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ジャック・ルイヤール教授:カムループスでは遺体は発見されていない:カムループス・インディアン寄宿学校に埋葬された子どもたちの遺骨はどこにあるのか?

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ジャック・ルイヤール教授:カムループスでは遺体は発見されていない

(「ドーチェスター・レビュー」)

カムループス居留地の墓地が近くにあるというのに、200人の子どもたちの遺骨が、――居留地に――密かに埋められていて、昨年の夏までバンド評議会から何の反応もなかったということは、本当に信憑性があるのだろうか。

まだ発掘は始まっておらず、遺骨も見つかっていない。想像上の話と感情が、真実の追求を上回っているのだ。和解への道では、センセーショナルな神話を意図的に作り出すのではなく、すべての真実を追求し、伝えることが最善の方法ではないだろうか。

The Dorchester Review
In Kamloops, Not One Body Has Been Found
By Professor Jacques Rouillard

「ドーチェスター・レビュー」(THE DORCHESTER REVIEW)【年2回刊雑誌】への特別寄稿。
ジャック・ルイヤールはモントリオール大学歴史学部名誉教授。


7カ月にわたる非難と糾弾の末に、カムループス・インディアン寄宿学校に埋葬された子どもたちの遺骨は、どこにあるのだろうか?

「カナダ通信」(Canadian Press)は、「2021年の人」(Person of the Year 2021)として、寄宿学校の子どもたちを選んだ。昨夏の巨大なメディア製物語は、1890年から1978年まで学校が運営されていたブリティッシュ・コロンビア州内陸部にある跡地の一部をスキャンしたことから発展したものである。人類学者のサラ・ボリューが、地中レーダーを使って、そこに埋葬されていると一部で言われている子どもたちの遺骨を捜し、昨年5月27日に「Tk'emlúps te secwépemc First Nation」(シュワップ族先住民)のロザンヌ・カシミール酋長によって「発見」が初めて報告された。ボリューは2018年からフレーザーバレー大学で人類学と社会学の講師を務める若手人類学者である。ボリューの予備報告は、実際には学校近くのリンゴ園の土壌にある窪みと異常に基づくもので、掘り起こされた遺骨に基づくものではない。カシミール酋長によれば、これらの「行方不明の子どもたち」は「文書化されていない死」を表している。彼らの存在は長い間コミュニティーで「知られて」おり「中には3歳の子どももいた」[1]とカシミールは言う。

昨年7月15日の記者会見で明らかにされた新しい調査から、この人類学者は、発見の可能性のある「推定埋葬者」を215から200に縮小した。「ほんの表面をなぞっただけ」【きちんと調べていない】なのに、彼女は、「木の根や金属、石といった地表の乱れ」を多数発見した。「レーダーに映し出されたこの乱れ」から、彼女はこの現場が「埋葬者のように見える複数の痕跡を持つ」と結論づけた。しかし、この場所が発掘されるまで(発掘されればの話だが)、彼女はそれを確認することができない。コミュニティーの広報担当者は、報告書の全文をメディアに公開することは「できない」と述べている[2]。カシミール酋長にとっては、「カムループスの現場の継続作業が発掘に至るかどうかはまだ明らかではない」。

2021年のカムループスの「発見」は、カナダ国内外に大きなセンセーションを巻き起こした。この予備評価に基づいて、遺骨が発見されたり、信頼できる報告がなされたりする前に、ジャスティン・トルドー首相は直ちに、カナダの歴史における「暗く恥ずべき章」に言及した[3]。ブリティッシュ・コロンビア州のジョン・ホーガン首相は、寄宿学校制度による暴力と結末を際立たせる、215人の子どもたちの埋葬地を知り、「ぞっとして心が痛んだ」と述べた[4]。次いで、他のいくつかのアボリジニのコミュニティーとメディアも続けて、墓標のない墓について言及した。

5月30日、連邦政府はすべての建物の国旗を半旗にした。その後、連邦政府は「行方不明」の子どもたちと寄宿学校の生存者をたたえる新しい祝日を制定した。小さな犠牲者たちを偲んで、自然発生的に、多くの都市の教会の階段や議会の階段に靴やオレンジ色のシャツやその他の身の回り品の束が置かれた。国中で教会が燃やされたり、破壊されたりした。子どもたちの運命に対する明らかな報復として、銅像はスプレーで塗りつぶされ、引き倒された。マニトバ州議会前のヴィクトリア女王の銅像は、汚され、引き倒された。モントリオールの初代首相ジョン・A・マクドナルド卿の銅像は倒され、切り離された銅の頭部が象徴的に地面に転がっていた。

アボリジニの指導者たちによる根拠のない主張の後、いくつかのメディアは、215人の子どもたちの遺体が「発見」されたと主張し、さらに何千人もの子どもたちが寄宿学校から「失踪」し、親には何も知らされていないと付け加え、話を拡大・誇張して報道した。乱れのない跡地は、遺体が雑然と捨てられた「集団墓地」にさえなった。

この「ニュース」とされるものは、あらゆるメディアを駆け巡り、カナダの自己イメージと海外での評判を傷つけた。「恐ろしい歴史 カナダの先住民の子どもたちの集団墓地」というタイトルで、5月28日付のニューヨーク・タイムズ紙は、10月5日に更新されたものでさえ、こう報道した。「何十年もの間、カナダのほとんどの先住民の子どもたちは家族から連れ去られ、寄宿学校に強制的に入れられた。多数が家に戻らず、家族は曖昧な説明しかされないか、全くされなかった」。先住民のコミュニティーは、「行方不明の子どもたちの一部に起こったことの証拠、つまり元寄宿学校の敷地内にある215人の子どもたちの遺骨を含む集団墓地を発見した」[5]。


虚偽の報道

これらの虚偽の報道は、国連人権高等弁務官事務所に、この状況を「大規模な人権侵害」と表現するように仕向けた。国連は、カナダ当局とカトリック教会に対して、「200人以上の子どもたちの遺骨を含む集団墓地の発見について徹底的な調査を行う」よう促したが、これもまた、確認された遺体の一つさえ発掘されていないときのことだった。アムネスティ・インターナショナルは、カムループスで「発見」された遺体に責任を負う人物と組織が起訴されることを要求している[6]。

よりにもよって中国が――中国自身がおそらく史上最大の人権侵害国である――2021年6月の国連人権法廷において、カナダの先住民に対する人権侵害の調査を要求したことは、確かに皮肉なことだった。この要求は、カナダ当局が100万人以上のウイグル人イスラム教徒の不法拘束を調査するために、国連人権局長が新疆に立ち入ることを認める声明を読み上げる直前になされた。トルドーは、カナダには真実和解委員会があるが、「中国は問題があることさえ認識していない」と答えている[8]。

政府、修道団体、カトリック司教協議会など、この「犯罪」の加害者とされる団体もまた、言い訳をしている。6月、教皇フランシスコは、カムループスで「215人の子どもたちの遺骨がカナダで発見されたという衝撃的な出来事」[9]に対して痛みを表明し、異例のジェスチャーでカナダへの訪問を約束した。アボリジニの指導者たちは正式な謝罪を要求し、(ロザンヌ・カシミールを含む)何人かは、教会が生存者に対してより多くの補償を行うよう求めている[10]。墓標のない墓の真実を見つけるために、カナダ政府は6月に「埋葬地を特定して境界を定めるため、また望むなら遺骨を故郷に戻すために」封筒入りの2700万ドルを用意した[11]。

推測や可能性の問題に過ぎないこと、そしてまだ遺骨が見つかっていないことを決して指摘しないことで、政府とメディアは、本当はテーゼ(仮説)であること、つまり、寄宿学校からの子どもたちの「失踪」というテーゼに信憑性を与えているだけである。真実和解委員会(TRC)が支持した「文化的大虐殺」という主張から、同委員会が報告書で明示的に否定している結論、「身体的大虐殺」へと移行したのだ[12]。そしてこのすべては、あの人類学者自身が7月15日の記者会見で警告したように、根の動きによって簡単に引き起こされる土壌の異常に基づいているだけなのだ。

2013年から2015年にかけてTRCのために寄宿学校の墓地を調査した別の人類学者、スコット・ハミルトンによれば、地中レーダーの使用には非常に注意しなければならない。なぜなら、土壌は長年にわたって「堆積組織、(中略)文化に由来する不整合、障害物、あるいは空洞」によって乱されているかもしれないからである[13]。マニトバ州のブランドン寄宿学校での同じ手法で土壌を検査するプロジェクトは、2012年に始まり、2019年に再始動したものだが、まだ決定的な結果を得ていない。6月、調査チームは104の墓の可能性があるものを特定する作業を行っており、依然として寄宿学校のアーカイブを参照して、生存者にインタビューする必要がある[14]。

2015年の報告書で、TRCは、寄宿学校での子どもたちの3200人の死亡を確認した。驚くべきことに、3分の1(32%)の子どもたちの名前と、「半数」(49%)の死因を記録することができなかった[15]。なぜこれほど多くの「名前のない」寄宿学校の生徒がいるのだろうか。報告書の第4巻によると、「委員会がまとめることのできた寄宿学校の死亡に関するデータは、質・量ともに大きな限界がある」[16]のだ。

実際には、三学期ごとに、学校長は、政府が資金を提供した学校に通う生徒の名前を報告し、死亡した生徒の名前も明記していた。しかし、「多くの場合」、報告書によれば、学校長は、前年度に死亡した子どもたちの数を、身元を特定することなく、単に報告したにすぎない。あるいは、特定の学校が開校してから死亡した生徒の数の合計を出すこともあったが、名前、年、死因を表示することはなかった[17]。

委員会は、これらの「名前のない」生徒をすべて、生徒の死亡者数の合計に含めていた。このことは、校長による三学期ごとの報告と、名前のない一般的な報告の両方で、生徒の死が「2回」数えられたかもしれないということを意味する。委員会は、名前付き登録簿に記録された死亡の一部が、名前なし登録簿にも含まれるかもしれないことを認めている[18]。

この明らかに偏った方法は、行方不明の生徒の数と、彼らの死をめぐる知識の実態を大きく膨らませる。そして、この欠陥のある情報こそが、名前のない生徒が親に知らされずに失踪し、学校が粗雑に集団墓地に埋めたという推測の根底にあるものなのである。

委員会が記録した1921年から1950年までの寄宿学校での死亡率(名前のある死亡者と名前のない死亡者)は、同じ年の5歳から14歳までのカナダの一般人口の若者の死亡率の2倍であるため、この方法論的なギャップは1950年より前の年に関するものであると思われる。この死亡率は、学校に通う若者1000人あたり、年平均約4人の死亡だった。彼らの死因は、委員会が原因を特定できた場合、ほとんどが結核とインフルエンザだった。

一方、寄宿学校の死亡率は、やはり5歳から14歳の若者の場合、1950年から1965年までカナダの平均と同程度だった[19]。それ以前の期間より下がったのは、カナダの他の学校と同様に、寄宿学校でもワクチン接種が行われた結果であると思われる。


カムループス寄宿学校の死者数

「委員会」は、産業学校での死亡の報告についてさらなる調査が行われることを希望すると表明し、ロザンヌ・カシミールは、カムループスで「行方の分からない子どもたちの身元を特定することが極めて重要である」と述べた[20]。「ドーチェスター・レビュー」で、追跡調査を完了したことを発表できることを、私はうれしく思う。

1890年にシュスワップ族の酋長ルイス・クレクスリクセン(下の写真)の主導で設立されたカムループス産業学校は、歴代の聖母献身宣教会(オブレート会)の司祭・修道士と、ケベックの聖アンナ姉妹会によって運営されてきた。マチュー・ペローが「ラ・プレス」(La Presse)(2021年7月2日号)で推定したところによると、1950年代、約500人の子どもたちがいたこの学校は、4人の英語を話すオブレート会士と11人の聖アンナ姉妹会修道女によって運営されていた。ペローは、カトリック教会が運営する典型的な寄宿学校には、2、3人のオブレート会士と12人の修道女、そしてしばしば数百人の子どもたちがいたと考えた[21]。

【オブレート会神父を愛し尊敬していたカムループス寄宿学校の設立者であるシュスワップ族酋長ルイス・クレクスリクセン。】Photo Credit

カムループス寄宿学校では、国立真実和解センター(National Centre for Truth and Reconciliation 、NCTR)が、1915年から1964年までに死亡した51人の子どもたちの名前を公式に記録していた[22]。私たちは、カナダ国立図書館・公文書館の記録と、NCTRの研究者が参照しなかったと思われるブリティッシュ・コロンビア州公文書館の系図資料オンライン版が保持している死亡診断書から、これらの子どもたちの情報を見つけ出すことができた[23]。

この二つの資料を合わせると、49人の生徒のうち少なくとも35人(2人は重複)の死についての的確なイメージが得られる[24]。病気や事故の結果、17人は病院で、8人は自分の保護区で死んでいる。4人が検視解剖の対象となり、7人が検視官による検屍の対象となった。埋葬地としては、24人が故郷のインディアン居留地の墓地に、4人がカムループス・インディアン居留地の墓地に埋葬されている。残りの49人の子どもたちについては、情報がないか、ブリティッシュ・コロンビア州人口統計局の死亡診断書の全文を参照する必要がある。このことは、当局が彼らの死を見落とした、あるいは何らかの形で隠蔽した、あるいは両親に知らされなかった、あるいは遺骨が故郷に戻らなかったという「検証されていない」主張とは程遠いものである。ほとんどは知らされ、ほとんどは故郷に戻された。

1935年から、インディアン問題省は、生徒の死亡を扱うための特定の手続きを課していた。寄宿学校の校長は、同省の係官に報告しなければならず、係官は、自分、校長、死亡を診断した医師からなる調査委員会を作った。親は調査について知らされなければならず、出席して発言することが許された[25]。

例えば、14歳のキャスリーン・ミシェルは、1937年4月25日に病気になり、学校で看護婦に手当てを受け、看護婦が医者を呼んだ。5月1日、彼女は車でカムループスのロイヤル・インランド病院へ運ばれた。医師の治療を受けたが、2日後に急性腎炎で死亡、原因は麻疹と心機能不全だった。報告書では、医師は寄宿学校で行われたケアに何の欠陥も見いださなかった。父親は調査のことを知らされたが、出席を望まなかった。残念ながら、調査のメモには、彼女がどこに埋葬されたかは具体的に記されていない[26]。


重要なのは、カムループス寄宿学校が「カムループス居留地」の中心に位置していることである。この事実は、アボリジニの広報担当者やメディアによって決して報道されることはない。TRCの報告書には、「制度の初期のころには、学校は事実上すべて教会の運営で、(また)ほとんどの学校ではキリスト教式の埋葬が普通だった」とある。また、隣接する教会の墓地は、「学校で死んだ生徒だけでなく、この地方のコミュニティーのメンバーや宣教師自身の埋葬地として使われることもある」[27]。これこそが、カムループスで起こったことである。私たちの調査によると、4人の生徒が居留地の集団の墓地に埋葬されているが、この墓地は、寄宿学校からそう遠くない聖ヨゼフ教会の近くに位置している。

その墓地がすぐ近くにあるというのに、200人の子どもたちの遺骨が、居留地内の集団墓地に密かに埋葬されていて、昨年の夏までバンド評議会から何の反応もなかったということは、本当に信憑性があるのだろうか。カシミール酋長は、子どもの遺骨があることは以前からコミュニティーで「知られていた」と述べている。アボリジニの家族も、他のコミュニティーと同じように自分たちの子どもの運命を心配しているはずなのに、なぜ何も言わなかったのだろうか。さらに、高い道徳基準を持つ宗教的な男女のグループ全体が、反対意見もなく、一人の内部告発者も出さずに、このような卑劣な犯罪を共謀できるとどうして考えられるのだろうか。


学校はカムループス市にも近い。学校の運営を綿密に監視しているインディアン省の係官は、行方不明の子どもや死亡した子どもがいるという知らせに対して、もし何かあったとしても、すぐに対応したことだろう。最後に、これまで見てきたように、州はすべての死亡者に死亡証明書の提出を義務づけていた。20世紀初頭、ブリティッシュ・コロンビア州は西部開拓時代ではなかった。今日、カムループス寄宿学校に通っていた子どもたちの死亡証明書を入手しようとする研究者は、ブリティッシュ・コロンビア州系図記録のウェブサイトで名前と死亡日を入力すれば、それを入手することができる。このような種類の調査は、他の州でも可能である。

最後に、カムループスでの発表の後、昨年6月にさらなる衝撃を与えたサスカチュワン州のカウセス(マリーバル)先住民の、寄宿学校近くの別の「名前のない埋葬」跡地について、補足を加えておこう。その埋葬地は1899年から遠隔地で始められ、オブレート会と聖ヒヤチントの聖ヨゼフ姉妹会によって運営されていた。そこでは、751基の整然とした墓が発見されており、地中レーダーによる地表の調査はさらに進んでいる。CBCニュースのレポーターが示したように、これは実際には、マリーバルのマリアの汚れなき御心ミッションのカトリック墓地にすぎない。

1885年から1933年までの洗礼、結婚、埋葬の登録簿によると、確かに寄宿学校で亡くなった子どもたちの跡地に墓が存在するが、周辺地域の多くの大人や5歳以下の子どもたちの墓も存在する。「あの墓地には、みんなが混在していました」と、1940年代後半から1950年代半ばまでマリーバル寄宿学校に通った地元住民のパール・レラットと姉妹のリンダ・ホワイトマンは話す。パールは「姉妹の両親、祖父母、曾祖父母は、先住民の外から来た人たちと一緒にそこに埋葬されています」と言い、白人と先住民が一緒に埋葬されているのだという。近くに住む他の住民によると、1960年代まで墓には十字架や墓石があったが、墓地が「ひどい状態」だったため、一人の司祭がそれらを撤去したと言われている[28]。

サスカチュワン大学の歴史家ジム・ミラーによれば、「マリーバルとカムループスで発見された子どもたちの遺骨は、カトリックの儀式に従って墓地に埋葬されていたが、すぐに崩れ落ちた木製の十字架の下にあった」。「木製の十字架は、貧しい人々のためのカトリックの埋葬の目印だった」とトロント大学のブライアン・ゲトラーは裏付ける[29]。木製の十字架のある寄宿学校墓地は、おそらく現在のカムループス居留地の聖ヨゼフ先住民墓地(写真参照)のようなものだろう。

【写真:住宅学校で亡くなった4人のカムループスの子どもたちは、この墓地――カムループス・アボリジニ・コミュニティーの墓地――に埋葬されている(Credit: Ken Vavrhodt, Kamloops This Week, Nov 17, 2020)。ここにあるのは、1852年から1915年に亡くなるまで酋長だったシュスワップ族のルイス・クレクスリケン(Louis Clexlixqen)の碑である。インディアン教育の強力な擁護者であった彼は、1880年にカムループス居留地に昼間学校を設立する際にオブレート会神父たちを支援し、1890年にはそこに寄宿学校を建設することを開始した。】


TRCの報告書によると、教会の墓地はしばしば、学校で亡くなった生徒だけでなく、コミュニティーのメンバーや宣教師自身のための礼拝と埋葬の場として機能していた。寄宿学校の墓地は、閉鎖後、放棄され、放置され、さらには忘れ去られていくにつれて、背景がぼやけてきた。多くの場合、墓地の場所を特定することは困難となり、他の目的に使用されるようになった[30]。

カムループス寄宿学校に近い居留地のリンゴ園にある墓地や集団墓地とされるものについての事前調査が、カナダ政府によって承認され、世界中のマスメディアによって繰り返される主張のスパイラルに至ったとは、信じがたいことである。カナダの歴史における複雑な問題に対して、恐ろしくかつ単純化した印象を与えている。まだ発掘は始まっておらず、遺骨も見つかっていない。想像上の話と感情が、真実の追求を上回っているのだ。和解への道では、センセーショナルな神話を意図的に作り出すのではなく、すべての真実を追求し、伝えることが最善の方法ではないだろうか。

Notes

[1] Courtney Dickson, Bridgette Watson, “Remains of 215 children found buried at former B.C. residential school, First Nation says,” CBC News, May 27, 2021, Updated: May 29, 2021; Tk'emlúps te secwépemc, Press Release, “Remains of Children of Kamloops Residential School Discovered,” May 27, 2021.

[2] Jana G. Pruden and Mike Hager, “Anthropologist explains how she concluded 200 children were buried at the Kamloops Residential School,” Globe and Mail, Jul. 15, 2021, Updated: Jul. 16, 2021.

[3] Justin Trudeau on Twitter, May 28, 2021.

[4] Canadian Press, “B.C. premier ‘horrified’ at discovery of remains at Kamloops residential school site,” May 28, 2021.

[5] New York Times, May 28, 2021, Oct 5, 2021.

[6] United Nation Human Right, Office of the High Commissioner, “UN experts call on Canada, Holy See to investigate mass grave at indigenous school,” Geneva, Jun. 4, 2021.

[7] Amnesty International, “Letter to Prime Minister Justin Trudeau,” Jun. 14, 2021.

[8] Adam Taylor, “China calls for Canada human rights inquiry, pre-empting demand for investigation into abuse of Uyghurs,” The Washington Post, June 22, 2021; David Ljunggren, Stephanie Nebehay, “Canada’s Trudeau angrily questions China seeking probe of indigenous children's remains,” Reuters, Jun. 22, 2021.

[9] Linda Bordoni, “Pope expresses shock for Canadian Residential School discovery and prays for healing,” Vatican News, Jun. 6, 2021.

[10] Brooklyn Neustaeter, “Indigenous leaders call for apology, compensation from Pope amid possible Canadian visit,” CTV News, Oct. 27, 2021.

[11] Rachel Aiello, “$27M will soon be available to communities to help locate children who died at residential schools: feds,” CTV News, Jun. 2, 2021.

[12] Honouring the Truth, Reconciling for the Future. Summary of the Final Report of the Truth and Reconciliation Commission of Canada, Truth and Reconciliation Commission of Canada, 2015, p. 1.

[13] Dr. Scott Hamilton, “Where are the Children buried?,” Dept. of Anthropology, Lakehead University, c. 2015, National Centre for Truth and Reconciliation Reports, p. 36.

[14] Marek Tkach, “Manitoba first nation works to identify 104 potential graves at former Brandon residential school,” Global News, Jun. 14, 2021, updated Jun. 28, 2021.

[15] Final Report of the Truth and Reconciliation Commission of Canada, vol. 4, Canada’s Residential Schools: Missing Children and Unmarked Burials, McGill-Queen’s University Press, Montreal & Kingston, 2015, p. 1.

[16] Ibid., p. 8.

[17] Ibid., p. 7-8.

[18] Ibid., p. 7.

[19] Ibid., p. 19, 22.

[20] Tk'emlúps te secwépemc, Press Release, “Tk'emlúps te secwépemc, “KIRS missing children findings but a fraction of investigation and work need to bring peace to families and communities,” Press Release, Jul. 15, 2021.

[21] Mathieu Perreault, “Religious orders in residential schools is a ‘quebecois’ story,” La Presse Torstar, Jul. 2, 2021. https://www.thestar.com/news/canada/2021/07/02/religious-orders-in-residential-schools-is-a-quebecois-story.html

[22] National Centre for Truth and Reconciliation

https://nctr.ca/residential-schools/british-columbia/kamloops-st-louis/

[23] B.C. Archives, Genealogy, General Search http://search-collections.royalbcmuseum.bc.ca/Genealogy

[24] Library and Archives Canada, School Files Series - 1879-1953 (RG10), About the Records: Indian and Inuit Affairs Program sous-fonds: School Files Series, 1879-1953 (RG10-B-3-d), LAC c-8770, number 829; LAC c-8773, number 1323.

[25] Final Report of the Truth and Reconciliation Commission of Canada, vol. 4, Canada’s Residential Schools: Missing Children and Unmarked Burials, p. 9.

[26] Pensionnat Kamloops, Kathleen Michel, Library and Archives Canada, School Files Series - 1879-1953 (RG10), LAC C-8773-01350.

[27] Final Report of the Truth and Reconciliation Commission of Canada, vol. 4, p. 118-119.

[28] Jorge Barrera, “Catholic register, survivors offer clues to who may be buried in cemetery next to Marieval residential school,” CBC News, Jul 20, 2021.

On line : https://www.cbc.ca/news/indigenous/marieval-cemetery-graves-1.6106563

[29] Mathieu Perreault, “Religious orders in residential schools is a ‘quebecois’ story,” loc. cit.

[30] Final Report of the Truth and Reconciliation Commission of Canada, vol. 4, p. 125-134.


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