Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

マリア様による、マリア様が為すべき、待降節における役割とは

$
0
0
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月の初土曜日に大阪で行った聖伝のミサのお説教をご紹介いたします。

 待降節に、私たちはイエズス様を待ち望む準備をする事に致しましょう。
 そしてこの準備をする為に、マリア様の御心、マリア様の事をまず考え、黙想することを提案します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

2015年12月5日 初土曜日 聖マリアの汚れ無き御心の随意ミサ
小野田神父 説教



 聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は12月5日、12月の初土曜のミサをしております。今日のこの御ミサの後に、土曜日ですので、公教要理の復習があります、公教要理があります、どうぞいらして下さい。
12月はたくさんのミサがあります。12月13日の主日の夕方18時30分からは、レネー神父様が御ミサをして下さいます。

 それから12月24日のクリスマス・イヴには、夕方から18時30分から。そして25日には、真夜中と、それから暁の朝ミサがあります。それから26日にもミサがあります。25日の朝は、9時と10時30分、2回。そして26日の土曜日にもミサがあって、10時30分から。
そして12月の大晦日には、感謝のミサが、夕方の18時30分からあります。どうぞいらして下さい。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、今日は待降節における初土曜日ですので、私たちはイエズス様を待ち望む準備をする事に致しましょう。そしてこの準備をする為に、マリア様の御心、マリア様の事をまず考えます。マリア様による、マリア様が為すべき、待降節における役割とは何なのか。そして私たちが、どれほどマリア様の助けを必要としているか。そして3番目に、マリア様は特に21世紀の現代、どれほど必要としているか。終末の私たちにとって、どれほどマリア様が必要なのか。この待降節を過ごす為にどれほど必要なのか。最後に、何か良い遷善の決心をいくつか立てる事に致しましょう。

 昨日、初金曜日のミサでは、イエズス様を待ち望む、救い主を待ち望む太祖、そして旧約の義人たちの思いを少し黙想しました。それはパードレたちを待つ、潜伏キリシタンたちとの思いにも繋がるような、熱烈な思いだった、という事。またイエズス様は、それらの太祖や義人たちの思いを集めても、それを更に超えるような熱い望みを持って、私たちの元に来たい、私たちの元に来て、私たちを招きたい、私たちの近くに来たい、私たちが近くに行く事を望んでいる、という熱烈な愛とあわれみの望みを黙想しました。

 では、私たちはそのイエズス様の望みをどうやって果たしたらよいでしょうか?イエズス様は、「この地上に来たい。」と、熱烈な思いで人と私たちの間に住んで、私たちを愛し、私たちから愛されたい、と熱烈な思いを持っていましたが、それにはただ1つ条件がありました。イエズス様は、「第2のアダムとして来たい。」と思ったので、「第2のエヴァが必要だ。」と、これが条件でした。そして、「第2のエヴァは、第2のアダムと共にいるに相応しい、純潔なものでなければならない」という条件でした。

 既に、イエズス様がこの地上に、天主の御子が地上に救い主となって来られる、という時に、予言がされてました、「私は、お前と女の間に敵対を置く。お前の末と女の末の間に敵対を置く。お前は彼女を苦しめるが、彼女はかかとでお前の頭を踏み砕くだろう。」と。

 この第2のアダムが来るべき、置かれるべき、第2のエヴァというのは、この地上における第2の楽園の事でした。天主御子が、相応しくここに宿る事ができるべき、地上の楽園でした。閉ざされた秘密の楽園でした。

 ちょうど第1のアダムから第1のエヴァが生まれたように、出てきたように、第2のエヴァから第2のアダムが生まれてくる事を望まれました。そして第2のエヴァを通してのみ、イエズス様は私たちの元に来る事を望まれました。

 天主御父は、永遠の昔から、自分のいと愛するべき御子を、第2のペルソナ、天主御子を、「この地上に送ろう」と熱烈に望んでいました、が、たった1つの条件は、「第2のエヴァであるマリア様を通してのみ、それを為そう」と。もしもマリア様を通してのでなければ、それを望まないほど、「マリア様を通してのみ、御子を与えよう。」と望まれました。

 御子イエズス様も全く同じでした。イエズス様も、この地上に来る事を非常に熱く熱く、昔から望んでいましたけれども、ただこの地上に来るには、「マリア様を通してでなければ来たくない」と思っていました。「マリア様を通してのみ、来る事」を望んでいました。

 天主聖霊も同じです。イエズス・キリスト、天主の御子を人間として形作る為には、もちろんやろうと思えば、どのような方法でもできたのですけれども、天主聖霊は、永遠の昔から、「マリア様を通してのみ、マリア様の体内においてのみ、このマリア様という閉ざされた楽園においてのみ、御子を形作ろう。」と望みました。

 天主三位一体は、この地上に、私たちに救い主を送る為の唯一の道として、そこを通るべき道として、たった1つ、マリア様だけを選ばれて、マリア様を通してのみ、それを望まれました。

 そればかりではありません、天主三位一体はもちろん、自分の思い通りにしようとする事もできましたが、そうはされずに、マリア様の、第2のエヴァの同意を求めました。もしもマリア様が、「はい。」と言えば、この救いの業はできるし、しかし、第2のエヴァが、「私はそれに協力しない。」と言えば、いくら第2のアダムが一人でやろうとしても、それはやりたくない、三位一体は、人類の救いを為す事はない、と決めていました。

 全被造物、全天使たちは、天主三位一体は、マリア様が永遠から予定された、蛇の頭を踏み砕くべきこの女性が、この救いの業に協力するかしないか、私たちの為に救い主の母となるかならないか、そして同時に、贖われた人類の、第2の新しい人類の母と、永遠の命の、全ての永遠の命に生きる者の母となるかならないか、の承諾を待っていたのでした。

 マリア様は、大天使聖ガブリエルに答えました、「私は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし。」この瞬間に天主三位一体は、非常な喜びと嬉しさで、御父は御子を送り、御子はマリア様の御胎内に宿り、そして天主聖霊はそのマリア様の浄き御胎内に、御子を人間として形作る事を始めました。ここに於いて、時に於いて、天主御子は人間として宿られ給うたのでした。

 マリア様が唯一の、私たちが救世主を受けるべき唯一の道であるだけではありません。第2のポイントは、天主御父は、私たちの救いの為に、この第2のエヴァといつも、贖いの道を、贖いの業を果たす事によって、最高の栄光を得ていた、という事を黙想しましょう。

 天主御子は、貧しき馬小屋で、マリア様によって生まれる事によって、マリア様から生まれる事によって、天主御父に最大の栄光を帰しました。マリア様の御手によって御父に捧げられる事によって、神殿に捧げられる事によって、天主御父に、えも言えない程の、この上もない栄光を帰しました。

 イエズス様はもちろん、そのありとあらゆる方法で、天主御父の栄光を、天主御父の栄光を高める事ができたはずですが、永遠の知恵であるイエズス・キリストは、無限に選ばれた、無限の選択肢から、最高度の栄光を帰す方法を選びました。

 それは、30年間、マリア様、及び聖ヨゼフ様の御許で、従順に私生活を送る、従順にマリア様の元で生活する、マリア様の恰も奴隷であるかのように、マリア様の命令に1つ1つ従う事によって、マリア様のものとして生活する事によって、天主御父に最高の喜びと、栄光を帰しました。

 そればかりではありません。イエズス様は、天主御父の栄光をより多くする為に、十字架と共に、マリア様と共に担がれました。十字架の足下には、マリア様がいらっしゃる事をお望みになりました。そして、マリア様を通して聖霊が下る事をお望みになりました。

 第2のアダムは、第2のエヴァと分かち難く結び付いています。第2のエヴァなしに、第2のアダムは有り得ませんでした。第2のアダムがいる所には必ず第2のエヴァがいなければなりません。全ての贖いの業は、この第2のアダムとエヴァが、第2のアダムが第2のエヴァの協力を以って、初めて達成されました。そうすることによって、御父に最高の栄光と、人類の贖いの最高の業を達成する事ができたのです。

 最初の奇跡を見て下さい。霊的な最初の奇跡は、洗者聖ヨハネの原罪を赦す事でした。マリア様は、聖エリザベトに挨拶の言葉を言う事によって、そのマリア様のお言葉によって、洗者聖ヨハネの原罪を赦す事ができるように、イエズス様の力を伝えました。

 そればかりではありません。最初の物体的な肉体的な物理的な奇跡も、カナの婚宴の席で、マリア様がイエズス様にお願いするから、イエズス様も時を早めて、その奇跡を行いました。「あの人たちにブドウ酒がありません。」「婦人よ、それがあなたと私の間に何の関係があるのか。」「さあ、この方の言う事を何でも従いなさい。」

 マリア様を通して、最初の霊的な、物体的な奇跡を行われたイエズス様は、終末まで、世界の終末の夕べまで、マリア様を通して奇跡を行い続けます。マリア様を通してこの世に来られたイエズス様は、マリア様を通して私たちの心に宿ろうと思っています。マリア様と共に贖いの業を成し遂げられたイエズス様は、マリア様と共に私たちにその贖いの功徳を、恵みを分配しようと思っています。

 マリア様は、教父たちによると、「イエズス様の聖心に立てられた、果てしない大きな貯水池の、恵みの貯水池からの、恵みの通る運河であり、水道である。」と、言われています。

 イエズス様を最初に受けた人たちを見て下さい。牧者や羊飼いや、或いは3人の博士たち。これはマリア様をまず見て、幼子がマリア様と共に居られるのを見て、救い主をマリア様から受け取ったではありませんか。シメオンも同じです。シメオンもマリア様を見て、「あぁ、お母さん、この、この子こそが、逆らいのしるしとなる子供です、救い主です。どうぞ私に抱かせて下さい。」マリア様を見てこそ、イエズス様を受ける事ができたではないでしょうか。

 私たちにとって、もしイエズス様を受け取ろうとするのであれば、シメオンのように、マリア様を探して行かなければなりません。マリア様から、イエズス様を受け取らなければなりません。どうしてもマリア様を通さなければ、私たちはイエズス様を受ける事ができないからです。これが天主様の御望みであって、永遠の御計画であるからです。

 追放された、地上の楽園からエデンの楽園から追放されたエヴァの子供である私たちが行かなければならない新しい楽園は、マリア様という楽園です。

 第3の点に、これはいつの時代でも、今までの話しは、いつの時代でも適用する事ですけれども、天主の御ご計画によって、終末の時代には、更にマリア様の栄光が表れなければなりません。何故かというと、天主様はその御計画によって、マリア様が生きておられる間は、たとえマリア様が世界をアッと言わせるような奇跡を起こす事ができたにもかかわらず、させようと思えばする事ができたにもかかわらず、マリア様はいかなる奇跡も行いませんでした。私たちと全く同じ生活、奇跡も、脱魂も、恍惚もない生活を行い、そして信仰にのみ生きた生活でした。そのマリア様のそのご謙遜の為に、終末には、マリア様の力が、マリア様がどのような方か、という事を、私たちによく分かるようにする、というのが天主の御計画であるからです。

 天主様は、マリア様の事を今まで秘密にされておられました。しかし時の終わりにつれて、マリア様がどのような御方であるか、或いはマリア様を通して、どのようにイエズス様が来られる事をお望みになられるか、という事をますます示そうとしています。

 例えば、ヨーロッパでプロテスタントがマリア様を否定して、「マリア様いらない」と、「イエズス・キリストだけで大丈夫、必要だ。」という新しい宗教が起きた時に、マリア様は時を同じく、メキシコで、グァダルーペという所でお現れになりました。

 その当時、メキシコでは悪魔が支配していました。何故悪魔が支配していたかというと、大帝国があって、蛇を崇拝する宗教が国の宗教で、王様はその蛇を礼拝して、その蛇に人身御供を捧げていました。人間の、生きた人間の心臓を生きたまま開いて、そしてその心臓を取って、それをそれが蛇に捧げていました。その蛇に捧げられた神殿の献堂式には、何万人という人の心臓が捧げられました。日々そのような心臓が捧げられていて、そしてそのような心臓の血を飲む事によって、太陽がまた陽を昇って、もしもそれが止まっていれば、太陽は陽を昇らなくなる、と恐れていました。何百万人もいたこの国では、多くの人々が悪魔に命を奪われていました。

 そのような元にやって来たスペインの宣教師たちは、カトリックの司祭たちは、一生懸命働きました。公教要理を教え、色々親切をし、愛徳の業をして、何とかしてその宗教を、新しい、イエズス・キリストの真の救い主の道を教えたのですけれども、回心する人は、ほぼゼロに等しかったのです。

 ところがマリア様が、ようやく回心したようなその一人、ホワン・ディエゴにお現れになったその10年の後には、メキシコの何百万人という人々は回心して、今でも、メキシコは共産主義の迫害にもかかわらず、法律的にはキリスト教が廃止されて禁止されているにもかかわらず、今でもメキシコでは、カトリック信者が大多数です。マリア様への信心が生き生きとしています。そしてマリア様は、そのご自分が母である、というそのお姿を、そのメキシコの人たちに見せて、そして自分こそが、本当の天主の御母である、という事を示しています。

 そればかりではありません。天主の立てた秩序を破壊し尽くそう、という共産主義がこの地上に出て、天主を憎み、天主という概念をこの地上から滅び尽くしてしまおう、そして共産主義者という、革命家というプロフェッショナルな職業ができて、その共産主義、革命家という人たちは、革命の為に全てを犠牲にして、全ての時間と、命と、家族も、全てを犠牲にして、革命の為に自分を費やす、という人たちが出た時に、そしてそのような人たちが、パリで革命を起こした時がありました、「パリ・コミューン」と言われています。1830年のことでした。

 その時には、やはり同じく1830年、11月27日、マリア様は同じパリで、カタリナ・ラブレに現れて、「メダイを作りなさい。そしてこの姿を使ってメダイを作りなさい。『原罪無く孕り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉る我らのために祈り給え』この射祷を唱えなさい。」と言って、そのメダイを私たちに下さいました。

 人類がもう、天主を拒否して、マリア様を拒否して、「もう天主の方に行かない。もう行かない。」となったら、今度はマリア様の方から私たちの方にやって来て、「さあ、私はあなたたちと共にいますよ。グァダルーペでは1枚の絵ですけれども、今度は、私の姿を、あなたがた1人が身に付けなさい。危険な時には、そのメダイに手を当てて、私が居る、という事を確認しなさい。私にお祈りしなさい。これは、私がいつもあなたと母として居るシンボルですよ。」と、私たちに不思議のメダイを与えて下さいました。そして不思議のメダイによって、多くの奇跡が起こりました。

 皆さんもよく知っている通り、カトリックの敵であったユダヤ人、ラティスボンが回心しました。ラティスボンは有名なラビの子供で、カトリック教会に対して敵対していました。カトリックをもう見るのも話すのも嫌いで、何とかしてカトリック教会を破壊してしまおう、と思っていた、憎しみに満ちていた敵でした、悪魔的な男でした。

 ある日、友達から、「これ、メダイ、つい最近有名な話だ。」という事でくれて、「私、これ信じないから。」「でも信じなくても、持っていたら良い。」という事で、「君が言うから、じゃあ良いよ。持ってる。」このユダヤ人は、カトリックに回心しました。ある時教会に行くと、教会の中のマリア様を見て、その不思議のメダイのマリア様と同じマリア様を見て、「これだ。」そして、回心のお恵みを受けました。そして遂には司祭となって、ユダヤ人の回心の為に修道会を創るほどの、熱烈なマリア様のしもべとなりました。

 そればかりではありません、そのような話はたくさんあります。例えば、ある時牢獄に、極悪人死刑囚の様な人たちが集まって、牢獄があって、その内の一人がどうも、不思議のメダイを付けていたのです。それで、一緒にこの監獄にいる仲間からからかわれ、「何だそれは。何を付けているの、お前カトリックなのか。」と言ったら、その男はおそらくカトリックだったと思うのですけれども、それを見て、「あぁ、バレてしまった。」という事で、これを引きちぎって、床に捨ててしまいました。それで、それを見ていたクロード・ニューマンという男が、その捨てられたのを見て、「あれ?何だろう?あぁ、ここに女の人の姿が写っている、このきれいな女の人だ。」という事で、「あぁ、こんなにきれいな女の人を捨てたら」という事で、自分が貰ってしまいました。

 すると、夢の中でこのきれいな女の人が現れて、そしてそのクロード・ニューマンは、今までの罪を悔い改めて、回心する恵みを受けました。そして、今までカトリックの事もよく知らずに、マリア様の事も聞いた事がなくて、神父様に、その監獄の、刑務所の所属の神父様の所に行ってその話をすると、「それは、不思議なメダイというんだ。そのお前が見たのは、マリア様だ。マリア様は、カタリナ・ラブレに現れた。」という話をして、そして「あぁ、マリア様の話を聞かせて下さい!」そしてこのクロード・ニューマンは、マリア様の事を知って、そしてイエズス・キリストの事を初めて知る様になりました。

 この男はもう死刑囚だったので、その死刑の日が決まっていました。そこで、司祭から言われた通りに、死刑のその日まで数日あったので、それをその日を、罪の償いとしてマリア様にお祈りして、マリア様にお祈りして、お祈りして、この準備していました。さあ、その死刑のその当日になると、通知が来て、大臣から、法務大臣からの恩謝が出て、「死刑が延長になった。だからあと2週間、まだ死刑があと2週間後に延ばされた。」という事を知らされました。

 するとクロ―ドは、非常にがっかりして、「せっかくマリア様の元に行けて、マリア様に会えると思っていたのに、こんなにきれいな人は、あんな夢で見たこのきれいな人に会いたかったのに!」という事で、非常にがっかりして神父様に言うと、「がっかりだ、がっかりだ、」と言うと、「もうマリア様の所に行きたい、御許に行きたい、」と言うのですが、神父様が、「いや、そう思わずに、これもマリア様の御旨だから、この更に2週間を、罪の償いと、祈りと犠牲の為に捧げなさい。特に罪人の回心の為に、お前と同じような死刑囚の回心の為に、祈りなさい。」と言うと、「はい。」と言って、そして彼は聖人の様な生活と、償いの生活をして、そして死刑されていきました。

 実はその同じ刑務所に、非常に罪に凝り固まった、頑固で回心しない極悪人が1人いました。彼はその死刑のその時に、色々回心するように、と司祭から言われても全く無視して、唾を吐くわ、汚い言葉を吐くわで、全く回心のしるしを見せませんでした。死刑のその前日、この男は夢を見ました。すると夢の中で、この自分が行かなければならない、この死刑を受けた後に行かなければならない地獄を見ました。燃え盛って、轟々と燃え盛る恐ろしい恐ろしい場所で、そこで自分が永遠に苦しまなければならない、という事をよく分かる事ができました。そして、「えぇ!?こんな事が待っているのか!」という事に恐れおののいて空を見ると、そこにマリア様の姿があったそうです。そしてマリア様の右にクロード・ニューマンがいて、「何とかや、今お前が地獄の火を見る事ができたのは、ここにいる彼が、お前の為にお祈りをしてくれたからだ。この彼のお祈りのおかげで、今そのお恵みが、お祈りのおかげでお恵みがある。さあ、回心しなさい。」そして彼は回心して、死刑を受けたそうです。

 マリア様は、私たちにイエズス様を与える為に、イエズス様のお恵みを与える為に、自分の元に引き寄せるのではなく、イエズス様へと引き寄せる為に、私たちの母となろうとしておられます。マリア様は何故そうするかとういうと、イエズス様から命令されたからです。十字架の下で。今日聖福音で読みました、「見よ、汝の母ここにあり。」そしてマリア様に向かって、「見よ、汝の子ここにあり。」と。

 マリア様は、イエズス様から、これからは私たち人類を、私たちを、自分の、自分を愛したと同じ様に愛して欲しい。子供として愛して欲しい、という願いを、御子イエズス様から受けたのです。もちろんマリア様は、「はい。」と答えました。それはもう、最初のフィアットの中に含まれていた契約で、約束で、もう全て、「はい。」です。

 考えてもみて下さい。私たちに愛する、皆さんがお母さんとなって、お母さんとなって子供が、一人っ子の男の子がいて、玉のようにきれいで、頭が良くて、スポーツができて、勉強ができて、皆から愛されて、そして30年間お母さんに、「はい、お母様。」「はい、お母様。」「はい。」「はい。」素直に従順に、こうすくすく成長して、そして仕事をやって、そしていつもお母さんの心の楽しみであり、本当にもう悪い事1つした事のない、良い、誠実な、立派な子供で、その子供が、全く罪無く、全く不正に、嘘と、讒言と、不正義によって、死刑にされて、そしてその自分の愛する子供を殺したその極悪人がここにいて、悪い事、罵る事をさんざんやって、叩き、傷めつける事をやった、そのこの人たちがいて、そのような、そのような人たちを、この自分の子供は愛するのだけれども、その愛のお返しに悪さをして、意地悪をして、そして遂には殺害までしてしまう。

 そしてその、この今死なんとする子供が、「お母さん、この僕を今殺そうとしている、このような極悪人の、このような人たちをも、私を愛するように、僕を愛するように、愛してあげて下さい。これからはあなたの子供です、お母さんの子供です。」と、言うのを見て、「どうして、この、このような子供を愛する事ができるだろうか。」と思ってしまうかもしれません。しかしマリア様は、「はい。」イエズス様のその言葉の通り、「さあ、分かりました。」と、このイエズス様を死に至らした、罪によって至らした私たちを、マリア様は極みなく愛し、愛し、愛し、そして私たちの為に全ての善を尽くして、自分がどんなに犠牲になっても、私たちの善を、私たちの為にしようとされています。

 ですからこそ、マリア様は天から地上に来られてまで、何とかして私たちを救おうと、私たちにイエズス様を与えよう、とされています。

 ですから、特に現代、イエズス様を否定し、イエズス様を亡き者にし、イエズス様を、イエズス様を「いらない。」と言うようなこの現代において、私たちがイエズス様を受ける為に、ますますマリア様が必要です。マリア様は、そうする事によって私たちを助けようとしています。

 では一体何故このような、このようにますますイエズス様を否定するような世界がはびこっているのでしょうか?何故かというと、天主御父は、この「時」の終わりに、この夕べに、マリア様の御力がどれほどであるかという事を、全世界に、「アッ」という仕方で示す為に、そのコントラストをもたらす為に、暗闇が暗ければ暗いほど、明るさがますます眩しく輝く様に、今その暗闇を、少しの間許しておられます。それは、マリア様の御力によって、イエズス・キリストが燦然と輝く為です。マリア様の御力が輝く為です。第2のエヴァが輝く為です。知られる様になる為です。

 ですから、愛する兄弟の皆さん、この待降節には良い、良き遷善の決心をとって、マリア様の元に馳せる事に致しましょう。この待降節中は、いつもマリア様の事を思い出して下さい。マリア様と共に、全ての事をなさって下さい。「マリア様、これを御身の手を通してお捧げします。」「マリア様、このイエズス様が私たちの元に来るように助けて下さい。」「マリア様、私たちのみならず、イエズス様を知らない人、マリア様を知らない人に、御身が知られますように、イエズス様が知られる様に、お恵みをお祈り下さい。」と、たくさんお祈りして下さい。このクリスマスは、私たちだけにイエズス様は来るのではなく、日本の方のより多くの人に、イエズス様が生まれなければなりません。その御恵みを、マリア様を通して、お祈り下さい。

 第2に、是非、マリア様にお祈りをしつつ、この私たちの友達や知っている人に、少しでも、マリア様やイエズス様のお話をなさって下さい。マリア様は、私たちを道具として知られようとしておられます。どうぞ、マリア様が愛され知られる様に、私たちの周りの人も助けてあげて下さい。

 では、マリア様に、良き待降節を過ごす事ができるようにお祈りしつつ、このミサを捧げていきましょう。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 
【クロ―ド・ニューマンについては、次のサイトをご覧ください。】
http://www.mysticsofthechurch.com/2011/12/miraculous-story-of-claude-newman-his.html

天主に感謝!



Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles