【参考資料】【ヴィガノ大司教】国家宗教:グローバリズム・カルトに関するいくつかの考察
THE STATE RELIGION: Some Observations on the Globalist Cult
カルロ・マリア・ヴィガノ大司教 2023年2月17日
国家宗教
グローバリズム・カルトに関するいくつかの考察
偉大な者、小さな者、貧しい者、富む者、自由民、奴隷のすべては
右の手と額にしるしをつけさせられた。
獣の名あるいはその名の数をしるされた者の他は、
誰も売買することができぬようにするためである。
黙示録13章16-17節
米フォックス・ニュース(Fox News)の「環境主義の教会」(The Church of Environmentalism、こちら)というタイトルの興味深いインタビューの中で、ジャーナリストのタッカー・カールソンは、多くの人が気づかなかったかもしれませんが、私には極めて明快だと思える矛盾を明らかにしました。
カールソンは思い起こします。米国憲法はいかなる国家宗教も禁じているが、政権を握っている民主党は、このところ、グローバリズム・カルトを、その【カルトの】グリーンアジェンダをもって押し付け、その【カルトの】〈目覚めた〉(woke)ドグマ、その断罪を、〈キャンセル文化〉によって押し付け、その【カルトの】世界保健機関(WHO)の司祭たち、世界経済フォーラム(WEF)の預言者たちを米国民に押し付けてきた、と。それは、あらゆる点で宗教であり、その宗教を実践する個人の生活だけでなく、その宗教を公に告白し、その宗教に法律や判決を合わせ、教育やあらゆる政府の行動をその宗教を中心にして動かすという国家の生活までも、あらゆるものを含む宗教なのだ、と。
グローバリズム宗教の名のもとに、その信者たちは、すべての市民が新世界秩序(New World Order)の道徳に従って行動すること、ダボス会議という最高法院(サンヘドリン)によって〈不可謬的に〉(ex cathedra)定義された教理を、無批判に、そして宗教的権威に敬虔に服従する態度をもって、受け入れることを要求しています。
市民は、政府が押し付ける保健、経済、社会政策を正当化する動機を共有することが求められているだけでなく、信仰をはるかに超えた、盲目的で非合理的な同意を示すことが求められています。このため、サイコパンデミックに異議を唱えたり、ワクチン接種キャンペーンの運営を批判したり、気候変動警告の根拠のなさを主張したりすることは許されませんし、NATOがロシア連邦を挑発した証拠でウクライナ危機に反対したり、ハンター・バイデンのノートパソコンやトランプ大統領のホワイトハウス残留を阻んだ不正選挙について調査を求めたり、LGBTQの卑猥な言葉で子どもが堕落させられるのを黙って見るのを拒否したりすることは許されません。
理性ある心の持ち主には理解できませんが、盲目的な信仰至上主義(fideism)の観点からは十分に正当化できる愚行が3年間続いた後、米国のあるクリニックが、二酸化炭素の排出量を減らして「地球を救う」ために、患者に麻酔の一部を放棄するよう求める提案(こちら)を行いました。
そのため、その提案は、患者の不利益になる病院の経費削減のためのグロテスクな口実ではなく、一つの宗教行為、進んで受け入れるべき苦行、倫理的に価値のある行為として読み取る必要があります。悔悛的な性格は、大衆を強制的に回心させるこの作戦には不可欠です。なぜなら、約束された善という報いによって、この行為の不条理さを相殺するからです。(役に立たない)マスクをつけることで、市民つまり宗教的信奉者は、自らの服従の行為を行い、神(国家?共同体?)に自らを「捧げた」のです。この服従は、ワクチン接種という同じく公的な行為で確認され、これはグローバリズムの信仰における一種の「洗礼」、つまり礼拝への入信を表しています。
この宗教の大司祭たちは、中絶や安楽死によって人間の犠牲を理論化するまでに至っています。地球を人口過剰にしないために、公衆衛生に負担をかけないために、社会保障に負担をかけないために、共通善が要求する〈犠牲〉なのです。ジェンダーの教理を告白する人々が受ける身体切除や同性愛による生殖能力の剥奪でさえ、自分の身体や健康、そして命そのものを一種の犠牲にし、いけにえにすること(例えば、明らかに危険でしばしば死に至る実験的遺伝子治療を受けること)にほかなりません。
グローバリズムへの信仰は、任意のものではありません。それは国家宗教です。国家がそれを実践しない者の存在を「容認している」のは、社会がこのカルトを行うのを彼らが妨げない範囲においてです。実際、議論の余地のない上位の「善」であることを市民に押し付けているという「倫理的」原則によって正当化されることを前提として、国家は反対者にも「グローバリズムの道徳」の基本的行為を行うよう義務づけ、その戒律に従わない場合は罰するのです。
肉の代わりに昆虫を食べ、健康的な生活を実践する代わりに薬物を注射し、ガソリンの代わりに電気を使い、私有財産や移動の自由を放棄し、基本的権利の統制や制限に耐え、自由の名の下に最悪の道徳や性的逸脱を受け入れ、過去から何も引き継がず後世に何も伝えずに孤独に生きるために家族を放棄し、政治的正しさ(political correctness)の名の下に自分のアイデンティティーを消し去り、目覚めた(woke)迷信を受け入れるためにキリスト教の信仰を否定し、不条理な規則を尊重するために自分の仕事と生活を条件付ける。これらはすべて、個人の日常生活の一部となるべく定められている要素です。その生活は、よく考えてみれば、誰も望んでおらず誰も求めていないもの、また、証明されておらず証明することもできない環境保護的な終末論という厄介で、その存在を正当化しているにすぎないイデオロギー的モデルに基づいているだけです。このことは、この社会の基盤であるご自慢の信教の自由を侵害するだけではありません。これは、このカルトを排他的で唯一許されたものにするというところまで、一歩一歩、不可避的に私たちを導こうと望む到達点なのです。
「環境主義の教会」は、自らを包括的であると定義していますが、異論は許しません(こちらを参照―CFN編集部)。それは、その独裁に疑問を呈する人々と弁証法的に関わることも受け入れません。ダボスの反福音を受け入れない人々は事実上の(de facto)異端者であり、したがって罰せられ、破門され、社会から切り離され、公共の敵とみなされなければならない、とされます。
そのような人々は、メディアの絶え間ない攻撃を受けることによって、また、社会的汚名を着せられ真に強要される形で同意せざるを得なくなることによって、再教育されなければならない、とされます。それは、自分の意志に反してワクチン接種義務に服従するという「インフォームド」コンセントに始まり、いわゆる「15分都市」という狂気に引き継がれます。この15分都市は、アジェンダ2030(これは、究極的には、逆の教義条項です)のプログラムポイントの中で、さらに詳細に予測されています。
この集団迷信という憂慮すべき現象の問題点は、この国家宗教が事実上(de facto)押し付けられているのは米国だけではなく、西洋世界のすべての国々にまで広がっていることです。その国々の指導者たちは、グレート・リセットの偉大なる使徒たちであり、自称「教皇」それゆえに不可謬かつ議論の余地のない権限を与えられているクラウス・シュワブによって、グローバリズムの「言葉」に改宗させられたのです。そして、「教皇年鑑」(Annuario Pontificio)で、ローマ教皇庁の枢機卿、司教、高位聖職者や、世界中に広がる各教区のリストを読むことができるように、世界経済フォーラムのウェブサイトでは、ジャスティン・トルドーからエマニュエル・マクロンまで、グローバリズムの「高位聖職者」のリストを見つけて、多くの国の大統領や首相だけでなく、多くの官僚、国際機関や主要多国籍企業のトップ、メディアのメンバーもこの「教会」に属していることが分かるのです。これに加えなければならないのは、俳優、歌手、インフルエンサー、スポーツ選手、知識人、医師、教師など、グローバリズムの信仰を広めるために働く「伝道師」「宣教師」です。非常に権力があって高度に組織化されたネットワークは、各組織のトップだけでなく、大学や裁判所、企業や病院、周辺組織や地方自治体、文化団体やスポーツ団体にまで広がっており、その結果、地方の小学校や小さな田舎のコミュニティーでさえ、教化から逃れることはできません。
皆さんも必ずお認めになるでしょうが、憂慮されるのは、この普遍宗教への改宗者の数の中には世界宗教の代表者も含まれており、その中には、カトリック教徒がローマ教会のトップともみなしているホルヘ・マリオ・ベルゴリオさえも数えられていて、臆病で、彼に忠実な教会聖職者も共にいることです。カトリックの位階階級の背教は、エキュメニカルで包括的で持続可能な「アマゾンの」グローバリズムを悪魔的に擬人化したものである「母なる大地」、つまりパチャママという偶像を礼拝する段階にまで達しています。ところで、教会の教理を曖昧な環境主義的感傷に置き換える「教会の春」の到来を唱えていた(こちらを参照―CFN編集部)ジョン・ポデスタその人こそ、自分の願いの速やかなる実現を、ベネディクト十六世の辞任とベルゴリオの選出につながった協調的な行動に見いだしたのはではなかったでしょうか?
私たちが目撃しているのは、ローマ帝国で、そして世界中でキリスト教を広めるに至らしめた過程が逆に応用されていること、つまり、キリストの信仰に対して野蛮と異教が一種の復讐をしていることにほかなりません。4世紀に背教者ユリアヌスが行おうとしたこと、すなわち、異教の神々への崇拝を復活させることを、今日では新しい背教者たちが熱心に追求しています。彼らは皆「聖なる怒り」によって団結しており、それによって、思い通りに使える無限の手段のゆえに、自らの意図を成功させることができると自ら確信するほどに、危険な存在になっているのです。
現実には、この宗教はルチフェル崇拝が現代的に受肉したものに過ぎません。ファイザー社がスポンサーを務める最近のグラミー賞発表の際の悪魔的パフォーマンスは、これまでまだ口にすることができないとみなされてきた地獄の世界を信奉していることを裏付ける最新のものに過ぎません。グローバリズム思想のイデオローグたちが皆、反キリスト教的、反聖職者的であり、キリスト教道徳に著しく敵対し、福音が二千年の歴史の中で形成してきた文明や文化に仰々しく反対していることは、不思議なことではありません。それだけではありません。命や、人間から自然に至るまでの創造主の作品であるすべてのものに対する消しがたい憎しみが明らかにしているのは、創造の秩序に手を加え、植物や動物を改造し、生物工学的介入によって人間のDNA自体を変え、人間から個性と自由意志を奪って、トランスヒューマニズムを通じて人間を制御可能に、操縦可能にさえしようとする試み(妄想ではありますが、ほぼ成功しています)です。これらすべての根底には、天主への憎しみと、天主が御子の十字架の犠牲で人間を罪から贖われることによって、人間のために用意してくださった超自然の運命【天国に行ける可能性があること】に対する妬みがあるのです。
この悪魔の憎しみは、キリスト信者が自らの宗教を実践し、その宗教の原則を尊重し、社会で貢献することができるのを不可能にしようという決意に表れています。そして究極的には、キリスト信者に悪を行うように仕向け、あるいは少なくとも善を行うことができないように、ましてや善を広めることができないようにさせ、もしキリスト信者がそうするとしても、その本来の動機(天主と隣人への愛)を、情けない慈善主義的、あるいは環境主義的な目的で変質させることで、歪めようとする意志に表れています。
グローバリズム宗教の戒律はすべて、偽物版の十戒であり、十戒のグロテスクな反転、猥褻な逆転なのです。それを行うに当たっては、教会が福音宣教に用いてきたのと同じ手段を用いていますが、その目的は、霊魂を地獄に落とすこと、天主の法ではなく、悪魔の専制政治に服従させ、サタンの反教会の異端審問官の支配下に置くことです。この観点から、米国のシークレットサービスは、聖伝のカトリック教徒のグループについても報告しており、女のすえと蛇のすえの間の敵対関係(創世記3章15節)は、天主の敵が何よりも信じている神学的現実であり、終末の時代のしるしの一つは、まさに聖なるいけにえの廃止と神殿における荒廃のいまわしいものの存在(ダニエル9章27節)であることを裏付けています。聖伝のミサを廃止または制限しようとする試みは、ディープ・チャーチとディープ・ステートを団結させ、両者の持つ本質的なルチフェル的母体を明らかにしています。なぜなら、両者は、【聖伝の】ミサを通して教会と世界に注がれる無限の恩寵が何であるかを非常によく知っており、彼らの計画を妨げないように、その恩寵が与えられるのを阻止したいからです。彼らは、そのことを自ら、私たちに教えているのです。つまり、私たちが戦うのは、血肉の被造物だけではないのです(エフェゾ6章12節)。
タッカー・カールソンの観察は、私たちが支配者たちによって日々さらされている欺瞞を強調しています。国家の世俗主義という〈理論的な〉押し付けは、組織から真の天主の存在を排除するのに役立ち、グローバリズム宗教という〈実践的な〉押し付けは、反キリストが神として崇拝され、私たちの主に取って代わるという狂気の妄想の中で、ディストピア的な新世界秩序の確立を目的として、組織の中にサタンを導入するのに役立つのです。
黙示録の警告は、すべての人を支配下に置き、不服従や抵抗の可能性を排除するという計画が進めば進むほど、ますます具体的になっていきます。今になってようやく、グリーンパスがなければ売買できないということがどういうことかを理解できます。これは、テクノロジー版の獣の数字のしるし(黙示録13章17節)にほかならないのです。
しかし、まだすべての人が、堕落した欺瞞的自由――これは言葉にできない意図を隠しています――の名の下にキリストを捨てたという誤謬を認識する準備ができていないとしても、クーデターがあったこと、それによって危険な狂信者のロビーが米国と世界で権力を握ることに成功したこと、その権力を維持するために、狂信者らは何であれ、最も無謀なことでさえも行うことを決意していることを、今日では多くの人が、理性的である以前に心理的に、認める準備ができていると私は信じています。
御摂理のねじれを通して、国家の世俗主義――それ自体、天主が主権を持つ公的礼拝を否定するため、天主の御怒りを買うものです――は、グレート・リセットという破壊転覆的プロジェクトに終止符を打つ論拠となり得ます。もし米国人、そして全世界の各国民が、この強制的な回心に反抗し、政府の各地位にある市民の代表者が、グローバリストの最高法院の指導者ではなく、国家主権の保持者に対して責任を負うことを要求することができれば、おそらく奈落の底に向かうこの競争に歯止めをかけることができるでしょう。しかし、そうするためには、このことが、この地獄のロビーからの解放のプロセスにおける第一段階に過ぎないことを認識する必要があります。このプロセスの後には、西洋文明の基礎であるキリスト教にふさわしい道徳原則を再利用し、新異教の野蛮さに対して最も効果的に防御することが続かなければなりません。
あまりにも長い間、市民そして信者は、政治的、宗教的指導者の裏切りの証拠に直面して、彼らの決定に受動的に耐えてきました。権威に対する敬意は、個人、国家、教会に対するイエズス・キリストの主権という「神学的」事実の認識に基づくものです。もし、国家や教会で権威を持つ者が市民や信者に反する行動を取れば、彼らの権力は簒奪され、彼らの権威は完全に無効となります。ちょうど教皇や司教たちが教会の所有者や信者の主人でないのと同様に、支配者は国家の所有者や市民の主人でないことを忘れてはなりません。もし彼らが私たちの父親のようになることを望まず、私たちの善を望まず、実際に私たちを身体的にも精神的にも堕落させるためにあらゆることをしているのならば、彼らをその地位から追い出し、彼らの裏切り、犯罪、そしてスキャンダラスな嘘の責任を追及すべき時が来たのです。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2023年2月16日
英語版
Abp. Viganò: The globalist New World Order has the marks of the 'antichurch of Satan' - LifeSite
THE STATE RELIGION: Some Observations on the Globalist Cult - Catholic Family News
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