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【参考情報】「ある国家の犯罪の物語」カナダ政府はピーター・ブライス医師の警告を無視した

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【参考情報】「ある国家の犯罪の物語」

‘The Story of a National Crime’

一世紀前、ピーター・ブライス医師は、寄宿学校が人を殺すために設計されていることを証明した。カナダ政府は彼を無視した。

アンドリュー・ニキフォルク 2021年6月2日 TheTyee.ca

Tyeeの寄稿編集者であるアンドリュー・ニキフォルク(Andrew Nikiforuk)は、疫病、エネルギー産業、自然などをテーマにした著書や記事を執筆し、数々の賞を受賞しているジャーナリスト。

ピーター・ヘンダーソン・ブライス医師(Dr. Peter Henderson Bryce)は、1904年、カナダの初代医療衛生主任医官(chief officer of medical health)に任命された。彼は寄宿学校を視察し、そこが病気の培養の場にして感染の場であることを明らかにした。

おそらく読者の皆さんは、ピーター・ヘンダーソン・ブライス医師のことをお聞きになったことはないでしょうが、これだけは言えます。先週、カムループス・インディアン寄宿学校の敷地内で墓標のない墓が発見されたことに、彼だったらショックを受けたり驚いたりしなかったでしょう、と。

彼はフォークナーのように知っていました。過去は決して死なないことを。「過ぎ去りさえしない」ことを。

カナダの初代医療衛生主任医官は、15年間にわたり、この国にある病気だらけの寄宿学校は結核による死の収容所と化している、と繰り返し上司たちに警告しました。彼は勇気を持って改革を迫ったのです。

しかし、ブライスの上司たちは聞く耳を持ちませんでした。彼らは真実を知ろうとは望まず、官僚にしかできないこと、つまりこの医師の仕事をできなくさせたのです。

ですから、ブライスは政府を離れ、秘密保持の誓約がなくなると、先住民の絶滅を加速させることがカナダの寄宿学校で意図的に行われているということについて、24ページの暴露記事を書きました。こちらで読むことができます。

ブライスは、自分の本に「ある国家的犯罪の物語」(The Story of a National Crime)というタイトルをつけました。1922年のことです。

深刻な秘密に満ちていて、選び出された記憶に悩まされる国であるカナダは、もはやこの「国家的犯罪」を隠し続けることはできません。

国家は歴史を否定でき、歴史を無視でき、歴史を最小化でき、歴史を先送りでき、歴史を書き換えることさえもできます。

しかし、歴史と向き合わずに成長することはできません。それは単純な理由です。「『前』を知ることで、異なる『後』を創り出すことができるからです」。

その「前」は一世紀前に始まりました。エジンバラ、トロント、パリで教育を受けたオンタリオ州マウントプレザント出身者(であるブライス)は、1904年、移民・インディアン問題省の医療衛生主任医官の職に就きました。

ブライスが最初に目にした統計の一つが、これでした。先住民には、神経障害やアルコール依存症が非常に少ないという報告です。しかし、結核が彼らの命を奪っていたのです。

この病気には、その力を見せた植民地時代の歴史がありました。バッファローが根絶され、カナダの平原で生態系全体が破壊される以前は、結核はほとんど存在しませんでした。毛皮貿易が細菌の種をまいていたとはいえ、結核が広がるには人混みと飢えとホームレスが必要でした。

連邦政府は、多くの先住民の主な栄養源であったバッファローを絶滅させた後、これらの条件を忠実に提供したのです。

食糧配給を差し止めることで、政府は強制的に先住民に条約を結ばせ、300の異なる部族を、住みにくい居住区に追いやりました。そこでは、病気および飢餓の政治が、その条約の仲間に加わりました。

その結果、結核は恐ろしい先住民征服を始め、天然痘や他の欧州の微生物とともに、白人の入植のために平原を一掃するのに役立ちました。

欧州人がバッファローの代わりに飼った牛は、炭疽病、ブルセラ症、牛結核など多くの病気を媒介しました。

密猟であれ、政府による購入であれ、感染した牛1頭が、飢えていて免疫の低下した先住民100人を肺病に感染させることができたのです。

しかし、当時の人種差別理論は、先住民は欧州人より弱いだけ、あるいは、もともと結核になりやすい体質なのだ、という考えでした。

この病気の専門家であるブライスは、1907年に政府から寄宿学校の衛生状態の検査を依頼されたときに、そんなたわごとを信じず、そのことを証明したのです。

連邦政府は1883年、先住民を「同化」させて農民や仲間の資源採取者にするための植民地の戦力として、この学校を設立しました。

学校は、被支配者の文化やアイデンティティーを取り去るための、純粋かつ単純な国家公認の道具だったのです。連邦政府は、英国がハイランドのスコットランド人に行ったこと、つまり先住民を追い払うことを望んでいたのです。

ブライスは3カ月を費やして、マニトバ州とノースウエスト準州(当時はサスカチュワン州とアルバータ州を含む)の35校を訪問しました。いずれも、かつてバッファローが生息していた地域で、人々は今、飢餓または栄養不足の状態にありました。彼は、次々と屈辱的な状態があるのを見ました。建物は火事になりやすい構造で、水の供給も不十分でした。診療所もほとんどありません。まともな食料供給もないのです。

学校の換気も悪く、まるで刑務所のような雰囲気に、ブライスは愕然としました。それは、「ほとんど、一番伝染病が発生しやすい状況を意図的に作り出していたかのよう」でした。

ブライスは、学校を運営する教師や教会関係者といった植民地主義の代理人も、生徒がその後どうなったのかに関する情報収集に消極的だったことを指摘しました。彼には、その理由が分かりました。現在のサスカチュワン州であるところでは、過去15年間に悪名高いファイルヒルズ・インディアン寄宿学校を退学した生徒31人のうち、生存していたのはわずか9人でした。

ブライスは、この寄宿学校は結核の培養の場、そして感染の場として機能していたと判断しました。到着前に結核でなかった子どもたちも、運動さえもできないほど人混み状態の寄宿舎で、たちまち結核にかかりました。

そして、子どもたちの病気がひどくて机に向かうことができない場合、地元に送り返され、人の多い居住区の住宅内で病気を蔓延させました。

ブライスは、いくつかの学校の校長から話を聞いた結果、過去15年間に寄宿学校に通った先住民の子どもたちの約4分の1が結核で死亡していると推定しました。そして、「報告された1537人の生徒のうち、25%近くが死亡しており、ある学校の絶対的に確かな話では、元生徒の69%が死亡しており、また死因はどこでも変わらず結核であった」と書いています。

言い換えれば、寄宿学校は、先住民の子どもたちが生きるためではなく、死ぬために準備されるのが普通だったのです。


"人混み状態で、風通しの悪いオールドサンのアルバータ寄宿舎の感染の場の状況"  

写真はカナダ聖公会の教会会議総会アーカイブス(General Synod Archives)から。


やがて誰かが「ブライス報告書」と呼ばれるものをマスコミにリークし、こんな見出しが付けられました。「学校は白人のペストを助ける――インディアンの驚くべき死亡者数が明らかになった――健康の最低必需品に対する絶対的な不注意」。

しかし、ほとんどのカナダ人は、そのことを知らず、気にかけず、理解もしませんでした。

ブライスは最終的に、カナダのペスト学校に対する劇的な処方箋を勧めました。それは、監督下での医療ケア(看護師と医師)、栄養状態の改善、換気の改善です。(結核は新型コロナウイルス感染症と同じで、空気感染します)

ブライスはまた、学校を先住民のコミュニティーの近くに移転させるべきだと考えました。そして、政府が学校を買い取り、先住民の子どもたちが死なずにすむような療養の場にすることを勧告しました。

ブライスは植民地支配に反対していたわけではありません。ただ、歴史家のアダム・J・グリーンが言うように、「ブライスのアボリジニ政策の目標は、強制的な絶滅ではなく、同化だったことは確かだった」のです。

しかし、政府も教会もブライスの勧告に心を動かされませんでした。彼らは躊躇し、ぐずぐずして、経済コストを計算したのです。

次に、政府は「子どもたちの利益に注意を払っていないという悪評を払拭するために」最低限のことを行いました。食事や換気に関するいくつかの基準を設け、結核の生徒を登校禁止にし、学校への補助金を少しばかり増やしました。しかし、それでも子どもたちは死に続けました。

節約家のインディアン問題省トップのダンカン・キャンベル・スコットは、寄宿学校から墓標のない墓に入る先住民の子どもたちが続くという恥ずべきことが、なぜこれほどまでに人の心を動揺させるのかが分かりませんでした。

「この特殊な事情を考慮すれば、省は、インディアンのために期待されるだけのことはしています。これ以上のことをするためには、必然的に非常に大きな支出を伴いますから、今のところ、私はそれを勧告することはできません」。

ブライスは戦い続け、さらに統計を取り続けました。1909年、ブライスは、アルバータ州の状況がさらに悪化しているのを発見しました。ある学校では、28%以上の子どもたちが命を落としており、ほとんどが結核のためでした。サスカチュワン州の別の調査では、クアペル(Qu'apple)地区の93%の子どもたちが結核に感染していました。

先住民の結核「死亡率」が「カナダの平均的なコミュニティーより」2~3倍高いことを、なぜ政府が容認するのか、ブライスには、その道徳上の理由が分かりませんでした。

しかし、政府は意に介しませんでした。1914年までに、インディアン問題省はブライスの統計に飽き飽きし、この主任医官を、あからさまに脇に追いやりました。

当時、インディアン問題省のトップだったスコットは、ブライスに、結核と寄宿学校に関する彼の年次医療報告書はもう必要ないと告げました。報告書は、コストがかかりすぎており、政府には、その情報を使って本当に何かをする計画はなかったのです。

ですから、カナダ政府は、今日まで続く回避と否定を求める本能を見せて、もうそれ以上、ブライスにインディアン問題省に関する仕事を依頼することはありませんでした。

しかし、ブライスは意志を貫き通しました。ブライスは、政府が出版を拒否した1918年の小冊子の中で、先住民の人口を、全国の出生率から考えて、1904年から1917年の間に2万人増加するはずだったと推定しています。しかし、この間、先住民の人口は1600人減少しました。その主な原因は、結核などの治療可能な病気でした。

ブライスの良心に憤慨した政府は、この衛生医官にこれ以上、先住民の死亡率の統計を提供することを拒否しました。政府がそれを記録しない限り、問題は存在しないのです。

1921年、連邦政府は、ブライスが15年間、医療衛生主任医官を務めた後、連邦政府の仕事から引退せざるを得なくなる法律を制定しました。

しかし、この医師の心が黙ったままでいることはありませんでした。翌年、彼は「国家的犯罪の物語:カナダのインディアンのための正義の訴え」を出版し、それは1冊35セントで販売されました。この本は、ブライスが15年間目撃してきた進行中の(先住民に対する)ネグレクト、自己満足、無策という実態を、人物の名前を挙げて記録しました。

ブライスを最も悩ませたのは、政府が行動することを拒否したことでした。問題を認めないのは言うまでもありません。彼の最初の報告から15年たっても、結核は1907年に記録されたのと同じ驚くべき割合で、寄宿舎学校の子どもたちを殺していたのです。

ブライスは、政府の結核対策には暗黙の人種差別があると非難しました。これは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対する現在の政府の不公平な対応と、多くの点で異様なほど似ています。

10万5千人の先住民の結核対策と治療には1万ドルしか出せないのに、オタワの10万人の白人入植者の結核患者の入院の対応には3万3千ドル以上出すという政府のどこに正義があるのか、とブライスは問いかけました。

ハミルトン市は1904年から1917年の間に結核を75%も減らすことができたのに、アルバータ州の「ブラックフット族のような素晴らしい戦士の一族」を結核で死なせないために、どうして何もしなかったのでしょうか。

ブライスは、こう結論付けました。「権力欲」が繰り返し、オタワの「インディアンの命を救うといった高尚な考え」を上回ったのだ、と。

しかし、この本が出版された後も、ほとんど変化はありませんでした。先住民の健康管理は、何十年たっても政府の優先事項とはなりませんでした。

1945年まで、鉱山資源大臣は、まるで結核が変質した鉱物であるかのように、先住民の健康に公式な責任を負い続けました。

この医師は1934年、カリブ海への旅行中に死亡しました。

昨年、先住民の子どもたちの勇気ある擁護者であるシンディ・ブラックストックが、カナダ医師会誌に寄せた記事で、ブライスを「寄宿学校に関する内部告発者」と述べています。

寄宿学校の遺産とその生存者についての調査が始まったのは、10年前です。

2015年、真実和解委員会は、国内の寄宿学校で3千人以上の死亡が確認されたことを報告しました。
政府や教会関係者は、死者の32%の名前を記録していませんでした。
半数のケースで、政府は死因を明らかすることもしませんでした。
4分の1のケースでは、性別が報告されませんでした。

ほとんどの死者が、埋葬のために故郷に送られることはありませんでした。そこで、カムループスの墓標のない墓に話を戻しましょう。

今、読者の皆さんは、ピーター・ヘンダーソン・ブライス医師のことを知らないとは言えません。

また今、皆さんは、彼だったら、先週の発見にショックを受けたり、驚いたりしなかったであろう理由も理解できるでしょう。

彼は、私たちが耳をそばだてて聞きたいと思う以前に、ある国家的犯罪の物語を語っていたのです。


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