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教皇聖ピオ十世の回勅「エ・スプレーミ」についての説教:キリストにおいてすべてを復興させるために熱心に働くことができるよう、聖ピオ十世が取り成してくださいますように

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教皇聖ピオ十世の回勅「エ・スプレーミ」についての説教

ドモルネ神父 2022年9月4日 大阪にて

はじめに

9月3日、私たちは、聖ピオ十世会の守護聖人である教皇聖ピオ十世の祝日をお祝いしました。聖ピオ十世は、1903年に教皇に選ばれました。彼は、その直後に、回勅「エ・スプレーミ・アポストラートゥス」(E Supremi Apostolatus、使徒座の最高の高みから)を発表し、その中で、自らの教皇職の指導原則と主要な司牧活動方針の概要を示しました。この指導原則と主要な活動指針は、私たちと同じものです。ですから、今日、私は、皆さんにそれを思い起こしていただきたいと思います。
【参考】https://www.immaculata.jp/mag2003/manila177.html

1. 私たちの時代の人類の病

この3年間、コロナウイルスの流行について多くのことが語られてきました。メディアによれば、この流行は、人類の歴史の中で、最も危険で致死的な病気の一つとなるだろう、ということです。しかし、それよりもっと深刻で、もっと劇的な結果をもたらす、別の病気があります。聖ピオ十世は、こう教えています。人間社会が、現在、過去のどの時代よりも苦しんでいる、非常に根深くて、非常に深刻な病気、日々進行し、社会の根底に食い込み、社会を滅亡に引きずり込む病気…この病気は、天主からの背教です、と。

私たちは実際、ルチフェルの時代、つまり、人間が、天主に逆らったルチフェルの模範に倣っている時代に生きているのです。ルチフェルのように、現代人は、天主に対して、「私はあなたに仕えない」と言い、天主とは無関係だというふりをしています。人間は、天主に対する不敬な戦争を始め、それは、世界のほとんどあらゆるところで進行しています。詩篇第2篇で語られるように、天主に逆らって、「異邦の民は、乱れ騒ぎ、国々の民はむなしくほえたける」(詩篇2章1節)のです。聖なる人ヨブが言ったように、天主の敵どもは、天主に、「われらからはなれよ」(ヨブ21章14節)と言うのです。その結果、大多数の人々の間で、永遠の天主に対する尊敬の念が、すべて消え去っていることが分かります。私たちは、天主の主権が無視されるような、公私の生活様式が発展しているのを目の当たりにしています。それに加えて、天主の記憶と知識を完全に破壊するために、あらゆる努力と策略が用いられています。

天主に逆らう人間のこのような態度は、どのような結果をもたらすでしょうか。それは、人間の滅びです。詩篇第72篇に、「見よ、あなたを離れる者は滅び(る)」(詩篇72篇27節)とあります。実際、人類の歴史の中で、このルチフェル的な時代ほど、破壊的で死をもたらす時代はありませんでした。世界大戦、世界中で起こる数多くの局地戦争、大量虐殺、イデオロギーによる迫害を思い出してください。また、中絶、避妊、安楽死、同性愛によって、人類がいかに自滅しているかを思い出してください。

2. 指導原則:キリストにおいてすべてを復興させる

天主に逆らう人間の戦いの勝者は誰でしょうか。それに関しては、疑いはありません。人間は、自らの自由を悪用することができます。人間は、一定の期間、創造主の権利と至高の御稜威を侵害することができます。しかし、最後には、勝利は常に、天主とともにあるのです。さらに言えば、人間が、勝利の錯覚の下、最も大胆に立ち上がる瞬間、人間の敗北は目前に迫るのです。

天主の勝利は確実です。しかし、天主の勝利の栄光にあずかるかどうかは、私たち次第です。この勝利を早めるかどうかは、私たちと私たちの行動次第です。では、どのようにすればよいのでしょうか。まず、詩篇第9篇に、「主よ、立ち給え。人間に勝たせ(給うな)」(詩篇9編20節)とあるように、天主に熱心に祈ることによってです。次に、さらに重要なことは、人間とすべてのものに対する天主の至高の支配権を、言葉と行いの両方によって公に認め、それによって、天主の支配権と権威が完全に尊重されるようにすることです。

しかし、私たちは、イエズス・キリストによらなければ、人間を天主の御稜威と支配に呼び戻すことに成功できないことを、忘れないようにしましょう。聖パウロは、「すでに置かれているイエズス・キリスト以外のほかの土台を、誰も置くことはできぬ」(コリント前書3章11節)と言っています。「父が聖別して世に送られた」(ヨハネ10章36節)のは、キリストだけです。キリストなしには、誰も天主を知ることはできません。「子が何者かを知っているのは、父のほかになく、父が何者かを知っているのは、子と、子が示しを与えた者のほかにはありません」(マテオ11章27節)。ですから、人間を天主への従順に連れ戻すことは、キリストにおいてすべてを復興させることなのです。私たちのすべての努力の目的は、人類をキリストの支配のもとに連れ戻すことです。それが実現すれば、私たちは人類を天主のもとに連れ戻したことになるのです。

さて、キリストに到達する方法は、どんなものでしょうか。それは、私たちの主イエズスご自身によって創立されたローマ・カトリック教会です。私たちの主イエズスは、ご自分の教会を、ご自分の教えと掟の保管所とされ、同時に、人間の聖化と救いのための、尽きることのない恩寵の宝を、教会に授けられました。ローマ・カトリック教会が、唯一の真の宗教です。ローマ・カトリック教会だけに、人々を私たちの主イエズス・キリストのもとに導き、主を通して人々を天主と一致させる使命と権威が与えられました。ですから、キリストにおいてすべてを復興させるということは、信仰と道徳に関するカトリック教会の伝統的な教えに従うよう、人々と諸国に呼びかけることを意味します。

3. 行動

では具体的に、キリストにおいてすべてを復興させるために、信者は何をしなければならないのでしょうか。第一に、信者は、真のキリスト教生活を送らなければなりません。それは、天主の法と教会の戒律を忠実かつ熱心に守ること、カトリックの信仰を率直かつ公に告白すること、私利私欲や現世利益を顧みず、あらゆる種類の慈善活動を実践すること、を意味します。そして、教皇聖ピオ十世が私たちに思い起こさせるのは、真のキリスト教的生活という模範、キリスト教の慈善活動という模範が、言葉や崇高な論文よりも、霊魂をキリストのもとに導くのに、はるかに効果的である、ということです。

また、教皇聖ピオ十世は、多くの人々が、悪意よりもむしろ無知から、私たちの主イエズスと教会と福音に敵対していることを、私たちに思い起こさせます。聖ユダは、こう言っています。「かの人々は、自分たちの知らぬことを冒涜(する)」(ユダ10節)。そして、このことは、教育をあまり受けていない人々だけでなく、学者たちの一部にも当てはまります。この後者の宗教に関する無知は、時に非常に驚くべきものです。ですから、私たち自身もカテキズムをよく知り、機会があれば、人々に福音を教えられるようにならなければなりません。

最後の重要なポイントです。教皇聖ピオ十世は、司祭は地上におけるキリストの代理人であり、司祭は霊魂にキリストを形成する者である、と思い起こしています。ですから、キリストにおいてすべてを復興させるためには、司祭が必要なのです。若者が司祭になるためには、二つのことが必要です。一つは天主の召命、もう一つは、若者がその召命に対して、寛大に応えなければならないことです。さて、若者は、天主の召命に応える寛大さを、どこで学ぶのでしょうか。それは家庭、私たちの主イエズスが、王として尊敬され、愛され、従われ、強い敬虔さと寛大な愛徳があり、世俗的な精神が禁じられている、カトリックの家庭です。ですから、多くの司祭の召命が育まれるように、両親は子どもたちに、そのような家庭の雰囲気を与えるようにしましょう。

結論

キリストにおいてすべてを復興させるために熱心に働くことができるよう、聖ピオ十世が、私たちのために取り成してくださり、私たちに力強い恩寵を獲得してくださいますように。


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