2022年10月30日大阪(主日)説教
聖母の汚れなき御心の聖堂にようこそ!
今日は2022年10月30日、王たるキリストの祝日を祝っています。
今日、教皇ピオ十一世の命に従って御聖体降福式の時に、毎年のようにイエズス・キリストの聖心に全人類を奉献する祈りをお捧げいたします。
来年の一月には、フェレ―司教様が日本にいらっしゃいます。私たちに堅振の秘跡を授けてくださいます。堅振を聖伝の典礼様式に従って受けていらっしゃらない方、それをご希望の方は、是非この機会に堅振の秘跡を受けるようになさってください。申込用紙は入り口にあります。
愛する兄弟の皆様、今日は王たるキリストの祝日ですから、イエズス・キリストが王であるというという意味について黙想いたしましょう。なぜ王であって、そしてそれは私たちにどのような意味があるかを黙想して、最後に王たるキリストに忠実であるために遷善の決心を立てましょう。
【1:イエズス・キリストは第二のアダムとして、私たちのために王位を回復してくださる王である】
第一のアダムは、創造された時に、すべての被造物を支配する王でした。アダムは、天主のもとに置かれ、成聖の恩寵の状態に生き、天主の友として、そして永遠の命を受けるべき、永遠の世継ぎを得るべき、天国の遺産を受けるべきものとして創造されました。アダムは動植物にさえも命令をすることができました。すべてはアダムの支配下にありました。
しかし、アダムとエヴァは罪を犯し、この秩序を破壊してしまいました。それは何を意味したかというと、王の地位を失ってしまったということです。もう、もはやアダムは命令しても自分の身体さえも、肉欲は反抗するようになり、自然界もアダムに茨を生み出し、そしてすべては苦しみを生み出すようになってしまいました。死を生み出してしまいました。王の地位は失われてしまいました。
アダムは、第二のアダム・贖い主を待つべき者となりました。私たちアダムの子孫は、すべて贖い主を待つ者となりました。それは来るべき第二のアダムが、救い主が、私たちにもう一度王位を回復してくださるべき方であるからです。
アダムに起こったことは、これは来るべきイエズス・キリストの前兆でした…聖ボナヴェントーラは言います…アダムはたった一人でいるのはよくないと天主が思われたので、アダムは眠りにつかされます。眠っているアダムの間から、そのわき腹から、骨からエヴァがつくられます…聖ボナヴェントーラは言います…いったい天主はなぜエヴァをアダムの骨からしか作られなかったのか? アダムのように土からも作れたのではないか? アダムに痛みを与えずに骨をとることもできたのではないか? なぜわざわざアダムは眠らされなければならなかったのか?…聖ボナヴェントーラはいいます…これは、アダムの眠りがイエズス・キリストの死を、第二のアダムの死を、十字架の上での死を意味させるためにわざと、ご計画のうちに眠りにつかせたのだ、と聖ボナヴェントーラ解説しています。
旧約聖書に行われてきたすべての出来事はイエズス・キリストを予告するものでした。つまりイエズス・キリストの受難を予告するものであって、私たちがどのようにして超自然のいのちを回復するかについて予告するものでした。それは第二のアダム、イエズス・キリストにおいて、その御血において回復されるものでした。
【2:イエズスは王として十字架によって王国を回復してくださった】
では第二に、どうやってイエズス様は私たちのために、王国を、超自然の完璧さを、回復してくださったのでしょうか。
ちょうど私たちに超自然のお恵みがないということは、成聖の恩寵がないということは、最も大切なものを欠いているということです。車にタイヤがない、あるいは飛行機に羽がない、あるいはコンピューターにその最も大切な部品がない、まったく役に立たない、それと同じです。
私たちにもしも超自然のお恵みが無かったら、この人生の最も大切な意味がなくなってしまうからです。
イエズス様はこれを回復しようとしました。その回復はご受難でした。十字架の木によるものでした。
イエズス様は王として、十字架の上に磔になります。イエズス様を王として茨の冠を被せられます。イエズス・キリストは、ですから私たちをこの十字架の御旗のもとにお呼びになっています。私たちもイエズス様とともに王位につくように。イエズス・キリストの天の遺産を王として支配するように、招いています。しかしそれにはたった一つの道しかありません。
旧約時代の全ての神秘を理解する鍵はイエズス・キリストであるように、私たちのいま生きている人生の人類の歴史の私たちの生活の深い意味を理解するのは、そしてこれに意味を与えるのは、イエズス・キリスト以外に何もありません。
なぜ私たちは病になるのか、なぜ苦しむのか、裏切られるのか、辱めを受けるのか、なぜここでこのようなことが起こるのか、すべてイエズス・キリストが私たちの人生に意味を与える鍵を持っています。
すべては復活のためであって、永遠の命のためであって、私たちがイエズス・キリストとともに王位につくためです。
イエズス・キリストの受けた茨の冠の王冠、あるいはその王の玉座である十字架、これを見ると私たちもこれを拒否することは出来なくなります。私たちの愛する贖い主・王が私たちに模範を見せてくださったのですから、どうして私たちがこの世のプリンス、この世の支配者、悪魔の提供する王冠を、甘い快楽の王冠を被って、イエズス・キリストからくださる王冠を捨てることができるでしょうか。
【3:遷善の決心】
最後に、王たるイエズス・キリストに忠実である恵みを請い求めましょう。遷善の決心を立てましょう。
もちろんイエズス・キリストは、この地上において諸国の全世界における王として、国際社会の王として、認められなければなりません。しかしその前に、イエズス様は私たちの家庭の王として、私たちの王として認められて、そして従順に愛されて従われなければなりません。
私たちの生活がすべてが、イエズス様を王として宣言するものとなりますように、マリア様にお祈りしましょう。なぜかというと、マリア様こそ、全生涯がそうであったからです。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。