聖なる四旬節の季節についての説教
ドモルネ神父 2023年2月26日
はじめに
四旬節が始まりました。四旬節とは、イエズスが砂漠で過ごされた40日間を記念するものです。この40日間、イエズスは祈り、苦行をし、悪魔と戦われました。四旬節は、私たちにとっても、祈り、苦行をし、悪魔と戦い、自分を改めるべき時です。今日は、この三つのポイントを、私たちが実りある四旬節を過ごすために、私たち一人一人が立てるべき三つの決心に対応させてお話しします。
1)祈りの時である四旬節
砂漠で、私たちの主イエズス・キリストは祈られました。四旬節は祈りの期間です。私たちの主は、私たちに、いつも祈らなければならないと言われました。つまり、天主を礼拝し、天主に感謝し、天主に罪の赦しを求め、天主の恩寵を求めるために、心の中でしばしば天主に語りかけるべきだということです。しかし、教会は、四旬節の間、特に祈るようにと、私たちに勧めています。それは、どのような理由からでしょうか? 第一に、四旬節の間、私たちは自分が罪人であることを思い起こすからです。自分の罪を見、来るべき審判を恐れ、自分の弱さや私たちを取り巻く危険を見れば、当然私たちは、自分や他人のために、霊的な癒やしや強さという特別な恩寵を求めるようになるはずです。第二に、教会では、四旬節の季節は、伝統的に洗礼志願者の準備と指導の時期です。ですから、四旬節の間、私たちは、異教徒の回心の恩寵を得るために祈るのです。
ですから、四旬節の私たちの第一の決心は、私たちの祈りの生活についてのものであるべきです。私たちには、どのような決心ができるでしょうか? 朝夕の祈りを毎日行っていない人は、それを行う決心を立てるべきです。すでに毎日朝夕の祈りを行っている人は、ロザリオ一環を毎日祈ることを決心すべきです。そして、すでにロザリオ一環を毎日祈っている人は、毎日15分間の霊的読書をすることを考えるべきです。これら三つのことは、良きキリスト教生活を発展させるために不可欠なものです。祈りがなければ恩寵はなく、恩寵がなければ霊的な進歩はありません。
2)苦行の時である四旬節
砂漠で、私たちの主イエズス・キリストは断食されました。主は、私たちの罪を償うために、また私たちに良き模範を示すために、苦行をされました。私たちが不正を犯した場合、私たちはその不正を正さなければなりません。例えば、お金を盗んだならば、それを返さなければなりません。罪は天主に対する侮辱であり、不正義ですから、私たちは、自分の罪を償わなければなりません。私たちの罪の完全な償いは、私たちの主イエズス・キリストの十字架上の犠牲によってなされます。しかし、ミサで司祭がカリスのぶどう酒に一滴の水を混ぜるように、私たちも、自分の罪の償いをするために、自分の苦行をもって、イエズスの犠牲に加わらなければなりません。イエズスは、はっきりとこう言われました。「あなたたちも苦行をしないなら、みな同じように滅びるだろう」(ルカ13章3節)。
ですから、四旬節の私たちの第二の決心は、苦行と罪の償いについてのものであるべきです。私たちには、どのような決意ができるでしょうか? 第一に、断食(すなわち大斎)と、肉を控えること(すなわち小斎)です。大斎・小斎の義務は、灰の水曜日と聖金曜日だけですから、今日の教会の法は非常に軽いものです。しかし、私たちの多くの罪という現実からすれば、教会の法が要求する以上のことを行うことは、必須です。例えば、平日に毎日大斎をすることができる人はそうすべきですし、それができない人は、週に1日か2日、大斎をしましょう。大斎ができない人は、少なくとも四旬節の間、肉を控えることができます。これは難しいことではなく、健康な人なら誰でも、たとえ子どもでも可能なことです。
私たちにできる苦行は、次のように、他にもいくつかあります。たとえば、隣人の弱点や欠点、侮辱的な言葉、あるいは屈辱を、忍耐強く受け入れること。飲み食い、暑さ寒さ、贅沢や楽しみに関して、しばしば何かを諦めること。誰に対しても、あるいは何に対しても、不平や不満を言わないこと。天主をお喜ばせする意向をもって、自分の身分に応じた義務を迅速に行うこと、といったことです。
3)悪魔と戦い、自分を改める時である四旬節
砂漠で、私たちの主イエズス・キリストは悪魔を屈服させ、そして私たちに霊的戦いを教えるために、悪魔と戦われました。実際、あの悪魔の三つの誘惑は、人間に対してなされうるあらゆる誘惑を統合したものです。私たちは一生の間、誘惑と戦わなければなりませんが、四旬節には、それ以上のことをしなければなりません。四旬節は、霊的な攻勢にでる時です。このことが意味するのは、日常の誘惑に打ち勝つだけでなく、また自分の霊魂を、自分を罪に導くあらゆるものから解放するよう努めなければならない、ということです。
ですから、四旬節の私たちの第三の決心は、自分を改めることについてのものです。私たちの中で、改めなければならないものとは何でしょうか?
○まず第一に、私たちは、悪魔が私たちをその支配下においておくために使うものを、すべて排除しなければなりません。ですから、例えば、恨みや復讐心を完全に捨て、自分に対して悪いことをした人を赦し、私たちが犯した盗みや欺きやその他のあらゆる不正を償わなければなりません。
○次に、私たちは自分の悪い習慣を捨てなければなりません。例えば、道徳的に問題のある場所や人に頻繁にかかわること、アルコールやギャンブルへの依存、全般的な、特にインターネット上での怠惰、服装に慎みを欠くことです。
○最後に、私たちは自分の中心的な欠点と戦わなければなりません。中心的な欠点とは、私たちの中で支配的で、私たちのほとんどすべての失敗の原因となっている欠点のことです。この欠点は、七つの罪源のうちの一つに関連しています。例えば、毎日の祈りを怠り、インターネットでしばしば時間を無駄にし、自分の身分に応じた義務をすぐ先延ばしにし、いつも何かをしないための言い訳を見つけ、ちょっとした困難でも努力をあきらめる人がいます。そのような人の中心的な欠点は、おそらく怠け心でしょう。四旬節の間、私たちは、自分の中心的な欠点を見つけ、次に、毎日実行できる簡単で具体的な決心を立てて、その欠点と正面から戦うことにしましょう。例えば、いつも朝寝坊をしている人は、目覚まし時計が鳴ったらすぐにベッドから出る決心をする、大食いの人は、食事と食事の間にお菓子や甘い物を食べない決心をする、自己中心的な人は、愛徳をもって人を助ける決心をする、ということです。
結論
親愛なる信者の皆さん、四旬節は祈り、苦行、悪魔との戦い、そして自分を改めるための期間です。良い四旬節を過ごすために、簡単で具体的な三つの決心を立てましょう。それは、祈りの決心、苦行の決心、そして自分の中心的な欠点に対抗する聖徳を実践する決心です。そして毎晩、この三つの決心について、自分の良心を吟味しましょう。もし私たちが決心を忠実に守ったならば、私たちの主に感謝し、私たちが翌日もその努力を継続できるよう助けてくださるよう、主にお願いするのです。もし私たちの決心の通りにいかなかったならば、私たちの臆病さを赦してくださるよう私たちの主にお願いし、翌日はもっと用心深くなるよう、自分を戒めるのです。
イエズスとマリアへの愛が私たちの心を燃え立たせ、私たちが自分の決心を寛大に実行できるよう、してくださいますように。