2022年9月24日(九月の四季の土曜日)お説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン
今日の福音では、二つの話があります。
一つはイエズス様の例えです。ある時、農夫が無花果(イチジク)の木を植えて、その木の実が実ったかを見に来ると、実が成っていない。「なんだ」。雇人を呼んで、「こんな木は切ってしまえ」と言います。
するとその雇い人は、「ご主人様、待ってください。私が周りに土を掘って肥料(こやし)をおいて水をかけて大切に育てますから、もう少し待ってください。今年一年待って下さい。もしもそれでも実がならないなら、引き抜いて焼いてください」と言います。
これは私たちの主イエズス・キリストが、実のならない木である私たちのために、天主御父に取り次いでくださっていることを表しています。
天主御父は、私たちに愛とお恵みをすべて与えて、私たちに聖霊の実を実らせるようにと期待していますが、しかし、私たちはなかなか実をつけません。
この私たちのために主イエズス・キリストは、一生懸命愛を注いで、実をならせよう、ならせよう、としてくださっています。私たちが地獄の火に、切り取られて焼かれないように、してくださっています。
もうひとつの出来事は、奇跡です。18年間背中が曲がって地面しか見ることができない年寄りの婦人がいました。天を見上げることができずに いつも下ばかり向いていました。それを見た主は、安息日にこの婦人を治しました。手を置いて、瞬間的に治されます。この婦人も私たちの霊魂の象(かたど)りです。
私たちも、天に目を挙げることをせずに、長々と地上の事ばかり心配しています。他の人が何と言うかと、他の人が何と考えるかと考えたり、あるいはこの地上の富をどうやって貯めるかあるいは楽しむか、そのことばかり考えていたのです。
その私たちをイエズスは、安息日に、主の日に、癒されました。心を天に上げることができるようにイエズス様が私たちにしてくださる、ということです。私たちがたくさん実を結ぶことができるようにしてくださるということです。
今日は、お腹をすかしていますが、しかし胸は祈りと感謝と痛悔の心でいっぱいで、イエズス様の身元に参りましょう。
私たちが実りをたくさんつけることができますように、主に捧げる良い果実を実らせることができますように、そして私たちが天に心をあげることができますように、お祈りいたしましょう。
マリア様の御取り次ぎをお祈りいたしましょう。