堅振の秘跡についての説教(4)堅振の秘跡の儀式について
ドモルネ神父
はじめに
今日は、堅振の秘跡について、もう一度お話しします。具体的に言えば、この秘跡の聖伝の典礼の意味と、1970年に作られたこの秘跡の新しい典礼についてです。
1.堅振の秘跡の典礼
秘跡の典礼とは、秘跡が行われる際の儀式や祈りのことを意味します。これらの儀式と祈りには、2種類あります。秘跡の有効性のために必要不可欠なものと、不可欠ではありませんが、秘跡の効果を外部に表し、秘跡をよく受けるために、霊魂を準備させるものです。
堅振の秘跡について、不可欠な要素は、頭の上に手を置き、額に聖香油を十字架の形に塗り、同時に、次の言葉を唱えることです。「われ父と子と聖霊との御名によりて、なんじに十字架のしるしをなし、たすかりの香油をもってなんじを堅固にする」。これは司教、あるいは司教からその権能を授かった司祭が行わなければなりません。
その他の儀式と祈りは、聖伝の典礼によれば、次のとおりです。額に油を塗る前に、司教のみが、受堅者の上に手をかざしながら、聖霊に祈ります。額に油を塗った後、司教は受堅者の頬を軽くたたき、それから受堅者のために祈り、受堅者を祝福します。最後に、司教は受堅者に、使徒信経、天にまします、めでたしを唱えさせ、儀式を終えます。
2.これらの儀式の意味
これらいくつかの儀式の意味について、少し説明しましょう。
◆堅信の秘跡を授ける人は司教であり、司祭ではありません。それはなぜでしょうか? 堅振は、霊的な成熟と力が授けられる秘跡ですから、それを授けることは、司祭の権能の充満を持つ役務者、すなわち司教に属するのです。
◆司教は、受堅者の頭の上に手を置いて、堅振の秘跡を授けます。なぜ、このようにするのでしょうか? 人の上に手を置くという動作は、その人に権能や使命を伝えることを表します。堅振の秘跡において、その動作は、聖霊と、私たちの主イエズスを公に告白する使命の伝達を表します。使徒行録には、使徒たちが手を置いて堅振の秘跡を授けたことが記されています。「サマリア人は主イエズスの御名によって洗礼を受けていただけであった。そこで、ペトロとヨハネが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」(使徒行録8章16、17)。
◆司教は、聖香油を額に塗ります。聖香油は、聖木曜日に司教によって祝別された、オリーブ油と香を混ぜたものです。オリーブ油と香は、偶然に選ばれたものではなく、それらには霊的な意味が込められています。第一に、オリーブ油には、健康的なビタミン、脂肪、抗酸化物質がたくさん含まれており、恩寵の豊かさを象徴しています。第二に、オリーブ油を肌に塗ると、スムーズに浸透していきます。これは、聖霊が私たちの霊魂にスムーズに入り込み、その恩寵と賜物で霊魂を豊かにしてくださることの象徴です。また、オリーブ油を肌に塗ると、筋肉がより柔らかくなります。そのため、その昔、レスリング選手は、試合に備えるため、筋肉にオリーブ油をすりこんでいたそうです。ですから、オリーブ油は、私たちがキリストのために戦うことができるように、聖霊が私たちを強めてくださることを表しているのです。
香は貴重な樹液です。その心地よい香りは、霊魂の中にある恩寵と聖徳の甘い香りを表します。香りが魅力的であるように、堅振によって完全になったキリスト教徒は、徳のある生活の模範によって、人々をキリストに引き付けなければならないのです。
◆司教は、額に十字架のしるしをします。なぜ、額にするのでしょうか? 堅振によって、私たちはキリストの兵士となり、王たるキリストの紋章、つまりそれによってキリストが悪魔を打ち負かした十字架のしるしを付けられるからです。また、額の十字架は、私たちの精神や心が、いつもキリストに向いていなければならないことを意味します。最後に、額は、私たちの体のうちで最も目につきやすい部分ですから、額の十字架は、堅振が私たちに、恐れたり恥じたりすることなく、キリストを公に告白する使命と力を授けてくれることを表します。
◆司教は、受堅者に、イエズス・キリストのためなら、どんな苦しみも、死さえも覚悟しなければならないことを思い出させるために、受堅者の頬をたたきます。
◆最後に司教は、受堅者に、使徒信経、天にまします、めでたしを唱えさせます。この三つの祈りに、カトリックの信仰全体が要約されているからです。
3.新しい堅振の儀式
ここで、新しい堅振の儀式について、少し述べておきましょう。堅振の儀式は、1970年に近代主義者たちによって修正されました。それは良い改革だったでしょうか、そうではなかったでしょうか? それは良い改革ではありませんでした。
• まず、教皇パウロ六世は、聖香油を準備する際に、いかなる植物油でも使用することを許可しました。彼は、世界の一部の地域では、オリーブ油が簡単に手に入らないことを指摘しました。しかし、神学者たちや教皇たちはずっと、オリーブ油がこの秘跡の有効性のために必要であると考えていました。オリーブ油は、堅振の秘跡で使用するよう、私たちの主イエズスが選ばれた物質です。誰もこれを変えることはできません。さらに、教皇パウロ六世が挙げた理由は、まったく納得のいくものではありませんでした。過去には、世界中どこでも、オリーブ油を手に入れるのは、今よりもっと難しかったのです。それでも、教皇たちは、聖香油を作るためにはオリーブ油を使う必要があると、論じ続けていました。ですから、聖香油を作るためにオリーブ油以外の油を使うことは、堅振の有効性に、非常に重大な疑問を投げかけることになります。
• もう一つの重大な問題は、額に油を塗る際に、司教が手を頭の上に置かないことです。しかし、神学者たちは、これを、この秘跡の有効性に不可欠なものだとみなしています。
• 儀式もまた変更されており、しかも、より良いものにはなっていません。新しい儀式によると、司祭たちが、司教と一緒に、聖霊に祈ります。そのため、司教は、堅振の本来の役務者のようには見えません。また、司教はもう、「われ父と子と聖霊との御名によりて、なんじに十字架のしるしをなし、たすかりの香油をもってなんじを堅固にする」とは言いません。その代わりに、「聖霊の賜物を受けなさい」と言うのです。この言葉は、堅振が私たちをどのような者にするのか、正しく述べてはいません。また、新しい儀式では、司教はもう頬を軽くたたくことはありません。その代わりに、親しみを込めた動作とともに、励ましの言葉をかけるのです。ですから、受堅者はキリストの愛のためにどんな苦難にも耐える覚悟をしなければならない、というようには、もはや見えないのです。
しかし、近代主義者たちはなぜ、堅振の儀式を変更したのでしょうか? それは、信教の自由とエキュメニズムという彼らの誤った教理のせいです。近代主義者たちは、カトリック教徒が、地上におけるキリストの王権を拡大するために働くことを望んでいないのです。教皇フランシスコは2018年に、「キリスト教徒間の布教は、それ自体、重大な罪である」とさえ述べました。
結論
何日か後に堅振の秘跡を受けることになる、親愛なる信者の皆さん、祈り、償い、良い読書によって、また皆さんの心を童貞聖マリアと一致させることによって、準備を続けてください。使徒たちが聖霊降臨の日に聖霊を受ける準備をしたのは、この方法によってです。
すでに堅振の秘跡を受けている、親愛なる信者の皆さん、もうすぐ行われる堅振の儀式を機に、自分の堅振を思い出してください。自分の霊魂の中に堅振の霊印、キリストの兵士としての霊印を持っていることを思い出してください。みなさんは、人生のあらゆる機会にキリストを証しする力を授けられていることを思い出してください。私たちの主イエズスの、次のみ言葉を思い出してください。「あなたたちは世の光である。…だから、あなたたちも人の前で光を輝かせよ。そうすれば、人はあなたたちのよい行いを見て、天にまします父をあがめるであろう」(マテオ5章14、16節)。