでしょう」。
この約束の意味を、正しく理解するように注意しましょう。この約束は、「カルメル山のスカプラリオを身に着ける者は、他に何もする必要はなしに、地獄に落ちることから守られる…」という意味ではありません。私たちが、あらゆる種類の罪を犯し、あらゆる種類の不道徳行為にふけることができ、それでも、単に私たちがこのスカプラリオを身に着けているというだけで、聖母が私たちを救ってくださるなどと、信じてはなりません。そのようなことを考えることは、聖母を私たちの罪深い生活の共犯者にすることになりますから、それは、聖母に対するおぞましい侮辱となってしまいます。
これは、聖書の中にある、他のいくつかの約束と同じことです。「トビア書」では、大天使ラファエルがこう言っています。「施しは人を死から救い、すべての罪を清め、あわれみと永遠の命を見いださせる」(トビア12章9節)。これは、施しをする者が、ただそうするだけで、地獄から救われるという意味ではありません。私たちの主イエズスはこう言われました。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を有(する)」(ヨハネ6章54節)。これは、ご聖体を一度でも受けた者は、地獄から救われる、という意味ではありません。救われるためには、自分の罪を反省し、成聖の恩寵によって天主と一致し、天主の掟に従うことが必要です。まずこれを実行する人は、施し、聖体拝領、スカプラリオの着用などを実践することによって、ますます天主と一致するようになるでしょう。ですから、これらの実践を通して、その人は自分の永遠の救いを確実にするのです。
3.このスカプラリオの約束
カルメル山のスカプラリオは、救いのしるしです。なぜなら、それは、聖母とスカプラリオを受ける者との間の契約の誓いだからです。司祭からスカプラリオを与えられ、マリアへの信仰、信頼、愛のしるしとしてスカプラリオを絶えず身に着ける者に対して、聖母は二つのことを約束なさっています。聖母が、そのような人々を、成聖の恩寵の状態で生き、死ねるよう、力強く助けることによって、地獄に落ちないように守ってくださること、また、霊魂と肉体の危険から保護してくださることです。
さらに、自分の身分に応じた貞潔を守り、「聖母の小聖務日課」を毎日祈り、もしくは(御降誕祭当日を除いた)毎水曜日と毎土曜日に小斎を行う者に対して、聖母は三つめの約束をなさっています。聖母が、その人が死んだ次の土曜日に、煉獄から救いだしてくださることです。スカプラリオを与える司祭は、この「聖母の小聖務日課」を祈る義務や、毎水曜日や毎土曜日に小斎を行う義務を、例えば、ロザリオを祈ることのような、他の義務に変更することができます。
結論
締めくくりに、ある司祭の言葉を繰り返させてください。「スカプラリオが、私たちにとって、聖なる、敬うべき衣服となりますように。私たちは、自分の救いをイエズスとマリアに依存していること、また、聖なる生活を送る義務を負っていることを、このスカプラリオが、私たちに思い起こさせてくれますように。特に悲しみや誘惑のときには、しばしばスカプラリオに接吻し、また、決してスカプラリオから離れないようにしましょう。私たちの善き母であるマリアが、常に私たちを守り、私たちがその御腕の中で敬虔に死ねるよう助け、そして速やかに天国へと導いてくださることを、信頼しましょう」。