2022年12月4日主日 東京 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
まず今日お話する前に、心からの感謝の言葉を申しあげるのをお許しください。
総長様の来日、そして視察のときに、聖歌隊の素晴らしい歌とそして侍者たちの素晴らしい奉仕、そして歓迎の皆様の温かい準備に、非常に総長様はそして事務局長も非常にお喜びになり、とてもよい滞在をすることができました。そして、総長様は私に皆さんへの挨拶の念を伝えてほしいとお願いをされました。言葉では表現できない非常に多くの感謝の念を持っているとのことです。
特に日本のミッションについて特別の愛情と支援をすると約束してくださいました。日本からは特に聖なる日本の多くの日本人の司祭が出るようにと祈っていると、仰ってくださいました。ですから、どうぞ皆さんも、日本から日本人の多くの聖なる司祭たちが若い司祭たちが続々と誕生しますように、そして日本のみならず世界中でイエズス様の福音のために働く聖なる司祭たちが生まれますように、是非お祈りください。
愛する兄弟姉妹の皆さま、今日は待降節第二主日です。来たる12月8日は無原罪の御宿りの祝日です。ですから、今日私たちは一緒に無原罪の御宿りの玄義を黙想することを提案いたします。
無原罪の御宿(おんやど)りとは
無原罪の御宿りというのは、待降節中、カトリック教会が祝うもっとも荘厳な祝日です。何故かというと、待降節という主の御来臨を待ち望むためにもっともふさわしい玄義を取り扱っているからです。何故かというと、無原罪の御宿り、つまり、マリア様が原罪の汚れなく存在し始められたということは、私たちの救い主のご誕生がすぐ近くに来ているということを示しているからです。
正義の太陽であるイエズス・キリスト様が昇るまえに、暁の星である聖母マリア様が空に輝かなければなりません。救い主キリストがお生まれる前に、マリア様が原罪なく宿される日が来なければならなかったからです。
マリア様だけは、原罪の汚れなく宿られた、マリア様のお母さま聖アンナの胎内に宿られたという前代未聞の最も崇高な特権によって、存在をし始めました。これは天主の私たちに教えられた啓示であって、使徒の時代から伝わってきた真理です。この真理が疑われてきた現代において、福者ピオ九世は、1854年の12月8日に次のようにはっきりとこの教えを定義づけて発表しました。引用します。
「至聖なる童貞マリアは、その御孕(おんやど)りの最初の瞬間において、人類の救い主イエズス・キリストの功徳を見通して全能の天主が授けた特別な恩寵と特権によって、原罪のすべての汚れから免れていた。この教えは、天主によって啓示された教義であり、したがって、すべての信者はこれを固く、かつ常に信じなければならない。」と仰っていました。これで引用を終わります。
このドグマを深く黙想すると、黙想すればするほど、マリア様の祝福された霊魂は原罪の汚れがなかったというばかりではなくて、その霊魂はその最初の瞬間から天主の聖寵の輝かしい輝きに恵みに満ち溢れていて、そして被造物としてありうる最大のやり方で、天主の聖なる性質を映し出すきれいな鏡であった、ということがわかります。
何故聖母は美しいのか?
何故マリア様はそれほど美しいお方、きれいなお方、罪の汚れのない方、燦然と輝く方でなければならなかったのでしょうか。何故かというとマリア様は、天主三位一体と非常に密接な関係を持つべき御方であったからです。罪の支配下のなかには一瞬たりとも落ちてはいけなかった方であるからです。
天主御父は、第一のエワに最初の素晴らしい原初の聖性、特別のお恵みを与えました。残念ながら、第一のエワはこのお恵みを守ることを知りませんでした。しかし、第二のエワとなるべきマリア様については、第二のエワになさったと同じような聖性をお与えになることを望み、そしてなさいました。マリア様はこれを最後までお守りになります。
天主御子は、ご自分の御母がご自分に人間の本性を直接与えるべき方ですから、罪の汚れが一切あってはならない方だとおもい、そして特別の忠孝の子どもとしての愛をもって、ご自分の母を御守りになりました。
天主聖霊は、その天主の力によってマリア様に天主御子を宿らせるのですけれど、いわば聖霊の浄配なるマリア様が、原罪の汚れが一瞬たりとも たったその影であったとしても 跡形であったとしても あってはならない方であったからです。その罪に汚れることを決して許すことができませんでした。
ですから、すでにマリア様のその無原罪の御宿りは、創世記のなかに人類の歴史の最初に予告されていました。
アダムとエワを罪にいざなった蛇に、主は彼を呪ってこう言います。「私は、おまえ(蛇・悪魔)と女との間に、おまえの種族と彼女の子孫(単数)との間に、敵対を置こう。彼女はおまえの頭を踏み砕くだろう、つまり大勝利するだろう、おまえは彼女のかかとに襲い掛かるだろう。」
無原罪の御宿りというのは、まさに、人類がうけた呪い原罪の呪いをはねのけて、新しいエワが私たちに与えられ、創造されたというその瞬間を表わしています。マリア様はもちろん私たちと全く同じ人間本性を持っていますが、決定的な絶対的な違いは、マリア様には罪の汚れが一切なく清く聖なる御方であったということです。
たとえ無限の聖なる聖なる聖なる天主三位一体であっても、マリア様においては如何なる罪の傷も影も跡形もほんの少しの陰りさえも一切見出すことができない程、聖寵に満ちたお方でした。そしてマリア様はこの聖寵をお生まれになるにつれてますます増加させて、さらにさらに増加させたがゆえに、大天使聖ガブリエルつまり天の九つの階級、ケルビム・セラフィムそして天主三位一体のふもとに侍(はべ)る大天使聖ガブリエルでさえも、マリア様を見て「ああ、めでたし!聖寵に満ちみてるお方!」と感嘆して、素晴らしいマリアさまの美しさをこの言葉で挨拶せざるを得ませんでした。「聖寵に満ちみてるお方、御身に挨拶申し上げます。」
カトリック教会は、このマリア様の素晴らしい特権を、心を込めて盛大に祝おうとします。無原罪の御宿りを祝うことによって私たちにクリスマスを準備させようと、よい待降節を送ることができるようにと招いています。
遷善の決心
では、最後に遷善の決心をいたしましょう。
待降節の中に深く入るために、天主御子がこの世を準備するために、絶対に必要とされたのは、マリア様の罪の無さ・汚れのなさでした。ですから私たちにも同じことを教えています。私たちが待降節をよりよく準備するために一番必要なのは、まさに私たちが罪から清められているということです。この世はもしかしたら罪のことを全く無視しているかもしれません。罪があたかも存在していないかのように無関係に生活しているかもしれません、しかし天主にとって最も大切なのは、まさにこの事です。
では、どうすれば宜しいでしょうか。今日福音で、イエズス様が「預言者よりも偉大だ」とお褒めになった洗者聖ヨハネのお言葉を聞いてください。洗者聖ヨハネはユダヤの人々たちに救い主を迎えるように準備させていました。なんといったかというと「マムシ族のものよ!…悔い改めにふさわしい実を結べ」(マテオ3:8)と。
マムシ族のものよ、つまりお前たちは蛇に属するものではないか、そうではなくて、悔い改め、マリア様に属するように悔い改めの実を結べ、マリア様のもとに走って、マリア様の実であるイエズス様を受けるにふさわしいものとなれ、と仰っているのではないでしょうか。
では、今年のクリスマスこそ、最も良い今までで最高の御降誕祭となりますようにお祈りいたしましょう。特に無原罪の御宿りであるマリア様にお祈りしましょう。私たちの心に霊的にイエズスさまがお生まれになり、私たちがイエズス様の愛でますます燃え立ちますように、マリアさまの無原罪の御宿りに取り次ぎを請い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。