眠りの聖化についての説教
ドモルネ神父
はじめに
今日のミサの福音は、嵐を静める奇跡についてのものです。この話には、興味深い点があります。イエズスは、舟の中で眠っておられました。しかし、私たちの主の行いはすべて聖なるものですから、それには主の眠りも含まれるのです。ナツィアンツォの聖グレゴリオは、私たちの主が御自ら眠りに従うことを望まれたのは、私たちに自分自身の眠りを聖化することを教えるためであった、と述べています。
そこで今日は、おそらくあまり一般的ではないテーマ、眠りの聖化についてお話しします。それはどういう意味でしょうか、なぜそうしなければならないのでしょうか、そして、その方法はどんなものでしょうか。
1.眠りの聖化
自分の行動を聖化するということは、その行動を聖なるものにするという意味です。私たちの行いが聖なるものとなるのは、それが天主のご意志に従い、私たちの天主への愛から行われたときです。天主のご意志は、おもに、天主が宇宙に定められた自然法則、十戒、私たちの主が創立されたカトリック教会の教え、そして私たちの身分に応じた義務を通して、私たちに示されます。私たちが天主への愛から行動するというのは、まず成聖の恩寵によって天主との友情を持つ状態にあり、次にその行動の間中、私たちの精神と心を天主に向けることです。私たちが何をするにしても、それは天主の栄光のため、そして天主への私たちの愛の証しとして行わなければなりません。
さて、眠りの問題に移りましょう。眠りは、食べたり、働いたり、勉強したりといった、私たち人間の行動の一部です。私たちは、他の様々な行動を聖化しなければならないように、私たちの眠りも聖化しなければなりません。言い換えれば、私たちの眠りは天主のご意志に適ったものでなければならず、眠っているとき、私たちの心は天主の方を向いていなければなりません。
2.眠りを聖化する理由
眠りを聖化することは重要です。なぜでしょうか? 第一に、眠りは、私たちの人生の中で大きな部分を占めているからです。眠りを聖化しないということは、私たちの霊的生活を発展させるための時間のうち相当な部分を失ってしまうことを意味します。さて、覚えておいていただきたいのは、地上での生活の中で、私たちの霊魂に成聖の恩寵が増加していくということは、永遠の栄光が増加していくことを意味する、ということです。ですから、私たちは時間を無駄にしてはならず、人生の一秒一秒を、成聖の恩寵を増加させるために使わなければなりません。
第二に、私たちを罪に導くような誘惑や官能的な動き、あるいは危険な想像に身をさらさないようにするために、私たちは眠りを聖化するように気をつけなければならないということです。実際、私たちの冷酷な敵である悪魔は、決して眠りません。私たちが眠りを聖化しないのなら、それは、戦いのときに見張りをしないで眠ってしまう兵士のようなものです。敵が来れば、その無防備な兵士を見つけて、簡単に倒してしまうでしょう。
最後に、自分の眠りを聖化することは、死を準備する一つの方法です。眠りが、私たちの一日の最後の行動であるように、死は、私たちのこの世での最後の行動だからです。眠っているとき、私たちは、死にとても似た状態にあります。また、人が分からないうちに眠りから死に至ることは、実際、それほど珍しいことではありません。夜、眠ったあと、目覚めなかった人も多くいます。私たちのうち誰が、自分が夜、眠ったあと、朝には必ず目が覚める、と確信をもっていうことができるでしょうか? 眠っている間に死ぬということは、死の準備をする時間がありませんから、恐ろしい死です。大罪の状態で眠りについた人は、地獄で目を覚ますのです。ですから、眠りを聖化すること、つまり天主と和解せずに眠りにつくことが決してないようにすることが重要なのです。
3.眠りを聖化する方法
眠りを聖化することがいかに重要であるかを申し上げましたが、次の論理的な疑問は、それを行う方法です。そのためには、外的な心構えと内的な心構えが必要です。
外的な心構えの一つ目は、決められた時刻に正確に床につくことです。これは一種の自己犠牲であり、怠惰に陥らないために、また、疲労とそれによる時間の浪費を避けるために、必要なことです。必要な時に眠らなければ、私たちは、自分の身分に応じた義務を果たすことができなくなります。
外的な心構えの二つ目は、衣服を脱いで床につくとき、常にキリスト教的な慎み深さを守り、品位に欠けるようなことは、すべて注意深く避けることです。また、ベッドに入った後は、官能や不純な誘惑につながるような柔らかいものを避けるように注意しなければなりません。
外的な心構えの三つ目は、もちろん、夕の祈りを忘れないことです。この祈りは、できればベッドの上ではなく、ひざまずいて行うべきです。そしてこの祈りの間に、自分の良心を調べ、その日の罪の赦しを天主に願い、翌日再びその罪に陥らないことを約束することを、怠ってはなりません。聖水で十字架のしるしをし、聖水をベッドに少し撒いておくのもよいことです。
これらの外的な心構えに加えて、床につくときには、敬虔な思いを抱いて、祈ることが勧められます。寝る前の短い霊的読書は、この点で非常に有益です。
私たちの主イエズス、童貞聖マリア、私たちの保護の聖人、そして私たちの守護の天使に自らを捧げ、祈りながら眠りにつくことは、眠りを聖化するための優れた内的な心構えです。私が子どもの頃、守護の天使と一緒に祈りながら眠りにつくと、私たちが眠っている間中、守護の天使がその祈りを続けてくれると聞いたことがあります。なるほど、その考えは、それほどおかしなものではありません。この例と比べてみましょう。家庭では、夕の祈りの最中に、幼い子どもたちが眠ってしまうことがよくあります。そのとき、両親や年上の子どもたちは、自分たちのため、そして寝てしまった幼い子どもたちのために祈りを続けます。彼らは、自分たちの上にだけでなく、眠ってしまった幼い子どもたちの上にも、天主の恩寵を引き出すのです。では、両親が幼い子どもたちのためにするよりも、私たちの守護の天使が私たちのためにしてくれることのほうが少ない、ということはあり得るでしょうか? 悪魔が決して眠らず、常に私たちを敗北させようとしているのですから、他方、私たちの守護の天使も決して眠らず、私たちを守り、私たちのために天主に祈ることを、決してやめはしないのです。ヤコブのはしごの幻視(創世記28章12節)を思い出してください。ヤコブが眠っていると、地にはしごが立てられていて、その頂が天にまで達しているのを見ました。天主の天使たちもそのはしごを上ったり下りたりし、天主ははしごに寄りかかっておられ、ヤコブを祝福されました。
最後に、眠りを聖化するための最後の勧めです。夜中に目が覚めたなら、再び眠りにつく前に、少し呼祷をして、心を天主に上げることを覚えておきましょう。
結論
親愛なる信者の皆さん、私たちの主イエズスは、地上での生活の間、眠られましたが、その眠りは聖なるものでした。私たちの眠りも、聖なるものでなければなりません。私たちは、臨終の時にそうあることを望む状態で、毎晩眠りにつくようにしましょう。私たちの善き母であるマリアの祝福によって、いつも私たちの主の聖心の上で眠りにつくようにしましょう。