【書評4】谷口幸紀神父の書評「『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』を読んで」を読んで(4)
アヴェ・マリア・インマクラータ!
【天主の愛の計画】
天主は憐れみ深い愛によって、私たち人間を無から創造された。天主には私たち一人ひとりに特別の愛の計画がある。
旧約聖書では、御自分と人間一人一人の霊魂との関係(宗教)を婚姻にたとえている。旧約聖書も、新約聖書も、一人の男性と一人の女性とが子供の出産と教育のために互いに自分を与えあい一つの体となることを婚姻だと教えている。
婚姻とは一人の男性が一人の女性と一つの体となることだ。肉体だけではない相互に自分を与えあうことだ。できるならば心も精神も信頼して全てを与える。できるならば心も精神も全てを受け入れる。特に婚姻の秘跡において、夫婦は、キリストとその神秘体である教会にならって、一つとなった体を天主に捧げる。捧げもの、贈り物、与えたものは、取り戻すことはできない。リサイクルはできない。再使用はできない。天主に捧げられたものはいけにえとして屠られる。婚姻でも同じだ。結婚前の貞潔を守ることは、配偶者に自分を完全に与えると言うことを意味している。司祭の独身制も同じだ。天主に心も体も全てを贈り物として捧げるからだ。それが創造主の婚姻に関する計画だ。
天主は愛である。人間が天主の愛深い全能にならって、男性が父親となり、女性が母親となることを天主はお望みだ。人間が、ウイルスやバクテリアのような下等生物にならって生きることをお望みなのではない。
天主は一人の男性と一人の女性とが家庭をつくり愛を学ぶことをお望みだ。そのような家庭から生まれた子供たちが父親と母親とから守られて愛されて成長し、また自分も愛することを学ぶことができるためだ。それはすべて、私たち人間が永遠の生命に到達することができるためだ。そのような家庭は、国家のできる前から存在する。国家は、そのような堅固な家庭に依存している。だから全聖書は、婚姻外での全ての性的な行為を禁止している。旧約も新約も、同性愛の行為を厳しく禁止している。
天主は人類に信頼して人類にとてつもない力を与えた。天主の創造の御業に協力する力だ。別の人間を生み出すことができる力だ。女性の偉大さは母親となることだ。女性は子供を産む機械ではない。母親となるべき存在だ。母とは、私たち一人ひとりにとって最も偉大な存在だ。母親から生まれてくる全ての子供たちは、どの子もすべて貴重で大切な存在だ。天主がお望みになって宿った子供たちだからだ。
天主は、女性が善き母となり、男性が良き父親となることを欲している。天主がお望みのように、私たちも、社会も、国家も、女性を母親として(母親となるべき方として)尊重し大切にしなければならない。天主が欲しておられるように、女性が良き母親として大切にされるために、男性を父親として尊重し大切にしなければならない。母親を尊重し、父親を尊重する社会は、子供たちをも尊重する。受精の最初の瞬間から人間として子供たちを愛する。それが天主の御計画だ。
しかし、性の快楽だけを追求する社会は、子供を尊重しない。子供を邪魔だと考えて、殺害する。堕胎だ。犠牲者の子供の数は、過去の大戦争の犠牲者の数を遥かに超えている。天主の愛の計画を無視する人々は、弱者である子供のことを無視する。
子供たちは捨てられている。何故なら、懐妊する前は、子供はいらない、邪魔だと考えているからだ。
もしも望まれないなら、子供たちは殺害されるからだ。性に快楽さえ楽しめれば、子供を殺す権利があると考えているからだ。
もしも望まれているのなら、子供を人工的に「生産」すれば良いと考えるからだ。卵子を買い、精子を買う。ペットであるかのように。人工授精用の卵子を取り出すために、女性は多くの薬剤を飲み恐るべき苦しみをうける。
子供たちは、胎児の時、「生産品」として凍結させられ、実験のために使われ、不要になれば廃棄される。
子供たちは、胎児の時、お金で貸し出された女性の胎内で成長する。そのような女性は出産直後の離別を準備しつつ、自分の胎内の子供に愛情が移らないように胎内の子供に冷たく接する。
子供たちは、お金で買われて、同性愛カップルによって育てられる。
そのようにして生まれてきて買われた子供たちは、自分の本当の父親と母親について知る権利を奪われ、父親と母親と一緒に生活する権利を否定される。
多くの子供たちは、生まれる前から、胎内にいながら、自分の親から捨てられている。
多くの子供たちは、親の離婚によって孤児となっている。
子供たちは、学校で性教育を強要されて、純潔を奪われている。
子供たちは、ポルノを簡単に目にすることができるようにさせられている。
子供たちは、性的に異性を挑発する大人の悪い見本を見せつけられている。
子供たちは、幼少のころから自分の性別を分からなくさせられている。
子供たちは、幼少のころから、自分の性別を自分で決めることができると教えられて、ホルモン療法や外科手術を受けることが合法的にできるとされている。
多くの子供たちは、子供としての幸せな幼少期を奪われている。
子供たちは、苦しんでいる。子供たちは、助けを求めている。
【性革命】
性革命は、人類を試みる。いざないの罠をかける。
「性的な行為をしてはいけないと天主は言われたそうだが、それは本当か?」
「婚姻の枠の中であれば性的な行為はよいことです。ただ婚姻の外では、それを行ってもならないし、望んでもならない、そうすると死ぬことになる、と天主は言われました。」
「いや、そんなことで死にはしない。おまえたちが、自由に、思いのままに、性について決めればよい、行えばよい、そうすれば神々のようになる。思いのままに愛すれば、この地上は楽園のようになる。」
現代人は、愛と命の天主の計画に背こうとする。現代人は、自由という名のもとに性欲の奴隷となり下がった。慎み深さ、貞潔、純潔の代わりに、性の「自由」が称賛され、女性が商品化され、搾取されている。その一つがポルノだ。現代人はポルノの中毒に犯されている。現代のアヘンだ。小学生でさえも性教育という名前でポルノのような教材を見せられている。
さらにジェンダー平等教育の名前で、子供たちは自分の性別も分からなくさせられている。子供が選択したジェンダーを誰もが尊重しなければならないとされる。親でさえも反対するならば処罰される。自由の名のもとに、慎み深さや貞潔、童貞を守るという本当の自由が剥奪(はくだつ)されている。自由の名のもとに、現実を語る自由、真理を語る自由が奪われている。そのために子供たちは苦しんでいる。
同性愛カップルは、統計によると、相手を頻繁に変える。「同性婚」が法律化された国の統計によると、国民の2%が同性愛カップルだとされる。その同性愛カップルのうちの2%が「同性婚」として登録する。つまり国民の0.04%だ。同性愛同士が生涯忠実に一緒に生活するのは極めてまれだからだ。統計によると、同性愛者の多くは性病や精神不安、うつ病、自殺などで苦しんでいる。
母親の胎内の子供たちは、「自由」の名前のもとに、毎日何百、何千という子供たちが虐殺され屠られている。現代人は自分の性の自由を楽しむために、子供を殺す権利があるという。それが女性の選択の自由だと叫んでいる。性革命は、たんなる嘘だ。人類を奴隷にするものだ。人類に死をもたらすものだ。性革命のために、人類はいま深く苦しんでいる。現代人が天主との関係を失ったからだ。
肉体の快楽だけを追求する社会の人々の心は虚ろで、傷ついている。求めても求めても満足することがないからだ。純潔と貞潔が生み出す美しさと喜びを失ってしまっているからだ。
カトリック教会は、現代人を助けることできる。それはイエズス・キリストをそのまま与えることだ。聖母の模範を伝えることだ。
現代人は、「私は自分で自分の人生を決める。私はやりたいことをやる。自分のことは自分で決める」という。
しかし、イエズス・キリストは私たちにこう教える。「天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを。御国の来たらんことを。御旨(みむね)の天に行わるるごとく地にも行われんことを。」聖母はこう言われる。「われは主のつかい女なり。仰せのごとく我になれかし。」
つまり「主よ、私は、自分の人生を主に委ねます。主のみこころに従います。私は主のしもべです」と言うことだ。私たちは天主の愛とつながっている。私たちが主に信頼するとき、私たちに本当の幸せと喜びが与えられる。
【聖母は私たちを助けてくださる】
聖母は謙遜で、天主に従順だ。自分の思いではなく、客観的な天主の掟に従う。
聖母は終生童貞だ。御自分を完全な贈り物として天主に捧げられる。われは主のつかい女なり、仰せのごとく我になれかし、これが聖母の生き方だ。罪の汚れがないお方だ。原罪の汚れさえもないお方だ。聖母は聖霊のいと清き浄配だ。
聖母は母親だ。天主の御母だ。最高の母親だ。女性の偉大さは男性のようになることではなく、善き母親となることにある。肉体的な母親、あるいは、霊的な母親となることだ。聖母は母親として最高の生涯を送り、ついには天の元后となられた。
聖母は、私たちの母親でもある。贖われた私たちの霊的な母親だ。聖母は私たちを子供として愛し、世話をしてくださっている。聖母は善き母として、私たちを革命から守られようとされている。私たちがしなければならないことは、聖母からの助けを受け入れることだ。
(続く)