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【参考資料】フランク・ペイヴォン神父への教会法上の制裁に関するヴィガノ大司教の宣言

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【参考資料】フランク・ペイヴォン神父への教会法上の制裁に関するヴィガノ大司教の宣言

2022年12月22日(木曜日)

Viganò’s Declaration on the Canonical Sanctions Imposed on Father Frank A. Pavone

【訳者注】フランク・ペイヴォン神父(Father Frank Pavone)は、アメリカのプロライフ運動の中心的でリーダー的なカトリック司祭です。1993年以来、オコナー枢機卿(Cardinal John O’Connor)の許可により胎児の生命尊重のために献身的にはたらいてきました。バチカンもペイヴォン神父を支援してきました。
しかし、今回、突然、何の警告もなく、上告もできずに、教皇だけがすることができる決定で、「SNSでの冒涜的な発言」と「不従順」の罪(この二つの告発に対してペイヴォン神父は反論しています)の罰として、平信徒に還俗させられました。しかし教会法によれば「冒涜」の罪も「不従順」の罪も、還俗の罰は想定されていません。
自分を守ることができない胎児たちを守っていた(ヘロデ王の手から守るために、イエズス・キリストを聖母とともにエジプトに非難した聖ヨゼフのように)がゆえに、「あわれみの教皇」からの極めて異例な厳しい罰を受けたのです。他方では、同性愛を促進するような聖職者たちは、何らの処罰を受けずにおり、ペイヴォン神父の受けた制裁について、シスター・ディディ・バーン【ディアドラ・バーン(Deirdre Byrne)修道女】は、茶番だと呼んでいます
そのようなペイヴォン神父の受けた処罰について、ヴィガノ大司教が発言しています。参考情報としてお知らせいたします。

カルロ・マリア・ヴィガノ

「Agere sequitur esse.――行うは有るに従う」。スコラ哲学は、そう教えています。いかなる存在の行動も、その存在の性質に左右されます。したがって、ある人の行動は、その人が何者であるかということと矛盾しません。この存在論の原則は、何十年もの間、妊娠中絶という恐ろしい犯罪との戦いに身を捧げてきた、評価の高い有名なプロライフの司祭、フランク・A・ペイヴォン神父に対して最近聖座が課した教会法上の制裁において確認することができます。

もしローマの省【司教省】が、一人の司祭を平信徒に格下げし、天主への冒涜と非難し、教会法上の裁判で合法的に弁護する能力を持たせないようにして電気椅子の【司祭としての】死刑にすることを決定するならば、また同時に、悪名高い異端で、堕落した、姦淫の聖職者たちに関して同様の決定がなされないならば、このような迫害行為は、迫害の心を明らかにしているのだろうか、または、中絶に反対するために熱心に働いてきた善き司祭に対する行為は、善とそのために戦う人々に対する迫害者の憎悪を明らかにしているのだろうか、と問うのは見当違いではないでしょう。この不当で非合法な罰は、人類の敵【悪魔】が、罪のない子どもたちを殺すことによって、幼子なる王を殺したがっていることを考えるならば、聖なるクリスマスが近づくにつれて、いっそう憎むべきものとなります。

ベルゴリオのセクトは、指導的地位を傲慢にも占有することによって、カトリック教会【という太陽】を日食で覆っており、教会のかしらである私たちの主が意図なさった目的とは反対の目的のために、その権威をつまずきを与えるほど濫用しています。教理、道徳、規律、典礼のどの分野も、その破壊行為の対象になっていないものはありません。第二バチカン公会議の活動によって60年間にわたって組織的に解体された後、わずかに残ったものは何も救われておらず、過ぎ去った日々の栄光を思い出させる朽ちかけたものとして残っているのは、新しくてさらに悪い荒廃の脅威に常にさらされているのです。

したがって、ローマの最高法院(サンヘドリン)――その活動はバチカンの事件を最も慎重に解釈する者たちをも困惑させます――には、善人を迫害し悪人を助長するという目的があることは明白です。ペイヴォン神父の「取り消し」のケースは、聖職者たちの間に恐怖の雰囲気を増大させて、彼らに卑屈でおびえた服従の態度を取らせるために、また、信者や教会を道徳的基準とみなしている人々の間に混乱とつまずきを生じさせるために、この目的が猛烈な頑強さで実行されていることを証明していますし、何度目になるのか分からないほどです。

このすべては、イエズス会司祭マルコ・イヴァン・ルプニックが、自動破門(latæ sententiæ)の罰を伴う非常に重大な教会法上の犯罪に対する判決が係争中でありながら【破門の刑罰を受けたが、教皇によって赦されたとする説もある】、サンタマルタ館に住むイエズス会士の同僚兼仲間【教皇フランシスコ】によって教会法上の刑罰が免除されているのと同時に、一方では、ローマ教皇庁に、堕落した異端の同性愛者や姦通者として悪名高い人々がはびこっているときに、起こっているのです。ベルゴリオの従者たちは、罪が重ければ重いほど、より名誉ある地位に就くという形で、他と区別されています。

正義および統治の賢明という最も基本的な原則に対する違反、そして〈法の意向に反して〉(contra mentem legis)行動する位階階級の最高レベルによるあからさまな決定に直面して、必要とされるのは、枢機卿たちや司教たちが、彼らの共犯的沈黙がもたらす非常に深刻な結果を理解し、教会の健全な部分を守るために勇気を持って声を上げることです。この義務は、侵害されたカトリックの真理に対する敬意によって、自らの高位聖職者たちにより辱められた聖にして母なる教会の名誉によって、そして、自分たちに属するのではなく、むしろ神秘体のかしらである王にして大司祭なるキリストに属する権威を簒奪する悪しき牧者たちの言動によって危険にさらされた霊魂の永遠の救いによって、課されたものです。

この背教の時代に、教会に奉仕して、無垢なる被造物【胎児】の命を守ることが、聖職者の身分から解任されるに値する罪となり、一方で、中絶やジェンダー・イデオロギーを助長し、奉献された童貞たちを侵害すること【ルプニックの事件】が破門に値するとはみなされないとするならば、ペイヴォン神父はこの恥ずべきバチカンの決定を、私たちの救い主の次の言葉を思い出して一つの誇りと思うべきです。「私のために、人々があなたたちをののしり、あるいは責め、あるいは数々の讒言を言うとき、あなたたちは幸せである」(マテオ5章11節)。

また、善人に対するこの迫害の共犯者として自ら罪を負った者は誰であれ、その後に自らを待ち受ける審判を思って震えなければなりません。「Deus non irridetur――天主を侮ってはならない」(ガラツィア6章7節)。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2022年12月22日

Photo Credit

英語版

Viganò’s Declaration on the Canonical Sanctions Imposed on Father Frank A. Pavone

イタリア語版

Viganò, Frank Pavone: Punizione Ingiusta e Illegittima. Vescovi e Cardinali Protestino.

【参考記事】

Fr. Pavone's laicization came from Pope Francis himself: canon lawyer - LifeSite

Fr. Pavone's message to Pope Francis: 'I want to continue serving as a faithful priest' - LifeSite

Sr. Dede Byrne: Fr. Pavone's laicization is a 'travesty' - LifeSite

【ルプニック神父の事件に関する記事】

The complex case of Fr Marko Rupnik, explained


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