無原罪の御宿りについての説教
2022年12月4日 ドモルネ神父
はじめに
次の木曜日は、至聖なる童貞マリアの、無原罪の御宿りの祝日をお祝いします。何人かの聖人は、生まれる前に、原罪から清められました。預言者エレミア(エレミア1章5節)、洗者聖ヨハネ、そしておそらく聖ヨゼフがそうでした。このような生まれる前の清めは、偉大な聖人たちのためだけに定められた特別な恩寵です。しかし天主は、童貞聖マリアに対して、さらにそれ以上のことをなさいました。天主は、マリアを原罪から清められたのではなく、原罪から完全に保護なさったのです。マリアは、原罪の汚れなしに宿られたのです。これが、私たちが無原罪の御宿りの特権と呼ぶものです。マリアは、その存在の最初の瞬間から、完全に清らかなお方、聖なるお方、天主の御心にかなうお方だったです。
今日、私は、この特権についての真理とその偉大さ、そして、私たちに実践的に役立ついくつかの考察について、お話ししようと思います。
1.無原罪の御宿りとの真理と卓越性
無原罪の御宿りの特権は使徒たちに啓示され、使徒たちは、この真理をすべてのキリスト教徒に教えました。この使徒たちの教えは、1854年12月8日に至るまで、代々受け継がれてきました。そしてその日、教皇ピオ九世は、無原罪の御宿りの教義を宣言しました。つまり、この特権が存在することと、すべてのカトリック教徒がこれを告白する義務を持つことを、不可謬的に宣言したのです。聖母は、その4年足らず後、ルルドで、聖ベルナデッタに、「私は無原罪の御宿りです」とお告げになることによって、この教義が真理であることを、御自ら確認されました。
この唯一無二の特権は、原罪の直後、天主がサタンに、「彼女はおまえの頭を踏み砕くであろう」(創世記3章15節)とおっしゃることによって、間接的に、それをお告げになっていました。その後、旧約聖書のさまざまな場面で、この特権のしるしが示されました。例えば、ノアの箱舟は、無原罪の御宿りのかたどりです。箱舟を除いて、すべてのものが洪水によって破壊されたように、童貞聖マリアを除いて、すべての人間は原罪に染まっているのです。雅歌の中で、次の言葉は、教会によって、聖母のことを指すものとされています。「Tota pulchra es, amica mea, et macula non est in te」「私の愛する者よ、あなたは、すべてが美しく、何の汚れもない」(雅歌4章7節)。
無原罪の御宿りの特権は、私たちの主イエズス・キリストの功徳によって、マリアに与えられました。他のすべての人々には、贖いの功徳は、私たち人間の本性にある罪によって生じた傷を癒やし、修復するために、薬として与えられます。しかし、マリアには、私たちの主イエズスの功徳が、罪から保護するものとして、与えられました。マリアの霊魂に罪が入り込んだことは、一度としてありませんでした。マリアは、イエズスのように、本当にこうおっしゃれるのです。「この世のかしらは…私に対して何もできぬ」(ヨハネ14章30節)。
天主がマリアに無原罪の御宿りの特権をお与えになったのは、なぜでしょうか? それは、天主がマリアを、ご托身のみ言葉である私たちの主イエズス・キリストの御母となるように、永遠の昔からお定めになっていたからです。マリアは、御子なる天主をそのご胎内に宿され、地上における神性のご聖櫃となられる定めだったのです。さらに、聖母はイエズスに人間の本性をお与えになり、そしてそのため、聖母と聖三位一体の各ペルソナとの間に、極めて特別な関係が確立される定めだったのです。マリアの美しさが、たとえほんの一瞬であっても、原罪によってその輝きを失うなどということが、どうしてあり得るでしょうか? 聖母が、たとえほんの一瞬であっても、悪魔の支配下に置かれるなどということが、どうしてあり得るでしょうか? それは想像もできないことです。ですから、聖母が、常に天主との友情のうちにあり、常に美しく、常に清らかで、常に聖なるお方、天主をお喜ばせするお方であることは、最もふさわしいことだったのです。聖母が、御子なる天主に伝えることとなるべき肉と血を決して損なわれなかったことは、最もふさわしいことだったのです。
そこで今日、童貞聖マリアにこのような卓越した唯一無二の特権をお与えになった聖三位一体を讃美し、感謝しましょう。天におられるすべての聖人たちとともに、天の御母をたたえ、御母とともに喜びましょう。
2.私たちに実践的に役立ついくつかの考察
無原罪の御宿りの祝日は、私たちの霊的生活を向上させるために役立つ、五つのポイントを思い起こさせてくれます。
第一のポイントは、原罪とその結果という現実を思い起こさせてくれることです。原罪のせいで、私たちは皆、地獄行きを宣告され、霊的に弱くなっています。なぜなら、原罪によって、私たちは過ちを犯しやすく、悪意ある行動をとりやすく、情欲に流されやすく、困難に直面したときに臆病になりやすくなったからです。このことを思い起こせば、私たちが謙遜の徳を身につける助けになるはずです。
第二のポイントは、私たちの洗礼を思い起こすことです。天主は、私たちが原罪なくして宿るようにされたのではなく、洗礼を通して、私たちの霊魂をこの罪から清め、悪魔の奴隷状態から解放してくださるのです。この清めは、永遠の命を私たちへと開くものであるため、天主からの最も重要な賜物です。この賜物を受けたことのない人は何百万人もいますが、私たちはそれを受けたのです…。ですから、私たちに対する天主の御あわれみを思い起こし、私たちに洗礼の恩寵をくださったことを、私たちの主イエズスに感謝しましょう。
考察すべき第三のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵に忠実だったことです。マリアは、生涯を通じて、その恩寵をいささかも汚されなかったのです。私たちはどうでしょうか? 私たちは、自分の洗礼の約束に忠実だったでしょうか? そうではありませんでした。私たちの人生のすべての罪を償うことを忘れないようにし、これからは、自分の洗礼の約束に忠実であろうという決心を新たにしましょう。
考察すべき第四のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵を守るために、いかに気をつけておられたかということです。マリアは、原罪とその結果の影響を受けておられませんでした。それにもかかわらず、聖母は、私たちの主イエズスの教えを黙想され、絶えず祈っておられました。私たちの方は、原罪の結果の影響を受けています。私たちは悪に傾きやすく、常に天主のお怒りを招く危険にさらされています。ですから、私たちの主イエズスのご生涯を頻繁に黙想し、一日中、主とともに祈り続けることに、さらにどれほど多くの努力をすべきでしょうか。このことは、私たちが洗礼の恩寵のうちに耐え忍ぶための必要条件なのです。
最後に、マリアは、天主の御母になるように定められていたという理由から、原罪なくして受胎なさったということを考察しましょう。マリアの完全な清らかさは、そのご胎内に私たちの主イエズスを受け入れるための準備でした。このことは、聖体拝領の前に、良い告解によって、自分の心を大罪から清め、心からの痛悔によって、自分の心を小罪から清めることの必要性を、私たちに思い起こさせてくれます。
結論
この一週間は特に、無原罪の御宿りである聖母に、次のようにお願いしましょう。私たちが常に、私たちの主イエズス・キリストにふさわしい生活ができるよう、また私たちが、永遠に主を見て、愛することができるように、天国の聖母のもとに行けるよう、私たちを助けてくださいますように。