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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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聖なる山に登ったイエズス・キリストは、第二のモーゼとして、モーゼの前兆の現実として変容された。イエズス・キリストこそが旧約の影である脱出を実現される方。

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2022年8月6日(初土)イエズス・キリストの御変容のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は初土曜日ですけれども、同時に主の御変容の祝日です。そこで御変容のミサを捧げています。主の御変容の黙想を致しましょう。

皆さんもご存知の通り、イエズスは、十二の使徒たちの中から特に三人を選びました。使徒の頭である聖ペトロ、そしてヤコボとヨハネ兄弟の三人を選んで、高い聖なる山に登りました。その出来事、その時に起こったことについては、聖ペトロは一生忘れることがなく、その情景を生き生きと思い出して、晩年に手紙の中で書いています。

今日の書簡の中で読まれた聖ペトロの手紙がそれです。作り話ではない、本当のイエズス・キリストの力と、その聖なる現存について私たちは話している。私は見たその目撃証人だ。天から聖なる御父の声を、私はこの耳で聞いた。この目で見た、と書いています。

イエズスの御顔は太陽のように輝き、そして御服は雪のように真っ白になっていた、輝いた。その美しい様子を書いています。すると、主の栄光が、雲のような栄光の光がイエズスを覆い、そしてその雲の中から厳かな御父の声が響き渡ります。これは、私の愛する子である。彼に聞け。彼の言うことを聞け、と。

この話は史実は、イエズスが旧約の時代に、前兆を完成させるものとして来た、ということを如実に表しています。

旧約時代には、この来たるべき御変容の前兆として、例えばモーゼがシナイの山に登って、天主の十戒をヤーウェから受けたという前兆があります。その時にモーゼは、司祭の代表であるアーロンと、そしてモーゼの弟子である二人の兄弟ナダブとアビウの二人を連れて、聖なる山に、シナイ山に登ります。モーゼはそこで40日間断食をして、そしてその断食の後に10日後に、エジプトを脱出して50日目、そして断食をした40日目に、シナイ山の山頂で、大自然の天変地異の中で、主の栄光が山を覆い、もうこの世の終わりとも思われるような、恐ろしい大自然の現象の中で、ヤーウェの声を聞きます。そして主の十戒の石板を頂きます。

その時に、モーゼは主の栄光の光が輝いていたので、顔に輝いていたので、頭からは光線のようなものが二つ出ていて、そして人々はモーゼの顔を直視することができなかった。だからモーゼは顔の前に覆いを置かなければならないほどであった。あまりにも光線がすごかった、とあります。

しかし、やはり聖なる山に登ったイエズス・キリストは、第二のモーゼとして、モーゼの前兆の現実として、本物の姿として、輝きを反射したのみならず、御自分が天主の御子であるその輝きを、太陽のように輝き出しました。太陽のように輝いたということは、直接あまりにも眩しくて見ることができないほどの輝きであったということです。そしてその服さえも真っ白に輝いていて、光に満ちていました。

モーゼがアーロンと、そしてその弟子の二人の兄弟を伴ったように、イエズスも使徒の代表であるペトロと、二人の兄弟ヤコボとヨハネを伴いました。イエズス様も40日間断食をしましたが、そしてモーゼと同時に現れる、預言者の代表エリアも40日断食をした人でした。モーゼはシナイ山に、そしてエリアもホレブの山シナイ山に登って、主の御言葉を聞いた方でした。モーゼは死にましたが、エリアは火の車に乗って天に上げられて、生きてイエズスの前に現れました。

聖ルカの福音によると、日本語訳にはこうあります。「モーゼとエリアは、イエズスの"御死去"について話されていた。」この「御死去」というのは、ラテン語では“exitus”となっていて、このどこからか「出ること」“Exit”という意味です。ギリシャ語では、“ἔξοδος : exodos”となっていて、ちょうどモーゼがエジプトを脱出するとき、その「脱出」と同じ言葉を使っています。つまり、聖書を読んだ人は、「モーゼとエリアは、イエズスの"脱出"について、イエズスが私たちを、この死のエジプトの国から、約束の地まで導いて脱出させてくれることについて話していた、と書かれていることを読んでいました。

イエズス・キリストこそが、旧約の影である脱出を、本物の来たるべき脱出を実現されるものとして、御変容されました。

一体、その脱出の目的地はどこなのでしょうか?私たちは悪魔の奴隷状態から解放されて、一体どこに向かうのでしょうか?洗礼という紅海を渡って、そしてマンナに養われて、第二のモーゼであるイエズス様の導きで向かって、一体どこに向かうのでしょうか?

旧約では、エルサレムに向かって人々は行きましたが、私たちの究極の目的はどこなのでしょうか?

それは、天のエルサレムであって、私たちがイエズス・キリストの兄弟、天主の養子と養女となることです。つまり、天主御父がイエズス・キリストを、「これは私の愛する子」と言われたと同じように、私たちも天主の愛する子供となって、天の遺産相続に辿り着くということです。

今日の御変容は、私たちに起こるべき変容の前兆として、イエズス様がまず御自分を見せました。旧約の完成ですが、また私たちに起こるべきものの前兆として、イエズス様が御自分の御変容をお見せになりました。私たちも、同じようになります。

では、このイエズス様の神秘の中に深く入ることに致しましょう。イエズス・キリストこそが、真の救い主、真の救世主、預言されたメシア、この方以外には私たちに本当の栄光と本当の幸せを下さる方はいらっしゃいません。

マリア様にお祈り致しましょう。マリア様も、旧約で預言されていた多くの前兆の成就です。マリア様の汚れなき御心の御取り次ぎによって、私たちも究極の目的地、永遠の至福に辿り着くことができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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